32章 応魔 08
翌土曜日はもちろん休みである。
もちろんリーララは当たり前のように泊まっているし、朝起きるとカーミラがすでに朝食を作っていて、ルカラスが給仕されるのを待っている構図もいつも通りだった。
このカオスにもすっかり慣れてしまったが、それが麻痺しているだけなのは俺自身よくわかっている。でもどうにもならないんだ、こいつらとは結局持ちつ持たれつの関係になってるしな。
というわけで、朝飯を食いながら、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「なあカーミラ、お前普段はなんの仕事をしてるんだ?」
「あら、気になるのぉ?」
「そりゃな。こっちの世界での職場を潰したのは俺だし、向こうの財団から報酬が振り込まれているわけでもないんだろう?」
「まあそうねぇ。仕事は九神さんのところを手伝っている感じねぇ。もちろん裏方の話よぉ」
「九神の? 『深淵窟』関係か?」
「違うわぁ。九神さんのところっていろいろ大きいじゃない? そうすると他所から密偵みたいのが入り込んできて大変らしいのよぉ。なのでそういう人たちを探してあげるお仕事ねぇ」
「密偵って……」
多分産業スパイのこととかを言ってるんだろうけど、なるほど精神魔法の使い手であるカーミラならその辺りは適任だろうな。むしろコイツ自身がスパイをやってもおかしくない人間だし。
「お給料はかなりいいわよぉ。成功報酬だから、先生も臨時バイトでやることは可能よぉ?」
「いや金には困ってないから遠慮しとく」
九神父からは『クリムゾントワイライト』関係の事件解決の報酬で、宝くじに当たったレベルの金を報酬としてもらってるからな。正直今の生活を続けていたら使い切れる気がしない。
ふと横を見ると、白銀髪の少女が卵焼きを頬張っている。ルカラスは俺の視線に気づき、食うのをやめてこちらを見た。
「なんだハシル、我の顔に見惚れておるのか?」
「いや、お前も働かせようと思ってな」
「待てハシル。つがいを養うのは男の甲斐性であろう?」
「日本じゃ男女平等社会なんだ。つがいだろうがなんだろうが、飯を食いたければ働け」
「むうぅ……。それならばモンスターでも狩ってくればよいであろうか」
「いやこっちはモンスターの素材や魔石を換金するとかそういうシステムはないからな。まあ例の深淵窟がある間はそっちを手伝ってもらえばいいか。お前がいれば『特Ⅱ型』までなら対応できるからな」
「よくわからんが、やれというならやろう。しかしハシルもハーレムを作ろうという割には小さいことを気にするのだな」
「誰もハーレムとか目指してないしな」
「昨日も新しい女を連れていながら、よくそういう白々しいことが言えるものだな」
「あらぁ、先生また増やすつもりなのぉ? そういうことは事前に言ってもらわないと困るわよぉ」
「うわ~、息をするように新しい女捕まえてくるとかどれだけ飢えてるワケ?」
「アホ、仕事で保健の関森先生と一緒にいただけだ」
と言うと、リーララが「うげっ」と漏らして渋い顔になった。
「なんだお前、関森先生になにかされたのか?」
「あ~、あの人に一回身体を色々調べられたんだよね~。あっちこっち触ってくるしちょっと苦手。初等部の保健の先生は別なはずなんだけどね~」
「ああ……」
やはり見境なしだったかマッドサイエンティスト女医さんは。
そんな話をしていると、スマホに電話の着信があった。発信元は双党だ。
「おはよう。どうした?」
『あっ先生おはようございます。実は例の少年たちから連絡があって、今日の夜に例の「応魔」というのが現れることになってるんだそうです。それで見に来ないかって連絡が来たんですけどどうしたらいいでしょうかっ』
「あらら、クウコも気にしたかこれは」
『なにかあったんですか?』
「坂峰少年のことでちょっとな。後で話はするから、とりあえず今回は断っとけ」
『わかりました~』
どうやらまずはクウコがなにかするようだな。
まずは当事者で解決してもらえるならそれが一番なので、なにかあるまではノータッチでいいだろう。ただ一応、彼らの追跡調査だけは『ウロボロス』に頼んでおくか。
さて、そんなことをしているうちに週が明け、遂に二学期が始まった。
自分の記憶だと始業式なんてものはこの世の終わりみたいな瞬間だったのだが、明蘭学園の生徒はそんな雰囲気もあまりなさそうだった。まあ事前に課外もやっているから、すでに覚悟はできているということかもしれない。
やはり宿題は一発で全員提出という恐怖を味わったが、催促しなくていいのだから教員としてはありがたい話である。なんだかんだいって双党ですらちゃんと出すのだから大したものだ。
青奥寺たち3人はいつもの感じで、レアだけがやたらとニッコニコで俺の方を見てくる。露骨に態度に出されると困るので後で注意はしておこう。
始業式の午後は『総合武術同好会』に顔を出す。
メンバーは青奥寺、双党、新良、レア、絢斗、三留間さん、雨乃嬢の7人。大学生である雨乃嬢はまだ夏休み中らしい。
『定在型深淵窟』の件もあって、フルメンバーが揃うのは久しぶりだ。
と言ったら、絢斗が、
「例の『赤の牙』の4人のおかげで余裕ができたんですよ。すごく熱心に狩りをしてもらえるので助かってます」
と教えてくれた。
「そりゃよかった。『特Ⅰ型』までなら問題ない連中だし、こき使ってやってくれ」
「ウチの東風原所長も彼らに仕事を頼めるとありがたいんだがって言ってますよ」
「『白狐』でなにかハードな仕事があるのか?」
「ええ。海外の『クリムゾントワイライト』が大きく動いているみたいですからね」
ちらと横目でレアを見る絢斗。なるほど日本にも手を伸ばし始めるかもしれないということか。
俺がうなずいていると、双党が手を挙げた。
「ところで先生、昨日の件なんですけど、今ここで聞いていいですか?」
「それは構わないが……」
「絢斗ととねりちゃんは私経由で伝わってます。雨乃姉は美園が伝えたみたいです。それとレアももう仲間なんですよねっ?」
最後の言葉に反応して、レアがニッコリ笑って「そうでぇす。ワタシもアイバセンセイのメンバーでぇす」と宣言する。
当然青奥寺の眼光が俺に突き刺さる……と思っていたら、なぜか新良とともに諦めムードっぽい感じを醸し出していた。絢斗は「やれやれ」みたいに肩をすくめ、三留間さんはきょろきょろと先輩たちを見回し、雨乃嬢は「次はアメリカン寝取り? さすが先生レベルが高い……」とか口走っている。
まあともかくここにいるメンバーは隠し事不要になったので、先日の坂峰少年たちの話を伝えた。
特に反応が大きかったのは坂峰少年の性格の変化だ。実は『ウロボロス』に調べさせたところ、他の4人の少年少女も少なからず性格の変化は見られるとのことで、しかも女子1人を除いて全員が坂峰少年と似たような感じになっているらしかった。ただやはり一番顕著なのは坂峰少年ではあったが。
「あ~、なんとなくわかるような気はしますね~。車に乗ると気が大きくなるみたいな話ですよねきっと。そういえば、土曜日に断ったときも、なんか『見に来ないとついてこられなくなるよ』みたいな上から目線のメッセージが来たんですよね~」
双党がうんうんとうなずくと、新良もそれに付け足すように言う。
「言われてみれば、会った時も少し自信家というイメージはあったかもしれない。『違法者』にも似たような傾向は見られるという報告はあった。急に高い能力を得ることによる精神的な変化は避けがたい。特に若ければその影響は大きいと思う」
『違法者』というのは人体改造技術によって強化された人間のことだ。確かに以前新良とともに追いかけた奴は、かなりイキがった言動をしていた気がする。言われてみればアレと似たような状態なのかもしれないな、坂峰少年たちは。
皆がなんとなく同調する中で、青奥寺が俺に目を向けてくる。
「でもクウコさんがすぐに呼び出したということは、向こうで対応するってことですよね?」
「多分な。一度は当事者で解決を図ってもらわないと困るし、それ自体は悪いことじゃない」
「どうやって対応するつもりなんでしょう?」
「女神のふりをしていたみたいだから、女神の姿でも見せて説教でもするんじゃないか?」
「なるほど……。それで聞いてくれるといいですけど」
さすがに力を与えた元の存在が注意をすれば多少は違うと思うのだが、あの年代の少年少女は難しいからなあ。それを考えると、今目の前にいる娘たちは驚くほどにいい子たちばかりである。
「先生、どうかしたんですか? 急にうなずいたりして」
「いや、ここにいる皆は本当に性格がいいなって思ってね。俺は恵まれてるんだと改めて感じていたんだ」
俺がそう言うと、なぜか皆微妙な顔をした。え、今褒めたはずなんだけど……。
戸惑っている俺の前で、絢斗がまた肩をすくめて見せた。
「確かにそうかもしれませんね。普通なら血の雨が降ってもおかしくない状況ですから」
なんか妙に物騒なことを言われたのだが……それよりも、今度は皆が納得したような顔になったのはなぜだろうか。勇者の勘は、そんな恐ろしい状況は一切感知していないんだが。