3章 青奥寺と九神 06
「相羽先生、今日もちょっとお疲れのようね。昨日眠れてなかったんじゃない?」
翌日の昼休みに俺がコンビニ弁当を食べていると、山城先生が心配そうな顔で隣の席に座った。そこは学年主任の熊上先生の席だが、熊上先生はまだ退院の目途が立たないらしい。
「ええ、昨夜ちょっと考えごとをしていたら寝るのが遅くなってしまいまして……」
「あら、もしかして悩みごと? 授業も頑張ってると思うし、担任の方も立派にやってもらって助かっているけれど、部活もあるしやっぱり忙しいわよね」
「ああ、そちらは今のところ大丈夫です。ちょっと個人的なことで悩んでるだけなので、相談するようなものでもありませんし」
「そう? あ、もしかして彼女関係とか?」
そう言って山城先生はいたずらっ子のような笑みを漏らす。なぜこの人は動作すべてにちょっと淫靡な感じが漂うんだろう。
「いえいえ、そんなゼイタクな悩みならむしろ笑顔になってますよ」
「うふふ、相羽先生ってそういうところがカラッとしてるから生徒も安心できるのね」
「あはは……」
今のどういう意味なんだろう。一見褒められているようで、実は男としてはかなり低い評価をされたような気もする。
まあいいか。さすがに青奥寺家と九神家と、さらに国際的犯罪機関と双党の後ろにある機関が『深淵』関係でつながってて、その上九神に怪しい動きがあるから悩んでましたとは言えないからなあ。
「実は私も娘のことではよく悩むのよ。そろそろ親の言うことも聞かなくなってきて、スマホとかも欲しがってきて」
「娘さんはウチの初等部にいらっしゃるんでしたよね? そうか、もうスマホを欲しがるんですね」
「そうなのよ。確かに便利だから渡してもいいんだけど……」
と世間話が始まったところで、職員室の扉が開いた。
入ってきたのは明るい髪の小動物系ツインテール少女。双党はすこし慌てたような表情で俺のところにやってきた。
「相羽先生来てくださいっ。美園が世海さんと屋上で言い合いをはじめちゃったんです」
「ええ……?」
ちょっと、いきなり何が始まったの?
俺が山城先生と双党とともに屋上へ行くと、そこには確かに青奥寺と九神がいた。
黒髪ロングと金髪ロールが向かい合っているのは本当に絵になるが、お互い顔に険が寄っているので美少女っぷりが台無しである。特に青奥寺が目つきが殺し屋レベル……はさすがに悪いか。
「気を付けてって言ったのに、昨日の話はどういうことなの世海?」
青奥寺の声には怒気が感じられる。いつも冷静な感じなのに珍しい。
「それについては私が口出しできる範囲の話ではなかったと言っているでしょう?」
対する九神の声はまだ涼しげだが、かすかな苛立ちはやはり隠せていない。
「だけど注意をすることぐらいはできたはず。もしかしてわざと手薄にしたとか、そんなことをしてたんじゃない?」
「ふざけないでくださる? そんなことをする理由が九神にあるはずないでしょう。こちらも上の信頼を得てやってきているの。バカにしないで」
「かがりに助けてもらっても守り切れなくなるレベルの警備をしてたら信頼なんてなくなると思うけど」
「それは美園に言われるようなことではありませんわ」
「友達が危険な目にあってる以上、文句を言う権利はあるでしょう? こちらは命がかかってるって分かってるの?」
「うるさいですわね。こちらにも事情というものがあるんですの。何も知らない身で口を出さないでいただきたいですわ」
「だったら口を出さないで済むようにして欲しいのだけど。この間の夜だって、怪しいことしておきながらこそこそ逃げておいて――」
ああ、なんとなく2人の諍いの理由は分かってきたような感じだかな。とはいえあまり学校で話していい内容でもないな。
幸い今は屋上には誰もいないけど、一般の生徒に聞かれたらさすがにマズいだろう。
俺は二人の間に入って、手をパンと叩いた。
「とりあえずそこまで。こんな場所でいったい何をケンカしているんだ?」
口論を止めたのが俺だと分かると青奥寺はハッとした顔になり、すぐに視線を横に逸らして「すみません……」と口にした。
一方九神の方は、「止めるのが遅いですわ」と言わんばかりの顔である。いかにもお嬢様が庶民を見下すみたいな視線つきだ。
取りつく島がなさそうな九神の方は担任の山城先生が近寄って、
「九神さん、お話を聞かせてね」
と言って連れて行ってくれた。
青奥寺の方はまだ視線を逸らしたまま俺の言葉を待っている。
「あ~、落ち着いたらちょっと話を聞かせてくれ」
「わかりました……」
青奥寺が頷く。それを聞いて双党が俺を見上げた。
「先生、美園は私のことで怒っちゃったみたいなんです。だからお説教はなしでお願いしますっ」
「さっきのでだいたい事情は分かってるから大丈夫。双党、もし青奥寺が次の授業に遅れるようなら、授業の先生に担任に呼び出されてるって伝えておいてくれ」
「はい、わかりました」
「じゃあ行くか」
俺は青奥寺を連れて生徒相談室へ向かった。
生徒相談室で椅子に座ると、青奥寺は俯いて動かなくなってしまった。自分のしたことを思い出して考えるところがあるのだろう。
とはいえ教師としてはそのままというわけにもいかない。
「双党に話を聞いたのか?」
「はい、昨夜のことを聞きました」
青奥寺は少し顔を上げて、俺の方を見た。
「しかしそれと九神との口論はどうつながるんだ?」
「それは……先生もご存知なんですよね? あの場所に何があったのか。そしてあの場所がどういう場所なのか」
「『深淵の雫』があって、あそこが九神の研究所だということは聞いた」
「そうです。『深淵の雫』はかなり貴重なもので、狙っている人間は多いんです」
「双党が戦ってる連中も含めて、ということか?」
「はい、それは私たちには常識の話なんです。今回あそこが襲われたのも、ここのところ『深淵の雫』の数が増えたからです」
「なるほど……」
「だからキチンと守らないといけないのに、かがりに頼って適当な警備をして、それで危険な目に……」
「だから九神に文句を言ったのか?」
「『深淵の雫』が増えたのも最近の『深淵獣』や『深淵窟』の発生率の多さが原因です。この間の感じだと、九神さんはそれに関係してる可能性がありますから」
「ああ、まあそう見えるよな」
だいたい予想どおりの動機だな。しかし青奥寺たち3人は互いの秘密をかなり深くまで共有してるようだ。
「ふむ、友人が危険な目にあわされて……という気持ちは分かる」
「はい」
「しかしちょっと思慮が足りなかった……というのは青奥寺ならわかると思うが」
俺がそう言うと、唇を噛むような感じで少し悔しそうな顔を見せた。
「……はい。自分でもそう思います。感情に流されてしまいました。九神さんも本当はどうかかわっているのかは分からないのに……」
「そうだな。あくまで状況証拠でしかないし、その証拠もかなり曖昧なものだったしな」
「はい……」
表情を見る限りかならり落ち込んでいるようだ。青奥寺はどちらかというと普段は冷静で理性的って感じだしなあ。その状態に戻れば、感情的になってしまった自分は恥ずかしく思えるのかもしれない。
「そうだな……まあ自分で分かってるならいいんだ。ただ、青奥寺が今回あんな態度にでたのは、他の理由もあるんじゃないか?」
「え? 他の理由……ですか?」
「相手が九神だったから、ということはないか?」
そう指摘すると、青奥寺は少し思案顔をして、何かに気付いたかのように顔を上げた。
「それは私が世海……九神さんに対抗心を持っているから、ということですか?」
「人が普段と違う行動を起こすときには、自分でも気づかない色々な原因が潜んでいるものなんだよ」
と教員の研修で聞いたんだよな。その時はなるほどと思ったが、青奥寺なら理解できるだろう。
「……確かにそうかもしれません。でも、そういう気持ちを攻撃にもっていったらダメですよね」
「そうだな。ライバル心は大切だけど、それをどう行動に出すかは考える必要があるんじゃないかな」
どうやら一応納得してくれたのか、青奥寺は「はい」と言ってくれた。
「その辺りを分かってくれれば大丈夫だ。さて、この後もしかしたら九神と話し合いの場をもう一度設けるとかそういう話になるかもしれないんだが、青奥寺はできるか?」
「その場合は私が謝る形になるんですよね、先に責めたのは私ですし」
「そうなるだろうな」
「大丈夫です。九神さんとは言い合いは昔からよくあったので、その後のことも慣れてますから」
「あ、そうなの……」
というわけで、俺の初めての生徒指導はなんとなく終わってしまった。
その後青奥寺と九神を引き合わせて「はい仲直り」みたなことをやったが、本人同士もいつもの儀式みたいな感じなので、俺と山城先生は密かに顔を見合わせて苦笑いしていた。