3章 青奥寺と九神 04
その夜アパートでくつろいでいると9時ごろに青奥寺から呼び出しがかかった。
先日教えた場所で『深淵窟』の発生が確認できたので、今から調査するというのである。
現地集合ということで例の空き家前に行くと、そこには刀を携えた青奥寺が1人で立っていた。やはりなぜかブレザー姿である。
「対応が早いな。しかしやっぱり青奥寺のお師匠さんは今日も手が空かないのか」
「はい、最近『深淵獣』の発生数も増えていまして、まだ戻って来られないようです。すみません」
「ああ、別に責めてるわけじゃない。じゃ、さっさと中に入って終わりにしようか」
「よろしくお願いします」
『深淵窟』の攻略自体は全く問題なく終わった。
青奥寺に剣の指導をしながらザコを倒していき、ボス部屋で前回と同じく『乙型』2匹を倒す。
やはりボス部屋には『深淵核』があり、この『深淵窟』が人為的に作られたものだということがはっきりした。
問題はこれを作ったのが「九神」の関係者らしいということを青奥寺に伝えるかどうかだが、青奥寺の母親の美花女史はどうやら勘付いているようだし、必要があれば彼女が青奥寺に伝えるだろう。
ということで、今回もそのまま調査完了ということで解散になるはずだったのだが……。
「あれって世海の家の車? なんでこんなところに……」
空き家を出るところで、青奥寺が家の前に停まっている黒いセダンに気付いたのだ。
なるほどその車は俺にも見覚えがある。明蘭学園の生徒『九神世海』を送迎している高級車だ。
「先生、隠れて様子を見ましょう」
青奥寺の指示に従って家の影に隠れて見ていると、車から2人の人間が下りてきた。
一人は執事のような格好をした老年の男性だ。白いひげをたくわえた紳士然としたたたずまいには隙がない。勇者の目から見ても只者ではないと分かる。
もう一人は夜でも目立つ金髪縦ロールの少女、九神世海に間違いなかった。
「やっぱり世海……」
青奥寺がつぶやく。この間のやりとりからしても、この2人の間には知り合い以上の関係があるのだろう。
気配を殺している俺たちに気付くことなく、九神と執事氏は空き家の玄関へと進んでいった。
「玄関の鍵が壊れているわね。どうやら最近壊された感じだけれど、中太刀から見てどうかしら?」
「そうですな……。ふむ、見た限りでは、壊されたのはここ2~3日のことでしょう」
「とするとやはり……。とりあえず入ってみましょう」
2人はそんなやりとりをして空き家の中に入っていった。
俺と青奥寺は玄関の側までいって聞き耳を立てる。
「どういうことかしら、深淵の波動は感じるけれどもう消えかかっているわね」
「さようでございますな。『深淵窟』の発生が失敗したのか、それとも……」
「すでに『深淵窟』が踏破されたか、ね。青奥寺家が察知するにはまだ早いかと思ったけど」
「情報が確かならば『深淵核』の持ち出しは2日前。すぐに設置されたとしてもまだ波動が外に漏れる段階にはなかったでしょうな」
「となると失敗? でもそれにしては『深淵核』が見当たらないわ。明日それとなく美園に聞いてみようかしら。でもあの娘もなにか妙に勘繰ってるみたいだったのよね」
「美園様も勘が鋭い方ですからな」
「そうね。詮索されると面倒だし、証拠集めは次の機会にしましょう。どうせあの男はまたやるでしょうし」
どうやら用事が済んだらしく、2人が奥から玄関に向かって歩いてくるのが感じられた。
俺たちはすみやかに物陰に隠れて……
「世海、どういうことが説明してもらえる?」
想定外の声に振り返ると、玄関の正面に立って、九神に向かってビシッと指を突きつけている青奥寺がいた。
「あら美園、こんな夜中にお会いするとは思いませんでしたわ。お一人では危険ではありませんの?」
指を突き付けられながら、九神は平然とそんなことを言ってのけた。
俺のいる物陰からは青奥寺の横顔しか見えないが、家の中では九神が澄ましたお嬢様顔をしているのだろう。
「私は強いのでお構いなく。それより貴女がなぜここにいるの? しかもこんな時間に」
「あら、ここは九神ハウジングが扱っている物件の一つですの。ですから私が視察に来てもおかしくはないのですわ」
「九神の本家令嬢がこんな時間に見にくる理由にはならないでしょう。『深淵』に関わること以外は」
「……なにが言いたいんですの?」
「さっき貴女が言ってた通り、私がここにあった『深淵窟』を踏破したの。だから『深淵窟』はここにはもうないってこと」
「へえ……美園はようやく単独で『深淵窟』を踏破できるようになったんですの? それはめでたいことですわね」
「誤魔化しても無駄だから。この『深淵窟』にも『深淵核』があった。この意味が分かるでしょう?」
「いえ、美園が何を言いたいのかさっぱり。ただ一つだけ言うことがあるとすれば、『深淵核』は自然発生することもある、ということだけですわ」
「……そう、あくまでもとぼけるというわけね。まあいいけど。ただあまり派手に『深淵の雫』を動かすと大変なことになるんでしょ? 中太刀さんのところもこの間大変だったみたいだし。あまりかがりに手間をかけさせないでね」
「ご忠告はしかとお聞きしましたわ。お互いこんな時間に出歩くのは問題がある身ですし、この辺りでお暇させていただきますわね」
どうやら話は終わったようだ。
青奥寺の脇を九神と執事氏が通り過ぎていく。執事氏は申し訳なさそうな顔をしてお辞儀をしていたが、その挙措に苦労人っぽい雰囲気がにじみ出ていた。『あの世界』でも執事といえば苦労人が多かった気がする。
彼らが乗った車が去っていくと、青奥寺はふうっと息を吐いて俺のところに来た。
「すみません、勝手なことをしてしまって」
「いや別に、青奥寺にも考えがあってやったことだろうからいいよ。俺のことも隠してくれたみたいだし」
「えっ? そうでしたか?」
「だって一人で『深淵窟』を踏破したって言ってただろ? 青奥寺はあんなふうに見栄を張るタイプじゃないだろうし」
「あ……っ」
そこで青奥寺は、夜でも分かるほど顔を真っ赤にした。
「あれはちょっと、その……世海とは子どもの頃から互いに張り合ってるところがありまして……」
「あ、そういう……」
なんだ、しっかりした生徒だと思っていたが、そういう子どもっぽい所もあるんだな。
俺は少しだけ、この「人知れず闇の獣と戦う系女子」に親近感を覚えたのであった。
翌日も学校では特に何事もなく時間が過ぎた。
青奥寺と九神が接触している様子もなく、放課後の部活も普段通りであった。
気になるのは「裏の顔持ち」三人娘の一人『双党かがり』が休んだことだが、いつも元気な彼女も体調を急に崩すことがあるのだろうか。また何か裏の任務をやってなければいいのだが。
定時から2時間過ぎて帰ろうとすると、校門の前で同期の二人と出会った。
明るい美人の『白根 陽登利』さんと、ちょっとニヒルなイケメン『松波 真時』君だ。
特に松波君は前回見た時にはかなりやつれていたのだが……うん、今日は一段とげっそりしているな。もはや生ける屍だ。
俺が近づいていくと白根さんが気付いて手を振ってくれた。
「あ、相羽先生、お疲れさまです。仕事は順調ですか?」
「ようやく生徒とも打ち解けてきた感じですね。白根先生も?」
「はい。やっぱり優秀な生徒には驚かされますが、もう慣れました。顧問している部活は今度上位大会に出るとかで大変ですけど」
「それはおめでとうございます。部活はなんでしたっけ?」
「バレー部です。一応経験者なので」
「じゃあ白根先生の指導の賜物ですね」
「いえ、部員がすごく真面目で、逆にやりすぎるのを抑えてるくらいなんです」
と苦笑いする白根さん。充実した健全な教員生活を送っているようだ。
一方で松波君は……目に光がないな。新良と同類か?
「松波先生はずいぶんとお疲れのようですが、まだからかう女子がいるんですか?」
俺がそう聞くと、ゆらりと幽鬼のように顔をこちらに向ける松波君。
「……ああ、相羽先生。お元気そうでなによりです。おっしゃる通りからかいがなくならなくて、もう疲れましたよ」
「松波先生はカッコいいから女子がほっとかないとは思うんですけど、やりすぎは問題ですよね」
と白根さんが困ったような顔をして頷く。
「松波先生は他の先生方には当然相談してるんですよね?」
俺が聞くと、松波君はフッと皮肉げに笑みをこぼした。
「ええもちろんです。でも彼女は誰の言うことも聞かないんですよね。完全にお手上げ状態みたいです。なにしろ表面上はギリギリ問題ない感じに接してくるので、こっちも強く言えないものですから」
「はあ、そんな性質の悪い女子がいるんですねえ。初等部だと本人にもどこまで悪意があるか分からないですし、対応は難しそうですね」
「本当にそうです。他はいい子たちばかりなので何とかやっていけますけどね……」
はぁ、と重い溜息をつく松波君。さすがにちょっとだけ助けてやってもいいかもしれないな。その女子はどうにもできないけど。
「松波先生、少し失礼します」
俺は彼の胸の前に手をかざして『回復魔法』を発動する。といっても2人には何も見えないだろう。実際には俺の手から流れ出た魔力が松波君の身体に流れ込んでいるんだが。
「……なんですか……ん、おお? 身体がすごく軽くなったような……」
「悩み自体は心の問題ですが、それに引きずられて身体が疲れていると余計ダメになりますからね。我が家に伝わる活力アップの秘術ですよ」
「あはは、相羽先生ってそういう面白いところがあるんですね」
白根さんが口をおさえて笑う。まあ冗談だと思うよなあ。
「いえ白根さん、本当にこれは効きますよ。相羽先生、ありがとうございます。これで少しは頑張れそうです」
「頑張らないで適当に流しとけばいいんですよ。真面目にやりすぎるとバカを見ることも多いですから」
俺の言葉によほど実感がこもっていたのだろう。松波君は神妙に頷いた。
「ええ、そうします。なんか悩んでいたのがバカみたいに思えてきました。やっぱり身体が疲れているとどこまでもネガティブになりますね」
「松波先生本当に別人みたいになってません? え、さっきの本当に効いたんですか?」
目を丸くする白根さんに松波君が「本当です」と言うと、白根さんは俺にキラキラした目を向けた。
「えっ、じゃあ私が疲れた時もやってもらっていいですか? 最近寝ても体力が完全に回復してない気がして悲しいんです」
「いいですよ。多用すると逆に身体に良くないので、どうしても辛くなった時に言ってください」
「やった、ありがとうございます。その時はお願いしますね」
うん、こんな怪しい話をさくっと信じてしまうのもどうかと思うが、松波君の復活具合に説得力があったということにしよう。
その時後ろの方で「私と同じ力……?」という小さな声が聞こえたが、俺が振り向いた時には、中等部の生徒の後姿が遠くに見えるだけだった。