3章 青奥寺と九神 03
そこは郊外にある古めの一軒家だった。庭に手入れがあまりされておらず生活感もないことから、どうやら空き家になって結構経つ家のようだ。
その家の前に一台の白い商用車が止まっている。一見すると中古住宅販売の業者が来ているようにも見えるが、さすがにこんな夜に見に来ることはないだろう。
地上に下りて離れたところから見ていると、その家から2人の人影が出てきた。どちらもスーツを着た若い男だが、明らかに一般人の雰囲気ではない。『あっちの世界』で言うと「裏の呪術者集団の下っ端」みたいな感じを受ける。
魔力の渦は間違いなくその家の中から感じられる。その男たちが関係しているのは間違いないだろう。
さてどうするか。捕まえて事情を聞くのが手っ取り早いが、残念ながら現実的ではない。第一俺には彼らを拘束する理由がない。彼らのやっていることが犯罪なのかどうかすら明確ではないのだ。
それにどうも彼らは下っ端っぽい。捕まえてどうにかしてもトカゲの尻尾きりで終わるだろう。だったらちょっと泳がせて後をつけた方がまだマシだ。
というわけで、俺は商用車に乗って去っていく彼らの後をつけることにした。もちろん空からの追跡である。
その商用車は街中に入って行くと、一旦小さなビルの駐車場に入っていった。しかし中の2人はそのビルに入って行かず、別の黒い車に乗り換えて駐車場から出てきた。なんとも念入りなことである。
黒い車は街中を一周すると、先ほどとは別の、とある大きめなビルの駐車場に入っていった。ビルの看板には「九神建設」の文字。ああ、やっぱりそうつながるのか、と自然と溜息が漏れてしまう。
感知スキルを全開にしてビル内部をスキャンすると、そのビルに入った下っ端2人はエレベーターで最上階へと上がっていった。
彼らが向かう最上階の部屋には誰かがいる。おそらく自分達がやったことをボスに報告するというところだろう。
俺はそのボス部屋のガラスに張り付いてどんなやりとりがなされるのかを確認することにした。ブラインドが下りていて中は見えないが、声だけなら『超感覚』スキルでガラス越しに声を聞くことが可能だ。
「……社長、いつも通り設置いたしました。2日後には『深淵窟』が開くでしょう」
「ああ、ご苦労。足はついてないな?」
「万全を期しています。問題ありません」
「ならばいい。今日は帰って休め」
「……しかし社長、『深淵核』が見つかってしまえば青奥寺はこちらの仕業だと勘付くのではありませんか?」
「証拠がなければ連中は何も言えんさ。もともとこちらの方が力と立場は上なのだしな。それに『深淵窟』が増えるのは奴らにとっても利益になる話だ。むしろ感謝されるべき話だな」
「なるほど、言われてみれば向こうにも利益がある話ですね」
「そういうことだ。『深淵核』を大量に確保するにはこの方法が一番早い。なぜ誰もやらないのか昔から不思議だったのだがな」
やり取りをしているのは全員男だ。ちょっと驚いたのは「社長」と呼ばれる人物の声がかなり若いことだ。ヘタをすると20代だろう。よほど優秀な人間なのか、それとも……。
「では失礼いたします」
「うむ」
どうやら2人の下っ端は去って行ったようだ。残った『社長』がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
まさかバレたのか……と思っているとそうではなく、『社長』は俺がいるのとは違う所のブラインドを指で広げ、夜景を眺めはじめたようだ。
「ふん、低いビルだ。俺はこんな低い場所で終わる人間ではない。利益を上げれば九神も俺を認めるだろう。俺があいつより上だと、な」
うん、なんかちょっとナルシスト入ってる人のようだ。ちょっとキツくなった俺は笑いをこらえながら身を空に踊らせ、その場を後にした。
翌日の放課後、俺は青奥寺を相談室に呼び出した。
「先生、なんでしょうか?」
「ああ呼び出して悪いな。はいこれ」
訝しげな顔をする青奥寺にメモ用紙を畳んだ物を渡す。
青奥寺はそのメモ用紙を開いて中身を確認すると、前髪の下から俺を睨み……いや、睨んでるわけじゃないよな、きっと。
「あの、この住所が何か?」
「たぶん一両日中にそこに『深淵窟』が発生するから」
「……っ!? どういうことですか?」
青奥寺がグイッと身を乗り出してくる。あ、ちょっと近いのは勘弁してね。人に見られたら俺が社会的に終わるから。
「昨日魔力が渦巻いてるのを感じたんだよ。で、見にいってみたら、どうも『深淵窟』が発生するところだったらしくて。ちなみにその住所にあるのは空き家だから」
「先生は発生する前の『深淵窟』も感知できるんですか?」
「勇者時代にいいアイテムを手に入れててね。それを使えば分かるんだよね」
「ふぅん、そうなんですね」
俺が「勇者」を口にすると青奥寺は興味を失ったような顔になる。やっぱり「勇者=話す気なし」みたいな扱いなんだろうな。
「ところで青奥寺の『師匠』とかは戻ってきてるの?」
「いえ。興味があるんですか?」
またグイッと身を乗り出してくる黒髪少女。今度ははっきりと眼力が強い。
「そうじゃなくて、『深淵窟』が出現したらどうするのかと思って。青奥寺一人では中には入らないと言っていただろ?」
「ああ、そういう意味ですか。そうですね、師匠が来るまでは様子見になると思います」
「だけど今回は住宅街が近いんだよ。だから出口で待ち構えて、出てきた『深淵獣』を狩るってことはできないと思うぞ」
「それは……見てみないと何とも言えません。もしかしたら一人でも突入するかもしれませんね」
「その時は遠慮せずに俺を呼べよ」
俺がそう言うと青奥寺はコクンと頷いた。
「分かりました。その時は先生のお世話になります」
「それでいい。話は以上だ」
と、話を切り上げたつもりだったのだが、青奥寺はメモ用紙を鞄にしまっても動かない。
何か言いたいことがありそうな顔でちらっと俺を見る。
「なにかあるのか?」
「ええ、今日も部活にはいらっしゃいますか?」
「この後すぐ行く」
「じゃあお待ちしています。でも他の部活も見るんじゃなかったんですか?」
「あ、そうか……。顔は出しておかないとな」
「昨日の感じだと先生はほかの子たちに興味を持たれ始めてる気がしますから、注意した方がいいと思います。デレデレしてると大変な目にあいますよ」
「お……おお?」
急に圧が強くなった青奥寺にちょっと後ずさってしまう。
まあでも確かに彼女の言う通りだろうな。最近生徒とは距離が近くなった感じはするが、あまり近すぎるのも教師としては問題だし。
「ありがとう、気を付ける」
「はい、では失礼します」
青奥寺も最初に比べるとかなり話をしてくれるようになった気がする。俺もあの目つきに早く慣れてやらないとなあ。
その日の放課後は青奥寺と新良の相手をしたあと、合気道の道場を見に行った。
いままでも多少顔は出していたのだが、どうも女子の練習をじっと見てるだけという時間がむずがゆくて早々に切り上げていたのだ。部員もちょっと俺のことを警戒しているような節もあったし。
というわけで今日は乱取りの練習などをしっかり見たのだが、部員だけでやっている少人数の部活にしてはレベルが高い気がする。
このあたり先輩から技術がキチンと伝えられているんだろう。優秀な上に真面目だからこその文化である。
俺も少しだけ投げや押さえの技を教えてもらったが、なかなかに勉強になった。こういう人間相手の技は勇者は全く覚える機会がなかったからなあ。
「すみません先生、ちょっとだけおさえ技の受け役をしてもらえませんか?」
最後の方でそんなことを言ってきたのは合気道部部長の主藤早記だ。ポニテで袴姿の2年女子である。
「ああ、それは構わないけど……」
と俺が言葉を濁したのは、どうも何か意図がありそうな感じがしたからである。
「お願いします。男の人にきちんと技がかけられて通じるかを知りたいんです」
「そういうことか。いいよ、どうすればいいか言ってくれ」
というわけで、その後しばらくの間技をかけられまくった。
後ろから軽く抱き着いてくださいとか言われた時はビックリしたが、彼女たちはいたって真剣であった。
日本でも物騒なところはあるし、護身術を真剣に学ぼうというのは大切だろう。
ちなみに女子に関節を決められるのがご褒美とかそういう趣味は俺にはない。確かにそういうのが好きという後輩はいたが……。
「ありがとうございました。とても勉強になりました」
「どういたしまして。ただ受けてただけだけどね」
「いえ、やっぱり男の人が相手だと勝手が違いますので。それに先生はすごく鍛えているんですね。変な話ですけど安心して技をかけられます」
主藤がそんな変な褒め方をすると、他の部員もうんうんと頷いた。それって喜んでいいんだろうか。
「え~と、ありがとう、かな? じゃあ俺は行くから、後はよろしく」
「はい、ありがとうございました」
お礼を背に受けながら合気道の道場を出ようとする。俺は出口の方に目を向けて……そこで不覚にもビクッとなってしまった。
だって目つきの悪い黒髪ロングの女子と、目に光のないショートボブの長身女子がこちらをじっと睨んでいたのである。