25章 再訪2日目 08
孤児たちに懐かれたカーミラ、まだジーク少年と口喧嘩をしているリーララを孤児院に置いて、俺は一人空を飛んでいた。
眼下には王都に次ぐくらいの規模の城塞都市が広がっており、その中央には城と見まごうばかりの豪邸がある。
オーギュス・ババレント侯爵――件の悪徳侯爵の、その館である。
もちろん侯爵が実際どんな奴なのかを確かめに来たんだが、なぜ自分がそんなことをしに来たのかということについては自分でもよく分からない。興味半分といえば言えなくもない。勇者の義務感が刺激されたといえば、それも言えなくはない。一番しっくりくるのは被害者を身近に知ってしまったから、だろうか。
ともかくも『光学迷彩』『隠密』スキルを全開にして、俺は侯爵邸目指して降下を開始した。
「『ウロボロス』、侯爵がどこにいるか分かるか?」
『はい艦長、建物の中をスキャンしますね~。う~ん、構造から考えると3階にある中央の部屋が代表者の執務室のようでっす。外に面していない部屋ですね。現在3人の人間がいるみたいです~』
「3階の中央ね。ありがとさん」
外に面していないということは、窓から中をうかがうことはできないということだ。
見ると丁度館の前に車が停まり、位が高そうな男が玄関から入っていこうとしていた。
俺はそいつのために衛兵が扉を開けたタイミングで侯爵邸の中に侵入した。
侯爵邸は、外装もすさまじく金がかかっている感じであったが、内装は輪をかけて豪華絢爛であった。壁や床や天井などに使われているマテリアルは大理石のように見える高級品で、ちょっとした調度品すら精緻な彫刻の入った芸術品と言えるような工芸品である。壁にはこれ見よがしに絵画が並べられ、値段の高そうな壺や皿や花瓶もあちこちに配置されている。正直こちらの方が王都の城よりよほど城っぽい。
絵にかいたような『ザ・金持ち』みたいな館だが、これらが領民の税金で購入されたものだと思うと身分制社会の歪みをどうしても感じてしまう。
ともかく今回の目的は偵察なのでさっさと3階の中央にある部屋に向かう。途中役人やら使用人やらメイドさんやらとすれ違ったが彼らが俺に気づくことはない。
侯爵の執務室とやらはすぐに分かった。なにしろそこだけ扉が異様に豪華なのだ。
俺はその扉にくっついて中の声を聞こうとしたが、たまたまメイドさんがお茶を運んできて部屋の中に入っていったので、俺もそれに乗じて執務室へと侵入した。
執務室はやはり悪趣味なほどに美術品が並べられた部屋だった。
教室の4倍はありそうな広い部屋で、中央奥に大きな執務机があり、その向こうに太った中年男が座っている。
黒い髪を整髪料でギトギトにして後ろに流し、口ひげをはやしたずる賢そうな男である。一見すると小物の悪徳貴族に見えるが、締まった体つきと、その目が放つ鋭い光を見る限り、ただの因業貴族というわけでもなさそうだ。
執務机の前にはもう一人部下らしき中年男がいて、さらに離れたところにある応接セットにはもう一人別の若い男がソファに座っている。
お茶をサーブしたメイドさんが部屋から出ていくと、執務机の前に立っている男に向かって侯爵が口を開いた。
「先ほどの話だが、三か所ともほぼ被害なく駆逐されたというのは事実なのだろうな?」
「はい。情報部にも再度確認をさせましたが、『オーバーフロー』が発生したことは間違いないのですが、かなり短時間で制圧されたようです」
「あの小娘にそこまでの対応力はないと思ったが、たまたま早期に発見されてしまったか?」
「その可能性は高いと思います。ただ不可解なところがございまして」
「それは?」
「三か所の『オーバーフロー』のうち、一か所は確かに王都の駐留軍によって対応されたようなのですが、残り二か所については軍が出動した跡がないのです」
「なに……どういうことだ?」
「分かりません。王都の冒険者を集めても対応しきれるものではありませんし、今のところ一切が不明です。しかしオーバーフローが起きたことは間違いないようです。今日の朝には『雫』の回収を行っていたとのことですので」
「むふう……。もしやあの小娘の元に『オーバーフロー』に対処しうる人材がいるというのか。数千体のモンスターだぞ」
侯爵が唸っていると、それまで黙っていた若い男が不意に声を上げた。黒いコートに身を包んだ、長い黒髪をオールバックにして背に流した陰のあるイケメンだ。内包する魔力は『魔王軍四天王』なみ……あのクゼーロに匹敵する強者だろう。
「それに一人で対処するには『魔人衆』の幹部クラスが必要だ……。そんな人間が今の王家にいるとは思えんぞ……」
「多少は使える者もいるのだろう? 『魔導特務隊』クラスなら複数いれば対応できんか?」
「短時間で殲滅するなら『魔導特務隊』50人は必要……。王家が『魔導特務隊』を解体した以上あり得ん……」
「であれば完全に謎の存在ではないか。そいつの正体が判明するまで迂闊には動けんか」
侯爵がいまいましそうに鼻息を荒くすると、部下の中年男が反応した。
「情報部には引き続き調査をさせております。今後も『オーバーフロー』を誘導いたしますので、その時には確認がとれるかと」
「そうだな。今急いでも意味はない。どうせ『オーバーフロー』が続けば王都も王家も疲弊する」
「『導師』は早期の決着を望んでいる……。それを忘れるな……」
黒い男がボソッとつぶやくと、侯爵はまたいまいましそうな顔をした。
「お前達の力は借りてはいるが、そこまでの指図をされるいわれはない。決着は必ずつけるから静かに待っておけ」
「……ふ、そう願いたいものだ……。ああ、王都には今ちょうど『赤の牙』も入り込んでいる。そいつにも話を聞いてみるか……」
う~む、どうも色々と新たな話が出てきて俺の頭も『オーバーフロー』しそうだな。
とりあえず今回のモンスター出現はこいつらのせいということで確定か。それとこの黒い男が『魔人衆』の一人というのも決まりだ。『赤の牙』の話をだしたからな。
そうするとこのババレント侯爵が『魔人衆』とつるんでるのも確定。いやいやまたビックリの話になってきたな。
「……む、何奴……!」
その時、黒い男が急に立ち上がった。その禍々しく赤い瞳は間違いなく俺に向けられている。勇者の欺瞞を看破するとはさすがに『四天王』クラスだ。
「どうしたバルロ?」
「どうやらネズミが入り込んだようだ……。だがそこにいるのは分かるが姿が見えん……」
黒いコートの男……バルロは懐から大振りなナイフを引き抜いた。その刃は紅く、禍々しく波うつ形状をしている。漏れだす魔力の強さから魔剣の類だというのは一目瞭然、しかも相当に強力なものだ。
「……シッ!」
バルロの姿が消えた。勇者に匹敵する『高速移動』。俺がいまいたところを紅い閃光が切り裂く。
「チ……ッ!」
避けた俺めがけて第二の斬撃が走る。見えてないはずなのにその刃は正確に急所を狙ってくる。こりゃ凄まじい達人だ。
俺が身をよじってぎりぎりで回避すると、さらに第三第四の攻撃が連続で放たれる。
さすがにこれ以上は『光学迷彩』を保ちきれない。俺は刹那の隙をとらえてバルロの腹を蹴り飛ばす。
「ガ……ッ!」
侯爵の執務机に叩きつけられたバルロだが、ノーダメージと見えて瞬時に起き上がろうとする。
しかし俺はその時には、すでに扉を突き破って廊下に出ていた。
「『ウロボロス』、俺を転送できるか?」
『はい、可能でっす』
「じゃあやってくれ」
「逃がすか……ッ!」
廊下に出てきたバルロが『高速移動』、紅い刃を俺の首に飛ばしてくるが……その一瞬前に、俺の身体は光に包まれていた。
俺はその後、いったん女王陛下のもとに行って侯爵邸で見聞きしたことを話しておいた。
一応録音もしてはあってその声も聞いてもらったのだが、こちらの世界でそれが証拠になるのかどうかは微妙である。なにしろ録音媒体が異世界のものであるし。
「あの、なぜ勇者殿はこのようなことをしてくださるのでしょうか?」
去り際に、ラミーエル女王は両手を胸の前で組みながらそんなことを聞いてきた。
「そうですね。自分は今教師をやっているのですが、その教え子と同じくらいの歳の人間が傷つくのはちょっと見たくない、という理由ですかね」
「彼女……リーララさんくらいの子のことですか?」
「実際に教えてるのはもう少し上ですけどね。それ以外には特に理由はなくて、たまたまです。それに全面的に助けることはしませんので、あまりあてにはしないでください」
「いえ、今回のことだけでも十分すぎるほどです。ありがとうございました」
お辞儀をする女王陛下に「では」と声をかけ、『ウロボロス』に転送を命じた。
しかしたった2日間だったが、盛りだくさんの異世界旅行になってしまったな。
『深淵窟』の出現が『魔導廃棄物』の排出によるものだとして、それを減らすのは相当に難しく、かつ時間がかかるだろう。
救いなのは女王様が対処をしようとはしていることで、それを考えれば俺が女王様側に力を貸すこと自体は間違ってはいないはずだ。
しかしそこに『魔王城の地下にいた謎の人物』とか、『王座を奪おうとする侯爵』とか、それに力を貸す『魔人衆』とか、そのあたりが絡んでくると訳が分からなくなりそうだ。
とりあえずは現地の人間に頑張ってもらうとして、あとは一カ月後の夏休みに入ったタイミングでどの程度状況が動いているかだな。
次に来るときは青奥寺たちを連れてくるつもりだが、観光ができる程度には落ち着いてて欲しいものだ。




