24章 再訪1日目 12
警報が鳴り響く中『管理室』の窓の外に目をやると、水槽の上にある結晶がビキビキビキという音とともに膨張しているのが見えた。
周囲の研究員が退避をはじめ、代わりに警備の兵が30人程結晶を囲むように配置につく。手に持っているのは魔導銃だろう。こういった緊急事態には備えているということか。
「これは……膨張が想定より大きい!? まさかそこまで強力なモンスターが――」
研究員の言葉が聞こえたかのように結晶が一気に膨張し、そして次第になにかの姿を取り始めた。
すでに直径3メートルほどに膨らんだ結晶から、太い触手が10本ニョキッと生えて床に下りた。本体は円錐形を縦にした形に変わっていき、その先端にはひれのようなものが生えてくる。本体下部に大きな目が二つ現れると、それがキョロキョロと周囲を見回し始めた。
見た目は巨大なイカ、しかしその表面は無数の金属質の鱗で覆われている。雰囲気としては有名な『クラーケン』を元にしたモンスターのようだ。本体の高さが5メートルほどしかないので、『クラーケン』としてはそこまで大物ではないが。
警備兵が一斉に射撃を始めた。魔導銃の先端からは光の矢が射出されているのでリーララが使う魔道具『アルアリア』と同等品だろうか。いや、着弾時に炸裂してないから下位版だな。
問題なのは射出された光の矢が、モンスターの銀の鱗にすべて弾かれているということだ。どうやらあの『クラーケンもどき』はかなり魔法耐性が高いモンスターのようだ。見ているうちに巨大な触手が鞭のように振るわれて、警備兵を4~5人まとめて吹き飛ばした。
「あれは特Ⅰ型では……!? 危険です陛下、急いで退避いたしましょう」
パヴェッソン氏が女王陛下を促すと、それまで目を見開いてモンスターを見ていた女王陛下はハッとしたようにうなずいた。
「そうですね、退避しましょう。カーミラたちもともに参りましょう」
「あらぁ、勇者様がいるからなんの問題もないわよ。それよりアレ、結構マズい状況でしょ? こちらの勇者様に助けをお願いするのが一番だと思うけど?」
「それは……いえ、さすがに部外者にお願いすることはできません」
「そんなこと言ってると、あそこの兵隊さん死んじゃうわよ。それにこの研究所だってあまり壊されたら困るでしょう?」
「それはそうですが……」
まあ女王としては、勇者っぽいとはいえさっき会ったばかりの訳の分からない人間に頼むなんて簡単にはできないよな。借りを作るとなにを言われるか分からないし。
「陛下さえよろしければやりますよ。情報をいただいた対価だと思ってください」
俺の提案に女王陛下は一瞬怪訝そうな顔をしたが、窓の外で一際激しい音が響くと、決心したような顔でうなずいた。
「わかりました。アイバさんにお願いします」
「承りました」
俺は部屋の横にあった窓の外へと出る扉を開き、『機動』魔法を発動した。
部屋の中で暴れている『クラーケンもどき』は、俺が空中から近づいていくと目をギョロッとこっちへ向けた。周りを囲んでいた警備兵は全員吹き飛ばされてしまったようだ。
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深淵獣 特Ⅰ型
神話の怪物クラーケンを模した深淵獣。
身体を覆う鱗は極めて高い魔法耐性を持ち、一定以下の魔法を完全に無効化する。
基本的に水棲だが、陸上でも問題なく活動できる。
長い触手で獲物を捕え、捕食する。
目と口の中が弱点。
特性
強魔法耐性 状態異常無効 再生
スキル
麻痺触手 咀嚼 水流撃
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思った通りのモンスターのようだ。『水流撃』が飛び道具っぽいが……と思ったら、『クラーケンもどき』の目玉の前にいきなり水玉が生まれ、それが強烈な水の槍になって俺の方に飛んできた。
かわしてもよかったが、そうすると研究施設にダメージがいくので火魔法で相殺する。
接近すると二本の触手を振り回して攻撃してきた。鞭のようにしなる触手は先端のスピードが音速に近く、相当な威力がありそうだ。と言っても勇者の剣技の前にはすぽんすぽんと先の方から斬り飛ばされるだけである。
俺はそのまま『クラーケンもどき』に接近すると、ミスリルの剣で胴体を輪切りにしてやった。寸断された巨大イカは、シギャアアア……という悲鳴とともに黒い霧になって消えていった。
俺は吹き飛ばされた警備兵に回復魔法をかけてやってから、女王陛下たちがいる部屋に戻った。
カーミラとリーララは当たり前みたいな顔をしていたが、女王陛下とパヴェッソン氏、そして研究所の職員さんたちは目を見開いて固まっていた。
ちょとしたトラブルではあったが、勇者としてはちょうどいいデモンストレーションにはなったようだ。
その後俺たちは、後処理を研究所の職員に任せ、王城の女王陛下の執務室まで戻ってきた。
幸い死者はなく、研究施設にもそれほどのダメージはなかったから良かったが、あの場に俺がいなかったら結構おおごとになっていただろう。
こっちの世界は『赤の牙』の連中みたいに強者が多いのかと思ったら、意外とそうでもないようだ。ギルドにいた冒険者もほとんどが下の中くらいの連中で、正直青奥寺一人で全員倒せるレベルだったんだよな。もしかしたら王国では、魔道具が発達した反動で個人の能力に対する依存度が下がっているのかもしれない。
応接セットに座ると、女王陛下は俺の顔を見てから頭を下げた。
「先程はありがとうございました。おかげで大事に至らずに済みました」
「大したことがなくてよかったですよ。しかしあの『魔導吸収体』はちょっと怖いですね」
「安定させるにはまだ多くの課題があるようです。ただそれ以前に、今回の件で実用化は大きく遠のいたでしょうね」
「それはなぜでしょう?」
「『魔導吸収体』は圧縮率を高めると吸収力が高まるのですが、それだけ崩壊した時に強力なモンスターになるのです。しかし今までの研究からすると、今回の圧縮率なら出現してもせいぜい乙型までという予想でした。それが特Ⅰ型が出現したとなると、これ以上圧縮率を高めるのは危険という話になるのです」
「なるほど。しかし研究を中断するとなると、『魔導廃棄物』を減らす有効な手段が失われるということになりますね」
「ええ、そうなります。もっとも我々がまずやらなければならないことは『魔導廃棄物』の排出量を減らすことです。しかし多くの貴族や企業は、魔道具の製造量を減らすことなど考えもしていません。逆に『魔導吸収体』の研究にならいくらでも金を出すと言い出すくらいですから」
女王陛下は溜息をついて首を横に振った。どうやらそのあたり相当に苦労をしているようだ。
「では今回の件で『魔導吸収体』が使えないなんて話になると面倒なことになりそうですね」
「そうなるでしょうね。『魔導吸収体』をあてにして、水面下で魔道具の増産態勢に入っている領地や企業も多いと聞きますし。いえ、これはアイバさんにお聞かせするお話ではありませんでした」
「いえ、こちらとしても『魔導廃棄物』が減るかどうかというのは重要な話なので。しかし減らないとなると我々の世界も困ったことになる可能性が高くなりますし、どうしたものか悩みますね」
話を聞く限りでは、『魔導廃棄物』はこっちの世界の文明や産業に深く関わっている話のようだ。社会システムの問題となるといくら勇者といえどどうにもしようがない。魔王を倒して全部解決っていうなら楽だったんだが、そううまくはいかないようだ。