23章 二つの合宿 04
その後いったん練習を切り上げ、合宿所で夕食となった。
やはりお約束のカレーだったが、大変美味くて満足であった。というか女子部は基本的に顧問の食事とかまで全部部員が用意してくれるので涙が出てくる。このあたりは男では絶対にありえない現象だろう。
その後再び道場で夜の部の練習を行い、10時前には合宿所に戻って就寝の準備となった。
俺は前回と同じく顧問用の部屋で1人でゆっくりする。山城先生は清音ちゃんと一緒にもう一つの顧問部屋に入っている。清音ちゃんは部員の間ではすでにマスコット扱いになっていて、いろいろ話をしたり楽しんでいるようだ。どうやら夜は部員たちと一緒に寝ることになったらしい。
11時に近くなり、そろそろ寝る用意をするか……と思っていると扉がノックされ、なんと山城先生が入ってきた。
「あら、寝るところだったかしら?」
「ああいえ大丈夫です。いつも寝るのは12時過ぎですから」
「相羽先生も夜遅いタイプなのね。私も寝るのはもう少し後だから、こういう機会もあまりないし少しお話しようかと思って。次のテストも近いしね。はいこれ」
と言いながら山城先生はテーブルの脇に座り、持ってきたペットボトルのお茶を出してくれた。
「あ、ごちそうさまです。そうですね、もう期末テストでそのあと夏休みですもんね。時間が経つのが早くて驚きます」
「教員をやってると本当に時間があっという間に過ぎるのよねえ。今年は熊上先生が入院しちゃったりもしたし」
「自分もいきなり担任とは思いませんでした。でもおかげさまでいい経験はさせてもらってますし、結局青奥寺たちのことを考えるとちょうど良かったくらいの感じですね」
「それに関しては本当にいろいろ苦労をお願いしてるわね。相羽先生は本当に新採とは思えないくらい優秀だからすごいわ。あっちの方も、ね」
そう言って意味深な流し目をしてくる山城先生。
第三者が見ていたらとんでもない勘違いをされそうだが、もちろんそんな意味ではない。
「彼女らの裏の姿に関しては自分も驚きました。まさか自分の力がこっちの世界で役に立つとは思ってませんでしたし」
「私も校長先生から時々話は聞いているけど、信じられない活躍をしているのね。あの子たちも相羽先生も」
「自分は手伝ってるだけですから。でも彼女らには頭が下がりますよ。あの年でできることじゃないと思います」
「本当にそう思うわ」
山城先生はそこでほうと溜息をついた。風呂あがりなこともあって、その仕草からほとばしる魅了パワーがとんでもない。ここにいるのが俺じゃなかったら危険なことになってると思うんだが、山城先生はそのあたり分かって……いないんだろうなあ。
「ところで清音ちゃんもすごいですね。魔力への適性があんなに高い子はそうはいないと思いますよ」
「この間の話ね。でもそれが高いとなにかあるのかしら?」
「青奥寺たちと同じようにトレーニングすれば身体から魔力を出せるようになります。ただそれができてもこっちの世界だとせいぜい喧嘩が強くなったり、身体が丈夫になったりするくらいですね」
現状、清音ちゃんに魔力トレーニングをしてもらってもあまり意味はない。ただ魔力に対する感覚が鋭いことで、今後彼女自身がトラブルに巻き込まれることがないとも限らない。であれば今のうちに魔力について知っておいてもいいのではないかとも思う。
「清音に言ったら多分習いたいって言うでしょうねえ。相羽先生のこと大好きみたいだし」
「あはは……、それに関してはその……すみませんとしか……」
俺が謝ると山城先生はぷっと吹き出して、身体を少し近づけてきた。
「それはいいのよ、最近あの子すごく楽しそうだし。でもやっぱり子どもには父親が必要なんだなってちょっと思ったりもするのよね」
そんなことを言う山城先生の横顔は恐ろしく危険な香りを放っていて、もはや目を向けるのも厳しいレベルである。しかもなんか微妙に距離が詰まっているような……
「そういえば合気道でつかんだ時の相羽先生の身体はすごかったわね。筋肉のかたまりみたいな感じだったわ」
「あ、そうですね、鍛えてますんで……」
う~ん、なぜそこで急に意味深な話題をふってくるんだろうか。
「強くて頼りがいがあって助けてくれる、そんな人が近くにいたら女の子なんて一発よねえ。私だってそうなるもの」
「は、はあ……」
「ふふっ、そこは相羽先生も気付いてるかしらね。でも清音の相手もしてもらえるとありがたいわ。お礼はなにかできると思うから」
そう言うと山城先生はいつもの謎距離感で顔を近づけて微笑んだ後、立ち上がって伸びをした。
「相羽先生と話をしてたらほっとして眠くなっちゃったわ。部屋に戻って寝るわね。おやすみなさい」
「え? あ、はい、お疲れさまでした」
俺が変な返事を返すと、山城先生は部屋を出て行った。
いやちょっと最後のほうの話はいったいなんだったんだろう。なんか微妙に思わせぶりな、決してそうではないような。
大人の女性は俺にはまだレベルが高いのかもしれないな。といっても経験値を積むあてがない以上、一生追いつかない気がするのがつらいところである。
事件は翌朝起きた。
合宿中は朝食も皆で揃って食堂で食べるわけだが、もちろん山城先生も清音ちゃんも同席している。
部員たちと一緒に食堂に入ってきた清音ちゃんは、一泊したことで先輩と仲良くなって楽しそうな様子であった。そう、それはよかったのだ。
問題は俺の顔を見て、
「あ、お兄ちゃんおはようございます!」
と言いながら俺のところに駆け寄ってきたことだ。
その瞬間食堂全体が凍り付いたような緊張感に包まれ、17人分の猜疑に満ちた視線が一斉に俺に向けられた。
「おはよう清音ちゃん。あの、お兄ちゃんって呼び方はちょっとここでは……」
「あ、ごめんなさい。二人きりの時だけっていう約束でした」
清音ちゃんがペコリと頭を下げると、「二人きり……?」というささやき声があちこちから漏れ聞こえてくる。
「いや二人きりとかじゃなくて、学校の外とかならいいよって話だよね」
「あ、そうでした。先生のお家だけでしか言っちゃいけないってお話でした」
首をかしげる清音ちゃんの向こうで、今度は「先生のお家……?」というささやき声が。
「いやまあ俺の家も入るかもしれないけど、あくまで学校の外でってことだからね」
「はい。これからは外ではお兄ちゃんって呼びますね。学校では先生って呼びます」
「そうしてね。まあ学校の外ではそんなに会わないとは思うけど」
「え……っ!? もう外では会えないんですか?」
急に泣きそうな顔になる清音ちゃん。背後からは「別れ話……?」とかいう意味不明のささやきが聞こえてくる。
「いやいや、会えないってわけじゃないよ。ただ一般的な話としてね。それより席に座ろうか」
「これからも会えますよね? わたしのこと嫌いとかじゃないですよね?」
俺の隣に座りながら、清音ちゃんは不安そうな顔を向けてくる。
見ると俺たちの様子を探るように見ている17対の瞳。ここで下手な言葉を返すと取り返しのつかない勘違いをされそうな気がする。
「もちろん嫌いじゃないよ。外でも会えるから大丈夫。それが普通だからね、普通」
と「普通」の対応であることをさりげなく強調しておく。
清音ちゃんも、
「本当ですか? よかった……」
とホッとした表情だったのでギリギリセーフ、のはずだ。
山城先生も「あまり相羽先生を困らせちゃダメよ」と注意してくれたので、今後「お兄ちゃん」呼びは自重してくれるだろう。
その後朝食の準備が部員たちの手によってなされ、剣道部部長、春間の挨拶でいただきますをした。
俺が目玉焼きをつついていると、隣に座っていた合気道部部長の主藤がちらちらとこちらを見てくる。まさかまださっきのことを怪しんでいるのだろうか。
「どうした主藤?」
「いえ、先生は清音ちゃんと仲がいいんだなって思って」
「そりゃ山城先生のお子さんだしな。同じ学校の生徒だからまったく関わりがないわけでもないし」
「まあそうですけど、さすがにお兄ちゃん呼びはないと思いますよ」
「別に俺が呼んでくれと頼んだわけじゃないぞ」
「本当ですか?」
主藤の目は笑っているので半分は冗談なんだろうが、こういうことでいじられるのはちょっと怖いんだよなあ。とんでもない噂に発展したりすることもある上に、俺も叩けばホコリくらいは出る身でもあるし。
「なんなら主藤も俺のことお兄ちゃんと呼ぶか?」
「そういう羞恥プレイは趣味じゃないので結構です」
主藤が苦笑いをしながらおどけるような仕草をする。
よし、これでうまくごまかせるか……と思ったら、反対側から清音ちゃんが俺の腕に抱き着いてきた。なぜか頬を膨らませて怒った顔である。
「先生をお兄ちゃんって呼んでいいのはわたしだけです。リーララちゃんにも呼ばせちゃだめですよ」
「え? あ、そうだね、ごめんね」
と咄嗟に謝ってしまったが、直後に部員の間から、
「リーララちゃんって誰?」
「初等部のあの目立つ子じゃない? 褐色肌の子」
「あ~、あの生意気そうだけどすごく可愛い子?」
「その子って朝とか相羽先生によく絡んでるよね」
「ホントに? もしかして先生って……」
などという声が。
それを聞いて山城先生もぷっと吹き出してるし、これは勇者でも火消し不可能な事態になってしまった気がする。
まあ部員たちもネタにしてるだけで本気ではないとは思うけど……主藤の猜疑心に満ちた目だけは冗談ではすまない気がするんだよなあ。