2章 初めての家庭訪問 01
「先生さようなら」
「さようなら、気を付けて帰ってくれ」
俺は女子生徒に挨拶を返しながら、ほとんどの生徒がいなくなった放課後の教室を見返した。
ここ明蘭学園では「帰りのホームルーム」なるものが存在した。
自分が通っていた高校は最後の授業が終わるとそのまま解散だったので違和感があったのだが、他の先生に話を聞くとどの学校でも普通はやるものらしい。
女子校は特に帰り際の声掛けも大切だそうで、担任って大変なんだと気付いた次第である。自分の恩師を思い出すと楽そうだったんだが……。
教卓を前にしてちょっとだけ思い出に浸っていると、目つきの悪い黒髪美少女が俺の前にやってきた。
人知れず闇の獣と戦う系女子の『青奥寺 美園』である。
「先生、お話があります」
「分かった。職員室の方がいいか?」
「できれば他の先生がいらっしゃらない方がいいです」
「じゃあ相談室にしようか。ついてきてくれ」
『生活相談室』は職員室の隣にある小部屋である。
『相談室』なんてのはたいてい悪いことをやった奴が説教される場所と相場は決まっているのだが、明蘭学園ではそんな生徒がほぼいないため本来の用途で使われることが多いようだ。
男の俺には理解できない領域の話だが、女子は生活に関する相談がかなり多いらしい。
相談室は机が1つと椅子が2つ、そして書類が並んだキャビネットがあるだけの簡素な部屋だった。
青奥寺を座らせ、俺も椅子に座る。
「それで、話というのは?」
「はい。実は先生のあの力のことなんですが、実は両親と私の師には話をしまして……」
申し訳なさそうな顔をするのは、お互いのことは口にしないと約束をしたからだろう。まあでも青奥寺が家族などに話をするのは想定内だ。
「家族に相談するのは当たり前だからいいよ。それでご両親はなんて?」
「一度家に来てもらいなさいと言われました」
「へ……?」
おっとそれは想定外だ。だけどまあ、よく考えたら俺が何者なのか家族として知りたいのは当然かもしれないな。娘の担任だし。
「ご迷惑だとは思うのですが、どうしてもと……。学校では話せないこともあるだろうから、是非家でと言っておりまして」
「あ~、まあそうかもしれないな」
「あの、これを」
青奥寺が渡してきたのは封書だった。中を見ると、いま青奥寺が言っていたことがそのまま達筆な文字で書かれている。もちろん差出人は青奥寺の親御さんである。
「……了解した。多分家庭訪問っていう形になるんだと思うけど、ちょっと確認はとらせてほしい。可能なら明日日時を知らせるよ」
「はい。よろしくお願いします。その、もしかしたら、話によっては先生に色々お願いをすることがあるかもしれません」
「教員として対応できることならもちろんやるけど?」
「いえ、多分先生のあの力をお借りしたいとか、そういう方向で……」
「ああ……それは話次第かな」
保護者からの手紙が来たとなれば、特に理由がない限りとりあえず家庭訪問はせざるをえないだろう。
人の世の裏で戦う家系の家・青奥寺家。そこでどんな話が出るのか……正直ちょっとだけ面白そうとか思っている自分がいるのも確かだった。
山城先生に確認を取ると「お手紙が来ちゃったら対応してもらうしかないわね」ということだったので、翌々日の放課後、青奥寺の家を訪問した。
一度青奥寺をストーカ……後をつけた時に家は見ていたが、改めて訪れると青奥寺の家は大変立派な日本式のお屋敷であった。
和風の庭も手入れが行き届いており、いかにも由緒正しい家系のお家という雰囲気である。
『あの世界』で王城や貴族の屋敷を経験していなかったら、俺は家の門の前で途方に暮れていたかもしれない。
玄関であいさつをすると、青奥寺とそのご両親が迎えてくれた。
ガッツリと和室な応接間に案内され、そこで3人と対面する。
「いや、本当に急にお呼びして申し訳ありません。改めて、私は青奥寺健吾と申しまして、美園の父になります。本来なら私たちが学校へ赴くべきなのですが、色々と事情がありまして」
と慇懃に頭を下げたのは青奥寺の御尊父。
スラッとした美中年と言えばいいのだろうか、明るい色のカジュアルフォーマルを着こなす様はちょっとした俳優のようだ。ただのその眼光は非常に鋭い……というか目つきがめちゃくちゃ悪い。言うまでもなく青奥寺の目は父親譲りだろう。
「娘が本当にお世話になったようで、私も夫も大変感謝をしております。申し遅れましたが青奥寺美花と申します。美園の母です」
一方の御母堂は優しそうな女性だ。見た感じ、目つきを除いて青奥寺をそのまま年上にした感じの美人である。ただその身のこなしは隙がなく、どうも青奥寺と同じように『裏で戦う系』の人のようだ。
「青奥寺さんのご事情は私も理解しておりますので、お気遣いなさらないでください。美園さんの件に関しては私自身もよく理解をしていない部分がありますので、お聞きできたらと思っております」
「そうですね。当然そちらのお話もさせていただくつもりです。しかし何からお話したものか……」
と父・賢吾氏が母・美花女史をちらりと見る。雰囲気的に主導権は美花女史にある感じだな。と考えていると、やはり美花女史が話を始めた。
「そうですね、まずはこちらのお話をさせていただきましょう。美園も話をしたようですが、私たち青奥寺家は昔から『深淵獣』という化物を退治してきた家なのです。このことは国の方でも認知されていまして、色々と特別な扱いを受けてもいます。明蘭学園に入学したのもそれがあってのことです」
「なるほど……」
「私たちが退治をしている『深淵獣』というのは、先生も御覧になったと思いますが、普通の生き物とは全く違った存在で、昔から人間をとって食らう化物ということだけが分かっています」
「なぜそれが一般的に知られていないのでしょう?」
「それにはいくつか理由があるのですが、残念ながらお教えすることはできません。ただ、昔から秘匿すべきものだと強く教えられてきたという部分もあります」
「分かりました。では、その『深淵獣』が落とす石のようなものはなんなのでしょう? 美園さんはあれを回収していたようですが」
「あれは『深淵の雫』と言いまして……実はさきほどのお教えできない理由に関わるものなのです」
「何らかの用途に使われる、ということですね。もし私があれを手に入れたら、青奥寺さんにお預けした方がよろしいのでしょうか?」
そう言うと、美花女史は賢吾氏をちらりと見てから答えた。
「できればそうしていただけると助かります。もちろんお礼は差し上げますので。できれば先日退治をした乙型のものもいただけるとありがたいのですが……」
「ああ……」
そういえばあの巨大カマキリを倒した時の『深淵の雫』は『空間魔法』に放り込んだままだったな。
俺は『空間魔法』を発動して、目の前にあらわれた穴に手をつっこんでソフトボール大の『深淵の雫』を取り出す。
それを見ていた青奥寺一家は3人揃って目を丸くした。
「どうぞ、こちらです」
『深淵の雫』をテーブルに置く。
美花女史はそれでもしばらく固まっていたが、急にはっと我に返るとその黒い珠を手に取った。
「確かにこれは乙の雫……美園が言っていたことは本当だったのですね。それと今のは……?」
「今のは『空間魔法』といって、まあ便利な物置みたいなものです。美園さんにも伝えましたが、これでも勇者だったもので」
すでに『勇者』だとは伝わっているはずだし、いちいち隠すのもめんどくさい。向こうも事情持ちだし俺のことをペラペラしゃべることはないだろう。
「……分かりました、秘密ということですね」
いやだから正直に言ってるんだけどなあ。
「ところでやはりあの乙型とかいう『深淵獣』は珍しいのでしょうか?」
「ええ、そうそう出現するものではありません。出現した時には複数で当たるのが必須の強敵ですので、先生が倒してくれなければ美園は危なかったでしょう」
おっと、「複数」ということは、青奥寺以外にも何人か戦う人間がいると言うことだな。確かに『師匠』なる人物がいることは分かっているし、目の前の美花女史も戦えるようだ。
しかも言葉の感じだと、もっと別にも何人かいる雰囲気だ。青奥寺も「分家」があるというようなことを匂わせていたしな。
「ところで、先生は乙型をまったく苦にせず倒したと聞いております。実際のところ、先生にとって乙型はどの程度の相手だったのでしょうか?」
「かなり強いモンスター……ああ、自分はあの手の怪物はモンスター呼びしてまして……かなり強いモンスターだと思いました。ただ打たれ弱いですね。物理的な攻撃力はありそうですが、それだけです」
「それだけ……。その、先生には相手にもならないと?」
「ええ、あの程度なら正直100体いても問題にはなりません。というか、なぜわざわざ美園さんは刀で戦っているんでしょう? 国が認めているなら銃を使うとかはないんですか?」
その質問に答えたのは青奥寺だった。
「『深淵獣』には銃とかはほとんど効かないんです。戦車の大砲くらいなら効くだろうとは言われていますが……。私が使っている『覇鐘』とか、特別な武器じゃないと有効な攻撃にならないんです」
「へえ」
なるほど、それなら納得はできるが、逆にじゃあなんで銃は効かないんだって話になるな。まあそこまで興味はないけど。
俺が気のない返事をすると、美花女史が言葉を継いだ。
「実はそこもお聞きしたいのです。先生は剣をお使いになっていると聞きましたが、どのような剣なのでしょう」
「ああ、それは御覧になった方が早いでしょう」
俺は『空間魔法』の穴からミスリルの剣を取り出す。面倒だから常に抜き身でいれてあるのだが、そのまま出したらちょっと警戒されてしまった。
剣をテーブルに置くと、美花女史はそれを手に取り眺め始めた。青奥寺も興味津々に見ているが、それより賢吾氏の反応がかなり大きく、目を見開いてすごく触りたそうにしている。
ああ分かります。いかにもファンタジーな剣ですからね、男なら触りたくなりますよね。
「これがすばらしい名剣だというのは、西洋の剣をよく知らない私でも分かります。しかしこれ自体には『深淵獣』を倒せる力を感じないのですが……」
美花女史が剣を置くと、賢吾氏が待ってましたとばかりに手に取った。なんかすごく嬉しそうで、こっちも嬉しくなってしまう。
「う~ん、それは自分にもわかりませんね。これで普通に斬れましたので」
そういえば青奥寺の刀『覇鐘』は魔力をまとっていたな。とすれば魔力がポイントなのかもしれないな。それなら……
「ではこちらではどうでしょう」
俺は『空間魔法』から別の剣を取り出した。『聖剣カラドボルグ』と俺が勝手に名付けた、どこかのダンジョンボスが落とした、魔力が付与された結構いい剣である。
「これは……これなら確かに『深淵獣』を斬ることができるでしょう。それだけでなく、これほど強い力を感じる剣は見たことがありません」
そうでしょうそうでしょう。「あっちの世界」でもかなり強力な武器でしたからね。まあ俺のコレクションの中では下位になっちゃいますけど。
ひとしきり『カラドボルグ』を調べていた美花女史は、そっと剣をテーブルに置くと、そこでいきなり頭を下げた。合わせて賢吾氏と青奥寺も頭を下げる。え、いったい何事?
「先生が強いお力を持つことはこれで理解いたしました。そこでお願いがあるのです。大変不躾ではあると思いますが、聞いていただけないでしょうか?」
あ~、確かにお願いがあるかもとは聞いていたけど……さすがに生徒のご両親に頭を下げられるのは想定外すぎなんだよな。