21章 勇者の日常 05
アパートに戻ると昼を過ぎていた。
部屋に入るとリーララはいなくなっていた。今日は夕方から宇佐さんが来るはずなので、なんだかんだ言って空気は読んでくれたらしい。
カーミラも出かけていて隣の部屋にはいないようだ。まだ安心はできないが、宇佐さんが来ている時に勝手に入ってくることのないように注意しよう。
適当に飯を食ったりしていると鍛錬に行くのも微妙な時間になってしまった。仕方なく教科書などを引っ張り出してきて授業案を練ったりしていると、いつの間にか宇佐さんが来る時間になっていた。
呼び鈴が鳴り、玄関に出て扉を開けるとそこには眼鏡美人の宇佐さんが真面目な顔で立っていた。もちろんいつものメイド服なのだが、よく考えたらメイド服のお嬢さんがアパートに入っていくって、ご近所さんに見られたらなんか妙な噂が立ちそうな気がするな。
「ようこそ。とりあえず入ってください」
「お邪魔いたします。ご主人様、本日からよろしくお願いします」
部屋の中に入りながらいきなり勇者に強烈な先制攻撃を与えてくる宇佐さん。不覚にもちょっとグラっときてしまった。
「ええと、ご主人様って……なぜ急にそんな呼び方に?」
「一応こちらにお邪魔している間は相羽様のメイドということになりますので。ご主人様と呼ばせていただきます」
「はあ……分かりました」
実際よく分かってないが、メイドさんに「ご主人様」呼びとかちょっと憧れ的なところもあるし特につっこまないでそのままにしておこう。宇佐さんがそうしたいなら特に断る理由もないしな。
「こちらがご主人様のお部屋ですね。それほど散らかったりはしていないように見えますが、誠心誠意お掃除をさせていただきます」
「よ、よろしくお願いします」
眼鏡の奥から妙に強い力を感じてちょっとたじろいでしまった。メイドとして自分の仕事にプライドを持っているのだろう。こういう時はまずはお任せするのが吉である。
俺が見ている間に、広くもない部屋はあっという間に片付いてしまった。特にキッチンの水回りやバス、トイレまで掃除をしてもらったのだが、入居したばかりの時よりキレイになった気がする。これがメイドさんの秘儀ということだろうか、勇者も脱帽の腕前である。
しかしなんというか、絵に描いたような美人メイドさんが近くでお掃除なんかをしているのを見ると、あっちの世界の貴族にでもなったような気がしてくるな。王城にいたメイド隊は下級貴族の子女が多いとかで確かにキレイどころが揃っていたんだよな。
「ご主人様、なにか注文があったらいつでもおっしゃってください」
俺の視線に気づいたのか宇佐さんが手を止めてズイッと近づいてくる。いやそんな顔を寄せなくても聞こえますよ。
「いえ、なにもありません。さすがに手際が違うなと思って見ていただけです」
「そうですか。私も自分の仕事には多少自信があります。ご主人様に認めていただけるのは嬉しく思います……あ、これは……?」
掃除を再開した宇佐さんが、ベッドの上から何かをつまみ上げた。それは微妙にウェーブがかかった赤い髪だった。赤い髪と言えばヤツだ。歩くエロス、淫猥の擬人化カーミラの髪の毛だ。
「……もう一本……?」
宇佐さんがさらに何かをつまみ上げる。ちょっと紫がかった黒髪だ。長さからして間違いなく褐色娘リーララのものだ。
「ここにも……?」
次に拾い上げたのは普通の黒髪。多分清音ちゃんのものだろう。
しまった、よく考えたら一人暮らしにダブルベッドがある自体不自然なのだ。その上複数の女性のものと思われる髪の毛……もしかしてこれかなりヤバい感じじゃないか?
俺が背中に冷たいものが流れ始めたのを感じている一方で、宇佐さんは特に表情を動かすことなくテーブルの周りを掃除し始めた。
その眼鏡がキラリと光るたびに髪の毛を拾いあげているのだが……どうやら青奥寺と新良と双党のものもコンプリートしたようだ。さすが凄腕メイド、ゴミは逃がさないということなんだろう。いやそうではなくて、髪の毛を手にするたびに宇佐さんの横顔から感じる圧が増してる気がする。しかし表面上はなにも気づいていたいように振舞っているのはどういうわけだろう。
「あの宇佐さん、先ほどの髪の毛は――」
「ご主人様、そのようなお話はメイドにはなさらなくて結構です」
「え? いや、そうではなくてですね」
「主人の秘密を厳守するのもメイドの務めです。ご主人様がどのような交友関係をお持ちであろうとも、私には関係ございません」
「いやいや、できれば事情を知っておいていただいた方がよろしいかと」
「とりあえず成人が1人、10代後半が3人、10歳前後が2人、いずれも女性のものですね。大丈夫です、すべて分かっております」
眼鏡をクイッとしながら宇佐さんは抑揚のない声で言う。ちょっと待って、そこまで分かるものなの!?
しかし成人女性はともかく、10歳前後の女子の髪がベッドにあるとか完全に事案である。ここはなんとしても事情を話さなくてはならない。社会的な死を避けるために。
「宇佐さん、これだけは聞いてください」
「いえご主人様……」
「これはメイドとしての宇佐さんにではなく、人間としての宇佐さんに話さないといけないことなんです」
「人間としての私……。分かりました、そこまで言っていただけるならお聞きします」
俺が強い調子で言ったからだろう。宇佐さんは眼鏡の奥の目を見開いて、それから少し視線を逸らした。頬が上気している気もするのだが、これは俺が近づきすぎたせいかもしれない。
ともあれ聞く体勢に入ってくれたので、リーララや清音ちゃん、カーミラや青奥寺たちのことまで隠さずに話をした。
どこまで信じてくれたかは不明だが、聞き終わった後の宇佐さんの様子では、とりあえず最悪の誤解は避けられたように見えた。
「……なるほど、ご主人様はいろいろと頼られることが多いのですね。あれだけのお力を持っていらっしゃるのですから当然だとは思いますが」
「自分でもそういうことなんだろうと思います。そんなわけで、やましいことは一切ありませんので」
「承知いたしました。私もご主人様が思った通りの方で安心いたしました。私のことを人として見ていただけるというお話も聞けましたし、これからも誠心誠意、まずはご主人様に気に入っていただけるようにお仕えいたします」
「気に入っていただけるように」という言葉に多少不穏なものを感じるが、これで社会的な死という危機は去ったはずだ。しかし人生、どこに罠があるか本当に分かったものじゃないな。ダンジョンの罠なら力ずくでなんとかなるが、社会的な罠は勇者でも回避不能なのである。