19章 想定外 08
無人島の地下に作られたクリムゾントワイライトの秘密基地だが、一応崖の途中に緊急用の出入口があり、そこから出入りができるようになっていた。
カーミラはまだ外出しているだけという扱いらしく秘密基地への出入り自体は問題なくできた。クゼーロがいないのも『気配感知』で確認済みである。
俺は各種欺瞞魔法を全開にしてカーミラの後ろを歩いている。秘密基地の中は現代日本の建物とそう変わりなく、今歩いている廊下も近代的なビルのそれとほぼ同じだ。
「『深淵の雫』についてはクゼーロたち『魔人衆』でも加工は簡単じゃなかったみたいなのよね。そこで考えたのが、こっちの世界で『雫』を扱ってる人間を使うってこと。彼らの技術を借りて『雫』を加工して、それで人造兵士を作ったりする、そんなことを思いついたらしいわ」
「……」
カーミラは独り言のように説明をしてくれる。
「で、目を付けたのが九神家の関係者なの。彼らは『雫』から『深淵獣』を召喚したり薬にしたりする技術を持っていたから。でも手を出すにしてもさすがに直系の人間はまずいだろうっていうことで、傍系で一番力のある権之内家の人間を狙ったみたい」
カーミラはエレベータに入り、地下5階のボタンを押す。
「クゼーロのいやらしいところは、権之内の娘をさらう時に九神家のミスで死んだように見せかけて、権之内の感情をコントロールしたところ。復讐心を煽って見事九神家を裏切るように仕向けたってわけ」
エレベータの扉が開く。
目の前に現れた廊下は妙に薄暗く、なんとなく秘密基地感が増してくる。
廊下をしばらく進むと、カーミラのもとに警備の人間がやってきた。見た感じは普通の人間だが、その制服は微妙に『あっちの世界』のセンスが入っている。
「この区画へ入る許可証はあるか?」
「ええ、あるわよぉ」
言いながらカーミラは『精神魔法』を発動。警備員の目がかすかに虚ろになる。
「……許可証を確認した。通ってよし……」
そう言って警備員が去っていく。ずいぶん強引なことをするものだが大丈夫なんだろうか。
「心配しなくても大丈夫よぉ。時々やってクゼーロに睨まれてるからぁ」
カーミラはそう言って扉を開け、中に入っていった。
その部屋は奇妙な部屋だった。学校の教室ほどの広さ部屋の真ん中に人が1人すっぽり入れるくらいの箱があり、その箱の周囲にいくつか円筒形の魔導装置が置かれている。箱と魔導装置は管でつながっていて、魔導装置から箱に向かってなにかが一定間隔で流れ込んでいるようだ。似ても似つかないが、なんとなく生命維持装置みたいな雰囲気のあるセットである。
「さて、久しぶりにお話に来てあげたわよ、碧ちゃん」
カーミラが箱の前に立ち、その箱の前面を観音開きに開いた。
そこにいたのは一人の少女だった。
痛々しいほどに痩せた身体が、魔力的な力で箱の中に宙吊りにされている。右腕と右足は切断されていて、服の上からでも右わき腹が大きくえぐれているのが分かる。
生きているのが不思議なくらいの状態だが、身体につながれている何本もの管によってその生命はこの世につながれているようだ。
今は眠っているのか頭をうなだれて目をつぶっている。以前は可愛らしかっただろうと思われる顔は、肉が落ち頬がこけて見るに忍びないほどだ。
年齢は恐らく10代後半……青奥寺たちと同じくらいだろうか。彼女が九神の言っていた権之内碧さんであるならもう少し年齢は上のはずだが、この状態できちんと年齢を重ねることなどできないだろう。
「これは……どうしてこんな状態に? たださらったわけではないのか?」
「彼女は実際に『深淵獣』に襲われたのよ。それもクゼーロが仕掛けた話なんだけどね。身体の欠損はそのときのものなんだけど、この装置で無理矢理命をつないでクゼーロに協力させてるわけなの」
「ひどいことをするもんだな。しかし何年もこの状態だと精神が持たないだろ」
「そのためのワタシなの。『精神魔法』でなんとか持たせてあげてるの。だからちょっとだけ仲良くなってるのよねぇ」
「だったらお前が逃げてきたらだめじゃないのか」
「そうは言ってもねぇ。ワタシも自分の命は惜しいし、それに彼女もことあるごとに死にたいとか言ってるしねぇ」
などと話をしていると、箱の中の少女……碧さんがピクリと動いた。まぶたをうっすらと開け、視点の定まらない目で俺とカーミラを見る。
「……カーミラ……さん? また……仕事……ですか?」
声はかすれている上に小さく、辛うじて聞き取れるくらいである。
「いえ、今日はちょっと様子を見に来ただけよぉ。寝て起きて、仕事してるだけじゃ飽きちゃうものね。お客さんもいるし、少しお話しましょうねぇ」
「お客……さん? 誰……ですか?」
「貴女のお父さんの知り合い、かしら。相羽先生と言うの」
「先生……?」
碧さんが俺を見る。もちろん初対面なので何の反応もあるはずがない。
「初めまして碧さん。俺は相羽と言います。君にとってはお父さんの知り合いというよりは、九神世海さんの学校の先生と言った方が分かりやすいかもしれない」
「世海……ちゃん。懐かしい名前……。彼女は……元気……ですか?」
「ああ、今高等部2年だ。立派にやっているよ」
「そう……よかった……」
そう言いながら、碧さんはうっすらと笑ったようだ。
正直のこの状態になっても他人の心配ができるというのは相当に精神が強いか高潔な人格をもっているかのどちらかだろう。勇者としても頭がさがる思いだ。
さて問題は、当然ながら彼女をどうするかである。
カーミラが言う通り、現状は消えかかってる命をこの魔導装置で無理矢理長らえさせているだけのようだ。
勇者アイで見た感じでは装置から外したら一分持つかどうかの状態だが、まあ伝統の最強回復薬『エリクサー』を飲ませれば問題ないだろう。
ただ身体の衰弱だけはどうにもならない。身体の欠損が回復しても、ロクな準備がない状態で彼女を運べばそれだけで命を危険にさらす可能性がある。
さらに言えば、今彼女を救い出してしまうこと自体もマズいのだ。この基地に異変があればクゼーロたちはすぐに別の場所に移動してしまうだろう。九神家や『白狐』が手を尽くしてこの基地の場所を探っているのに、踏み込んだらもぬけの空でした、という状況は避けねばならない。
「ねえ……カーミラ……さん」
俺が黙ってしまったからか、碧さんはカーミラを呼んだ。
「なあにぃ?」
「私はもう……本当に疲れたんです……。もう終わりに……してくれませんか」
「ごめんねぇ、ワタシにそれはできないわ」
「でも……もう先がないのは……分かっています……」
「そうねぇ……。ねえ相羽先生、先生ならどうにかできないのかしら?」
「あ? もちろん助けることはできるぞ。ただ今はタイミングが悪い」
「どういうこと?」
「身体は治せても衰弱した状態で無理には動かせない。助けるには準備が必要だ」
「なるほどねぇ。ねえ碧ちゃん、貴女元の身体になって生きられるなら生きたいわよねぇ?」
カーミラが向き直って聞くと、碧さんは悲しそうな目をしながらも笑った。
「もし可能なら……生きたい……です。でももう……無理なのは……わかってますから……」
「そう。なら大丈夫、あと少し我慢してね。そうすれば元通りにしてもらえるから」
「カーミラ……さん……私もう……そういうのは……」
「今度こそ大丈夫よぉ。前に言ったわよね、ワタシがある人間を探しているってこと。多分この先生がその人なのよ」
「伝説の勇者……ですか? 本当に……そんな人が……」
「いたのよねぇ。だからきっと貴女も助かるわ。でも今言った通りすぐには助けられないみたい。だから今は眠って……起きた時にはもしかしたら元通りかもしれないわよぉ」
カーミラが『精神魔法』を発動する。碧さんはまだなにか言いたそうだったが、そのまぶたはゆっくりと落ち、そしてふたたび開くことはなかった。