1章 元勇者、教師になる 11
その日の学校の業務は、とりたてて何事もなく終わった。
青奥寺も双党も他の生徒と変わりなく授業を受け、学校生活を楽しんでいるように見える。
今まであまり気にしてなかったが、青奥寺と双党、そして総合武術同好会会長の新良は仲がいいようだ。裏がある女子同士でなにかシンパシーでもあるのだろうか。
でもそうすると、新良にも何か秘密があるということになるが……。
うん、間違いなくあるな。組手の時の雰囲気からして、どう見ても新良は実戦を経験してるし。
いやいや、なんなんですかねこっちの世界は。一般人の知らないところで闇の存在と戦う少女たちがいたなんて、もと一般人としてはかなり怖いんですが。
とか言ってるうちに放課後である。しゃあない、ちょっと新良にも探りをいれてみますか。
と考えて武道場に来たわけだが、そこには俺を待ち構えていたかのような雰囲気の新良がいた。
「……先生、今日も組手の相手をお願いできますか?」
「ああ、いいよ」
防具を受け取って身に着ける。これいつも手入れがされてて変な臭いとかしないんだよな。
いつもなにを考えてるのかよく分からない感じなんだが、見かけによらず新良は細かい気配りのできる女子なのかもしれない。
向かい合って道場の真ん中に立つ。
すでに入り口辺りには他の女子が観戦しに来ている。
自分達の練習をやりなさいよ君たち……って、それを言うのが顧問か。
「いきます」
言葉と同時に新良がスッと間合を詰めてきた。
そこから始まるのは嵐のような連撃。
しなやかに動く両腕と両の足を、次々と俺の身体に打ち込んでくる。
俺はそれらをすべて弾きながら、円を描くように移動していなす。
しかし今日はいつにも増して容赦がない。というか、一発一発の打撃に明らかに殺気がこもってるんですけど。威力もいつもの5割増しくらいにはなってるよねこれ。
もしかしてあの2人に話を聞いて俺が何者なのか試すとか、そんな感じなんだろうか。
ともあれ受けてばかりだと組手にならないので、俺の方でも攻撃を返してやる。
せっかくだからちょっとだけ本気で打ってやるか……って、打ったら新良の顔色が変わってしまった。やべ、火をつけたか。
烈火のように攻めてくる新良の相手をしてやること10分ほど、新良がやっと体力切れの兆候を見せた。
俺が軽く突き放してやって「ここまでにしよう」と言うと、新良は構えを解いた。
「はぁ、はぁ……。ありがとう……ございました」
「どういたしまして。しかし新良は強いな。男相手でも余裕でKOできるだろ」
そう言うと、中腰になって息をしている新良はいつもの光のない目を上目遣いにして俺に向けた。
眼力が強くてちょっと怖いんですけど……。
「でも先生にはまったく勝てる気がしません。いったいどういうことですか?」
「どういうことってどういう意味だ?」
「……いえ、なんでもありません。防具を」
新良が会話を断ち切ったので防具を返してやる。彼女は何を言いたいのだろう。
まるで「勝てるはずなのに、勝てないのはなぜですか?」みたいな言い方だ。
いやまあ確かに新良の技は普通の男なら一発でダウンしかねない程度の威力はあるが、それでも格闘家なら対応できないレベルではないはず。
……あ、よく考えたら俺の知ってる「格闘家」って『あの世界』の人間しかいないな。
そうすると俺の感覚がおかしいってことかもしれない。
「先生とはあとでお話をしないとならないかもしれません」
そんなことを言いながら、新良は更衣室に消えていった。
武道場から職員室に戻った俺は、次の授業の用意をしてから帰宅の途についた。
校門を出て少し歩くと、スーツを着た若い男が先を歩いているのが見えた。
その背中に声をかけるかどうかちょっと悩んだが、彼の足元が少しふらついているのが気になってしまった。
「お疲れですか、松波先生」
振り返ったイケメン青年はやはり同期の松波真時君だった。
白根さんと同じく俺とは配属先が違うので、新任者研修以外で会うことはほとんどない。
「ああ、相羽先生ですか。お疲れ様です。高等部はどうですか? さすがに女子も高等部になれば落ち着きますよね」
そう言って笑う彼の顔にはいささか力がなかった。なんかやつれてないか松波君。おかしいな、同じ同期の白根さんの話だとモテモテのティーチャーライフを送っているはずなんだが。
「そうですね、ほとんど手はかからない感じですよ。正直自分の高校時代を思い出して気後れするくらいですね」
「ははは、ウチの学校の生徒は優秀な子が多いですからね。初等部でもすでに中等部の予習をしてる子も多くて、授業のレベルをどこに合わせるか悩みますよ」
「それは高度な悩みですね。俺は授業の方はまあ適当にやってるんですが、急に担任代行をすることになってそっちがキツいです」
「担任の先生に何かトラブルでも?」
「急に入院しちゃったんですよね。いつ戻るかまだ分からなくて。それより本当に松波先生も大丈夫ですか? かなりお疲れに見えますが」
そう聞くと、松波君は視線を外し、遠くを見るような目をした。
「……ええまあ、一部の子のいたずらというか、からかいがちょっと度を超してまして。注意しても聞いてくれないんですよね……」
あれ、どうやらモテすぎて女子の対応に疲れた感じか?
俺には全く経験のない世界の話だが、それはそれで大変なんだろうなあ。
「悪意がなかったりすると強く注意もできないですからね。週末は忘れてゆっくり休んだほうがいいですよ」
「ありがとうございます、そうしますよ。……彼女は本当に悪意がないんでしょうかね……はあ……」
あらら、ちょっと重症っぽいなこれ。
まあその手の話は男だけのパーティを組んでた勇者ではどうにもできないからな。
せいぜい身体を壊さないように祈っててあげよう。