18章 食い破る者 06
合宿所での夜は意外と快適だった。部員は大部屋でわいわいやっているようなので、顧問の俺は引率者用の部屋で一人横になってゆっくりとしていた。今時珍しい畳敷きの部屋で、少し実家を思い出してしまう。
スマホをいじっているとドアがノックされる。入ってきたのは宇佐さんだった。
「申し訳ありません、少しよろしいでしょうか」
「ええどうぞ」
「失礼いたします」
俺が出した座布団の上に正座をすると、宇佐さんはいきなり深々と頭を下げた。
「このようなところで申し訳ありません。どうしても一言お礼を申し上げたくてお邪魔をいたしました」
「そんなに急ぐことでもないとは思いますが……。さっき動きを見た限りでは腕の方は問題ありませんよね?」
「はい、おかげさまで。相羽様がお薬で私の失われた腕をお戻しになったと聞いてとても驚いたのですが、そのようなお薬を使っていただいたこと自体とても大変なことと感じております」
「お礼を言っていただくのは嬉しいですが、そこまで重くお考えにならなくて大丈夫ですよ。あの薬は実はまだ結構在庫がありますしね。宇佐さんが無事でよかったですよ」
正直助けたのも勇者として当たり前のことをしただけである。感謝されないのもアレだが、逆に感謝されすぎてしまうのも困る。
しかしそんな俺の考えをよそに、宇佐さんは手を胸にあてて真剣な顔をする。
「その……お礼を差し上げたいのですが、受けた御恩に大して十分なものが思いつかないのです。ですので何か言っていただければそれを用意いたしますのでいかがでしょうか」
いや「いかがでしょうか」とか言われても思いつかないんだよなあ。しかしなんか真面目な人が多いなこの界隈。『あっちの世界』の貴族なんてなんかしてもらって当然みたいなのもゴロゴロしてたんだが。
「今のところ思いつくものはありませんし、そもそも九神さんのお父上からなにかいただくでしょうからそれで十分ですよ」
「しかしそれでは私の気が収まりませんので」
「いやいやそのお気持ちだけで結構です」
「宇佐家の人間としてそうは参りません」
「いやでも特になにもありませんし」
「そこをなんとか」
あれなんか恩を返す方が押し売りみたいになってませんかね。心なしか宇佐さんの目がちょっと怖い気が。もしかして思い込みの強いタイプだったりするのだろうか。
「……ええと、それではお部屋の掃除をしていただくとかそんな感じで……」
メイドさんにしていただくことと言ったらそんなことしか思い浮かばない自分が悲しい。さすがに女子校の敷地内で変な妄想はNGであるし。
しかしその適当な言葉に宇佐さんはハッとした顔になった。
「それはその……まさか一生部屋の掃除をして欲しいとか、そういうことでしょうか?」
なんですかその拷問みたいな要求は!?
「いえ違いますから。宇佐さんがメイドさんのイメージなので適当なことを言っただけです」
「あ、申し訳ありません。一生メイドのように仕えて欲しいという意味でしたか」
「違います。というか一生って要素はどこから出てきたんですか」
「はい? それはその……私から申し上げた方がよろしいのでしょうか?」
「それはもちろん……」
「言ってください」と言いかけて俺はその言葉を飲み込んだ。どうも宇佐さんの様子がおかしい。なぜか頬を赤く染めて眼鏡の奥から俺の方をチラッチラッと見ているのだ。
これはあれだ、踏み込んだら危険な奴だ。多分また藪から海大蛇になる奴だ。いや実際なにが言いたのかは分からないが、聞かない方がいいと勇者の勘がわめいている。
「……いえ、皆まで言わなくて結構ですよ。そうですね、たまに家事をやっていただくとかでどうでしょうか。期間は例の魔力が身につくまで、ということで」
恥ずかしい話だがどうしても家事が頭から離れない。メイドさんのいる生活は庶民として一度体験してみたいしなあ。
俺がちょっとだけ自己嫌悪に陥っていると、宇佐さんはさもなにか合点がいったかのように深く頷いた。
「なるほど、一ヶ月半のあいだに相羽様を納得させよというわけですね。分かりました。これでもメイドとしての技量には自信はあります。その条件で必ず相羽様にお気に召していただけるようにいたします」
なんか恩を返すにしてはちょっと雰囲気が物々しいというか覚悟が決まってるというか多少怖い感じもするのだが、宇佐さんがそれで納得できるならいいだろう。部屋に女性を呼ぶことにはなるが、大人が相手ならば何も問題はないはずだ。なにせ健全な恩返しでしかないのだし。