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5.ハナビ


 あっという間に儀式の日の夜が来た。ナタリーは直接広間の様子を見ることはかなわない。

 せっかくなら王太子殿下が王太子殿下になるところを見てみたくはあるけど、貴族でもないナタリーが名誉な場所に入れるわけもない。せいぜい必死で働いて、最後で放り出されなさいと上司には再三言われていたので今更悔しいとかもない。


(私としてはむしろ、ご褒美なんだよなあ……久々のお休みぃ……)


 ふたを閉じたピアノの鍵盤の上にぐでっと寄りかかりながら、ナタリーは花火が打ちあがるのをじっと待っていた。

 しんと静かな、星の綺麗な夜。開けた窓から時折そよぐ風は穏やかで、これは花火日和だな、とナタリーは思った。

 考えてみれば、ナタリーがここを見つけてから夜に訪れたのは初めてだった。星明りに照らされた礼拝堂はどことなく青みがかっていて、神秘的な空間だった。


 先ほどまでピアノを弾いていたのだが、日ごろの疲れからかだんだん指が止まってしまった。最近はなぜかこんなことばかりだ。

 いや、ちがう。わかっているのだ。いつもより、いまいちピアノと一体になれない理由。

 聞いてくれる人アンリが、いないから。


「私、どうしちゃったんだろう……。前は、アンリくんがいなくても楽しかったのに……」


 ここ一週間ほど、アンリは礼拝堂に来ていない。仕事が忙しくなってしまったから、と言っていた。ナタリーは少し、安心した。誘いを断られて会うのは、やっぱり気まずかったのだ。アンリもそうだったのかもしれない。


「今頃アンリくんは、もう一人のナタリーさんのところかあ…………」


 街を見下ろすと、ランプで賑やかに彩られた道がオレンジ色の川みたいに美しく浮かび上がっていた。あの中に、アンリと、彼の大切な人が二人、並んで歩いているんだろう。


(……あ、あれ……?)


 手の甲に水滴が落ちて、ナタリーは身を起こす。


「私……なん、で……?」


 とまれと願っても、静かに流れ落ちていくそれは少しも留まる気配がなかった。礼拝堂の白い床に零れ、まるで星がはじけるみたいに散らばる。



 好きだと、わかってしまった。いや、ずっと前から気づいていたことだ。

 今まで気付いていなかったんだという保険をこんな時までかけようとする自分が嫌だ。

 バカだなあと泣きながら笑った。いまさら、もう一人のナタリーに譲りたくないだなんて、まったく救いようのないバカだ。


「わぁぁぁん」


 泣いても、ナタリーはひとりぼっちだ。この体の芯から冷えるような暗闇の中で、たったひとりだった。眼下の街はあんなにあたたかそうなのに、礼拝堂はびっくりするほど寒い。


 ぐすんぐすんと鼻をすすりながら、ナタリーは外へと続く階段を下りた。

 頭を冷やしたかったのだ。

外は暗かった。大広間の明かりだけが少し漏れ出していたけれど物の輪郭がはっきりするほどではない。城の中までは街の明かりも届かない。

 よかったと、ナタリーは思った。これなら誰かに泣き腫らした目を見られる心配もしなくて済むのだから。


 少しうろうろしていたら、掲示板を見つけた。城の情報をその時々で伝える場所で、頻繁に記事が張り替えられていた。リオンが『読んじゃダメですよ』と言った記事はすでに別のものに貼りなおされていたけれど、今貼られている記事も、どうやらアンリのもののようだった。

 暗闇に慣れてきたナタリーは目を凝らして文字を読んだ。


『町の花屋、またしてもお手柄! 王室お抱え花屋・アンリ=バサラン(26)にインタビュー


 今、貴族の間で花を贈り合うのが流行ファッションになっている。その火付け役と言われる町の花屋アンリ=バサランの素顔に迫った。


記者:花屋になったのは、一体どうして?


バサランさん:父が花屋だったので、その跡を継いで。昔は継ぐつもりなんてなくて、父もそれでいいと言ってくれていて、ただ店を手伝っていただけだったんですけど、19の時に本格的に花屋として育ててほしいと父に伝えました。


記者:バサランさんが19歳のときといえば、奥さんに出会った年だと以前のインタビューでおっしゃっていましたよね。


バサランさん:そうですね。花屋を継ごうと思ったのは、彼女がいたからですね。蜂蜜色の髪に透き通った薄紅の瞳がとても綺麗な、一つ年上の美人のお姉さんでした。


記者:説明に熱が入りますねえ。……一目惚れですか?


バサランさん:……お恥ずかしながら……。あんまり綺麗だったものですから、なにも言えずにバカみたいな顔して突っ立ってました。それで、彼女に笑われまして。その笑顔もすっげぇ素敵で。惚れない方がおかしいっすよ。


記者:ヒュウ! アツアツですねぇ。奥さんは学園主席卒業の医務官補佐文官だったそうですね


バサランさん:いくら可愛いくて聡い人だからって惚れないでくださいね。おれの妻なんで


記者:はいはい


………………


記者:では最後に。奥様と二人の娘さんに伝えたいことはありますか?


バサランさん:……これ、記事にするんすか? 掲示板には貼らないでもらえると助かるんですけど


記者:するっす。貼るっす。恥ずかしがってないで、とっとと言ってください


バサランさん:…………愛してる


奥さん好きすぎて記者大爆笑。アンリ=バサランさん、ありがとうございました!

次号は「王様のアンリ=バサランへの信頼」をお送りします』


「どういう、こと……? だってアンリくん19歳じゃ……。それに奥さんって……」


 しかもインタビューに出てくる奥さんの特徴は、見る限りすべてナタリーに当てはまっている。


「……――っ!」


 また、痛みがナタリーの頭を通り抜けた。アンリに名乗ったときに感じたのと同じ痛みだ。知らない記憶が走り抜けていく。


『ナタリーさん、ずっと好きでした』

『――……! 私も!』


『アンリくん、私をずっとあなたの傍に居させてほしい』

『俺が言いたかったのに……』

『だって言いたかったんだもの』


『結婚しよう』

『……すき!』

『泣かないでよ……おれも』


『お腹の子、女の子だって』

『俺、嫁に出すとき大丈夫かなあ』

『気が早すぎじゃないかしら……』


『おかーしゃ! おとーしゃがあげゆって! おはな!』

『可愛らしいレンゲ! お父さんを呼んできて、クリスタ。ピアノを聞かせてあげなくちゃ』


『あなたはお姉さんになるのよ、クリスタ』

『おねーしゃん?』

『そうよ~。ぎゅーしてあげるのよ。こんな風に』

『ぎゅーすゆの~!』


『ねえ、愛してるよ。ナタリーさん』

『奇遇ね。私も』


『……フランカ。この子の名前は、フランカ』

『フランカが指を握ったわ! えへへ! おねーしゃんですよぅ~~!』




 ドォォォンと後ろで花火が鳴った。

 ナタリーはずきずきと痛む頭をおさえ、ふらふらしながら礼拝堂への道を引き返した。

 途中、大広間の前を通ると声が聞こえた。


「立太子から七年。早いもんですなあ」

「戴冠式もそろそろかねえ」


 屋内でもなお花火の音は反響し、時折、極彩色の火花が夜空に光る。

 礼拝堂にたどり着いたナタリーは、祭壇の上に置かれたピアノに吸い寄せられるように近づき、そっと椅子に腰を下ろした。


 指慣らしもせずに弾き始めたのは、シューメールの『美しき七月の夜に』

 シューメールがクレアに送った愛の歌。切なくて甘くて、あたたかいメロディにはシューメールの想いがそのまま映し出されている。


 やがて靴音が聞こえてきた。花屋さんが履く、丈夫な革のサンダルの音。すっかり耳慣れた、ナタリーの大好きな、大好きな音。


 あと少し。もう、少しだけ。


 扉が、開く。


「ナタリー!」


 ピアノを弾く手を止めたナタリーの目に映るのは、息を切らした世界で一番愛しい人。

 ドォォンと、また花火が鳴った。

 背後で咲いた夜空の花に照らされて微笑むナタリーを見て、アンリは目を見開いた。


「おかえりなさい。あなた」


 ぱさりと、アンリは手に持っていた花を落とし、駆けだした。




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