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魔導蒸気、あるいは新時代


 ガラスのように澄み渡った空は、同時に破片としての冷たさ、鋭さを残して体に刺しこんだ。コートを身に纏っていても、恐るべき暗殺者は隙間から入り込み、冷たい肉体にしようとする。

 懐炉を買っておいた方がよかったかと思ったが、どうせそれも列車に乗るまでだ。


 アルゴはエルが十分すぎる防寒をしているのを見ていくらか羨ましくは思うが、しかしそれで取材するには袖が邪魔だろうと考える。

タイプをするなら手袋を、メモをするなら親指を取らなければいけない。毛の密集したそれは静電気もすごいだろう、蒸気に乗る時に放電するのではないだろうか。


 余計なことを考えて、アルゴは切符を確認する。午前7時発のガリオン行き特急。ボックスは5両目の4番。一等席とはいかないが、二等の中では暖房のよく効く席————いつかこれを任せることになったら、こういうことも教えなければならないか。

 いや、まだそういうことを考えるのは急ぎ過ぎているだろうな。


 ボイラーからの警笛遠くから響く。少し前まで一線にいた石炭式蒸気機関車が、始発として旅客を始めている音。黒煙を上げて走り装置にガスを流し込んで回る鉄輪が、空転してからレールを噛む。

 かつてはこれが新世界の象徴だった。大陸をまたいでも使われる、開拓の象徴。誰でも扱える技術の結晶。それが今では、石炭なぞを使う旧型。そうなるまで100年も経っていないのだ、なんと早いことやら。


「そろそろ来る時間ですね」


 エルが白い息を吐きだした。そうか?と彼は自分の時計を見ると、ネジを忘れていたせいで止まっている。


「……ちょいと悪いが、見せてくれるか」


 ゼンマイをほどき切ったとすぐに察して、彼女は金のデミハンターを手渡す。

窓から覗き見て、手袋でごちゃごちゃしているなかで何とか引き出して、かじかんだ手をどうにか動かして鍵を差し込む。ギリギリと巻いて、テンプが働く。


「ありがとう」


 竜頭を押し込んで、彼は懐中時計をエルに返した。


 叩きつけるような新式の警笛とブザーが、二人の耳を強くたたいた。



「来ましたね」

「ああ、来たな」


 入れ替え線から客車を押し出し、そのまま行き切って転車台、百八十度回転すると、ゆっくり押し付けてブレーキ、マナバルブなどを接続、連結。乗員が一両ずつ暖房を確かめると、それぞれオーケーを出して、客車の扉を開いていく。


 二人は待っていましたと、一番に乗り込んだ。ボックスの扉を開け、荷物を椅子の下と頭の上のラゲッジに押し込み、続いて扉を閉めて、マナ暖房を起動する。

 石炭式ではできない、マナを使った個室ごとの暖房。炎のようなけがの心配もなく、駅の待合室を軽くしのぐ、一定の空間を一定の温度に保てる技術の結晶。


 僅かに震えていた二人も、スイッチを入れて2分するころにはコートを脱ぎ、とろけた顔をしているのだった。


「ああ、文明の利器…………」

「ですね、文明万歳…………」

「帰りは新型だぞ、これ以上のが出るに違いないぞ……!」

「一等席取ったんですよね…………?」

「悪いが二等だ……」

「二等ですか……でもこれ以上の二等ならいいです…………」

「なんと食事も豪華だそうだ……ちょっとした舞踏会くらいを出せるらしい…………!それもシェフが生をその場で調理できるとか……!」

「なんと……この子でも食材として積み込むくらいですのに…………!」


 こういう時は最新式に触れられるし、合法的に理由を持って堪能ができる。そうでないなら身分相応のを使わなければいけないが、しかしちょっとの贅沢をすると人類愛で充実した気分になる。進歩万歳、スパイ万歳。


 あえて昼食を堪能するためにと、アルゴは売店で売っていたろくでもなさそうなサンドイッチを朝食に、いくらかの時間を満足して過ごす。

 そういえば魔導蒸気について勉強をさせるのを忘れていたなと思いだしたのは、昼食に舌鼓を打ってボックスに戻り、久方ぶりのごちそうに満足して眠りにつく寸前であった。


————


 目を覚ましたアルゴは当然魔導蒸気のことなど忘れているので、外の景色のメモを取っているエルは勤勉なのだなと、そんな軽い感想しか頭になかった。

 この路線は数度使った。一回目は真面目に全部記録してみたが、移り変わる風景を全部記録しようとするうちに通り過ぎて、途中から何が何だか分からなくなる。面倒になって放り投げて、結局目的地周辺のしか使わなかったのが懐かしい。


 しかしまあ、そんな失敗も悪いものではない。なんせ取り返しはつくし、いざとなったら俺がいるのだから。


「そんなに珍しいかね。見えるのは畑と森と、川と家だけだぞ?」


 アルゴは一回邪魔して見ようと思い、ちょうどページが切り替わる時に問う。


「おおよその人にとっては珍しいですよ、国の外の景色なんて」


 エルは目を離さずに記録を続ける。スケッチ交じりの筆記体、万年筆はインクが凍るので、彼女が持ってきているのは鉛筆。進み具合から、3枚目程度か。


「しかしそんなに珍しいなら、ダゲレオでも絵葉書でも買って来ればいいじゃないか。値は張るがフォトをしてもいい。幅を利かせるようになって、写実主義は全員廃業というほどと聞くぞ?」

「誰でもがいつでもどこでも使えるようになれば、きっとそうでしょう。でもまだ時代は文字です。それに私の本文は記者見習い、文字で誰かを動かせなかったら、仕事にはなりませんよ」

「フムン」


 存外弁が立つじゃないか。目もいい。


「ならちょっとした裏の技だ。少し見てろよ…………!」


 彼はポケットの上からパチンと叩き、金縁の手帳を取り出した、項を開き、魔力を集中、頭に浮かぶ呪文を唱える。


「ひらめき満ちろ雨のよに、飛び込め時よ今の間に」


 本来は意思だけ伝わればいいが、初心者のためのチュートリアルだ。バシンと瞬きするように手帳が閉じて、間の2枚が折られた1枚となって、ひらり持ち上げると落ちた。

彼が拾って開いて見せると、景色が精微に転写されている。


「あんまり人のいるところでは使えないけど、こういうところでは、な」


 先に例に挙げたダゲレオも絵葉書も、フォトもまだ叶わない秘密の技法だ。


「これがあるなら、私の2時間は何だったんですか…………!」


 そんなのがあるなら先に行ってくださいよ、か。昔自分も言ったなぁ。

 続く言葉を懐かしく、アルゴはなだめる。


「気にするな。どうせ外ではまともな速記勝負になる、練習できるうちにしておくに越したことはないんだ————どうせ勝手に鍛えられるけどな」

「どうせそれもいつもの言いくるめでしょう。騙されませんよ……嘘ではなさそうですけど」

「ああ。嘘じゃないからな」


 一週間で慣れましたよと、エルは肩をすくめた。


「報道は真実を伝えるものでしょう?嘘じゃないだけで歪んだ真実を伝える方法まで、勝手に鍛えられるんですか?」

「真実が歪んでいるだけさ。俺はあくまで矯正レンズだよ」

「歪んでない真実は矯正できません」

「おっと一本取られた。そいつはまあしょうがあるまい」


 はっはっはと笑って、アルゴは誤魔化した。

 誤魔化し切れるものではなかった。


「それで、魔導蒸気の説明はいつするんですか?」

「……おおっと!」


 どころか上げた足をひっくり返され、アルゴは急いで資料を取り出す。

 夕食までは時間はあるが、細かいところで物理学と魔導力学を交えなければいけないのが魔導蒸気だ、果たして4時間で講義が足りるだろうか。


「悪い嬢ちゃん、徹夜になっても構わねえか?!」

「ええっ!?なんでそんなものをずっとしてなかったんですか!」

「原稿上げて校正してを繰り返してたからだよ!こう見えても売れっ子なのは知ってるだろ!」

「困難は分割せよっていつも書いてるじゃないですか!」

「戒めだよ!」


 とりあえず大学で使われるくらいの蒸気学、熱魔導力学、伝導魔導力学の三冊を広げる。基礎は蒸気機関車だから蒸気学から入るのだが、その加熱に熱魔導力学、客車の連結や制御に伝導魔導力学、それから工学的に走り装置、蒸気の放散、マナエジェクター…………幸い機械部分はある程度理解がされていた。


「じゃあとりあえず魔導力学の方から入るぞ……どのくらい知っている?ひとまず初球の火球生成の理論からは……?」

「一応熱伝導と対流くらいはわかりますけど、適性の都合で実用は……」

「なら伝導は……いいか。水のパイプと同じと考えてくれ」

「雑になりましたね……ひとまずわかりましたけど、いいんですか?」

「ポンプ周りは今んとこ革命的なのが出てない。マナエジェクターで頭打ちがあるからだが、取り込みと排出を兼用するエジェクターが一番面倒…………タービンっての知ってるかい?」

「タービン…………?」

「あー……じゃあ風車のすごい版だと思ってくれ……次に…………」


 夕食のベルが鳴るころには、二人は疲れ果てて暖房で汗を流していた。サワークリームとステーキが出るので、それで一回休みにしようと、どちらが言い出したかは定かではない。

 しかしそれから勉強を続けるのは、列車に揺られ続けた二人には不可能だったことは確かであった。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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何をどう入れてくれても構いません。


ブックマークも頂けると嬉しいです。


繰り返し、読んでいただきありがとうございました。

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