準備の終わった昼と夜
社への帰り道で二人は話していた。大通りを通るので、二人分は十分にある歩道が常に作られており、車道にはずっと馬車とガス車が走っている。武器屋で乗ろうと思っていたキャブは全て取られていたので、彼らは歩くしかなかったのだった。
エルが問いかけた。
「一応ただの魔導蒸気の視察、というのが名目上の目的ですよね?それがどうして武器を買いに行くことになるんですか?」
至極真っ当な問答であったが、それに対してアルゴは答えない。答える気がない。それについては自分で学び取れよというスタンスを最初から取るつもりだったからだったが、その根本は単純に嫉妬であったからだ。
年下にさっさか出世されては、なんてものを持っていないわけがないだろう。
「備えあればなんとやら。憂いがあれば調査をしなかった自分に問題があるのさ」
存外単純な男は、ハードボイルドを気取っていた。
勿論それが不服なエルは、嫌みのように手を振る。
「それで私は、手がしびれるまで試し撃ちをさせられたということです?……そんな憂いが出るようなことなんて、あるんですか?」
「ついさっきあっただろう」
「あれはあの店がおかしいだけじゃないです」
————
「……つーか、まだ気づいてないのかい?」
アルゴはくみ上げ直して快調のマギア・リボルバーをくるりと回した。打たれているピンとネジがバーサライタめいて光り、一つの魔導円を作り出す。
「何をですか?別にちょっと常識はずれなだけで、特に何もないじゃないですか。それともなんです?実は自分は秘密結社ヨルノガガーンの一員だ!なんていうつもりですか?」
それは中に物体を仕込むことのできるポケットであり、サイズはそのシリンダーを一つ分。そして彼が取り出したのは、エアメイルをかけられた便箋だった。
こんなところで一枚無駄にはしたくないが、しかし当てられたようなものだからちょうどいい。
「文字よ風よ、翼となれ」
翠の光を宿らせると、それは東の国の折り紙めいて複雑にたたまれて鳥になる。テクスチャは紙のままだが、色だけは真っ白なので、遠くから見れば色が足りないだけのハトだ。
初めて見る物に驚いているエルの指に止まらせると、精微に作られたそれは、本物に違わずに首を振った。
「正解。正解も正解、大正解。普通はこんなもんを作りやしないし、こんなもんは表には出てこない————記者ってのは基本名目オブ名目、俺たちの本当の仕事はだな」
指を鳴らすとそれは、リボルバーを回した空間に飛び込む。
「スパイだ」
その真実は受け入れられるものではないだろう。
「スパイ!?ちょっと待ってください!私はあくまでただの記者として!」
声が大きい、少しは言われたことが何か気を付けろ。そう制止すると、彼女は表面だけで落ち着いて、かつ浮つきながら続ける。
「でも、私は本当にただの記者に…………!」
「よりにもよって俺に憧れたのが運の尽きだよ。多分お前さん、何も知らずにソトに出るために受けてたんだろ?試験をさ」
「そうですよ!外国へ取材に出られるようにって!」
「それが悪かったんだよ」
ゴースト・スモークを一本取り出し、彼はまた先を折った。君も吸うか?と差し出してみたが、まだ彼女には早かったのだろう。
「シュテリニって家にいながら知らなかったのかい?」
「確かに貿易商はしていましたが、でもそういうことは……」
「……じゃあ、こいつに見覚えは?」
彼は手帳を取り出す。さっき見せた手帳だが、それを胸ポケットに入れて上から弾くと、取り出したときには全く別の姿————どこにでもよくある既製品のように見えたものから、深く厚い本革に、金の箔押しされた高貴なブックに代わっていて、それを見れば彼女は思い出す。
「お父さんが使っていたのと同じです。でもそれが?」
「そうか。なら中を見たことは?」
「ありません。何も書いてないページですら見るなって…………」
ということは、彼女の適正は自分と同類なのだろう。アルゴは項を開く。見た目には何も書かれていないが、二人の目を通して注意深く確認すれば、判別できるギリギリの具合で何かを書いた跡が残っている。
「なんて書いてある?」
確か2年くらい前に受け取ったときに転写したやつだったか。
「……の判断、により……Bはタイプ3を……箱にする?」
「意味は控えよう。だがこれを」
指を挟んでポケットに入れて、上から弾いて取りだす。すると中身は完全に見えなくなっていた。
「こうすると見えなくなる、というわけだ」
面白いものもある物だと納得しつつ、けれどしかしその仕事にはなにか許容できないものがあるとそのままに、彼女はこんがらがった顔をしていた。
「多分しばらくしたら君の分も来るだろう。使い方はその時に説明するとして、これで俺の仕事について納得してもらえただろうか?」
「…………いやいやですけど、それについては」
憧れの相手がただの国の利益を確保するためだけの装置だった、というのは確かにそうだろうなと、彼はかつての自分を思い出す。自分の時は軍人だった、彼らは自分たちの世界を守るヒーローなのだと、喧伝されていたのだから。
「それでもソトには憧れるかい?」
その質問には、エルは間違いなく「憧れる」と答えた。
これが終わってもそのままでいられるのなら、俺は君を助手として正式に認めようと、アルゴは答えた。
————
エルと別れてムシモールに戻り、満月が昇ってくるまでアルゴは原稿に向き合っていた。教会が終わりの鐘を鳴らしたので、残業もし過ぎたものだなと、彼は形になった10ページを纏め、席を立つ。
「やあ。新人はどうだった?」
ソーマが外で待っていて、彼にエルの分の手帳を手渡した。ついでにローランの店のカード、二人分の出入国印。
「ちゃんと一人前のスパイに育てられそうかい?それとも……」
「社長、あの子に何も知らせないで採用しましたね?」
受け取ったアルゴは、鋭い目をした。それにひるむほどヤワではない社長は、それがどうしたんだと肩をすくめる。彼女は答える。
「アタリマエだろう?どこの誰がスパイやってます!なんて求人出して採用するかね。だいたい社長は面接するもんじゃないよ、文句はガールビーに言ってくれ」
「それを置いてもあなたが配置したんじゃないですか、俺のところに。なのにそういうことを知らせてないってのはどうなんですか」
「じゃあ君は知らされてスパイになったのかい?」
「そりゃあ、確かに同じでしたけど…………」
兵士たちを記録したい、という想いで従軍記者をしていた。それがいつの間にかクロスになり、そちらの方がメインになって、最終的にムシモールという隠れ蓑に身を置くことになった。
けれどそれでも、元は戦いに関連することだった。ゼロから影の戦場に押し出されたわけではない。
「その覚悟をいつするか、だけの違いだよ。私たちが居なくても、代わりは必ずどこかで生まれる。そうしなけりゃ国は守れないんだから」
外はきっと息が白むほどに冷え切っているだろう。それを投影したように、二人の間にある物も冷たい。温度をさらに下げるように、彼は言う。
「俺が今辞めたいって言いだしたら、どうします?」
「何をいまさら。そうなれば退職金を楽しみにしてもらうだけさ」
彼女はいつの間にかアルゴの胸から、マギア・リボルバーを抜いていた。
「Bang!」
引き金に指をかけず、銃口を上に向ける。彼女はそのままバレルを握り、百八十度回転させて返却、言葉を出す。
「ってのは冗談にしてもね、監視されることになるのだけは許してくれたまえ。君はかかわりすぎている、今までも、そしてこれからのも」
ついでにソーマが渡したメモを開くと、それには『赤い銃弾、青い薬莢』とあった。金縁にした手帳を取り出し、押し付けて転写すれば、文字が変化して地図になり、凝集したところに来いと五つの点がある。
「期待しているよ、我らのエース。せいぜいいい旅行をしな!」
そして彼女は返事を聞くことなく、背を向けて去って行った。自分の分にもコピーしてから、パチンと無地に戻して、彼は二つを仕舞い、エルの分のを鞄に収める。
「面倒なことにならなければいいが」
アルゴはゴースト・スモークを取り出す。考えたくない面倒なことばかりだ。やりたくないことばかりだ。
指があるべき空間を通り過ぎ、どうしてだと彼は目をやった。
『悪いね、一本貰っていくよ』
最後に残しておいた上玉が、銃を抜かれたときに持って行かれたようだった。
「……あの女狐…………!」
何から何まで手玉に取られている。がんじがらめの檻の中か。
アルゴは白い息を吐いた。胸の奥から、感情を吐き出すかのようだった。
それでも、誰かが戦うよりかは、幾分マシだ。
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