これは可笑しですか?
「ちょっと待ってください社長、こい……シュテリニがソトに出られるってどういうことです!?」
アルゴは驚いて息を忘れた。外国————悪くすれば敵国になる情勢不安なども含めて取材をするのがアルゴの仕事。それをするためにかなりの努力をしてきたのだ、専売特許と言ってもいい。
それをこんな20にも行っていないような新人が?
だいたい半分か6割くらいだぞ、見た目からすれば。
「聞いたまんまの意味だよ。君は21のころに通ったらしいけど、この子は求人出したときにはすでに国家外担当試験までやっててね、実はジャルダンとかにはもう行けるのさ」
「いやでも社長!マナーだの風習だの文化だの、そういうところについても!」
自分の役割が無くなるのではないかと危惧している彼は、自分が言っていることに反して人を指さす。それをあえて指摘しないでエルは、やわらかくやわらかく、腕を下げさせ答えるのだ。
「これでも私はちょっとした家の出ですから————一通り学ばされてきましたし、それにほら」
彼女は簡易修正用に置かれていた魔導タイプライターに手をかけて、キーを一つ押し下げた。
ぐにりと膜のような軽さでバチンと叩かれて、エルが使っても問題はないよとアルゴに聞かせるのだった。次にキツネがのろまな犬を飛び越るのを、紙を差し込んで吐き出させる。
「あなたのようになりたくて、こうして練習だってしてきました」
「練習すれば身につかないものだってある、まだそんな若さでやるには……!」
理屈である程度話す彼が珍しく感情で止めているんだなぁと、それをソーマは笑って見ていた。笑っている場合じゃないでしょう、今からでもとアルゴは変えさせるように頼みたかったが、しかしエルの決断は揺らぎそうにないと見えた。
ああもう、しょうがないな。
天を見て顔に手を当て、大きく息を吐き出してアルゴは言う。
「……しょうがねえ、だったら次の取材は助手として使ってやるから、そこで駄目だったら完全に諦めてくれよ?」
「はい!絶対に役に立って見せます!」
本当に何を求められているのかわかっているのだろうな、この嬢ちゃんは。
「なら決まりだな。アルゴ。次はどこに行く予定をしてるんだい?」
パンと手を叩いて、満足げにソーマは聞く。
こっちからすれば使えるのかわからない相手と命を共にするんだぞ、傭兵でも雇おうかな……。彼は次の行き先が同盟国で良かったと思いながら、答える。
「ブランティーノ王国のガリオンですよ。この間新しい蒸魔機関車が完成したって聞いてて、お披露目が近いらしいんです」
「フィットワースのか!ぜひともそれは試験にちょうどいいじゃないか!いつ出る予定だい?」
「一週間後ですよ。丸一日は列車に乗る予定で、式まではそれからさらに三日くらい開けておくつもりです」
目を輝かせて聞いているエルを、アルゴはそんなワクワクしてやっていけるような場所じゃないんだがな、と昔の自分を思い出して無視する。
「書類はもう取れてあるんですけど、もう一人分の予定は…………」
彼は実は警護でも野党となった時の為に入れておいた枠を、無かったことにしようと試みた。
「どうせ余計に2、3人は取ってあるだろう。そいつを使えば問題ない」
最後の砦も脆く崩れた。
彼はがっくりと肩を落として、こうなったらやれるだけをやるしかないんだなと、エルを見て社長に答える。
「わかりましたよ!連れていきます!こいつを助手として!これでいいんでしょう社長!その代わり原稿料は弾んでもらいますからね!」
女狐はいくらでもとサムズアップ。
「そうかそうかい。ではその助手君の為に社長命令だ。旅で何をするか教えてやりな、今日中に」
「今日中!?そっちはそっちで原稿が……!」
「君、部屋を追い出されたそうじゃないか。今ならうちの宿舎を無料にしてやろうと思っているんだけど、どうかね。そちらにシュテリニ君が入っていると聞いているのだし」
「わかりましたァ!ありがたく使わせていただきますゥ!」
なるほど、それでジェントリーバアさんが金回りよさそうにしていたわけか。
アルゴはどうしようもなく包囲されていることを理解して、お願いしますねと元気そうなエルの肩を叩く。
「嬢ちゃん、存外この世界は地獄だぜ」
現在進行形の苦労だ、目に焼き付けておきなと彼は、先輩の姿を示してみせた。
————
原稿の作業は夜にやるとしても、それまでにこのエルという少女が何をすべきかを教えてやらねばならない。そのためにはまずはとやってきたのが、アルゴがいつも世話になっている喫茶店『のっぽの夜烏』であった。
ダークブラウンの扉を押し開けて、カウンターで待っている主人に小さく手を上げ、面倒なことがやってきたのを伝えるために、紅茶とシュビール・ガネット(りんごのチョコレートかけ)を注文する。
彼は一番奥の席を使いなと気を利かせて、すぐに愛飲のグレイ・ティーを淹れてくれた。
「ごゆっくり」
「いつもありがとう」
互いに礼をして、香りを楽しんで一息ついて。わずかな静けさを身体に満たしてから、彼は話を切り出した。
「さて、シンプルな話をしよう。取材とは何をするものだと思う?」
「うーん……事実を誰かに伝えるために、話を聞くこと、でしょうか」
なるほど、シンプルで純粋な答えだ。アルゴはいくらか頷き、しかしそうじゃないのだと肩をすくめる。
「正解は事実であることを確認することだ。誰かに聞けば確実に歪む。そう————たとえば、こいつ」
そして彼はシュビール・ガネットをつかみ、コンと弾いてみる。
「皿に乗せて出されてみれば、こいつはただの菓子だな。しかし道端に置いてみろ、誰もが犬のウンコだと確実に見間違う。東の国にも似たようなのがあるから、袋に入れてペットの散歩中に食ってたらムラハチされたという話もあるくらいだ。細かいことを言うのは面倒だが、基本的に誰かの話と言うのは嘘混じりと思っておいた方がいい、そうしたほうがあとが楽だ」
真ん中あたりで齧ってやると、中からドライアップルが姿を見せる。エルガ同じように食してみると、ビターチョコレートの苦さから入ってくる染み入る甘さが、舌の上でゆっくりと遊んでいた。
「もしかしてその話、今適当に思いついたんですか?」
「ああ、そうだ。そういうことだ。適当をいうやつは世界に割と多い————前の大戦覚えてるだろ、あれの原因なんだったと思う?」
口に入っていたのを綺麗に飲み込んで、彼女は答える。
「過激な報道と、それに扇動された読者、でしたか」
「そうだ。だから条約で変なやつを国の外に出さないように、って決まったわけ。そしてそれが俺たちの飯のタネになるわけでもある。だから余計なことを書くわけにもいかないし、余計なことを見るわけにもいかないんだ」
この取材でも、見せちゃいけない情報が山ほどあるのだ。スパイ合戦の証拠だったり、相手方では敗戦したのは背後から一突きされたせいだ!今だったら勝てる!なんて理屈が飛び交っていること、戦争で勝てれば金儲けができるのになぁという、エトインテラパクスの願い。
「報道する自由は確保されているが、報道しない事由がある、俺たちには。報道してはいけない自由がある。でもその自由というものを手に入れられるような場所になければ、あくまで通り一遍の表面しか手に入らないんだよ」
「……飲み込まれてはいけない、というところですか」
「その通り」
彼は紅茶を喉に流し込んだ。
「というかそれが仕事の10割だ」
そして冗談めかして、仕事はこれで全部だから、俺は仕事をできただろうと笑った。まだあるんじゃないですかと、返事があった。
「ほかにやるべき仕事はないんですか?例えば語学とか言葉遣いとか」
「そんなもんは気にするときに学べばいい。それに一朝一夕で身につくようなもんでもない、君は見習い助手という立場がまだ使えるんだ、それで覚えていけ」
「乱暴な……」
「乱暴にできるようになってこそ、一流なのさ」
細かいことを切り捨てに切り捨てた会話は、それからすぐに談笑に切り替わった。昔に行った国ではどうだったとか、その国の記録読みましたけれど、そんな裏話があったんですかとか。
意外に二人の根本は『知らないものを知りたい』というところだったので、割かし話は飛び跳ねる。
また部屋にいた時と同じくらいに時間を使いそうだったので、アルゴはそれを途中で切り上げて、道具の説明だけしなくちゃなと店を出た。
行き先は勿論自室で、置いてきた魔導タイプライターに旅道具のセットを見せるため。距離が縮まったのは良いことだが、余計な勘違いはされないだろうかと、僅かに彼は考えた。
雲は何を答えるわけでもなく、静かに流れていた。
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