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ムシモールの味


 同じところに働きに出なければならず、その上にエルはムシモール・ニュース社の場所を知らないと言うので、仕方なく二人は同じ時間に自室を出なければならなくなった。

 着替えはどうするのか、などといった細かいところはさておく。その答えはただ単にアルゴが部屋を出て着替えが終わるのを待つ、という描写するにはひどく価値のない答えであったからで、女の荷づくりというのも同じだったからだ。


————


 かくしてアルゴが鍵を閉めて、二人は石畳の通りを歩き、アーチ橋を一つわたって、いくらかの商店を過ぎたのち、ムシモールへとたどり着いた。

 途中で顔見知りから「彼女さんかい!よかったことで!」などということを何度も繰り返されたが、そのたびに偶然一緒になった同居人ですと二人は答えた。


 そしてそれはもちろんのこと、社に入っていくときも同じであった。


「おや、アルゴ!お前旅行から帰ってきたと思ったらもう女作ったのかよ!なんと手が早いことだ!」


 一番最初にそう言ったのは、校正担当のジャン・ジャック・ブローノルであった。きっと版下と向き合い続けた結果だろう、インクが手の上でゆらゆらと踊る。


「違う……新人だよ。いろいろめんどいわけあるけどな。社長はどこにいる?挨拶に行かせないと。あと、リューミンもだけど」

「社長はいつものように機械室。リューミンならまだ出てないな…………持っておこうか?メモとたたき台」

「断る。仕事上がりだろ、やってる暇あるか?」


 ついでにアルゴはフクロウの彼に、ちゃんと寝ろと言った。言われなくてもそろそろそうするよと、彼は仮眠室へと入っていく。ろくな死に方をしないぞ、そんなのなら。


「てなわけで、行き先は機械室だ。ついでだから一通り説明でもしておこうか?」


 彼が問いかけようとして振り向くと、既にエルはいなかった。どうやら興味のままに何があるのかを見に行ってしまったようで、オフィス入り口の廊下から右に入った、植字室に行ったようだった。


————


 壁一面に並ぶ活字と、それを手入れする人の動き、カシの台。魔導機械が導入され出して斜陽だと思われ出しているが、まだ人間の方が早く丁寧で正確だし、文章の誤字にだって気づくことがある。そして何より、誰でも使えない魔導よりは、最終手段とはいえ人の手が使えるこちらの方がいい。

 そう個人的な感情を一瞬めぐらしてから、彼はエルが邪魔をしていないかと考えて、急いで入っていった。


 むしろ逆で、男手ばかりだった活字仕事にはあまり人が入ってこなかったので、珍しい闖入者を彼らは歓迎しているところであった。


「お嬢ちゃん、見学かい?」「見ていきな見ていきな、ちょっとライド、椅子出せ椅子!」「レック落とすなよ!いいとこ見せんだ!前の崩す版持ってこい!」「ストーブいるかい?あったかいぞ?」


 花よ蝶よと扱われて、驚きと辟易の混じった顔をしている彼女が、入ってきたアルゴを見た。


「意外と重いんですね版って。初めて知りました」


 楽しんではいるようだったので、よかったのか悪かったのか。そんなことよりやるべきことがあるだろうと、アルゴは息を吐いて答える。


「ああ。落としたら終わりだからそれも込みでクソ重い————というか、機械室はそっちじゃないぞ」

「あ、はい。このもう一個奥ですよね?」


 いつの間に聞いたのだろうと問うてみると、機械室はどこですかと活字職人たちに質問したら、教えるから一寸見ていきなとなったらしい。


「お前ら……一応この子新人だけど、どこになるかはまだ分からないんだぞ?」


 呆れたような気持ちはわかるようなで、彼はそう言った。


「るっせぇ!お前みたいな外回りとは違って、うちに女手全然回ってこないんだよ!地味だし!というかお前は社の金で外国周遊してるだろうがい!殴るぞ!殴るぞ!」


 反駁は感情ばかり。だったらこっちにもあるもんはあるんだからなと、彼は叫ぶのである。


「社の金で出る側としてもめんどくせえんだよ!取材先失敗できないし!細かいマナー毎回覚えていかないとどうにもならないし!つーか渡航許可取るのも割と結構な確率で国から文句言われるんだからな!たまに政情不安の時あって面倒どころの騒ぎじゃなくなることもあるし!」

「知るかァ!つーか毎回誤字だらけの原稿上げて!校正死にかけてる時あるだろうが!こっちは活字見れないんだよ!流れでぶっこんでんだから間違ってるって訂正記事植えさせられる身にもなれェ!」

「それは悪かったなァ!」


 売り喧嘩に買い言葉。それからだいたい10分ほどは喧嘩をしてから、ラッド・ミーンズとアルゴは息を切らして言葉が出なくなる形で、喧嘩を終えることになった。


 酒の場でよくあることを仕事場でやらないでもらえるかなとなるかと思われたが、意外に周りはどちらが先に言い返せなくなるかの賭けを始めていた————この場での勝者はたった一人エルで、引き分けだと言って全取りである。


 後でケーキでも買ってきますねと彼女は言って、疲れ果てたアルゴを引っ張り、廊下へと彼を押し出した。


————


 みっともないところを見せてしまったなと感じていたアルゴだったが、割かし楽しんでいたようだったので、先輩としての威厳が死に果てただけだなと諦めて、機械室の扉をノックした。

返事はなかった。


 基本的に作業をするのは社長だけで、その理由は機械の魔導適性が彼女だけしか会わなかったから。なので魔導技師募集中の張り紙と求人依頼を出していたのだが、それでもレアな人材であることに変わりはない。

アルゴも適正自体はあるけれど、魔導タイプライターとかのポータブル機器向け。大型機械は割とえり好みするので、駄目ならダメで一切動いてはくれないのだ————そしてドアに耳を付けると、そんな機械が動いていることが聞こえる。


「これ、社長中で寝ちゃったやつか…………?」


 魔導機械のチェックと作動にはある程度魔力を消費する。社では輪転機と製本装置だが、人間の数倍の速度で出来上がる本とニュースペーパーを見れば、誰がない時代に戻ろうと思うだろうかということで、彼女は割と酷使される側でもあった。


 ドアノブをゆっくりとひねるとやはりそうで、40代にしては珍しい総白髪の女性が、スラックスとジャケットを纏った状態で倒れるように息をしていた。


「社長、社長!……起きてください!新人来てますよ!」


 揺って起こそうとして見たが、睡眠は深い。団子状にまとめたままの髪と出来上がっている今月号の合冊版からして、製本を終えてベッドに入る前に眠ってしまったのだろう。ワーカホリックめ。


「社長!…………ほんとにもう、いつもこうなんだから…………」


 やはりどうやっても起きそうになく、アルゴはエルに脚を持ってくれと言った。こういう時は本当に悪いのだが、この手段を取るしかない。

ぶらりぶらりと揺らして、ドンドンと乱雑に床を蹴って、アルゴは大声で叫ぶ。


「爆発したぞ!急げ!船首の方だ!」


 どういうことなんです?とエルが言おうとした瞬間に、彼女の手を振り払って社長が目を覚まして飛び起きた。

 まるで何万回も訓練したかのように流麗に床という名のベッドから身を起こし、急いでどこかへ向かおうとするので、それを両手でアルゴは止め続け、肩を叩いて続ける。


「落ち着いてください!社長!仕事場です!ムシモール・ニュースです!」


 すると、え?ああ、なんだ、夢か。そんな風に彼女は目を開いて落ち着いて、見知らぬ顔があることに気づき、そう言えば今日がそうだったなと瞬間的に身なりを正し、凛々しくふるまう。


「ようこそ、ムシモールへ。エル・シュテリニ君だったね……私がここの社長兼魔導機械技師のソーマ・ドレイス。よろしく頼む」


 まるで変わり身をしたかのような変化の速さに戸惑いつつも、生来の呑み込みの早さでエルは、伸ばされた手を取った。


「はい。これからよろしく頼みます…………ところで、社長さんはさっき何を」

「それについて話した場合君はクビを宣言されても問題ないと見なそう」


 それでも瞬間的に表示される冷たさに関しては受け止めきれないので、戸惑いながらアルゴを見るのだけれど、もちろん彼は首を横に振る。


「あ、はい、わかりました……」


 なのでエルは子羊のように返事するしかなかった。


 それがベストだ。


 アルゴは昔の自分もそうだったと思い出す。元軍人の社長のトラウマを利用した起こし方だなんて言ったのならば、叩きこまれた格闘術と戦闘経験で物理的にクビがどうなってもおかしくはないし一度おかしくなった。

 でも覚えておかないと仕事で死ぬことに…………


「細かいことはそこにいるアルゴ君に聞くといい」


 懐かしいなと思っていた彼の思考が、その言葉で打ち切られた。


「そのうち君は彼と一緒にソトに出ることになる、先達の言葉は覚えておけよ」


 続く文字列はまさかこいつがと、アルゴの目を丸くさせるのであった。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


励みになりますので、よろしければ下の☆☆☆☆☆から応援をお願いいたします。


何をどう入れてくれても構いません。


ブックマークも頂けると嬉しいです。


繰り返し、読んでいただきありがとうございました。

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