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扉の中のキャノンボール


 魔法が世界を満たしてはじめてから、はや500年。遠い昔に魔導力学の基礎を発見したとされる『風のアトリエル』は、今をどう予想しただろうか。

 人々が空を飛び、地球の全ては一つの国になり、互いに誤解なく分かり合える世界?それとも、理性的な人々がどこまでも研鑽を深めていく、正しい世界?


 きっとそんな突飛なことは考えていなかっただろうが、しかしいくらかは考えていただろう、「きっと良い世界になっている」と。


 現実は意外とシンプルで、案外人間というものはあまり変わっていなくて、人類は地を歩いているし、窓にガラスがはまっているのは貴族か金持ちのところだけだし、情報交換は手紙とそれを運ぶ魔法だけ。


 だからこうして、アルゴ・マドリニオは飯のタネにありつけているというわけで、誰もが書き手になれる時代なのならば、こうして外に赴く記者などがあるわけがないだろうと、彼は考えていた。

 誰もが情報を出せる時代なら、俺のような存在はいらないだろう。


 遠い未来から彼の手帳を読めば馬鹿じゃないのかと言いたくなるような思考だが、実際のところ彼がそんな風に自嘲的な哲学思考をしている理由はシンプルで、一カ月ぶりにグルジオの取材からウルミドの自室に帰ってきたところ、ドア一面に恐ろしい張り紙があったからだった。



「賃料未払い!さっさと払わないと追い出すよ!大家」



「おいおいおい…………取材に出るから家賃先払いしといただろうが…………」


 アルゴは鍵を開けて自室に入る。薄く積もった埃をとりあえず箒で払って、机の上にタイプライターと鞄を置く。

 何かの間違いでやって来た時の為に置いておいた書き置きと、その時のための一か月分の家賃までないことから、明らかにあのババアがくすねているのは明らかだった。


「やっぱねえじゃねえか……あいつ持ってった挙句忘れてやがる…………!」


 抗議しに行かねばと、彼はバタンと部屋を出た。確認しなかったベッドの上で、僅かに高い声が寝ぼけた声をあげるのを、アルゴは聞き取らなかった。


————


「おいバアさん!ジェントリーバアさん!おい!」


 扉が壊れそうなほどに強く、ドンドンと扉を叩く。


「なんだい朝っぱらから…………おや、あんた誰だっけ」


 中から出てきたのは、70という年齢に似つかわしくない、フリルの多い最近のネグリジェの上にラップを羽織った、総白髪の老婆だった。まだボケは確実に入ってはいないが、記憶力の落ちてきた彼女は目をこする。


「マドリニオだよ!302号に入ってたマドリニオ!部屋のことで文句があってきたんだよ!」

「マドリニオ……?302号……?あんた出てったんじゃないっけ?」

「取材旅行で部屋開けてただけだよ!家賃2カ月前払いしたしあんたがボケたときの為に書き置きまで中に置いておいたんだぞ!なのになんで未払いなんだよ!」


 そうだったか?と彼女は首をひねった。


 いや、これは着服したのだろう。

 その上できれいさっぱり忘れてしまったのだろう。


 見たくもないこの寝巻が明らかに新しいし、あの張り紙は角がヨレていた。

 しばらくしてから思い出して、まあいいやと彼女はぴしゃり扉を閉める。


 まあよくないだろうとアルゴが開こうとするが、閂をかけられたらしい。ドアノッカーを連打すると、のぞき窓を開けて彼女は言い放つ。


「アレは出ていくときの礼金だのじゃなかったんだね……悪いけど、部屋昨日新しい人入っちゃったんだよ、悪いね」


 そして離れてベッドに入るのを、見るしかできなかった。というより、新しい人が入ったというのは?

 嫌な予感というか嫌な確信というかがして、彼は自分の部屋に急いで戻った。



 鍵は閉めていなかったはずなのに、どうしてか扉が開かなかった。しかし開かなければ、自分の飯のタネが無くなる。切実な彼がもう一度鍵を開けて扉を開くと、中に見も知らない女がいて、ベッドに戻ろうとする彼女は彼と目を合わせると、慌てふためいてキッチンの鍋をつかんだ。


「だ、誰ですか!わた、わたた……わたしの部屋に!な、強盗さんですか!」

「お、落ち着いてくれ!俺は……って待て、それはマジで落ち着け!」


 続いてナイフを持とうとしたが、綺麗に刃の方を握りそうだったので、アルゴは内心のどこかで『あ、ああ。慌てなくて大丈夫だな、これは』と思って落ち着けて、あわあわしている彼女をひとまず落ち着かせねばと、両手を上げた。


「落ち着け!武器は持ってない!魔導も使えない!大丈夫だ、さあひとまず息を吸って……!」


 そして深呼吸をするように促す。とりあえず気が動転しているので、彼女は何を考えることもなく従う。そして5回呼吸をしたのちに、改めて女はナイフを持って言うのだった。


「さて、あなたは強盗さんですね?人の部屋に勝手に入ってくる人種はそうに決まっています。とりあえずなんかあった男物の服で自分を縛って捕まりなさい、さもなければ刺します」


 ここまで落ち着いていないと見れば、冷静どころか氷点下にまでアルゴは落ち着けるのだった。彼は両手を下げて、肩をすくめる。


「……その服は俺の服だよ」

「そんなバカな冗談がありますか。一カ月くらい前の住人が帰ってきてないってジェントリーさんから聞いてます」

「いやだから、俺がその住人なんだって…………じゃあわかった、さっき右奥の部屋の机の上にタイプライターと取材記録を置いたんだ、見てくれるか?」

「いいでしょう。どうせボロは簡単に出るんですからね」


 彼女は自信満々に書斎に入り、見たこともない機械があるのを知って、じゃあ彼は本当に前の住人だったのだと驚き、とりあえず手に持っていたものを捨てて走ってくる。

 鞄の中身は見なかったらしいが、見ればもっと顔が真っ青であわあわとしていたことだろう。廊下に崩れ落ちて平謝りする彼女に、いいんだ、全部ジェントリーバアさんが悪いんだと言ってなだめる。


そうです、確認しなかったジェントリーさんが悪いですねと、女は開き直った。


————


「というわけで新しくこの部屋に入った、エル・シュテリニと言います。どうぞよろしくお願いいたします……というか追い出さないでください」


 寝巻のシャツの上にとりあえずジャケットと厚手のロングスカートを纏って、一つしかない机と一つしかない椅子をアルゴに譲り、自分は木箱の上に座し、彼女はそう言った。


「お願いします!仕事のお金がまだ入ってないんです!」


 エルは机に向かっているのに土下座をしそうな勢いだった。


「追い出しやしないよ……」


 アルゴは顔をあげさせた。紅茶の一つでも出したかったが、取材に出る前に食品はほとんどすべて食い尽くしてある。昨日やってきた彼女が持ってこれるものもたかが知れているだろう。


「というかむしろ今は俺の方が部屋に住まわせてくれって頼む側なんだ。あれをどうにかして原稿にまとめるまではお金入ってこなくてね、実は今俺も割とカツカツなんだよ————結局バアさんは金返してくれなさそうだし」

「お金……家賃、払ってなかったのでは?」

「パクられた」

「あらあら…………原稿のお金入ったら、引っ越したほうがいいですかね?」


 エルは何てところを新しい住処に決めてしまったのだと、後悔しているようだ。実際そう思う、自分としても。家賃にしては部屋が多くて、ムシモール・ニュース社に近いことくらいしか優れたところはない。


「そうしたほうがいいね。間違いなく」

「そうですか。でも、お仕事先とは近いんですよね……」

「これは偶然だ。この後俺も仕事先にいろいろ放り投げるところだったんだ。して、どこに?」


「ムシモール・ニュース、です。ほら、色々と外国の取材してるあの!」


 思考の中で出てきたのは、どう考えても自分のことである。ムシモールの中で国を歩けるのは自分くらいだから、2、3カ月の旅行に出ても許されるというのだが、それを例に出してくるとは。


「そういえば原稿、タイプライターって言ってましたけど……もしかして」


 彼女も気づいたのだろう。


「小説家さんですか?」


 全く気付いていないようだ。やはりこの娘はどこかボケているというか。騙されて口車でここに部屋を決めたのではないか?と思えるくらいにふわりとしている。アルゴは立ち上がる。


「記者だよ!ムシモールの!外国の取材してる!」


「まさか、じゃあA・ゴスペルってペンネームの人は、もしかしてあなた…………?お会いできて光栄です!握手してください!」

「握手はいいけど……心配だよ記者やってけるか…………」


 家賃だのの話がどこかに吹き飛び、それからしばらくの間アルゴは質問攻めを受けることになった。どの国はどんなだったか、何がおいしかったか、驚いた風習は何があるかとか、たわいもないことばかり。

 しかしまあ、割とどうでもいいことなのかもしれないなと、彼は流れるように答えていった。それは多分、教会の鐘が響くまでは続いただろう。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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何をどう入れてくれても構いません。


ブックマークも頂けると嬉しいです。


繰り返し、読んでいただきありがとうございました。

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