28、青蛇の剣
「父さん・・」
立ち上がった光一の前に、牛の頭ほどの巨大な頭が突き出した。
炎を後ろに置いているので、はっきりとは見えないが、大蛇には目玉がなかった。頭部の中心にウロのような小さな窪みがある。
「我が心は乱れ、永き眠りより目覚めた」
大蛇は裂かれた木の幹のように大きく口を開いた。
求めていた剣、それは大蛇だったのだろうか。しかし、サイダの腕の中では本物の剣だったはずである。
「き、君は青蛇の剣か!」
光一は声を絞り出した。
「いかにも儂は青蛇の剣、黄金の玉を納める者なり。逆に聞く、お前は何者か」
冷たい息が光一の頬を掠めた。氷を無理矢理に撫でつけられたような痛みが走り、恐怖はどこかに飛び去った。
「僕は、黄金玉の持ち主の友人だ。君を彼女に渡そうと思ってここに来た」
言葉が終わる前に、長い舌が伸び、光一の左手をチロリと触って戻った。
「お前は儂と同じく玉の座を持つ。それ故、我が心は乱れた。世に一つだけのものが、何故に二つとある?」
「そんなこと知らないよ」
「ならば、目覚めたる儂がすべきことは一つ。世に二つあってはならぬものを一つとすること」
いいながら大蛇は、光一の体に巻きついてきた。勢いを増した炎が、大蛇の鎌首の陰影を色濃く刻んだ。
「くそっ」
光一は腕を外側に広げて突っ張ろうともがいた。しかし駄目だった。無理に力を加えれば、ナイフの刀のような鱗が上着を深く切り裂き、皮膚に食い込んでくる。
『苦し・・息ができない・・ なんでこんなことに・・』
「こ、光一、おまえにも、その化け物に負けない力があるはずだ」
呻き声に首をかしげれば、充満する炎の熱気の中、父さんが腕を動かしていた。呪いの形に手を組もうとしているが、骨折でもしているのか片手は全く動かない。
「とお・さ・ん」
絞り込まれた肺からわずかに息が漏れた。化け物に負けない光一の力、一体、それは・・
光一は皮膚が切り裂かれるのを無視し、渾身の力を込めて左手を抜き出した。そして黒い枝の間に見える紺色の空に向け、めいっぱい指を広げた。
「玉の座よ、僕に力を!」
「玉なき座を、玉なき天に翳して何が起ころう」
しゃがれた笑いが降ってきた。底知れぬ黒い穴のような口が、吐き出す冷気とともに光一に襲いかかった。
と、どこか空の彼方から眩い光が放たれた。
次の瞬間、黄金色の光の矢が大蛇の体を貫き、同時に大地が割れるような地響きが轟いた。光一を締め付けていた束縛はずるりと解けた。
何が起こったのかは、すぐにわかった。光一はひかりを招き寄せたのだ。光一の力、それは、雷の精霊であるひかりの力を使うことであった。
雨が激しく降り始めた。黒雲の彼方から美しく輝く鳥が滑空してくる。そして目の前には、鎌首を力なく持ち上げた大蛇がいた。
「何故だ?儂は黄金玉に秘めし力を無にできるはず。だのにその力に撃たれた。
若者よ、お前は儂に打ち勝った。さあ、その手を我が額に重ねよ。さすれば儂は消える」
「それはだめだ。君が消えるかどうか決めるのは、彼女だ」
「ならぬ。玉の座はこの世に一つだ」
最後の力を振り絞ったのか、大蛇がいきなり大口を開けて突進してきた。光一にはどうすることもできなかった。
「光一殿!」
ひかりの叫び声が響いた。大蛇の鎌首が、光一から外れて空に伸びた。
「我、役割を果たしたり!」
掠れ声とともに、青黒い巨体は小さくなっていった。大木のような体が、腕の長さほどに縮み、草むらに転がった。大蛇は、本来の剣の姿に戻っていた。
光一は剣を拾い上げた。
片手ほどの長さの剣だったが、湿地に足場が沈むほどの重さがあった。雨に消えかかった朱色の炎を、鏡面のように滑らかな刃に映している。そしてその柄には、美しく彫り込まれた蛇に守られるように、虎目模様の玉がはまっていた。
「ひかりちゃん・・」
光一はひかりを探した。が、白い体はどこにも見えなかった。
「そんなのないよ・・こんな・・こんなに、あっけないなんて」
剣を抱きしめた光一の体から力が抜けていった。膝をついた光一の目の前には、美しい玉がはまった剣の柄があった。それが精霊であるひかりが落ち着いた先だった。
「ひかりちゃん、君はそれでよかったのかい・・」
問いかけたが、返事はなかった。