1、きっかけ
主な登場人物
【白川光一】主人公。運動神経抜群の中学二年生。不思議な玉を手に入れた事から、冒険に足を踏み入れることに。
【ひかり】雷を操り、白いハヤブサに変身する美しい少女の精霊。光一に霊力を握られている。
【山田 勉】光一のクラスメート。変わり者だが熱い友情をもつ「宇宙人」というあだ名をもつ
【清水先生】美人英語教諭。父の探偵の仕事を手伝っている。光一のクラス担任
【清水探偵】ある事件により犬となってしまった。探偵事務所をもち、苦しんでいる精霊のために娘の清水先生と働いている。
十一月、秋の盛りを過ぎた頃。
古びた屋根のひさしのむこう、突き抜けるような青い空には、細筆を走らせたような薄雲がたなびいていた。
視線を下げれば、すすけた渡り廊下に、赤く色づいた楓の葉がちらほらと落ちている。頬をなでる風はひんやりと透き通り、深呼吸したら、それだけで心が洗われそう。
「・・!」
光一は首をひねった。ほんの一瞬だが、目には見えない誰かが、並んで歩いているような気がしたのだ。
「誰、風の妖精?」
ささやくように聞いてみた。が、返事はない。
光一は『そりゃそうだ』と一人苦笑いを浮かべた。
と、彼の数歩先を歩いていた腰の曲がったお婆さんが立ち止まった。
「さてと、ここじゃわ。座布団は足りとるじゃろうか」
お婆さんは亀のように首を伸ばして、寺の本堂をのぞきこんだ。見れば、二十畳ほどの板間の部屋は、大勢の人で埋まっていた。線香に混じって、油っこい整髪料や変な香水の匂いが漂ってくる。
「あいや、はや、いっぱいじゃ」
「座れないなら、いいです」
遠慮がちに話す光一を後目に、お婆さんは掠れ声を張り上げた。
「どこぞか、開いとりませんかな!」
人々の頭がぞわぞわと揺れ、その内の数人が振り返りながら手をふった。
「ほうれ、坊ちゃん、ええとこが開いとった。あすこにしい」
お婆さんは、前の方の真ん中を指さし、しわくちゃの笑顔を残して、帰っていった。
「どうも」
光一は小さく頭を下げると、出かけた溜息を飲み込んで、開いていた座布団に座った。
「坊や、中学生か」
隣から太ったおじさんが声をかけてきた。
「ええ、はい」
「そいつは熱心なこった。仏像さん、しっかり拝みよ」
「はい」
おじさんはそれ以上話しかけることはなく、むっつり顔になって目をつぶった。
『知らない子でもいい、せめて同じ年ぐらいの子は・・』
光一はあらためて周りを見た。
でも、いるのは大人ばかり、それも歳をとったおじさんやおばさんばかりだった。
『もう、なんで、こんな所にしたんだよ』
光一はズボンのポケットの中の、この寺を指してくれた鉛筆を恨んだ。
彼の名前は白川光一。
関東地方の北部、美月市に住んでいて、地元の美月中学校の二年生である。
大まかに分類すれば、体育が得意で、勉強はちょっと勘弁というタイプである。クラブ活動は、バスケットボール、卓球、陸上、さらには書道と渡り歩いたが、どれもピーンとくるものがなくやめてしまった。
苦手なことはたくさんある。中でも、何もせずにじっとしているのが大の苦手だ。この間も、友達と行った釣り堀で、あまりに魚が釣れないので、竿で引っかけた水草を金網に投げて遊んでいて、そこのおやじさんに大目玉を喰らったばかりだった。
そんな彼が、天気のよい日曜日の昼間に、寺の本堂というまったく場違いな所に、座らせられることになってしまったのである。
なんでこんなことになったのかというと、総合学習の宿題で、町のどこかの施設を見学することになったからだ。
ここぞという所がなかったので、いい加減な気持ちで、教室の後ろに張られた町の地図に、「えい!」と鉛筆を投げつけた。尖った芯がうまく突き立ったのが、卍マークのついたこの寺だった。
「見学する施設、決まったわね」
放課後のことだったが、丁度、通りかかった先生にこの場面を見られてしまい、否定もできずに「はい」と頷いた。
そして日曜日になって来てみたところ、やたらと人が集まっていた。なんでも、四百年に一度しか、お目にかかることができない仏像が拝めるそうで、たまたまその日に出くわしたのだ。
光一には場違いなことは、はっきりしていた。すぐにでも抜け出したかったが、受付で名前を書いてしまったし、親切そうなお婆さんに案内してもらったし、それに古い寺の威厳みたいなものに見張られている感じがして、今さら引き返すわけにはいかなかったのだ。
『痛っつっつぅ・・』
座って五分と経っていないのに、足が痺れはじめた。尻を浮かせて足の指を揉むと、体中に痛みが走り、ありもしないワサビの臭いがツーンと鼻にきた。
ひとり身悶えしていると、祭壇の横の戸が開き、紫色の袈裟をかけた二人のお坊さんが現れた。一人は大切そうに古ぼけた木箱を抱えている。
「皆様、お待たせ致しました。では、さっそく、ご開帳のお祈りを始めます」
丁寧にお辞儀をし、祭壇の前に座った。
「まずは、お手を合わせ、目をおつぶりください」
『いつまで待たせるの』
学校だったら、すぐに音をあげて体をがたつかせていたに違いない。でも周りにいるのは、厳めしそうな大人ばかり。光一は仕方なく目をつぶり、手を合わせた。
ポック ポック ポック ポック
木魚を叩く音と、鼻がつまったような祈りの声が聞こえ始めた。
光一は、催眠術にかけられたように、急に眠たくなってきた。その一方、足の痺れは峠を越えて重い痛みに変わった。
『うう・・』
我慢できず、瞼を引きつらせながら、正座を崩した。声を立てないように片手で口を押さえながら、痺れた足をさすった。
『あれ?』
ふと、祭壇の上を見た光一の目が釘付けになった。
そこには、蓋の開けられた木箱があったが、中の仏像の両手の陰に挟まれていたものが、ポトリと転げ落ちたのだ。
お坊さんや、大人達は真面目に目をつぶっているので気付いていない。それは、前に並んだ座布団の間を転がってきて、光一の前に止まった。
直径三センチほどの玉だった。
黄色か金色か、虎の目のような美しい模様が入っている。貴重な仏像が持っていたのだから価値があるものに違いない。光一の手は自然にそれを掴んでいた。
ビリッ!
一瞬、電気が走ったような痛みを感じた。が、その後は何も起こらなかった。
やがて、祈りは終わり、皆は「ほうほう、あれが」とありがたそうに、祭壇の中央に置かれた仏像をながめた。
誰も、仏像の手の間にあった玉がなくなったと言う人はいなかった。箱から取り出したお坊さんにしてもだ。何しろ、滅多にお目にかかれない代物なので、隠れるように挟まっていた物がなくなっても、気付かなかったのかも知れない。
お坊さんの一人が、ありがたい仏像の由来を話した‥仏像は、千年以上も前にいた偉い修行僧が、旅の途中でこの土地に立ち寄り、荒れ狂う嵐を鎮めるために作ったものとのこと‥
その後、参加者の一人一人が、仏像の前で手を合わせて儀式は終わり、再び箱の蓋は閉じられた。次にお目にかかるのは、また四百年後ということだった。
光一は寺の事をあれこれ聞くために来たのだが、話し好きのおじさんたちが、お坊さんを取り囲んでしまいかなわなかった。ついでに、拾い物をしたことを言うきっかけもなくしてしまった。
結局、本堂の入り口にあったパンフレットを一枚もらって寺を出た。宿題はそれを写すことにした。家に帰ってすぐ、虎目模様の玉を通学用の肩掛けバッグに入れた。
机の中に入れてしまったら、泥棒したみたいだし、バッグの中なら、思いついた時に、いつでも返しに行ける。そう考えたのだ。