記憶と、想い出 2
※
グレイと共に石壁の出入口近くまでくると、ゼロは手頃な幹に腰をかける。グレイも適当な木にもたれかかると、周囲に気を配った後話し始めた。
「会ったのか?恐慌派に?」
「あぁ、しかも嫌な兄弟にな」
あの2人を思い出して、折れた右腕をさする。特に兄のほうとは馬が合わない。
その様子が目に浮かんだのか、グレイはくくっと喉を鳴らして笑うと、ゼロは嫌そうに顔をしかめた。
「まぁ、そう嫌な顔をしなさんな。それにしてもそうか、やはりもう町に出ているのか……」
ふぅとため息をつくグレイ。
「時間が来たんだろうな」
ゼロの前まで歩くと、グレイは自然な動作で跪く。それに驚くでもなく、しかしゼロは首を横に振ると、
「やめてくれ、グレイ。オレはもう決めたと言ったはずだぜ?」
「わたくしも同じです、ゼロ……いや、レイガノール様。あの日果たせなかった約束を、今度こそわたくしは……」
グレイの地面に叩きつけた拳が震えている。それを黙って見つめ、ゼロはため息と共に立ち上がると、未だ跪いたままのグレイの前に立つ。
そのまま胡座をかいて座ると「あのさ」と切り出した。
「オレはルーちゃんを守るただの騎士なの。んで、あんたはオレの上司。あんたの言うレイガノール様は……もう、いないんだよ」
そう、いないのだ。
どれほど望もうが、自分の髪色が戻ることはない。兄として守れなかった分、今度こそ騎士として守ると誓った。
グレイは顔をあげる。その先に、諦めたような、けれど強い意思を感じ取り、グレイは「はい……」とまたうつむいた。
「さて、寒いから戻ろうぜ」
立ち上がり、塔へと向かう背中を見つめつつ、それでもと、グレイは拳を強く握り締めた。
戻ったゼロが、ハヤトとルエがいないことに気づいたのは割とすぐだった。後片付けを終え、今からお湯をもらいに行くと言うマーシアを掴まえ聞けば、いつもの散歩に出たという。軽く礼だけ告げると、後ろの湖に違いないと急ぐ。
だいぶ良くなったとはいえ、足はまだ痛む。ハヤトに感謝はしているが、それとこれとは話が別だ。
湖に近づいたところで微かに男女の話し声が聞こえ、ゼロは息を殺し、なるべく足音を立てないように近づいていく。
2人の姿が目視できる場所まで行くと、何やら2人がいい雰囲気らしいことがわかった。けしからん。手を出すなと伝えたはずなのに。
ルエが毛布の端を渡すと、ハヤトがルエを引き寄せたのがここからでもよく見えた。しかし毛布で2人がよく見えなくなり、何をしているかよくわからない。いや、何もしていないのかもしれないが。
「あいつぅぅぅ、オレのルーちゃんに何をぉぉぉぉ」
無意識に力が入っていたのだろう。手を添えていた木から、みしみしと嫌な音が鳴り始めた。気づいて手を離すが、時既に遅し。
「ゼロ……」
と呆れるハヤトの声で彼に視線をやると。
「ほ、ほらこの間木切るって言ったしな」
なんとも苦しい言い訳が出てきた。ハヤトがため息をついたのがわかる。逆なら自分も呆れたに違いない。
「まぁ、突っ立ってないでこっちに来てくれ」
大人しくハヤトの側に行くと、安心しているのか、肩にもたれかかったまま寝ているルエが。
その寝顔に、心の中で可愛いを叫んでから、ゼロもどさりと腰を下ろした。
「なんだ、てっきりちゅーでもしてるのかと思ったぜ」
「す、するわけないだろ」
微かに赤いのは、想像でもしたからだろうか。
ちらりとルエを見ると、薄いピンクの唇からは吐息が漏れている。塞いで舌を潜り込ませれば、きっと驚きつつも、受け入れるのだろう。まぁ、相手がハヤトなら、の話だ。
「それよりも、冷えるだろうし、早く連れて帰りたい。手伝ってくれ」
「はいはい……」
もし自分が来なかったら。
ハヤトはそうしただろうかと考え、いやないなと結論づける。彼は律儀な奴だ。
もし、そういうことになったとするなら。それは2人がお互いの気持ちを通わせてから、になるのだろう。
ゼロは慣れた手つきでルエを毛布で巻くと、よいしょと横抱きをする。相変わらず軽い。
もぞりと動くルエの唇から漏れた「ハヤト、くん……」には気づかないふりをして、ゼロは塔への道を帰っていく。
後ろの奴には、まだまだ任せられないと、少し痛む足を引きずりながら。
※
言われた通り、3日後、ハヤトは町に来ていた。今日はゼロはいない。この間のこともあり、塔でルエとお留守番である。
ハヤトが中央にいない間、いや本当はいた時からあったのだが、ふたつの派閥が出来上がっていた。その内容をゼロやグレイから聞いた限り、今の政を仕切っている恐慌派はあまりよろしくはない。
先代の王と神女、つまりルエの両親は力ではなく、話し合いを得て政を行うべきだという穏健派の人間だった。
それに対するのが、ルエの伯父に当たる今の王、オディオ率いる恐慌派だ。力こそが全て、恐怖でしか政は行えない、行うべきではないという考えの元、他国への干渉をしている。今のままでは近いうち、戦争が起こることすら予想されている。
そういった独裁政治にならないよう、本来ならば、騎士団と神使団、両団長にも決定権を与えられているのだが……。父親、ジェッタの様子を見た限り、なぜかそれは機能していないように見受けられた。
一体何が起こっているのか。
ハヤトはサナの家への道のりを思い出しつつ、確かこの辺りの路地裏を入ったはずだと角を曲がろうとして。
どん!
「っと、すまない。大丈夫か?」
前から小走りに曲がってきた人影とぶつかる。ハヤトはよろけた程度で済んだが、相手側は小さく悲鳴を上げると、よろよろと尻餅をついてしまった。黒いローブに全身を包んでおり、あまり関わりたくない系統の香りがするが、尻餅をつかせたのは自分なのだし、ハヤトは渋々と手を延ばす。
「触らないで下さいまし!下等な者の分際で!」
ぱしりと払い除けられる。この場合、触ったのは相手ではないかと思うが、ハヤトは大人しく手を戻した。
「……ちょっと」
「……なんだ」
「早く起こしてくださらない?」
声からして彼女、だと思うのだが、もう少し頼み方があるのではないか。痛む頭を押さえ、ハヤトはため息と共にもう一度手を延ばす。
「あたしに触れられることを光栄に思いなさいよ?」
立ち上がった彼女はローブをはたくと、びしりとハヤトに指を突きつける。全く光栄とは思えないし、こんなところで油を売るわけにもいかない。ハヤトは適当に「すまなかったな」とすれ違おうとする。
「……あら?待って!」
服の端を強引に引っ張られ、後ろに一瞬倒れそうになる。それを踏ん張って耐えると、一体なんだとばかりに振り返った。
ローブをふわりと外した彼女と目が合った。
腰まである黒髪に、ルエよりも少しつり目がちな黒い瞳。身長もルエより幾分か高い彼女は。
現王の娘、リーベ・サガレリエット王女。
ハヤトが一番会いたくない、その人だった。