兄弟と、兄妹 3
※
町を出ようと急ぐハヤトとゼロが、何かを壊したような激しい音を聞いたのは、居住区から商業区へ抜ける路地裏だった。続く悲鳴と泣き声が、ただごとではないことを語っている。
立ち止まるハヤト。彼ならそうするのだろうとわかっていたゼロが、頭をかきながら呆れたようにハヤトを見る。
「多分、表通りだぜ?」
「止めないのか?」
「オレもそうすると思ったからさ」
そう、彼なら行くだろうとは思ったが、それはゼロ自身も同じである。ここで行かなければ、塔で待っているお姫様にも怒られそうだ。でもさ……と腕を組み、表をちらりと見つつゼロは続ける。
「オレらは手ぶらだぜ?特にハヤトは体力ねぇし」
朝の打ち合いでそれは証明済みだ。いくらハヤトが神術を使えるとしても、詞を紡ぐ間にこちらがやられそうだ。
特に、町に来ているのがあの2人なら尚更。
「ゼロが時間を稼げばいい」
さらりと危ないことを言ってのけるハヤト。
「へいへい。そっすね、オレがなんとかやればいいんすね」
自暴自棄気味に言い、大袈裟に天を仰ぐと、ゼロは一息吐き。
ハヤトを真正面から見据える。す……と拳を出すと、ハヤトは薄く笑い同じように拳を突き出した。こん、と軽く合わせると、ゼロはニッと笑い民家の塀にひらりと舞い上がった。
「頼んだぜ」
ハヤトの返事を待たず、ゼロは表通りに向けて細い塀の上を走っていく。流石、神童と呼ばれただけの運動神経である。前世は猫だったのだろうかとふと思い、それからはっと自分の拳をまじまじと見つめた。
なぜ自分は、ゼロと拳を合わせたのだろう。
どこかの、いつかはわからなくなった、その記憶の中で。
黒髪の少年が、同じ仕草をしていたような気がしたのだーー。
さてどうしたものかと考える。
塀を走り、表に出たゼロはすぐさま異変のある家の前に向かった。壊れた扉、最早それは扉とは言えない破片になっていたが、そこから見える光景に怒りが込み上げてくる。
茶髪の少年2人の内、長髪をゆるく縛っている少年ーーショウが少女を楽しげにいたぶっている。それを冷ややかに、だが興奮を抑えきれない眼差しを向けている弟のケルンが、母親の顔を乱暴に持ち上げていた。
ゼロからはショウの背中しか見えていないが、振り上げたナイフがどこを目指すかはすぐにわかった。体勢を低くすると、一瞬で息を吸い込みそのまま止める。右足に力を入れ蹴り出すと、その体は風のようにショウの元へと踊り出た。少女とナイフの間に体を滑り込ませ、右腕で少女を拐っていく。
元の位置に戻ってくると、腕の中の少女は目を丸くしてゼロを見つめていた。ふぅと息を吐き出すと、少女の頭を優しく撫で声をかけてやる。
「大丈夫か?怖かったよな」
後ろに少女を庇い、ゼロは呆れたような、けれども怒りを隠しきれていない声色で2人を睨み付けた。
「久し振りに会ったと思ったら……何やってんだよ」
2人は、特にショウは興奮を隠すつもりももうないのか、自分の舌をナイフで切っては舐めている。気持ち悪い変態だと舌打ちし、それでも至って平静を保ちつつ、ハヤトが来るまで耐えるしかないと自分を鼓舞する。
全く、あの親友はどこまで行ってしまったのか……。
※
ショウとケルンの興味が自分に向いたのはよかった。あのまま、親子を気にかけながら2人を相手取るのは、いくらゼロでも無理がある。
実際、この兄弟の息は合っている。
ショウのナイフをかわせば、そこへ避けるのがわかっているかのようにケルンの拳がくる。しかもケルンはナイフに切られることを躊躇ってはいないし、ショウもまた、ケルンを切ったとしても動揺はしないのだろう。
目の前を掠めたナイフが、前髪をはらりと切っていく。朝のおばちゃんに渡したら喜びそうだと考えていると、背後からケルンが思いきり蹴りを放ってきた。それを受け身を取りつつもかわせず、ショウと共に数メートル飛ばされる。
ショウを下敷きにすることで地面に顔面着陸は免れたが、それがよくなかった。チャンスとばかりにショウに羽交い締めされ、ゼロは身動きが取れなくなってしまう。
「放せ変態野郎!」
体格が少しばかりショウのほうがよく、もがいてもびくともしない。
「ケルンんん、お前オレごとやりやがったなぁぁ?」
もがくゼロを気にも止めず、ショウはケルンを下から睨み付ける。対するケルンはきょとんとすると、あぁと頷いた。
「これは痛かったのかな?そして僕は謝るべき、なのか。うん、ごめんよ兄さん」
対して悪いと思っていないのが感じられるが、ショウにとってはそれでよかったらしく、ケルンに一声かけると顎で何かを示した。それで通じたのか、ケルンはまたもや、あぁと頷くと、いきなりゼロの右腕を取り。
ぼきり。
「ぅああああぁぁぁ!」
変な方向に曲がってしまったそれは、重力に逆らえずぶら下がる形になる。痛みが全身を走るが、早くショウから離れないと次が来ることを理解し、ゼロは必死にケルンを蹴ろうとするが、その足を捕まれてしまう。
やばい。やばいやばいやばいやばいやばい。
全くあいつは何をしているんだ、自分はこんなに痛い思いをしているというのに。
情けないが目頭が熱い。痛みで泣いているわけではないのに。
「何してんだよ馬鹿野郎!」
2人に言ったわけではなかったが、予想外にもケルンが目を丸くして固まってしまった。掴んだ足を放すと、しばらく考え込むように俯いた後、何かを思い出したようにショウの手を掴んだ。
「いてぇ放せ馬鹿ぢか」
「目的違うこと、思い出した」
そのまま強引にショウの手を引き剥がすと、ショウをずるずると引っ張り家のほうへ歩き出した。
「あの親子、待ってる。命令されたんだ、王女様から」
その意味は、ゼロの血の気を無くすには十分すぎた。だが、足を捕まれた時にヒビが入ったのか、立とうとすると力が入らず倒れてしまう。
悔しさで視界が歪むのは、もう何度目だろうか。
と、家に向かう2人に水が降ってきた。いや、空は晴れているし、自分にはかかっていない。
とすると、これを起こした人物は1人しかいない。
「水の詞、3の章。我が声に応え水滴と成し氷結せよ!」
声のほうを見ると、少し高めの民家の屋根に、バケツを抱えたハヤトが左手をかざした格好で立っているのが見えた。わざわざバケツを抱えて登ったのだろう、脇に梯子がかかっているのを見て、笑いが込み上げてくる。
2人の足下に溜まった水が一気に凍りつき、ショウとケルンは身動きが取れない。徐々に身体が凍るのを見ると、ショウは忌々しげに屋根を見上げた。
「半分野郎ぉぉ……。いつ帰ったかわかんねぇが、お前殺してやるかんなぁ?」
パキン。
頭まで凍った2人を確認すると、ハヤトはバケツをゼロに向かって放り投げ、ゆっくりと梯子を降りてきた。座り込んだままのゼロに、ハヤトは左手を延ばす。受け取ったバケツを傍らに置いたゼロが、延ばされた手を握り返した。
「遅くなってすまない」
「ほんとにな」
疲れたような、しかし安心したような笑顔を見せるゼロに、ハヤトはもう一度すまないと言うと、このバケツはどこのだっけと頭を悩ませた。
折れた右腕は、その辺りに落ちていた材木と、ハヤトが持っていた布で固定する。しっかり縛ると、ハヤトはゼロに手をかざし詞を紡ぐ。
「水の詞、4の章。生命の囁きよ、我が声に応え灯を導け」
足と腕が少し暖かくなるのを感じつつ、さすが水の加護を受けている奴は違うなとゼロは内心思う。
神術は万能ではない。実際、足のヒビは明日には治るだろうが、折れた腕は一週間はこのままだろう。不便とは思うが、神術がなければ1ヶ月はかかる怪我だ。ましと思うことにする。
ハヤトは少女にも同じ術をかけていた。あのくらいの傷なら、すぐにでも塞がるだろう。
問題は母親である。
壊されてしまった扉から中へ入ると、倒れたままの母親の姿が目に入った。駆け寄った少女が母親を揺すろうとするのを宥めつつ、ゼロはハヤトをちらりと振り返る。
「……」
無言で首を振るハヤト。
「……お嬢ちゃん。修道院、行こうか?ママはさ、お兄ちゃん達がさ、病院連れてくから」
「やだ。まましかいないの。ままといたいの」
瞳に涙を溜めつつも、必死で耐える姿に、ゼロはそれ以上言えず俯くしかできない。
少女にも、母親が為す術がもうないことは理解しているのだ。それでも少女は、そうする以外わからず、こうして耐えるしかない。
そっとしゃがみ、母親の頬に手を添えたハヤトが小さく呟く。
「……もうすぐ、呼んでおいた神使が来る。悪いが、引き渡して終わりだ」
淡々と、それでも微かに掠れたその声からは、ハヤトの後悔が感じられた。
「なんで……なんでさっきみたいになおしてくれないの」
少女がゼロを振り切り、ハヤトの背中にとん、と拳をぶつける。それほど痛くもないはずのそれは、とても痛く。
神使が来る足音が聞こえる中、微かに呟いた「すまない」の声は、泣き止まない少女の声に、かき消されていった。
※
サガレリエットに仕えるのは、王宮騎士団と、神術を使う者で構成される王宮神使団がある。
この二つはお互いがお互いを律し、罰しあう拮抗した関係を保っている。その為、ハヤトはサナの家に戻り神使団を呼んでほしいと頼み、ゼロの方へ向かう際に、どこかの家の庭先にあったバケツと梯子を拝借したというわけだ。水もその時に入れてきた。
しかし必死だった為、どこの家だったのかさっぱりわからない。まぁ、置いておけば気づいてくれるだろうと、戻すのは半ば諦めてきた。
駆けつけた神使は、ハヤトとゼロを見ても反応がなかった為、あまり事を大きくしないようにと身分を明かすこともなく、二人はその場を後にした。本来なら調書を取られるところだが、氷付けの有り様を見てそれどころではなくなったのが不幸中の幸いだ。
石壁が見えてくる頃には、すっかりと日も暮れ。足元を照らすのが月明かりに変わってくる。
「……相変わらず、仲悪いんだな」
ハヤトの数歩後ろを歩くゼロがぽつりと漏らす。
「……あぁ」
「ショウなんか、殺すとか言ってたよな。なんで……兄弟、なんだろ……?」
「……あぁ」
前を歩く背中からは、特に何も読み取れない。
いや、むしろそうなるのを望んでいるかのような。
小走りでハヤトの前へと出ると、塞ぐように左手を広げる。少し足が痛んだが、先程よりは大分ましになっている。
「心配すんなよ」
何が、だろうか。言ってて自分もわからない、けれど、ここはそう言って笑った。
殺される心配すんな。
わかってくれるから心配すんな。
兄弟だから心配すんな。
どれも違うなと思い、あぁそうか、と。
オレらがいるから心配すんなと、多分そういうことだと理解する。
伝わったかはわからないが「そうか」と苦笑するハヤトを見て、今はこれでいいんだと、ゼロは思い直した。