兄弟と、兄妹 1
ーーそれは、いつもの夢だ。
自分はこの大地の王子であり、いつかは民のために国をまとめるのだと。もちろんそのつもりであったし、むしろ誇りに思っていた。
優しい両親に、可愛い妹。将来は自分の片腕になるはずの青髪の少年。中庭で、この3人で集まるのが、自分は堪らなく好きだった。
「にーさま。にーさまのかみもくろなのに、どうして、きしさまのかみは、あおなのですか?」
妹の言葉に傷ついてないか少年を横目で見ると、やはり苦笑いをしていたのが見えた。まだ少年は騎士ではないし、髪色もそれなりに気にはしているのだが。
さて、なんと言ったものか。迷っている自分を置いて、妹は少年の髪にそっと手を伸ばすと、ふわりと笑い、続けて言った。
「おそらみたいで、すてきです」
少年が少し泣きそうな、それでいて嬉しそうな表情をするのを見て、ここから見上げる狭い空よりも、随分と広くて綺麗な空だと思った。
このまま3人で過ごせるのはいつまでか。少なくとも、あと10年は安泰ではないか。遠くで自分たちを呼ぶ両親に手を振って応え、妹の手を引いて歩き出した。
この先はいつも、同じ未来を見るーー
※
無理矢理覚醒させた意識は、まだ頭の中をはっきりとはさせてくれず。少し横になったまま何回か瞬きすると、やっと鮮明になってきた。
体を起こすと、壁際に見慣れない人影が、壁に背を預けて座り込んでいるのが見えた。それが今日の昼に来た騎士様ということに気づいたのは、彼の髪が綺麗な空色だからだ。ベッドでもソファでも使えと言ったのに、これが一番落ち着くと言って聞こうともしなかった。
西でどんな生活をしてきたのかはわらかないが、こちらの生活よりはましだったのだろうか。それを聞こうにも、彼のーーハヤトの振る舞いは、自分がそれを察するには十分すぎた。
ハヤトの隣には5階への階段。通ろうとすればすぐにでも目を覚ましそうだ。まぁ、覚ましたところで、自分には敵わないだろうが。
水でも飲もう。それからまた寝よう。そうすれば、朝はすぐにやってくる。夢を見ずとも、自分の近くには、描いた未来とは違うが、3人が揃った現在がある。
白い髪をボリボリと掻きながら、静かに階段を下りることにした。
※
「ハヤト、外行こうぜ」
目が覚めてすぐに言われたのがこれである。
ゼロは早く起きていたのか既に覚醒済みだが、対する自分は今起こされたばかりだ。すぐに言われた通りに動けと言うのが無理なものである。
いや、本来なら動けて当たり前だ。しかしハヤトは、長い西暮らしで、そういった騎士として当たり前のことすらできなかった。実際、呼ばれてついていくと、すぐさまゼロから訓練と称した打ち合いを行ったが、体がついていかず、すぐに膝をつく結果になってしまった。
息を切らすハヤトを見下ろすゼロは、若干、いやかなり呆れている。少し離れた場所で見ていた中年の騎士ーーグレイは腕を組んで声高々に笑っていた。
「……グレイ、お前、茨にいたとは……」
息を切らしつつグレイに問うと、グレイは指を横に振りながら
「ハヤト、ここに来たからには一応私は上になるんだ。ゼロもそうだが、もう少し口のききかたには気をつけたまえ」
適当な返事のゼロを見る辺り、あまりきつくは言われていないらしい。だからと言って、自分も適当にいなすわけにもいかないと、ハヤトは「申し訳ありません」とだけ返した。
息も整ってきたところで、塔からパンの焼ける香りが鼻をくすぐった。続いてルエの「朝ご飯ですよー」の声に、ゼロはひゃっほうと駆け出していく。
立ち上がったハヤトも渋々と歩き出すと、そういえば、自分が戻ったことを父以外は知っているだろうかと、ふと町を振り返った。
誰も喜びはしないのだけれど。
塔には、ルエとゼロの他にいるのは、メイドのマーシアと騎士のグレイだけだった。昨日はマーシアとグレイが町に出ていたらしく、2人が帰ったのは今日の早朝らしい。確かにここは茨に囲まれているし、それほど厳重に守る必要はないのかもしれない。
1階の丸テーブルに置かれた、ほうれん草とベーコンのキッシュがとても美味しそうだ。恐らく作ったのはマーシアだろう。昨日の紅茶を思い出すと、少し口元が緩んだ。
「ハヤト、ニヤついてないで早く着替えてこいよ。そのままで食うつもりかぁ?」
ゼロに言われて気づいたが、服は汚れがついたままだし汗臭い気もする。そもそも、誰のせいでこうなったのかとゼロを睨むが、当の本人は席についてカップに口をつけている。
これでは言っても効果がないとため息をつくと、マーシアから渡された服一式を受け取った。
「今回は誰も行かないように見ておきますので」
少し皺のある、そんな悪意のない笑顔を向けられては、素直に「ありがとう」と言うしかない。昨日の今日でどこまで伝わっているのかわからないが、ここでの情報伝達速度は速そうだと、ハヤトは内心ため息をもらしつつ裏手に向かった。
身体を流し終え戻ると、何も食べずに待っていたであろうルエの姿が。その隣では、既に終わり、無愛想に頬杖しているゼロが。
「……待たせたようですまない」
「いえ、勝手に待ったのはこちらですし……」
「そう、か……」
会話が続かない。相手が王族だからではない。
ハヤトには、圧倒的に経験が足りなかった。人と話すのも、異性と話すのも。西では必要最低限の会話、それこそただの伝達事項を話すのみであり、天気がどうの人気の店はどうのといった会話はなかった。
席についてはみたものの、自分から手をつけるべきかどうかもよくわからない。と、ゼロが盛大なため息と一緒にテーブルを軽く叩いた。
「あああああもう!お前らとっとと食えよ!いただきますして食え!」
慌ててルエが「いただきます!」とナイフとフォークを手にする。それに続いてハヤトもキッシュに手をつける。昨日の紅茶とは比べ物にならないほど美味しかった。
もちろんその言葉は、紅茶と共に喉の奥へと流し込んだのだが。
あらかた食べ終わると、マーシアが手際よく片付けていった。手伝おうかと声をかけたが、結構ですよと断られてしまった。では何をしようかと考えていると、腰から剣をさげ、白シャツを着たゼロに声をかけられた。
「今日なんだけどさ、オレ町まで行く用事があるんだよね。ハヤトも行くよな?」
これは断れないんだろうと思いつつ、違う疑問を投げ掛ける。
「2人でか?ルエはどうするんだ?」
視線をルエに投げると、彼女は少しばつが悪そうに俯いた。その意味がわからず、ハヤトがもう一度同じことを聞こうとすると、ゼロが小さく呟いた。
「ルーちゃんは出られない。茨が動こうとしない」
どういうことかわからず、頭が理解する前に、ルエが空元気であろう笑みを張りつけて
「……私のことは気にせず行って下さい。グレイから昨日の話聞いてますから!」
とパタパタ階段を上がっていった。ハヤトは手を伸ばしかけたが、掴むまでの勇気はなく、背中が悲しく消えていった。ゼロが出ていくのを見てハヤトも慌ててついていく。
茨が道を作るのを見て、塔を振り返ると、最上階の窓からこちらを見ているルエの姿。気づいたのか、ふわりと笑って手を振っている。それに手を上げて返してやる。
彼女を塔から出せれば、と頭に浮かんだが、自分のやるべきことはそれではなく。石壁を抜ける頃には、茨はまた道を閉ざしてしまった。