青の少年、黒の少女 2
この森は不思議な感じがする。造られた一本道を歩きながら、ハヤトは度々振り返りつつそう思った。陽はまだ高かったはずだが、辺りは少し薄暗く、だからといって木々が高いわけではない。まるでここだけ陽が当たっていないような、例えるならそれが近い。
それほど遠くもなかったはずだが、体感的には大分歩いただろうか。やっと森の終わりが見えてきた。視界が開けると、丸い塔を囲むように水路があり、そこに橋がひとつだけかかっていた。といっても、木製の、立派とはとても言い難い簡素な橋である。
橋を渡った先には、手入れのされた花々が見える。庭師でもいるのだろうか。いるのであれば、先に森や茨をなんとかしてほしいものである。何にしろ橋を渡らないことにはどうしようもなく、それこそ庭師に文句を言うこともできないので、ハヤトは渋々と橋を渡り始めた。
「……!?」
背後から何かを感じ、とっさに振り向き様そのまま後ろに下がり何かをよける。
剣だ。誰かわからないが、思いきり剣を薙ぎ払ってきたのだ。掠めた切っ先が頬に一筋の線を作る。ハヤトは腰から銃を出そうとするが、それは勿論叶わない。仕掛けてきた相手を見れば、自分より少し高い背と、そして白い髪が風に遊ばれている少年の姿が。
ハヤトはその髪に見覚えがあった。確か、あれは、そうだ彼は。
「ゼロ……?」
呼ばれた少年はハッとして、ハヤトを今度こそ視界に捉えたようで。その蒼い両目が見開かれるまで、それほど時間はかからなかった。
「ハヤト?」
頷くハヤトを確認すると、白髪の少年――ゼロは慌てて剣を腰に戻した。先程の雰囲気はどこへやら、ゼロは無邪気に笑いかけてくる。
「久し振りだなぁ!どこ行ってたんだよ!あ、もしかしてこれハヤトの?」
答える間もなく質問攻めにされたかと思うと、ゼロは剣を戻したほうとは逆から、見覚えのある銃を出してきた。白いフォルムと、ウィンチェスターの紋がついている。ハヤトは当たり前だと言わんばかりに受け取ると、大事そうに腰に差した。
ゼロは顎に手をやり考える素振りを見せると、何かわかったかのようにポンと手を叩き、
「それ、西の技術じゃん?やっぱり行ってたんだ、向こうに」
「まぁ……な」
決まりが悪そうに答えるが、あまりゼロは気にしていない様子。それがハヤトには有り難かった。
この中央大地から西に海を越えると、神力を科学的に利用している西大地がある。それの通称が西である。
ここ、中央の人間が神力を行使する際は、必ず詞を紡ぎ、自然に語りかけることで神術として具現化している。生まれ持った才能に準じてはいるものの、ほとんどが神術を当たり前のように使用している。それとは真逆で、例えば、才能の無くとも神術を扱えるように、武器そのものに神力を宿らせているのが、西で開発されている神機である。ハヤトの銃はこれに属しており、弾に予め神力を込めてそれを打ち出すようになっている。
一見すると神機が優れているようにも思えるが、まず整備は西でしかできない上、神機に宿した力が尽きてしまえば使い物にはならなくなる。その為、それ専門の場所に行き、再び力を入れてもらうという、時間もお金もかかる代物なのだ。
ゼロは「ほんと久し振りだよなぁ」とくるりと背中を向ける。記憶の中のゼロはこんなに明るいやつだっただろうかーー否。突如振り向き様に胸ぐらを掴まれ、声が喉の辺りで詰まる感じが襲う。自分を見下ろす瞳の奥には、微かに怒りが見てとれた。
「今更、何しに来たんだよ」
「俺、には……わからない……」
それだけ絞り出すのがやっとだった。かと思えば、掴んでいた手をぶんと振られ橋から投げられ水路に落とされてしまう。いきなりのことで頭がついていかず、されるがままに頭から水路に落ちる。幸いにもハヤトの腰くらいほどだったので溺れることはなかったが、それでも怒りがふつふつと沸いてくるのを感じた。
何もせずにいられるわけもなく、ハヤトはすぐさま上がろうと端まで歩きーーそこでふわりと甘い香りが漂ってきたのに気づく。どこからだと塔のほうを見ると、木造の扉ががちゃりと開き、黒髪の少女が籠を抱えて顔を覗かせてきたのだ。
「ゼロ、どうしたんですか?独り言にしては大きいですよ?」
髪がさらりと顔にかかるのを押さえながら、少女はゼロを不思議そうに見、それから水路にいるハヤトを確認すると慌てて駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか!?ゼロに何かされたんですか?」
そう言って覗き込んだ少女の手から、籠がハヤト目掛けて滑り落ちる。中に入っていたであろうアップルパイが、顔面に体当たりしてくるのを感じつつ、あぁ甘い香りはこれだったのかと、ハヤトは諦めにも似た苦笑いを浮かべるのだった。
盛大に水とパイを被ったハヤトは、少女に促されるまま塔の裏手にある小屋へ連れていかれた。中には木桶があることから、どうやら体を流せということだろう。ハヤトを中へ押し込んだ少女は「拭くものとか持ってきます」と、どこかへ行ってしまった。
「なんで……こんなことに……」
つい心の声が漏れてしまうほど、ハヤトはすっかり弱っていた。思えば今日は厄日である。西にいた自分に、ジェッタから帰還しろと命令ーーハヤトはそう感じたーーされたのがつい7日ほど前。5年間技術を学びに行っていたが、まさか急に呼び戻されるとは。荷物をまとめるのも一苦労しそうなものだが、実際のところは、ほとんどが西に所有権があるので持ち物は少なかった。
そうして帰ってきたのが昨日。帰るのも憂鬱だったので、一晩町で宿をとった。自分のことをほとんど知らない民ばかり。しかも町中では自分の髪はそれほど目立つものでもないので、正直、帰るよりも気はずっと楽だった。が、帰ってから怒涛の連続である。
木桶を見ると、朝の残り湯がある。まだほんのり暖かいそれは、頭から被ると気持ちがよさそうだ。とりあえず洗い流そう、ハヤトはため息と共に服を脱ぎ出した。
塔の内部は階段でワンフロアずつ繋がっており、最上階以外は必ず部屋の中を通る仕組みになっている。プライバシーとは何かを考えさせられる造りだ。その4階で、少女はタオルと服を何枚か出していた。
「ルーちゃん、なんでオレの服……」
口では嫌そうにしながらも、かといって少女の行為を止めるわけでもないゼロ。少女はゼロを見るわけでもなく、見繕った服を抱えると、急ぎ足でまた階段を降りていく。後で怒られるのは自分なのだろうと思うと気分が優れないが、まぁでも今回は仕方がない。ゼロもまた少女を追おうとして、ふと気づく。
「あぁ!ルーちゃん待って、さすがに下着は駄目だって!ルーちゃん!」
声が届くのを期待しつつ、ゼロも慌てて階段を降りていった。
まずい。
この状況が。
なぜ自分は少女が戻るのを待たなかったのだろう。
身体を拭くこともできなければ、かといってこの姿で出ていくわけにもいかない。それこそゼロに斬られてしまう。ああ見えて、彼は自分より手練れなのだ。
まぁ戻ってきたらノックぐらいはするだろう。
「お待たせしました!」
しなかった。
「ま、待て落ち着け」
慌ててハヤトは体の前に手を伸ばすが、それで全部が隠れるならこしたことはない。案の定、少女は一気に赤くなりハヤトに背を向ける。
「ご、ごめんなさい……!」
そのままズルズルと座り込んでしまった。申し訳なく思っているのなら、早く置くもの置いて出ていってほしい。いや自分も悪かったけれども。
ハヤトは気まずそうにしながらも、少女の背後で膝をつき、そっとその細い肩に手を延ばす。
「ルーちゃん待って……って。おい、何してんだよ……」
本当に厄日だ。
ゼロが剣をすらりと抜いたのを見て、ハヤトは何回目かもわからないため息をついた。