青の少年、黒の少女 1
嫌な夢だ。あの夢を見た後は、決まって汗だくで目が覚める。
額についた前髪を払う仕草をし、少年、ハヤトは大きく息をひとつ吐いた。
自分の実家に呼び戻されたのが一週間前。帰る気はなかったのだが、強制的なものとあれば仕方がない。簡単にシャワーだけ浴びてから、ハヤトは父親の元へ向かった。
「ハヤト・エイピア・ウィンチェスター。只今帰還致しました」
父親がいる執務室の扉を開け、うやうやしく頭を下げそう言えば、咳払いする父親の声が聞こえた。
頭を上げれば、自分の青い髪とは似ても似つかない茶髪を掻きあげながら、父親、ジェッタは手元の書類をハヤトに差し出してきた。読めということだろうと思い、ハヤトはさっと目を通すと、書類をジェッタに突き返しながら睨み付ける。
「これはどういうことか、きちんと説明して頂きたい」
「説明も何も、そこにある通りだ。ハヤト、お前には“塔”の監視に向かってもらう」
ハヤトは反対の意を込めてジェッタを睨むが、ジェッタがそれを意に介した様子はない。むしろため息をつくと、
「お前が私のことを嫌っているのはわかる、が」
ジェッタの鋭い眼光がハヤトの横顔を捉える。
「いい加減、お前もウィンチェスターに生まれた者としての自覚を持て」
そう言い残すと、ジェッタは席を立ち静かに部屋を後にした。悔しそうに俯きながらも、これではいけないと理解しているのも確かである。ハヤトは書類の内容を頭で復唱しつつ、目的地である場所――茨の塔へ向かうことにした。
※
中央大地と呼ばれるここは、神の力――神力を与えられた一族の直系が治めている大地である。その一族は黒髪黒目で、代々神の声を聞くことができる神女が生まれるとある。
しかし今代の神女は不在で、というより十二年ほど前に亡くなってからというもの、一族の中に神女はいなくなってしまったというのが正しい。新しい神女を今か今かと待ちながら、この森に囲まれた城と町の民は、毎日を過ごしている。
その一族――サガレリエットを護る意味で造られたのが、騎士のウィンチェスター家である。しかし今はウィンチェスターのみならず、騎士を目指す者ならば大抵がここに入家し、そして一人前と認められれば騎士になっていく。騎士になった者がそのまま中央に残るか、はたまた故郷の貴族に仕えるかは個人次第ではあるが。
その中央大地の端に、誰も近づこうとはしない塔がある。民の間では、やれ盗賊だのいやいや魔物が住み着いているだの言われているが、塔の周囲は森と茨に遮られているため、誰もその真実を知ることはない。さらに森を囲むようにそびえ立つ石壁は入口がひとつしかなく、そこを通れた者はいないという曰く付きである。
茨に囲まれた謎の塔は、いつしか茨の塔と呼ばれるようになり、民はおろか騎士たちでさえも、簡単には近づけない場所になっていた。
ハヤトを乗せた荷馬車は、塔が見えるくらいの位置で止まる。少し小太りの男が、おずおずと声をかけてきた。
「あのう……あんちゃん、ここいらで……」
「構わない、無理を言ってすまなかった」
男の手に金貨を1枚握らせてやる。金貨には剣と盾が交差に彫られている。ウィンチェスターの紋だ。男は金貨を見て、ひぇっと声をあげるが、聞こうにもハヤトが行ってしまったため、そそくさと懐に金貨を仕舞うと手早く荷馬車を走らせていった。
しばらく歩くと、森を囲む石壁にぶつかった。どこかに入口があるはずだと、石壁に右手を沿わせながら歩き出す。ふと奇妙な違和感を覚えた。
誰かに見られているような、そんな違和感だ。しかしどこにも気配は感じられない。ハヤトはふと立ち止まり考える。なぜ自分は見晴らしのいいこの場所で、石壁に手を沿わせながら歩いているのかと。
ハッとして沿わせていた手を見ると、途端に石のひとつひとつに目が現れ、それは同時にハヤトを睨み付けていた。驚き手を離そうとするも、手をついていた部分だけが口になり、ハヤトの手を呑み込もうとしていたのだ。
咄嗟に腰から銃を抜くと、肘まで呑み込んでいる口に先を当て、引き金を引こうとした――が、そこにも口が現れ、銃を簡単に呑み込んでしまったのだ。ハヤトは舌打ちをすると、今度は掌を壁にかざし意識を集中させる。
「水の詞、1の章。我が声に応え柱と成せ」
ハヤトが詞を紡ぐと、かざした掌から水柱が現れ、それは壁を押す形でハヤトを後ろに吹っ飛ばした。ごろごろと少し転がった後、ハヤトは自分の手を見てみるが、不思議なことに何事もなかった。呑まれた銃はというと、壁の近くはおろか、どこにも見あたらない。それどころか、壁は近づいても何の反応を示すこともなかった。仕方ないと諦めて、再び入口を探そうと歩き始めると、パチパチパチと乾いた拍手と無邪気な笑い声が頭上から聞こえてきた。
十メートルはある石壁の上に、足を組んで拍手をしていたそれは、神力で造られた生命体――神霊だった。見た目は人とさほど変わりないが、人よりも長い鼻と耳が、その存在は人ではないと言っている。神霊に性別があるのかはわからないが、声からして恐らく彼、なのだろう。
「すごいねぇキミ。もしかしてウワサのウィンチェスターの長男?髪青いしね!」
ふわふわと降りてきた神霊は、あははと笑いながらハヤトの髪を指差す。またかとハヤトは神霊を睨み付けた。しかしあまり気にしていないのか、神霊は「おーこわ」と笑うだけである。
相手にしてもキリがないと判断し、ハヤトは辺りを見渡すと他に誰もいないことを確認した。
「神霊、お前の主は」
「ケディラだ。ちゃんと呼べよ」
その物言いに思うところはあったものの、同時に睨み付けられては何も言い返せない。ハヤトはため息を呑み込むと
「ケディラ、誰のためにここにいる?」
その質問にケディラは少し考える素振りを見せ、石壁――正しくはその先にあるであろう塔を指差した。しかし、その表情はいたずら好きな笑顔を浮かべているので、あまり信用しないほうがいいだろう。
ハヤトは再び入口を探すため進もうとするが、ケディラの「あ」という何かを思いついたような、いや思い出したような声でまた止まることになる。
「塔に行きたいんだろ?だったらこっち来いよ」
ふわふわとハヤトの前を翔んでいく背中は、正直頼りがいは全くないが、それでもついていく他ないのもわかる。ハヤトは渋々と、それでも多少警戒をしたまま。風が吹けば翔んでいきそうなそれを、ただ黙って追っていった。
ぽっかりと石壁に開いたそれは、入口というには、あまりにも殺風景だった。2メートルほどの高さ、幅は1メートルくらいか。人がやっと通れそうなその入口は、茨によって頑丈に門がされていた。
「これを、どう、通れと、言うんだ?」
ケディラはまた笑い、茨をそっと指差す。まさかこれに突っ込めと。ハヤトは苦笑いを浮かべ、もう一度同じことをケディラに問う。
「これを、どう、通れと、言うんだ?」
「行けよ、ハヤト・エイピア・ウィンチェスター」
神霊に名乗った記憶などどこにもないが、もうそこまで言われては仕方がない。ハヤトは意を決して、茨に触れようと手を伸ばす――が、その手は茨に触れることなく、むしろ茨が勝手に動いたかと思うと、ハヤトを招き入れるように道を作り出したのだ。先に見えるのは、あの曰く付きの茨の塔。途中森を抜ける必要がありそうだが、この茨に沿っていけば迷うこともなさそうだ。
振り返ると、もうそこにケディラの姿はなく、代わりに入口を塞いでいく茨が。小さくケディラの名を呟くと、どこか遠くの頭上から、それでいて近くから聞こえるようにケディラが応える。
「さぁ、道はできた。後は頼んだよ、我らの主を」
ザザザと完全に閉じた入口を見て、頼んだも何も、帰らす気など全くないのではないかと、ハヤトは心の中で呟いたのだった。