神女と、騎士 2
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茶の長い髪をゆるくひとつにまとめた少年、ショウは、町中を苛々と大股で歩いていた。どれもこれも、あのリーベ王女のせいだと言わんばかりに。
恐慌派、というより、落ちぶれた乱暴者で顔が知られている自分は、歩けば周りが勝手にどいてくれる。弟のケルンは逆で、何を考えているのかわからない言動で、周囲に煙たがられている。正直、弟の腕に関してはよく理解しているつもりだが、内面ともなるとよくわかっていない。言われたことに対して忠実なのは、まぁわかるのだが。
さてショウが町中を歩いている理由だが、いつも通り、リーベ王女の脱走である。そしてそれを見つけに行くのは、王女のお気に入りである自分だ。前だったか、王女から「ショウの顔はハヤト様に似てる?」と聞かれ、言わなくてもいいのに「たぶん」とケルンが答えた時からだ。
つまりあの王女は、自分ではなく、その先にいる兄を見ているのだろう。それがまた悔しく、そして腹立たしい。
居住区を抜け、商業区へ向かう途中にある教会に目が止まる。教会の周りは綺麗な植え込みがあるのだが、その合間から黒髪がひょこりと動くのが見える。なぜ教会とは思ったが、神生の儀は明日だし、祈りを捧げているのかもしれないと、ショウはため息と共に教会へ向かった。
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ルエが暗闇を壁伝いに進んでいくと、右手からかちりと音がした。驚いて手を離すが、既に仕掛けは作動したようで、頭上から塔と同じようにして階段が降りてきた。
恐る恐る登り、天井に頭がついたところでごちりと音が響く。頭をぶつけた。
「痛い……」
「なーにしてんだ」
ケディラの笑い声も響いて、やけに静かだった地下が少し賑やかになる。頭を押さえていても仕方がないので、ルエは天井の石をごそごそと触ってみる。少し力がいるだろうが、ルエでも動かせそうな一枚石である。
「ん……」
ずず……と鈍い音と共に、少しずつ光が入ってくる。1人分ほどを開けるのがやっとだったが、ルエにはこれで十分だ。半ば這いずるようにして出ると、そこは教会の裏手にある墓場のようだった。石を元に戻す際、何かが書いてあることに気づく。
ーー生命は光と共にーー
「これは……」
「ウィンチェスターの言葉だな。生命は光と共に。魂は己の中に。宿命を以て守護とせよ。これが全文だ」
ケディラが腕組みをしつつ答える。とするなら、これはウィンチェスター家の墓になるのか。他と比べると、むしろ小さめで、そして古い。昔から彼らは、こうして王族を守ってきたのだろう。
ルエはそっと祈りを捧げ、表へ向かおうと歩き出す。見たことのない場所で不安しかないが、言われた通り、司祭を頼るしか今はない。
しかし急に目の前から出てきた人影にぶつかり、ルエはふらふらと尻餅をついてしまった。謝ろうと顔をあげ、そして固まる。
「王女、やぁっと見つけたぜぇ?」
ハヤトより少し背は高いくらいだろうか。髪の色も瞳の色も違う彼は、それでもどこかハヤトに似ていた。
「あ、あの……私……」
やっとの思いで絞り出した声が震えていた。
彼はルエを上から下まで舐め回すように見、そして顎に手をやりふと考え込む。
「リーベ王女、だよなぁぁぁあ……?」
まず自分はリーベではない。が、否定したらどうなるかわかったものではない。しかしこの状況で肯定できるはずもなく。
「わ、私、司祭様に、お会いしたくて……」
間違いではない。実際、目的はそれである。
しかし彼はさらに怪訝そうな顔をし、何を思ったのか、しゃがむとルエの胸を鷲掴みにしたのだ。
「やぁっ……」
いきなりで驚きと悲しみ、掴まれた痛みなどが押し寄せるが、ルエにできたのは、掴んできた手を弱々しく掴み返すことだけだ。
「いた……い、離して……」
彼は離すつもりはないのか、むしろそのままルエを押し倒してくる。ルエは泣きながらも反抗しようと首を振るが、それで彼が離すなら最初からこうなりはしなかっただろう。
「ケディラ……たすけて」
傍らを飛ぶ神霊を呼ぶが、そうだ、視える人間は決まっているのが神霊だった。確か塔の本に書いてあった。
こんな知らないところで、知らない人に押し倒されて。助けを呼ぼうにも、知っている人はいるはずもない。
そんなルエが口にできたのは、
「助けて、ハヤトくん……」
それは、目の前の彼にとって一番聞きたくない名だった。
リーベ王女と思っていた彼女は、全然違う別人だった。王女より雰囲気が柔らかく、二重の瞳からは威厳も何も感じないどころか、恐怖の色が滲んでいた。
だからショウは嬉しくなった。
いつも自分をこき使い、バカにし、兄の影しか見てない王女。その王女に似た彼女。好きにしてやろうと思った。
しかし彼女の口から零れた、聞きたくない兄の名が出てくると、ショウはいきなり彼女の首を締め付け始めた。苦しげな声と、震える手を見ると、なぜか興奮している自分がいる。
もっと聞きたいとさらに力を入れようとして。
「きゅうり、やるよ」
「は?」
思わず力が抜ける。息が出来るようになった彼女は大きく咳き込み、肩で息をしながら虚空を見つめている。その目にはあまり光が感じられず、やりすぎたかもしれないと少し反省すると同時に、自分の下腹部に熱が集まるのがわかった。
声の主は教会の入口に立っていた。ピンクの花柄シャツ、白い短パン、そしてサンダル。ここは海ではないはずだが。さらに手にはきゅうりを握っているものだから、さらによくわからなくなってくる。
「……おっさん、なんか用かよぉ」
ショウは彼女に馬乗りしたまま、そのよくわからない男を凝視する。
「おっさんではあるが、まぁ用はない。しかし、神の御近くで卑猥なことはやめろ」
ひらひらときゅうりを振りつつショウに近づくと、男は下敷きになっている彼女、ルエを一目見る。
「きゅうりやるから、女性の上になるのもやめろ」
「いやいらねぇよ」
「さ、早くどきな」
双方話を聞いているのかわからない会話の後、男はショウの手にきゅうりを無理矢理握らせると、羽交い締めするようにして、ショウをルエからどかす。ショウも負けじと暴れるが、男の力が予想よりも強くあまり効果がない。
意識がはっきりしてきたルエが男を視界にいれ、ぽつりと呟く。
「……司祭様、ですか?」
「あぁ?こんな奴が司祭なわきゃねぇだろぅがよぉ」
羽交い締めしていたショウをぽいと横に投げ捨てると、男は何処からかまたきゅうりを出し、それをルエに差し出しながら笑う。
「きゅうりやるよ、正解したからな」
ルエの安堵の息と、ショウの呆れの息は、ほぼ同時に男の耳に入っていった。
教会の中に通されたルエは、並んでいる椅子の端のほうに座ると、出された紅茶を持ちつつ、周囲をきょろきょろと見渡していた。前方の白い大きめの硝子には、剣が交差し、中央に盾がある紋章が彫られている。
確か、ハヤトの持つ銃にも似たようなものが彫ってあった気がすると、ルエは紅茶に口をつけつつ考え込む。
「待たせたな」
相変わらずきゅうりを手に持ち、へらへらと笑いながらやってきたのはあの司祭だ。相変わらずの格好だが、初めて司祭を見るルエには、それが可笑しいということには気づかない。
「初めまして、司祭様。私、あの……」
説明を急ごうとするルエの口に、優しくきゅうりが当てられる。
「まぁ、落ち着け。話は聞く、焦りは何も探せない」
そのままきゅうりを渡され、ルエは「はい……」と呆気に取られる。そういえばと、浮かんだ疑問を口にする。
「あの、先ほどのかたは……」
「落ち着くまで別室で待機だ。おっきっきしてたからな、しょうがない」
「おっき……?」
聞き慣れない言葉だが、聞いても教えてはくれなさそうだ。ルエは手元の紅茶を見つめ、それから隣に座った司祭に、意を決したように話し出した。
「司祭様、私は帰ろうと思うのです。私は、私の、在るべき場所があるはずだから……」
「……なら、城に帰るのが筋だろうな。ここを出たら北に向かえ」
ぐいと紅茶を飲み干したルエは、カップを司祭に返し、にこりと笑うと「ありがとうございます」と礼を述べ、足早に教会を出ていった。
渡されたカップを見つめ、司祭は苦笑し
「ライン様、どうやらご息女は立派になって帰って来たようですよ。必ず神女として、国を引っ張っていけるでしょう」
さて、と立ち上がると同時に、後方の扉が開いた。出てきたショウのすっきりとした顔を見るに、どうやら興奮は冷めたようだ。
「おい、さっきの女はどうしたぁぁぁああ?」
「さてな。きゅうり取りに行ったんだろ」
カップを片付けに行く司祭の後ろから、地団駄を踏む音が聞こえてくる。その後、奇声と共に出ていくショウの背中を見て、彼も兄を追うのはやめればいいのに、と思わずにはいられないのだった。




