神女と、騎士 1
それは、ハヤトが茨に来てから1週間ほど経った日のことだ。相変わらずここは平和で、町でのことが記憶に残らなくなってきた頃。
定期で町に出ているマーシアが帰ってこなかった。元メイド長の彼女だが、顔を知る者は限られているし、特に商業区の民からは、明るいミセスで通っている。何かがあったに違いないと言い出したのはゼロだ。
「おかしいだろ!町まで行って探してくる!」
そうすぐにでも走っていきそうな勢いである。あまり考えず動こうとするところ、さすが脳筋と言うべきか。
「落ち着け、1人で行ってどうにかなるものでもないだろう。俺も行く」
どうやらハヤトも負けじと脳筋思考のようで、グレイがため息と共に、2人の肩をがしりと掴む。
「今は神生の儀前だぞ?わかっているのか、恐慌派の騎士がうろついている」
ゼロはその手を払いのけ、グレイを真正面から睨み付ける。視線を静かに受け止めていたグレイは、次にハヤトを見据えた。
頷くハヤトを見て、諦めたように肩から手を離すと、
「ではルエ様のことは見ていよう。日付が変わるまでには一旦帰ってこい、わかったな」
返事をする間もなく塔を飛び出すゼロと、短く返事だけして追いかけるハヤト。それを少し離れた場所で見ていたルエは、うつむき、小さく手を握りしめていた。
石壁を出たところで、頭上から聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。先を走るゼロを呼び止め、少し待ってほしいと伝えると、ハヤトは彼の姿を探しに視線を上げる。
「……ケディラ」
名前を呼ぶと、彼はあの時のようにハヤトの前にふわふわと降りてきた。にやりと笑う姿が、まるで何かを見通すようで気味が悪い。
「ハヤト久しぶりだな。どうだ、いい場所だったろ?」
いい場所、とはどういう意味だろうか。
快適、とはお世辞にも言えないし、けれどここは自分の生まれも立場も、気負わなくてよかった。いい場所、だったのかもしれない。
何も返事をしないハヤトに、ケディラはわかっていると頷くと、後ろのゼロをちらりと見る。ゼロもケディラが何か、をわかっているようで、何を言うでもなくケディラを黙って見つめ、そして諦めたように口を開いた。
「……神霊ケディラ、時間が来た。神女の導きとなってほしい」
ハヤトが驚いたように目を見開く。
どういうことだと問い詰めたいが、神妙な面持ちのゼロには聞けそうもない。ケディラは「任せておけ」と答えると、くるくると回り、そして消えていった。
「ゼロ、神女って……」
「今は町へ向かおう。マーシアも心配だ」
話すつもりはあるのだろう。ゼロのことだ、何から話すべきか、まとまっていないだけだ。
また先を走り始めたゼロを追いかけつつ、このペースでついていけるだろうかと、ふと弱気になるハヤトだった。
※
それは、ハヤトとゼロの2人が向かってから、それほど経っていない頃だ。石壁付近を誰かが、いや10人ほどだろうか、まるで入るかのようにうろついている。
グレイは塔の5階にいたルエの元へ急ぐ。やはり恐慌派が来たのだ、ルエの存在を消すために。ならば自分が出来ることはひとつだ。
「ルエ様、いきなりで失礼致します」
一声かけ、いつもならノックをするのだが、今日は別だ。早く連れ出さなければならない。
いつも通り、外を眺めていたルエは落ち着いた様子で振り返ると、わかっていたかのようにグレイを静かに見据える。
その立ち姿はかつての神女、ルエの母親ラインを思い起こさせた。一瞬息をするのを忘れるが、グレイは首を振って一呼吸すると、ルエの前に跪き、
「ルエ様、ここを離れましょう。わたくしが貴方様をお連れします」
「話していた恐慌派の人たち、ですか……?」
「はい。ルエ様を……抹消する為かと」
ルエはしばらくの後、かがみ、グレイの肩に手をそっと置いた。顔をあげた先に、ルエの悲しげな瞳が映り、思わずグレイは「申し訳ありませんでした」とまたうつむく。
ルエはふるふると首を振る。そしてふわりと笑うと立ち上がり、そっと窓を、いやそこから見える景色を見つめた。
「グレイ、今までありがとうございました。記憶が曖昧な私を今まで育ててくれて……」
知っている世界はここだけだ。グレイとマーシアの聞かせてくれる町の話と、それから、ゼロが来てからはたくさん笑い話を聞かせてくれた。
その中に出てくる彼との話は、ゼロにとっても特別だったのか、とても楽しそうで。いつか自分も、ここから出て、たくさんの世界を知りたいと。
「グレイ……いえ茨の騎士、私は、在るべき場所に帰る時がきたのですね」
「ルエ様……」
グレイは立ち上がり、そっとルエの手を取ると1階へ急ぐ。ここには地下があり、その道を通ると町へ出るようになっている。
1階へついた2人の前に、淡い光が立ち塞がった。背中にルエを隠し、警戒して剣を抜く。が、聞き覚えのある笑い声に、グレイはそっと剣を戻した。
「久しぶりの割にあんまりな態度だな、グレイ。前は騎士団長してなかったか?」
「ケディラ殿、今の不始末はまた詫びますので、ルエ様を町まで連れていくのを手伝って頂きたい」
ケディラはひとつ伸びをすると、先ほどとはうってかわり、真剣な顔つきになる。
「この周りをうろついてる奴がいるのはわかってるな?もう入口を隠せる力が俺にはない。誰かが残る必要がある」
ここまで来て、誰か、とはまた嫌な言い回しである。それは、あの日出来なかった自分の役回りだというのに。
グレイはくくっと喉を鳴らすと、背中のルエと向き合う形になり、そして跪いた。恐らくこれが最後になるのだろう。
「ルエ様、よく聞いてください。お兄様であるレイガノール様は生きておられます。しかし、王子自身、それを伝えることは禁忌になっています。レイガノール様は貴方様をとても大切に思っています、今も、昔も」
ルエの目が驚きで見開かれるが、それは一瞬で、すぐにグレイの手を取ると歩き出そうとする。しかしそれをグレイは優しく振りほどき、
「わたくしはいけません。ケディラ殿と行って下さい」
何か言おうとするルエを遮るように、石壁が激しく壊される音が響く。塔までは一本道に近い、すぐに来てしまう。
「地下を通っていくと、町の教会に着きます。司祭様にお会いしてください」
壁の一部分を押すと、中央に階段が現れた。背中を押されるまま、地下に転がるようにしてルエは落ちていく。落ちた痛みを堪えながら階段を見ると、優しく微笑むグレイの姿が。
「待ってグレイ!」
また壁を押したのか、階段はぱたぱたと閉じていき、そして1階からの光が消えると同時に、グレイの姿も見えなくなった。
「グレイ……」
ぽつりと溢した名は、静かに闇に呑まれていく。
行かなければ。
ルエは立ち上がり辺りを見渡す。
「ケディラ、ですか?行きましょう」
声に反応するかのように、ケディラはまたふわふわと姿を現した。発せられる光のおかげで、微かに足元が見える。
先は暗くてよく見えないが、グレイの言うとおりなら、恐らく一本道だろう。ルエは震える足に力を入れ直し、ゆっくりと、確実に進んでいった。




