前編
あたしには幼馴染がいた。名前はラズモア。よっつになった年にお隣の老夫婦の家に引き取られて来た男の子だ。同い年だと知って当然のように毎日遊ぶようになった。あたしには兄弟姉妹がいなかったし、ラズモアも老夫婦と三人だけの寂しい暮らしだった。
だから遊び相手が身近にできたことが単純に嬉しかったのだけど、それはあたしの方だけでラズモアはそうでもなかったかもしれない。少なくとも最初の頃は、毎朝あたしが迎えに行くと彼は迷惑そうな顔をしていた。
「ぼくは家のお手伝いがしたいのに」
「そんなことはいいんだよ。小さな子供は外で思い切り遊んでいればいいんだ」
「でも……」
「じゃあ、こう考えればいい。わたしらは年で体も不自由でお隣にはいつも助けてもらっている。おまえがお隣の嬢ちゃんの遊び相手になることがお隣りへの恩返しになるなら、それがわたしらのためにもなる。おまえはわたしらのためになることをしなくちゃと考えているのだろう?」
「うん」
「それなら嬢ちゃんとふたりで野原で思い切り遊んでおいで。嬢ちゃんが喜んでくれるのなら」
「もちろん! 行こう、ラズモア」
おばあさんに言い聞かせられ、ラズモアはしぶしぶあたしに手を引かれて行くのだった。
「ラズモアはおじいさんとおばあさんが好きなんだね」
栗色の髪の頭にシロツメクサで作った花冠を乗せてあげると、ラズモアは嫌そうに黒い瞳を細めてあたしを見た。
「好きというか、世話になってるから、感謝してる」
言葉少なに彼が語ったことと、周りの態度などから。老夫婦はラズモアのお母さんの両親で、ラズモアのお母さんは病気で亡くなり、お父さんとは一緒に暮らせない理由があって、彼は祖父母を頼ることになったようだ。
長じるにつれそんな事情が透けて見えるようになり、けれどそんなこととは関係なく、あたしはラズモアが大好きだった。
ラズモアは少しずつ生きる為に仕事を始めて、あたしが構ってもらえる時間は段々と減って行った。
ヒツジやウシの世話をするラズモアの傍らであたしはいつもひとりでおしゃべりをしていた。それは大抵、ラズモアの手が空く夕刻のことで、あたしの話題は学校での出来事が多かった。学校に行けないラズモアがあたしの話を聞いてどう感じるかなんて、あたしは考えもしなかった。
聞いているのかいないのか、相槌を打ちもしないラズモアの栗色の頭に、学校帰りに道草をして作った花冠を乗せると、彼は顔をしかめてそれを投げ捨てた。今思えばラズモアは、いつも何かに苛立っているようだった。その頃のあたしには気付くことができなかったけれど。
十四になった年の春。ラズモアがいなくなった。
その日、空はとっくにだいだい色なのに、隣家のヒツジは囲いに出されたままで。飼育小屋に入れた後、家の様子を見に行くと、おばあさんがかまどの横で泣いていた。
「どうしたの?」
尋ねても顔をあげてもくれない。あたしが目をぱちぱちさせながら振り向くと、帽子を両手で揉みしだくようにしながらおじいさんが家に入って来た。
「おじいさん、ラズモアは?」
尋ねたけれど、おじいさんは黙ったままテーブルの椅子に座った。
「ねえ、ラズモアは?」
もう一度尋ねる。おじいさんは何か言いたそうに眼をあげる。でもおじいさんが口を開く前に、おばあさんがあたしの手をぎゅっと握った。
「嬢ちゃん、ラズモアは行ってしまったよ」
筋張った細い指に力がこもる。握られた手が痛かったけれど、あたしは我慢してもう一方の手をおばあさんの手に重ねた。
「どこに?」
「父親のところさ」
あたしは一時、言葉に詰まってゆっくり瞬きした。
「そうなの。でもそれは良いことなんじゃないの? ラズモアはきっとお父様に会いたかっただろうし」
「何が良いさね!」
おばあさんの激しい声にあたしはびくりと肩を跳ね上げた。おばあさんがそんな大きな声を出すのを聞いたのは初めてだった。
「馬鹿だよ、あの子は大馬鹿だ……」
「ねえ、どうして? どうしてそんなに悲しんでるの? ラズモアはお父さんに会ったら、また戻ってくるんでしょう?」
「戻って来ない。あの子は戻ってこないんだよ」
おばあさんの手に重ねたあたしの手の甲に涙が落ちる。
「ずうっとここで静かに暮らせば良かったのに。名も無い農民で良かったのに。何が欲しいっていうのだろうねえ。馬鹿だよ、あの子は」
再び泣き伏すおばあさんに、あたしはそれ以上尋ねることができなかった。




