哲学
僕は基本、何でもできる。絵も描けるし、歌も歌える、ダンスも得意だし、スポーツも勉強もなんでもござれだ。
たいていのことは、すぐに要領をつかんで、それを上達するためにあくせく努力してきた人をあっさりと追い抜いてしまう、ということも日常茶飯事だ。
だから、僕は熱しやすく冷めやすく、すぐにその道を「極めた」、と悟りそれに手をつけなくなってしまうのである。
そんな僕に、とうとう敗北の時が訪れた。
それは、村西透という、ある富裕層に仕える植木の庭師だ。
彼はその道をかれこれ45年は続けているプロ中のプロだ。
僕はそんな彼の特技(というか生業)に興味を持ち、あっさりとまた抜き去ってやろう、と少し意地悪な気持ちで彼と同じ、植木職人を少しかじってみた。
結果は...、カンタンだった。しかし、追い抜いた、といえるほど技が上達しない。
僕は思った。(45年、というキャリアはダテじゃないな...、これは追い抜くのに手間がかかりそうだな。だが、僕なら、)
そして1ヶ月、僕は追い抜いた。
それは村西の口から「君は僕を超えたよ」というある種「まいった」という降参の言質をとったからだったが、勝った気がしない。どうしてだろう?
それはこんなエピソードから垣間見えた。
ある日、いっしょに働く村西が僕に言った。
「植木の、この曲がった部分があるじゃない?これは今の社会情勢を反映しているんだ。最初は真っ直ぐに進んでいたEU統合も、イギリスが意見を曲げ、EUを脱退したんだ。それとおんなじさ」と。
彼はあらゆる分野、政治、スポーツ、社会情勢、芸術、歴史をその一つの植木から導き出すのだ。
僕になくて、彼にあるもの、それは(自分で言っちゃうか)天才型の僕にはない、ある種の信念、熟練から生まれた「哲学」だろう。
それからの僕は、人生に「哲学」を持とうと心に決めるのだった。