第六話
とある朝。
チャイムぎりぎりに登校した俺は下駄箱を開ける。
するとそこにあるものを発見した。
俺はとにかくそれをカバンにしまう。
正直これをどう受け取っていいのかわからなかった。
ひねもす考えたが答えは出なかったので、放課後に茶室で誰かに訊くことにした。
こういうことにかけては女の子の方がうってつけだと思ったからだ。
ここ最近はちょこちょこ茶室に顔を出すようにしていた。
だいたい美南先輩か鈴鹿がお茶を点ててくれる。
俺はそこで本を読んでいるだけの暇人なのだが、どことなく居心地が良かった。
だがここ一週間くらい鈴鹿が部活に来なくなった。
別に学校を休んでいるわけではないようだ。
それに部活は強制参加というわけでもない。
そんなに厳しかったら俺なんてとっくに辞めている。
まあ何か女子だから理由があるのだろう。
別段気にかけることもなくそう思っていた。
放課後になり例のものを見てもらうため茶室に向かった。
急ぎすぎだったのだろうか、鍵が開いていない。
職員室に戻り鍵をもらう。
そのうち誰かしら来るだろう。
そう思い隅の方でいつも通り本を読んでいた。
図書館よりこのスペースの方が読書がはかどる。
そういえば北斗先輩と千歳先輩はやっぱり殆んど来ない。
北斗先輩はS、千歳先輩はAランクのレアキャラってとこか。
となると俺はCキャラくらいか。
常時いる鈴鹿はFキャラか、最近は来ないが……、そんな考えに浸っていると、久しぶりに鈴鹿が茶室に顔を見せた。
「こんにちは」
と綺麗なお辞儀をした。
「おお、久しぶり」
「うん……」
今日はなんだかあっけないし元気もない。
まるではかなげな幸薄少女のようだった。
例のことを相談しようと口を開きかけたが、いつもと違うその雰囲気からなんとなく後回しにした。
鈴鹿はいつものように稽古を始めた。
今日はまだ美南先輩が来ないので、本を参照しながら一人でやっている。
俺はお茶がそろそろ点て終わるのを見計らって、パンッと本を閉じた。
「今日も飲んでいいか?」
「どうぞ」
鈴鹿がかしこまって出すので、俺も居住まいを正していただく。
お茶を飲む作法だけは、それなりになった……かな。
「おいしかったよ」
「くち」
鈴鹿が人差し指で自分の口端を指す。
俺は合点がいき、ワイシャツの袖で口をぬぐおうとすると、
「はい」と懐紙を渡された。
いつもなら、品位にかけるなど、一言ぐらい言いそうなものだが、張り合いもなく今日はそのまま稽古に戻ってしまった。
肩すかしをくらった気分でまた本を開いた。
しかし紙の上のインクを眺めるだけで内容がなかなか頭に入ってこない。
鈴鹿が奥の部屋に戻って行ったのを見届け、しばらくして声をかけた。
「おい、ちょっと相談があるんだが……」
「あらたまって、なに。」
いつものつっけんどんな返事ではないが、今日の淡泊な物言いもこれはこれで心苦しい。
つられて俺も言葉少なになる。
「これを……」
そう言ってカバンに手を入れ、下駄箱にあったものを渡した。
「これを私に?」
「とりあえず中を見てくれ」
鈴鹿はリボンを取り、包装を丁寧にはがし、箱を開けた。
中には……
「チョコレート!?」
「ああ」
鈴鹿はまぶたをしばたかせ、必死に状況を把握しているようだった。
「一色君。これはチョコレートよね。なんのつもりかしら。バレンタインのつもり? 今は初夏よ。木蓮も散り去って、プール開きも間近の初夏。そもそもこういったものは普通、女の子から男の子に渡すものよ。引きこもりのあなたにはやっぱり一般常識ってものがないのかしら」
俺はすぐに鈴鹿の認識違いに気付き、狼狽しながら、
「違う違う。これは朝俺の下駄箱の中に入ってたんだ。差出人も書いてないし。どうしたものかなと思って」
と弁明する。
「そうなの。あなたおモテになるのね。見せびらかしたいのかしら」
いつもの調子が戻ってきたようだった。
「でもお前の言うとおり、確かに夏にチョコレートっておかしいよな。名前も書いてないし。そもそも男か女かもわからないぞ」
「でもリボンと包装が丁寧にしてあるから絶対プレゼント用だし、こんなかわいい装飾、やっぱり女の子からじゃないかしら」
「うーん。手紙でも入ってればな。夏のバレンタインなんてちょっと不気味だな」
「あら、好意をもってもらえるなんてよかったじゃない。ちゃんと気持ちに応えて残さず食べてあげないと」
「いや待て待て、この暑いのに食べるのはさすがにまずい。食中毒になったら困るし、チョコにも賞味期限があるはずだ。毒が入っている可能性もなきにしもあらず」
「あら何か人に恨まれることでもしてるのかしら?」
「ないとは言えない……」
「一色君。たとえ毒が入っていたとしても大丈夫よ。私がお茶を点ててあげるから。お茶には解毒効果があるから心配いらないわ」
「本当か? 確かに体に悪いものを排出するデトックス効果はあるとは聞いたことあるけど……。」
俺はそう言って困惑しながら鈴鹿の顔を見ると、十分咲きの満面の笑みをしていた。
首をかしげて、ほら早くと、無言の圧力をかける。
こいつの本性はやはり非情、冷酷だ。
先ほど一秒でも、はかなげな少女と思ってしまったことを悔恨しまくる。
チョコを取り上げ鼻に近づける。
匂いは普通。
デザインも凝っているし、市販のチョコのようだ。
ただ、暑さでだいぶ溶けていた。
思い切って一口で飲みこんだ。
毒を食らわば皿までだ。
口の中で表面がドロドロに溶けた物体が喉を気味悪く通っていく。
素早く口の中にお茶を流し込んだ。
「どっどうだった?」
自分で食べさせておいて、鈴鹿は若干引き気味に問いかけてきた。
……味なんてわかりゃしない。
「でも一色君にチョコを贈るなんて凄まじく変な子ね」
「まあな。自慢じゃないが俺はこの学校でつながりある女の子は、美南先輩か千歳先輩かお前かさくらさんか……」
そこまで言ったとき、噂をすればなんとやら、さくらさんの声がした。
「こんにちは。真夏ちゃん。好一君。今日はチョコをつくったからおすそわけ」
エプロンと三角巾姿で手には茶色いチョコレート。
なんてタイミングだ。
しかもチョコ。
この子には何か取り憑いているとしか思えない。
「いや……、俺は今日は止めておこうかな」
「ひどい。なんでそんなこと言うの……。せっかく作ってきたのに……」
目に涙が浮かんでいる。
さくらさんのウルウルとした目は、俺の膝の前にあるチョコの食べ残しを捉えた。
「これ、真夏ちゃんの!? 真夏ちゃんのチョコは食べられても、さくらのチョコは食べられないっていうの?」
「いいえ。さくらさん。誤解しないで。これは……」
鈴鹿が説明しようとするが、聞いちゃいない。
涙がはらはらと頬を濡らす。
見かねた鈴鹿がハンカチで頬を拭いてあげている。
「うん。食べるよ。食べる。さくらさんの作ったチョコ食べたいなー」
と、俺は必死に取り繕った。
なんだこれ、まるで三角関係みたいじゃないか。
俺は自分の状況がいまいち飲みこめなかった。
が、このチョコだけは飲みこまなければならないということだけは理解した。
「じゃあ、さくらが食べさせてあげるね。お口開けて、はい、あーん」
「あーん」
モグモグ。
「おいしいな」
「ほら真夏ちゃんも、あーん」
「……あーん」
モグモグ。
「おいしいわ」
俺達がチョコを食べている姿に満足したのか、さくらさんは、
「また今度も何か作って持ってくるね」
と言い残し、通り雨のようにさっさと家庭科室に帰ってしまった。
「結局、さくらさんでもなかったんだね」
「ええ」
俺達は生気を失った顔を見合わせる。
「今日の稽古はもう満足したか? まだお茶飲んでもいいぞ」
俺は茶を飲む係として訊いた。
「今日はもういいわ。」
鈴鹿はそう言って髪留めをはずし、首を左右に揺らした。
「そうだな。じゃあ帰るとするか。」
俺が立ちかけると、「待って」と言いそのまま鈴鹿はじっと黙ってしまった。
なんだ?
俺は浮かした腰を戻す。
「今度は私の相談なんだけど」
「うん?」
「一色君。今日……一緒に帰って欲しいの」
と上目づかいでこちらを見つめる。
他意はなく顎を引いたせいで自然とそうなっただけだろうが、どことなしか目が潤んでいるところを見ると、含意があるのかもと一寸動揺してしまった。
「なっなんだお前、しばらく見ない間にキャラ変したのか?」
「ばか。何言ってんの。なんていうか……最近下校中に、誰かにあとをつけられている気がするの……」
思いもよらぬ鈴鹿の言葉に俺は真顔になった。
「なんだって、それって、ストーカーじゃ」
「大きい声出さないで。稽古終わって校門を出たあたりから視線を感じて……、誰かに後ろをつけられてるような気がするの」
「はっきり見たわけじゃないんだよな?」
「怖くて見えないわよ」
「思い違いならいいけど、仮にもしその話が本当なら校門で見張ってるのかも知れない。もしくは学校関係者か……。」
「だから怖くて……暗くなる前に帰ろうと思って、最近はちょっと部活を休んでいたの」
そういうわけだったのか。
確かに鈴鹿は性格は置いといて、見た目だけは清楚で大人しそうな普通の女子高生だ。
「だから目には目を歯には歯を。古代ハムラビ法典の教えに則って、変態ストーカーのあなたに犯人を捕まえてほしいの」
「誰がストーカーだ。神に誓って一度たりともしたことない。俺は元泥棒の防犯アドバイザーじゃねえぞ」
「捕まえてあげたらご褒美をあげるわ」
「俺は下僕でもない。お前はどこの国の女王様だ?」
こんな冗談を口にするあたり思ったより元気そうだ。
とにかく今日の帰り路、俺は少し後ろから、鈴鹿について行くことにした。
下校中の生徒の群れに交じり、俺はそっと後からつける。
鈴鹿が歩けば歩くし、足を止めれば止める。
本当のストーカーになった気分がする。
はじめてやることだが、俺にはこっち方面の素質があるのかもしれない。
こんな才能あっても困るのだが……。
黙々と歩いて行くと、鈴鹿がとあるマンションの前に立った。
ああもう到着したのか。
ここがあいつのマンションか……大きいな。
ここならセキュリティも万全だし、たとえ家までつけたとしてもどうしようもないだろう。
俺は近寄りながら、
「俺の見る限りあやしい人影はなかったぜ」
と報告した。
「ホントにちゃんと見てたの?」
「ああ」
「そう……」
しばしの沈黙。
「でも今日はストーカーが、二人一緒に校舎を出るのを見ていたから、用心したのかもしれない。試しに明日は別々に校門を出てみるか?」
俺の思いつきに、
「うん」
鈴鹿は声の調子は低かったが、どことなく嬉しそうだった。
あくる日。
俺達は別々に下校することにした。
鈴鹿は道具の後片づけがあるというので、俺は先に校門で待機していた。
鈴鹿が校門を出て行くのが見えた。
しばらく間を置き追いかける。
すると……、誰かに見られている!
昨日とは明らかに違う感覚だった。
誰だ?
左の制服姿の男か、はす向かいの通りすがりの男か、そこで立ち読みしている男か。
いや待てよ、女がストーカーってこともなきにしもあらずだ。
それなら捜査範囲はさらに広がって俺の手には負えない。
俺はドラマで見かける、尾行捜査中の刑事の気分になっていた。
ちょっとそこのコンビニであんパンと牛乳買ってこようかな、なんて変に勢いづいていると、
「わっ! 一色君。何してるの、もしかしてストーカー!?」
横からさくらさんが突然おどかしてきた。
「いっいやーなんのこと。ちっ違うよ」
とっさのことで声が裏返り、どもった。
ばかこれじゃ余計リアルだろ。
「冗談で言ったんだけど……何その反応……。まさか本当にそうなの。前科あるし」
「いや俺はムショに入ったことはない」
と、とりつくろい任務に戻る。
「誰誰――?」
さくらさんが俺の目線の先の人物を捉えた。
またあらぬ誤解を生んでしまう。
「えっ、真夏ちゃん!?」
オーマイゴッド。
今日は神様は出張中か?
さくらさんの目が潤んできた。
絶対考え付く限り最悪の想像をしている。
ここで逃げられたら今度は取り返しがつかない。
ところが、さくらさんは少しさびしそうに佇むだけだった。
よし。今が弁解のチャンス。
「鈴鹿がストーカーの被害に遭ってるって相談されて、それで見張ってただけだよ」
これでもかとばかりに身振り手振りで事情を説明した。
「そういうことだったの……。それで真夏ちゃん最近元気なかったのかなー?」
なんとか俺の弁解が伝わったようだった。
ほっとしてあらためてさくらさんの服装を見ると、なぜかワイシャツにカーディガンを羽織っていた。
「ねえ、その格好、暑くないの? まあ俺も寒がりの方だけど……。」
「別に……今日はなんだか低体温っぽくって……。そんなことより真夏ちゃんを助けてあげて」
「そうだな」
そのとき俺はグッドアイディアを思いついた。
難しい言葉でいえば天啓というやつだろう。
でもそれを実行するのはまだ早い。
しばらく鈴鹿の後姿を二人で見守る。
が、何も起こらない。
途中でさくらさんとお別れになる。
「じゃあ、ここまでで……」
「うん。気をつけて……」
と複雑そう。
さくらさんの姿が見えなくなったのを確認し、俺は鈴鹿のもとへ駈け出した。
「どうしたの。何かあったの?」
「いや彼氏の振りをしたらどうかと思って。もしストーカーが見ていたら、それであきらめるかもしれないから」
天啓を説明する。
「一色君にしては頭を働かせたわね」
珍しく誉められた。
ちょびっと嬉しい。
それこそ女王様に誉められた下僕だ。
俺には自分でも知らない下僕体質があるのだろうか。
二人で肩を並べ歩いていく。
人通りもまだらな閑静な住宅街だ。
カツカツ。足音だけがコンクリートに響く。
そのとき、目の前からヘッドライトの明かりが、急スピードで近づいてきた。
眩しさで視界が白くぼやける。
危ない。
条件反射で俺は体ごと鈴鹿を壁側に押す。
自動車がスピードを出して俺達の脇を通り抜けた。
暗くてこっちに気付いていないのか。
俺が車道側にいたのは不幸中の幸いというべきだった。
「あっありがとう」
恥ずかしそうに鈴鹿は下を向き、髪を手ですいていた。
「ぼうっとしてるなよ」
その後、俺は頃合いを見て、ストーカーに聞こえるようわざとらしく、
「なあ真夏―。俺達付き合って、どのくらいになるのかなー。」
と大きな声で語りかけてみた。
普段真夏なんて呼ばないから照れる。
横を見ると暗がりで分かりにくいが、鈴鹿も頬を赤らめているように見えた。
俺も赤くなっていないだろうか。
「そっそうね。もう、三ヶ月くらいに、なるのかしら」
人のことはいえないが、棒読み女優とはまさにこのことだ。
俺は次のセリフを探す。だがなかなか出て来ない。すると、
「ねっねえ……腕くらいならいいわよ。」
と鈴鹿がささやいた。
「えっ!?」
「ほらもっと近づかないと彼氏に見えないから……」
「そっそうだな」
当惑しながらぎこちなく腕を組んだ。
やりすぎかたも思ったが、まあこんなことでストーカーが諦めてくれるなら安いもんだろう。
「へっ変なところ触らないでよ……」
自慢じゃないが、そんな余裕は無い。
お芝居だと知っていながら、柄にもなくドキドキしてしまった。
普段茶室で会う時とは違い、密着するとすごく小柄に感じた。
そのとき、後ろからこちらに近づく足音が聞こえた。
だんだん音が大きくなる。
「誰だ!」
と叫ぶと、暗闇からうちの高校の制服を来た男が飛び出してきた。
鈴鹿を守るためとっさに身を呈しかばう。
その時何かやわらかい部分に触ってしまったような気がした。
「なんだよ、なんだよ」
男は訳の分からないことを繰り返し、鈴鹿に近づこうとした。
「彼氏がいたのか……」
俺はとっさに男につかみかかった。
無我夢中で、自分らしくもない行動力だった。
男は「止めてくれ」と抵抗した。
もみくちゃになっているうちに相手の校章がぽろっと落ちた。
「くっそー。打つ手なしだー」
そう言って男は再び暗闇に消えて行った。
「大丈夫か?」
校章を拾いながら、鈴鹿に声をかけると肩が震えていた。
少しおびえているようだった。
電柱のかすかな明りの下、彼女が落ち着くまで待つことにした。
「うちの制服着てたな……」
「……」
「ったく、日が長くなっているとはいえ、お前、いつも遅くまで稽古しすぎなんだよ。これからもし遅くまでやるなら美南先輩とか俺がいる時にしろよ。まあ、なんだ、これからはできるだけ茶室に来るようにするから……」
俺は人差し指で頬を掻きながら言った。
「ありがとう」
小さな声だったが俺にはよく聞き取れた。
「どうせ暇だしな」
感謝され慣れていない俺は、斜め下を向きぶっきらぼうに答えた。
あくる日。
俺は下駄箱を開けた。
期待していなかったといえば嘘になる。
しかし案の定そこには自分の靴しかなく、少しがっかりした。
昨日のあれはなんだったのだろう。
俺にも気持ちを伝えたいがうまく伝えられない子がいるのだろうか。
そう思っているとサッカー部の朝連を終えた北斗先輩に遭遇した。そうだ先輩に相談してみよう。
たくさんチョコもらってそうだし。
話しかけようとすると、
「おー。久しぶり一色君。食べたか?」
「えっ!? どういうことですか?」
「だから、昨日下駄箱にチョコ入れといただろ。あれ今年のバレンタインにもらったやつなんだけど、ロッカーの奥に何個か残ってたの見つけて、それで一色君、喜ぶかなと思って入れといたんだ。チョコって確か賞味期限なかったよな。」
「いやありますよ。っていうか、じゃあ貰ってから四カ月も放置されてたんですか。俺食べちゃいましたよ」
「大丈夫。大丈夫。俺も食べたから」
真相は北斗先輩の優しさ、冗談、いや、悪ふざけといういたって単純な結末だった。
とにかく俺の方の問題はあっけなく解決された。
放課後。
茶室に向かう道すがら、例の天啓が再び舞い降りてきた。
そういうことか!
隣の理科室にズカズカと入っていく。
「なんだ? 部外者が」
部員の声を無視して入ると、奥の方に予想通り、校章のボタンの取れた制服を着ている男がいた。
「お前、その校章どうした?」
「いや、あの。その」
「帰りの時間が分かるなんて隣の理科室でやっている囲碁部と、せいぜい料理部くらいだ。灯台もと暗し。理科室の扉は開けっぱなしだから、鈴鹿が帰るのを見つけて、付いてきてたんだな」
俺の大声を聞いて、美南先輩、鈴鹿、そして家庭科室からさくらさんが飛び出てきた。
「怖い思いをさせてごめん。俺も家が一緒の方向だから……迷惑かけるつもりはなかったんだ。ただ気になって……」
と男がぼそぼそとつぶやく。
「別に大ごとにするつもりはねえよ。まあこれに懲りて、今後はほうっておいてくれよ。」
俺は一息入れて、
「真夏は俺の彼女だから」
と言った。
鈴鹿は頬を赤く染め恥ずかしそうにうつむいていた。
こっちだって恥ずかしいよこんな台詞。
「それにこいつはやめといた方がいい。一見おしとやかにみえるが、猫の皮を被った妖怪陰険雪女だ。俺はそのうち殺されるんじゃないかと思っている」
囲碁部員が真底おびえた表情をした。
「生身の人間なんて大変だぜ。俺はこれで息抜きしてる」
一冊の本をカバンから出し勧める。
『ミッドナイト スクール ガール2』
「なあリアルの女なんてクズだぜ。二次元最高。最後のシーンのモモルンのかわいいこといじらしいこと、読んでみてくれ」
「なんで、好一君、それ、まだ、持ってるの……?」
背後からロボットのような低い機械的な声が聞こえた。
助詞を使わない単語だけの言葉の羅列は不気味だった。
見ると、さくらさんがうるうると目に涙を溜めている。
「いや、あの……俺は一度読みかけた本は最後まで読まないと気が済まないというか。せっかく買ったからお金がもったいないというか……」
「しかもそれ第二巻じゃない。しっかり味しめて、どっぷりはまってるんじゃないの?」
鈴鹿が目ざとく題名を指さした。
「それは、完結まで読まないと作者に失礼というか。続きが気になるというか……」
鈴鹿が眉根に皺を寄せ、頬をこわばらせた。
助けたにもかかわらず、俺はまたしても二人を敵にまわしてしまったようだ。
「それで一色君、真夏ちゃんが彼女って本当なの? いつのまに。お祝いしないとね。知らなかったわ。うふふ。」
美南先輩がにっこりとからかってきた。
「いや、もちろんウソウソ。方便ですよ」
当の鈴鹿はやれやれといった風に嘆息しながら、
「でも、今回の件は一色君にはお世話になったわね。だけどあなた彼氏の振りして、その、私の……胸を触ったでしょう?」
と胸を押さえた。
「いや、それはお前を助けるために……」
「人の弱みにつけこむなんて、やっぱりあなたは最低。陰湿好色野郎」まるで無意識にでも人を殺めることができそうな眼力だった。
「真夏ちゃんそのくらいにしたら」
美南先輩がフォローしてくれるものの、俺は今、海辺を夕日に向かって泣きながら走りたかった。
ちなみにこれは後日人づてに聞いた話だが、例の彼はこの日以降エロ小説から始まり、マンガ、アニメ、官能小説とディープな方に興味がわき、三次元は対象からはずれたようだ。
囲碁部も辞め、今は自分で二次元マンガ研究会を立ちあげ同士を募っているらしい。