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茶道部の冷徹な彼女  作者: re
3/11

第三話

  とある放課後。

  今日はまだ五月だというのに、真後ろで太陽が覗きこんでいるような季節外れの暑さだった。

  一週間に一度ぐらい顔を出せば義理も果たせるだろう。

  そのくらいの気持ちで茶室に向かった。

  暑くてのどが渇いたというのも理由の一つである。

  鈴鹿は今日も茶室いるのだろうか? 

  時々廊下ですれ違うがてんで俺のことなんか知らぬ存ぜぬだもんな。

  あの氷山のような近寄りがたい態度じゃ友達なんてできないぞ。

  実際いつも一人でいるようだし。

  さすがに二カ月近く経ち、ずっと一人ぼっちってこともないだろうが……。

  俺は自分のことは棚に上げて余計な心配をしていた。

  ……何? 自分の心配をしろと? 

  いいんだよ。俺は好きで孤独を選んだんだ。

  

  茶室に到着すると、玄関脇にビニール傘が立てかけてあった。

  こんないい天気なのに傘? 

  予報ではこれから降るのだろうか? 

  日差しが厳しいから日傘だったらせるのだが……。

  疑問を持ちつつ部屋に入った。

  稽古中の鈴鹿がきりりと、冷ややかな視線を送ってきた。

「そっそうか、挨拶だよな……」

  こんにちはと一礼した。

「わっ、久しぶり。好一君全然部活来ないんだもん」

  さくらさんが目を細め近寄ってきた。

  今日は髪型を低めのツインテールにしていた。

「ああ、さくらさん。今日は料理部はいいの?」

「うん。部長が用事ある日は休みなの」

「そっか」

「ねえ、見て見て。さくらは新しくこれを買ったんだよ。茶道具」

  と、桃色の小物入れみたいなものを見せつけてきた。

「茶道具……?」

  聞き返すと、何か奥でゴトゴト物音がする。

  見ると美南先輩が四つん這いになり、押し入れに頭をつっこんでいた。

  ひらりと揺れる制服のスカートの下から、陶器のようになめらかなおみ足が覗く。

  普段日が当らないからだろうか、驚くほど生白い太ももの裏側。

  その先に……下着が見えそう。

  おもわず目線を天井に反らした。

  

「えーと……。美南先輩。どうも、ご無沙汰してます」

「久しぶりね、一色君。ごめんね、ちょっと待ってね」

  そう言って先輩は、いくつかの道具を取り出し畳に並べた。

「実は、道具をそろそろ買ってもらわないといけないんだけど……」

「えっ。あっそうか、そうですよね。でも茶道の道具って高いんじゃないんですか?」

「そんなことないわよ。最初は袱紗ふくさと袱紗包み(ふくさづつみ)と扇子と菓子切りと懐紙かいしぐらいでいいわ。学割で今なら総額五〇〇〇円よ」

  俺には適正価格がいくらか分からなかった。

  まあ何十万も弁償するよか安上がりか……。

「わかりました。払います」

  これで新作のゲームはしばらく無理だな。

「ねえ。この袱紗は何に使うか知ってる?」

「えーとこの前の稽古のとき使ってた……。確かこれで道具を拭いてましたよね」

「ええ。でも茶道では拭く、ではなくて、清めるという言葉を使いましょうね」

  そういえばこの前鈴鹿も、畳を清めるって言っていたな。

「これは絹素材の高級なものだから特に大事にしてね。それでこの袱紗を入れるのが袱紗包み。扇子は挨拶のときに膝の前に置くくらいね。開くこともないし飾りみたいなものよ。で、懐紙はお菓子を食べる時なんかに使うわ」

「はー、一応覚えておきます」


  さっそく懐紙を取り出してみる。するとさくらさんが、

「じゃあさくらが昨日作ったお菓子食べて」

  と、お店で出てくるようなお菓子を「じゃーん」と言って出してくれた。

「おっありがとう。これ手作りなんてすごいな」

「でも……うまくできたか不安なんだ。好一君のお口に合うかな」

  不安そうに口を結び、上目遣いで見つめてきた。

  ……そんなに見つめられたら食べにくいんだけど。

  モグモグ。

「うん。おいしいよ。ありがと……」

「お茶どうぞ」

  稽古中だった鈴鹿が俺の前にお茶碗を出した。

  気のせいだろうか、置き方が少々荒々しいような……。

「おっおうありがとう……」


  美南先輩が飲み方を教えてくれた。

「二口半で飲むのよ。最後は飲み残しのないように音を出してすすっていいから」

  とりあえず俺は言われたとおりにやってみた。

「一色君。飲み終わったら、お茶碗を観賞するの。肘を膝につけて、もしお茶碗を落っことしても割らないように低い姿勢でね。お茶碗を拝見するっていうんだけど」

  なるほどと、骨董に造形は無いが見るだけは見てお茶碗を返却した。

「で、どうだった?」

  真っ直ぐ目の前の屏風に目を向けていた鈴鹿が訊いた。

「あっああ、おいしかったよ。結構なお手前で」

「本当? ダマがあってあんまり上手くいかなかったんだけど。私も修業が足りないわね」

「そっそんなことはないと思うけど……」

「どういたしまして」

  心無しが今日は俺に当たりがつよい。

  いや今日もと言うべしか。

  ちなみにダマとはお茶の塊のことだと後で先輩に教えてもらった。

  

  一通り稽古が終わったので、みんなで道具の片づけと、畳にコロコロをかける。

  美南先輩がゴミを片づけながら、

「せっかくさくらちゃんが入部してくれたばっかなんだけど、明日からは中間テスト期間で、部活動はしばらくお休みになっちゃうの」

  と残念そうに言った。

  そういえばもうすぐテストだ。

  そうかよし。これで早く家に帰ってゲーム活動に専念できる。

「ただしテストで赤点だと部活動が制限されるから気をつけるように。一色君。ちゃんと勉強しなさいよ」

  先輩はしっかり戒めた。

  しかし俺は真逆の事を考えていた。

  すなわち、テストで赤点をとれば部活はやらなくていいし、その時間でゲームもできるし一石二鳥じゃないかと。

  俺は受験終わってからもう勉強なんてやらないと、堅く心に決めたのだ。

  そんな胸の内を見通すかのように鈴鹿が問いかけた。

「ちょっと待って美南先輩。それは部全体で連帯責任ということになるんですか?」

「まあ一人でも赤点がいたら……先生方はその部活にいい気はしないかもね」

  鈴鹿は腕を組み何か思案していた。

  直感だがきっとよからぬことだ。

「美南先輩。部活はできなくても、この和室を開けてもらうことはできますよね?」

「ええ。職員室で鍵を借りればいいだけだから……」

「じゃあ、一色君。さくらさん。明日からここで勉強会をしましょう!」

  ……なんだと。

  残念ながら俺の直感は当たってしまった。

「いや俺は家の方が、勉強がはかどるっていうか……」

「そう言ってどうせ家でゲームするんでしょ」

  ……図星だった。

「いいじゃん勉強会。さくら勉強苦手だから真夏ちゃんに教えてもらいたい。好一君もやろう」

  さくらさんは乗り気のようだった。

「そもそも、そんなこと言ってる鈴鹿は勉強得意なのかよ?」

「ええ。特に英語ならまかせて。お父さんの仕事の都合で、小学校からずっと外国の日本人学校にいたから」

   帰国子女!? ひょっとしてお嬢様? 

  そうかそれでこいつ友達もいないし、ちょっと孤立気味だったのか。

  持って生まれたクールな性格もあるだろうが、もしかしたら文化や学校システムに戸惑うことも少なからずあったのかもしれない。

  ちょっと誤解してたかもと、自責の念と共に思い返えされた。

  

  片付けも終わり鍵を閉め部屋を出る。

  そういえば……、

「おーい、このビニール傘、今日誰か持ってきたのか?」

  何気なく尋ねた。

「あっさくらのー」

  さっと傘を取り上げ背中に隠す。

「今日って雨の予報だった?」

「ううん一応、念のためって感じかな……」

「そっか」

  見かけと違い用心深い子なのかな。

  俺は特に疑問に思うことなくそれ以上深くは詮索しなかった。

「じゃあ明日また放課後ね」

  さくさんは薄い鞄を前後に揺らし、軽やかに帰っていった。

  参ったな。

  結局俺は明日も茶室に行かなければならなくなった。


  あくる日。

  茶室に入ると鈴鹿とさくらさんが、一足先に部室に来て、勉強していた。

「ここは茶室だけではなく、昔は来賓用の応接間としても使っていたみたいね」

「そうなんだー、畳も結構古いもんね」 

  そんなおしゃべりが聞こえた。

  折り畳み式の低いテーブルを置き、座布団まで敷いてあった。

  座布団がひとつ空いているのは俺の席だろうか? 

  どうやらやる気まんまんで待ちかまえていたらしい。

  ふと見ると、さくらさんはメガネ姿だった。

「あれ、さくらさんって目が悪かったの? 勉強するときはメガネなんだ?」

「ううん。視力はいいよ。でも今日は気分で……」

「そっか。オシャレメガネってやつ?」

「そっそんな感じかなー。どうかなー?」

「えっ? まあーいいんじゃないか」

  いつもの癖でついそっけなく答えてしまった。

  バカ。そこは似合ってるねと言うところ一択だろうが。

  何、俺のくせに、すかしてるんだ。

  そんな自省を知ってか知らずか、さくらさんはメガネをはずして筆箱の隣に置いてしまった。

  俺のせいじゃないよな? 

  せっかくの貴重なメガネっ子姿だったのに……残念だ。

  

「で、どうすりゃいいんだ?」

  俺は用意された座布団に座り筆箱を取り出す。

「そうね、まあ赤点を免れるだけなら、先生が言った基本だけやっておけばいいでしょうね。ちょっと問題出すわね」

「おう」

  いきなりなので身構える。

「第一問。邪馬台国があったのはどこでしょう?」

「……」

  なんだこの問題? 

  ……あの鈴鹿がボケたのか? 

  茶道部だけに茶目っ気を出した、なんてことはないよな。

  それとも帰国子女のこいつは日本史が苦手なのだろうか? 

  その可能性は高い。

  だがもしこの流れでボケたとしたらそうとうシュールだ。

  邪馬台国は畿内説と九州説二つあるっていうのは常識だが……。

  部屋の中は、沈黙の臓器、肝臓に負けないくらい森閑としていた。

「えー邪馬台国って確かひみこだよねー。どこだろうー」

  さくらさんは人さし指を顎に当てながら、真剣に悩んでいた。

  いや、それでよく高校受かりましたね、小学生でも知ってるぞ。

  ……まあ結果的には、場が和んだからよかったけど。

  鈴鹿がゴホンと咳払いし「まあ冗談だけど……」とつぶやいた。

  自分で言っておいて恥ずかしそうにするなよ……。

  

「……じゃあここからが本当の問題。第一問。次のうち形象埴輪に含まれないものはどれでしょう?」

  さっきの照れを隠すためだろうか、やけに難易度が上がったぞ。

「A円筒埴輪、B人物埴輪、C動物埴輪、D器財埴輪……」

 聞き慣れない用語が連発される。

  こんなの授業でやっていない。

  いや、きっと先生はやってくれてはいるんだろうが、俺がまどろみで異世界に入り込んでた時に違いない。

  そもそも青春真っ只中の高校一年生が、古代の埴輪の種類を覚えて何になるんだ。

  他にもっとやらなければならないことはあるだろう。

  結論。高一(好一)にとって埴輪は必要ない。

「……E、土偶」と鈴鹿が続けた。

「おいおい四択じゃないのかよ」

「先入観ね。誰も四択なんて言った覚えはないわよ」

  そりゃそうだけど。

  こいつも大概ひねくれてるな。

  だけど大ヒントだ。

  一つだけ埴輪が入ってないんだから出題ミス。

  愚問中の愚問だ。

  

「うーんDの器財埴輪かな。かっこよさげだから」 

  さくらさんがあてずっぽう気味に答えた。

  待て待て、何その理由?彼氏を選んでるんじゃないのよ。

  一番選んじゃいけない選択肢だぞ。

「残念。さくらさん、惜しい」

 いやいや全然惜しくない。

  いくら可愛いからって、さくらさんを甘やかしすぎだぞ。

「一色君。分かる?」

  鈴鹿が訊いてきた。

「こんなの簡単だろ。Eの土偶。ファイナルアンサー」

「はあー」

  鈴鹿はわざとらしいため息をした。

「一色君。さっき先入観って言ったでしょ。あなたには学習能力ってものがないのかしら?」

「は?」

「誰が一つだけと言ったの?」

  カッチーン。

  こいつ二重の罠を仕掛けていやがった。

  こいつの天職は間違いなく詐欺師だろう。

  俺の脳細胞が沸々と沸騰する。

  もしこの場に、さくらさんがいなかったら即刻帰ってるところだ。

  だが残りは三択、ゲームで鍛えた持ち前の勘で当ててやる。

「多分あれだ……」

  と舌を動かしかけたとき、

「あれ、誰かな? ふすまを開けて……」

  さくらさんがびっくりした声をあげた。

  

  見るとそこには、髪を金色に染めあげた女性徒がいた。

耳にイヤリングをつけ、制服のスカートは短く、爪にはマニキュア。いかにも今時のJKって感じだった。

  でもこういうギャルみたいな女の子の方が、案外うぶで純情だったりするんだよな(青年漫画調べ)。

  どちらにせよ明らかに和室には合わない派手な風貌だった。

「あのー。どなたですか?」

  鈴鹿が代表して訊いてくれた。

「あなたたち一年生?」

「はい……」

「あたしは二年の鶴見千歳つるみちとせ。一応茶道部よ。っていっても幽霊部員だからね。別に先輩として気いつかわなくてもいいんだけど」

  と室内を眺めた。

「ねえ、他に誰か来なかった?」

  鈴鹿は首を横に振りながら、

「私が鍵を開けて最初に来たので……」

「そう。ならいいわ。また今度ね」

  そう言うと鶴見先輩は手を振って、あっさりと立ち去ってしまった。

  さくらさんがふすまを閉めながら、

「意外って言っちゃ悪いけど、茶道部にもああいう人がいたんだね」

「誰かを探してるみたいだったけど、美南先輩かしら?」

「うーん」

  考えても詮方ないので、とりあえず俺達は勉強に戻った。

  

「あっ、そういえば……。一色君」

  そうつぶやいた鈴鹿が、俺の前に手のひらを差し出してきた。

「なんだ、手相か? どれどれお前の結婚線は……」

「えっ一色君、手相見れるの?」

  さくらさんが興味ありげに訊いた。

「まあ一通りな。手相っていうのは古来から脳の皺の一部がはみ出たものって言われていてだな……」

「ばか、なに講釈を垂れているのよ。違うわよ。部費よ、部費。今月分の部費早く払ってくださるかしら」

「はっ? 待ってくれ。聞いてねえよ。そもそも何でお前に払うんだ。普通部長だろ?」

「あら、この部活の会計は私よ。部長にばかり仕事を押し付けるわけにはいかないし」

「たった二ヶ月で会計? すごい出世だな。お前は世が世なら千載青史に載るような女大名に成りあがったことだろうな」

「まどろっこしい言い方して誤魔化そうとしてもダメよ。学校の部活なんだから部費があるのは当然でしょう?」

「それはそうだけど……だけど俺が入ったのは五月の途中からだ。半額に負けてはもらえないか?」

「あなたは先生の稽古にも出席してお菓子も食べたんでしょ。ちゃんと今月分全部払ってもらいます。もちろん、さくらさんは来月分からで大丈夫よ」

  女尊男卑だ。

  不公平だ。

  ブーブー。

「うるさいわね、反論はなしよ。一カ月二〇〇〇円ね」

  いや俺今声出してなかったよな。

  思わず口を抑えた。

「お金はいろいろとかかるのよ。もちろん学校から補助も出るけど、先生のお稽古代やお茶代、お菓子代、消耗品、これでも安いくらいよ。先生はこの学校のOGとして、特別に来てくださってるのよ。本当ならなかなか稽古してもらえないくらい有名な先生なんだから」

  鈴鹿は心なしか上気した顔で言った。

「さくらも料理部でお菓子作ったら出来るだけ持ってくるよ。そうすれば節約できるでしょ」

  さくらさんの空気を読むような、そのもの柔らかい口調に俺は癒され、勉強に戻ることにした。

  

  その後はなんだかんだいいながら真面目に勉強をやった。

  俺とさくらさんで両側から鈴鹿を囲み、解らない箇所を教えてもらった。

「なあこの英文なんだが……」

  苦手な英語を質問する。

「これは有名な英語のことわざね。It is no use crying over spilt milk」

 さすが帰国子女だけあって流暢な発音だった。

「うん。この構文は……だからここには主語と述語の関係が小さく存在していて……」

  鈴鹿が目にかかった前髪を掻き上げる。

  その拍子に、肩にかかっていた長い髪の毛がさらっと俺の肘に触れた。

  それだけなのになぜかこそばゆい気がした。

「一色君、変なこと考えてないで、ちゃんとノート見て」

「はい。すみません」

  ……別に考えてないもん。

「直訳だと、こぼれたミルクを嘆いても無駄」

「ああ、日本語だと覆水盆に返らずってやつだな。へー、英語だとミルクになるんだ」

「そうね」

「でも、ミルクくらいこぼしても拭けばいいんじゃないか。もし容器ごと落として割ったりなんかしたら、えらいことだけど」

「変なところを追求するのね。そういうひねくれた性格なのかしら?

それとも何かそういう経験したことあるの?」

鈴鹿が鋭い質問をしてきた。

まさかカマかけてるんじゃないよな?

  あの件に関しては美南先輩と、墓場まで持っていくという条約を締結したはず。

「いや、そういうわけじゃ……。それより次だ。無駄話は終わり」

「はい。はい」

  悔しいが、論理的でツボを要領よく押さえた説明は、非常に解りやすかった。

  

  一区切りつきちょいと伸びをする。

「そうね。二人ともそろそろ休憩しましょうか。今お茶を入れるわ」

「でも部活は禁止されてるんじゃなかったか?」

「ポットでお湯を沸かして飲むくらいはいいんじゃないかしら。一色君て、意外に細かいところ気にするのね」

「別に……そんなんじゃ」

「きゃっ」

  さくらさんが再び悲鳴をあげた。

  待っていてください、すぐに救い出して差し上げます。

  眠っていた騎士道魂が呼び起こされた。

  見ると、今度は男子生徒がふすまから顔をのぞかせている。

  また知らない顔だった。

  

「久しぶりに来たなー」

  このジャージの色は二年生か……。

  髪の毛が長く、どこぞのアイドルといってもおかしくない好男子。体格もよく浅黒い顔。

  どっかの運動部だろうか? 

  男の俺でも惚れそうな色気もある。

  細目の眉は少し下がっているが、目はぱっちりとしており……。

  しばらく凝視していると誰かに似ているなと感じた。

  誰だっけ? 

  それにしても今日は意外な訪問者が多いもんだな。

  どちらにせよここはあなたには似つかわしくないですよ。

  青空の下、ボールを追いかけるのが似合ってますよ。

「誰かをお探しですか?」

  と鈴鹿が問うが、そのとき、

「なんだ珍しい。北斗じゃない」

  廊下から美南先輩の声がした。

「あっ姉ちゃん。ちょうどよかった」

  姉ちゃん!? 

  そうか。この人は美南先輩に似ていたのか。

  

「みんな。紹介するね。弟の北斗ほくと。私の一個下の二年生。サッカー部なんだけど、茶道部も兼部してもらっているの」

「俺、本当はやりたくないんだけど、姉ちゃんが……」

  弟さんは恨めしそうに横を見た。

「北斗―」

  美南先輩の眼がぎらりと光る。

  いつもは太陽のように暖かな先輩なのに、弟に対しては厳しいみたいだ。

「俺、今日は部活休みで、軽くグランドで自主練したらそのまま帰えろうと思ったんけど、たまには茶道部にも顔出すべって思い直して」

  帰えろう!? べ!? 

  ……どこの地方の方言だ?

「ばかね、こっちもテスト休みに決まってるじゃない」

「でも姉ちゃんは用があってもなくても、茶室にいるんじゃないかと思ってさ」

  なんだかんだで仲はいいみたいだ。

「そうだ。千歳はいないのか。二年生は今他にあいつだけだろ?」

「あっ、その人ならさっき顔を見せたんですけど、どっかいっちゃいましたよ」

  さくらさんが答えた。

  北斗先輩は「そっか」とあっさり言って、

「じゃあ俺帰るわ。こんなに新入部員が入ったんなら、俺はもう辞めても大丈夫そう……」

  美南先輩の眼がまたギラリとした。

「ウソウソ」

  この北斗先輩も無理やりやらされている口か。

  気が合いますね。

  やっぱ男はこんなところにいるべきではないよな。

  先輩は青空の下、俺はゲームの前。

  生物にはおのずから生息地というものがあって、それを外れるとロクなことにならない。

  空、砂漠、サバンナ、海、川、各々自分に得意なフィールドがあってだな……。

  

「……しきくん。一色君」

  誰かが呼びかけている。

「何ぼけーと突っ立てるのよ」

  鈴鹿の声だった。

「いや、俺は今新たな思想を生み出そうとしてだな……よくもカント、ヘーゲルに続く大哲学者の誕生を邪魔してくれたな」

「なに寝ぼけてるの。もう勉強会はお開きにして帰るのよ」

  と、鈴鹿は荷物を鞄に仕舞っていた。

  ノートや教科書で鞄はパンパンだった。

  どうやら俺が自分の世界に入り込んでいるうちに、猪ノ熊兄弟は帰って行ってしまったようだ。

  北斗先輩か……、爽やかだったな。

「まあだけど、今日はいい勉強になったよ。これでテストもばっちり……」

「もちろん明日も勉強会よ!」鈴鹿はしっかり釘をさした。

「……はい」


途中まで返り路が一緒ということなので、三人そろって校舎を出た。もう西日が沈む時間だった。

  しばらくして学校近くの公園を通った。

  ここは桜の名所として有名だ。

  池を囲んで周囲には合計四〇〇本の桜が立っている。

  なんでも昭和の初めに著名な林学博士が設計したらしい。

  亀の形にちなんで名づけられたという亀池を囲んで歩道がある。

  一周するのに七,八分だろうか。

  この学校の生徒は近道の通学路として大勢利用しており、俺達もご多分に漏れない。

  今は花もとっくに散り、緑の葉が枝を覆い池に映えていた。

  

「ねえ、一色君。さくらって好き?」

  突如、さくらさんが首を捻って俺に尋ねた。

  一瞬胸が高鳴ったものの、すぐ勘違いに気付いたので、

「さくら……か。さくらはいいよな。ある作家は、はかなさを形にしたものなんて描写してたけど、単純に見てて美しいよな」

「うん。さくらも春には絶対お花見するの。だって、みんなが桜きれい桜きれいって言うから。なんか自分のこと言われているみたいでうれしくて」

「ふふ。さくらさんて面白いわね」

  鈴鹿が珍しく表情を緩めた。

「そういえば……鈴鹿もそんな気持ちになることってあるのか?」

「ええ多少はね……。私は真夏だから、夏は熱くて嫌だなって聞こえてくると、私のことじゃないって頭ではわかっていても、ちょっと引っかかるのよね……」

「お前は真夏というより、極寒の真冬って感じ……」

「何か言ったかしら」

  と、例の冷酷無情な炯眼を向けてきた。

  それだよそれ。

「さくらは真夏、好きだよ。海に山にプール、花火にお祭り、楽しいことだらけだもん」

「俺も……真夏は一番好きだな。なんてったって夏休みがあるから」

「「真夏サイコー」」

  と、二人でからかった。

  鈴鹿はこういうことに慣れていないようで、「もう」と言ったまま、頬を薄く染めて歩を進めた。

  

  公園の真ん中あたりで「じゃあこっちだから」と、さくらさんとは別れた。

  「また明日」と、全身で飛び跳ねながら両手を振っている。

  俺と鈴鹿はまだ同じ方向なので、自然とそのまま肩を並べ歩いていった。

「さくらさんってかわいいわね」

  鈴鹿がつぶやいた。

「……それはどっちの?」

「決まってるじゃない……」

 そう言ったものの鈴鹿は語尾まではっきり言わなかった。

「……鈴鹿の家はもう近くなのか?」

「ええこの公園を抜けて少し登った所よ」

「いい場所だな。自然がたくさんあって。景色もいいだろう?」

「ええ。どうせ引っ越してくるなら見晴らしがよくて自然があるところがいいと思って。お父さんは海外だけど、今はマンションでお母さんと妹と三人暮らしなの」

「そっか」

  目線を下げると歩道脇の花壇で蝶が二羽飛んでいた。

  交差しながらくっついては離れてを繰り返す。

  そのうち離れてどこかへ舞っていった。

  

  俺達は珍しく会話が弾んだので、このまま別れるのも惜しいように、どちらからともなく公園のブランコに腰掛けた。

  影が長く後ろに伸びていた。

「私が外国の日本人学校にいるとき、日本の文化を紹介するという催しで来てくれたのが、あの茶道の旭先生よ」

 鈴鹿はブランコを揺らしながら話し出した。

「旭先生!?」

  ああ、あの美人の先生は旭先生というのか。

「私はそれまで外国にいたせいもあって、日本的なことには接点もなかったし興味もなかった。どちらかといえば古臭いとさえ思っていたわ。でも先生の点前を見て、私もあんな美しいたち振る舞いがしたい、きれいなお点前がしたいと思った。それからお茶に関する本を読んだり、動画を調べたりして日々を過ごしてたんだけど……。それでちょうど私の高校入学のタイミングに、いい機会だからって日本に帰って来たの。調べたら旭先生はこの学校のOGで、茶道部に半分ボランティアみたいに稽古しに来てくれてるって知って……」

  鈴鹿は小さな女の子が、アニメの美少女魔法使いにあこがれるような、そんな一途で無垢な表情で茶道のことを語った。

  外国暮らしが長い彼女にとって茶道は、日本を感じられるものとして新鮮に映ったのかもしれない。

  それはアイデンティティーが確立しずらい環境にあったことを意味しているのだろうか? 

ずっと日本で暮らしている俺にはその辺イマイチよくわからない。

  しかし、心の支柱として何かを崇めたいという気持ちならば理解できた。

「そうか、それで茶道を……」

「うん……だから私は茶道部を絶対に廃部にするわけにはいかないの。世界中の人に茶道を知ってもらって幸せになって欲しい。それが夢。その一歩なのよ」

  鈴鹿はブランコを思いっきり漕ぎ、夕日に向かって飛んでいった。

  

俺達はまた歩き出す。池のふちに鯉やなまず、亀が集まっていた。

水鳥の群れも仲良さそうに優雅に泳ぎ、遠くには白鷺の姿も見えた。桜の枝が池の表面近くまで垂れ下がっている。 

風に舞った葉が一枚二枚とそっと水面に落ちた。

「ねえ見て。あそこの神社にお参りしない?」

「神社?」

  指さしたところを見た。

「ああ、あの浮島の鳥居のことか?」

  池の端にあるくすんだ石燈籠の脇を通り、朱に塗られた弁天橋を渡る。

  そこに四方十メートルばかりの浮島があり、御神木の八重桜の陰には、弁財天を祀る鳥居が建つ。

  二人並んでお参りをした。

  俺が目を開けると、鈴鹿はまだ熱心に手を合わせていた。

「何を祈ったんだ?」

「秘密」

  いたずらっぽい嫣然たる表情だった。

  普段は冷淡だと思っていたけど、こんな明るい表情も持っていたのか……。

「ほら行くぞ」

  俺は先に陸地に戻った。

「大好きな茶道部がずっとありますように」

  鈴鹿は桟橋に手を掛け、紅に染まった湖に向かってつぶやいていた。

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