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寝よう。
と目を閉じても、先ほどのジェイのしたり顔が浮かんで眠れない。
もう、何度同じことを繰り返しただろうか。
ため息をついては、寝返りをうつ。
起き上がってはカーテンを少し開け、夜の匂いを吸い込む。
空気の澄んだ夜の匂いは、好きな方だ。
緑の季節、雨の季節、花の季節…
それぞれに違う匂い。移り変わって、日々の流れを再認識させてくれる。
「はぁ…」
ベッドの上で膝を抱えて座り、サラリ、と落ちる髪を耳にかける。
3カ月前に出来上がったパッチワークのベッドカバー。
縫い目をそっと撫でながら、ルルーは、母親を思い出す。
母は、料理、お菓子作り、掃除に、裁縫までそつなく粉した。
毎日母の後について母のやる事を見て覚えていったように思う。
おしゃべりではなかったが、無口でもない。
ルルーへ、何かを強制した事はなかったが、隣に並び、学びたがればそっと要点を説明してくれた。
「お母さんはね、パッチワークが大好きなの。一度は要らなくなった端切れも、集めれば、こんな素敵な一枚の布になる。世の中無駄な物はないの。」
そう言う母の笑顔は、美しかった。
ルルーの記憶には、キッチンに立つ母の姿、抱きしめてくれた温もり、美しい笑顔、はっきりと残っていた。
それは、寒い日だったように思う。
いや、いつもよりも冷え込んだ夜だった。
隣に寝ている筈の母の温もりを感じなかったからなのか、目を覚ますと、やはり、そこに母の姿はなかった。
キッチンに気配を感じ、ダイニングに続く3段のステップに来た所で、珍しく感情的になった母の声に足を止めた。
「な…すっ…!そんな…がない…い!」
詳しく…聞こえない。
少しでも聞き取ろうと、2段目に腰を下ろし、息を潜める。
「…ダメ!間に合わないじゃない。次はまだ先だったはず!…いや、娘は、一人にしないわ!!」
初めて聞く動揺を含ませた母の声に、激しく不安を抱く。
「…今朝、詰所に帰ってきた歩哨が2匹仕留めてきた。ビックウルフだ…。」
こちらも、初めて聞く声だ。
中年の、落ち着いた男性の声。
「!?…それじゃあ、本集団が出てくるまで半月ないわ。今回は北なんでしょ?北東の詰所に、ゾイの隊が詰めてる筈!呼んで!早く、呼んでよ!」
「今回は団長は、出征できない。前回から時間があいてないからな。…業が濃過ぎる。」
「…それでも………!」
「……エミリア!」
引く声が、厳しく母を制す。
「…ごめんなさい。ワタシ…ワタシ。動揺して…。ねえ、ゲラン、誰か、予兆は掴んでたの?」
「いや、皆、動揺しているそうだ。早すぎる。……とにかく、2年前の帰還組に先発して貰う事になった。…君もだ。すまない…。」
何を話しているのか、詳細は、分からなかった。
ただ、自分にいる筈の父に会えない事、母が時々、苦しそうに自分を見る事、…自分に見せない手紙がある事…
これら全てに、共通しているんだろう、と思った。
「時間も、人手も何もかも足りない。…寺院と王宮は、最悪、テハータキ町を潰す気だ。…住民避難の時間は、ない。」
「!!」
「…エミリア、出征は、明日の日没…昼前には家を出た方が良い。それと、ゾ…団長は、帰省命令が出た。明日の夜には家に着くだろう。」
…冷たい。
ルルーは、冷えた足先を何度も重ね直し、両手を擦り合わせた。
今日は、寒いな。
バタン。
ゲランと呼ばれた男が出て行ってから、エミリアは、しばらく泣いたまま動かなかった。
ルルーは、湯気の上がるマグカップを見つめていた。
何を考えようか、何と声を掛けようか。
真実は遠い。
知りたいか、といえば、知りたくないと思う。
父が存命である事すら、ルルーは知らなかった。
「…ママ?」
体が冷え切り、歯がカチカチと言い始めた頃、ルルーは思い切って声を掛けた。
ビクリッと、音がしそうな程体を震わせて、エミリアは顔を上げた。
「ルルー!あなた、いつから!?」
冷え切った愛娘の体を抱きしめて、全て聞かれた事を察したようだった。
「ママ、…ママはね、お仕事で、明日から居なくなるわ。…でも大丈夫。パパ、貴方のとう様が、帰ってくるの。」
夢だと願った。
夢であって欲しい。
途中から母の言葉は聞こえず、虚ろなルルーの瞳には、机の上に置かれた、湯気の出ない冷えたマグカップと、黒い封筒だけが写っていた。