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「少し落ち着こう。…お前の事は、ずっと前から知っていた。話題だったからな。凄い美人が姫の侍女についた、と。」
噴水の縁に腰下ろし、ふぅ、とひと息ついた。
「…興味はなかったが。特殊兵団は、モンスター殲滅の為の集団だ。寺院管轄ではあるが、存在自体が自立しているんだ。諸事情で王宮に詰めているが、本来なら別であるべきなんだ。」
「…習った。」
両膝に顔を埋めたまま、不機嫌な返事を投げてくる。
「ん?ああ、そうだな。」
同じ講義を、訓練生にしている事を思い出す。
「お前が、週に何度か、訓練所を覗いている事は、知っていた。」
「えっ!?」
1人、訓練をしていると、窓に影が映る事があった。
月明かりにキラキラと、ブロンドが光って、思わず手を止める程、美しかった。
彼女が来る日は、何故か心強く感じ、訓練にも力が入ったんだ。
水音が、心地よい。夏が近い。
それでも、夜出歩くには肌寒く感じる。
日中に起きたイベントの熱を、クールダウンするのには、ちょうどいい。
ゾイは、少し考えながら、言葉を紡ぐ。
元々、口が上手い訳ではない。
この女性に、伝わるだろうか。
「俺には、執着する生はない。天涯孤独だ。…だから、がむしゃらに戦って、間違えて、それで死んでも構わないんだ。」
「…。」
彼女からの返事はない。相槌もない。
ゾイは、思った。
聞いていても、いなくても、構わない。
しかし何故か、話したい、と思った。
「10歳より前の記憶はない。親がいた事はない。前の団長に拾われ、ここで育った。死ねないから生きた。」
「…俺は、これまでも、これからも、最強にはなれない。」
「俺には、守るべきものがない。しがみ付いてまで生きる理由がない。俺は、俺が何者なのか、それすら分からない。」
「俺を拾って育てた男は、強かった。超えられないと思った。そいつは、良く言っていたよ。…守るものがあれば、強くなれる、と。」
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沈黙。
顔を上げない彼女は、少し肩を震わせているように見えた。
自分の外套を、思っていたよりもずっと華奢な肩に掛け、立ち上がった。
何故、こんな自分の事を話す?
口を閉じた後、ゾイは自問した。
分からない…
ただ、訓練所の窓から見えたブロンドが、…手の届かない筈だったそれが、今、こうしてここにいる。
浮かれているのか、俺は。
そっと、エミリアの髪に触れようと手を伸ばし、触れられず拳を作る。
「貴方のことを、知っていた。」
ゾイの苦悩を知ってか知らずか、エミリアは、膝に顔を埋めたままで話始めた。
「14歳、私は、姫の侍女として、宮殿に召されていた。」
「やはり、貴族階級か…。」
「貴族なんて名ばかりだ。母の連れ子として貴族の家に入ったが、実際は厄介者だ。侍女に決まった時、母は泣いて喜んだ。名誉を残して家から厄介払い出来たのだから。」
「ヒラヒラの服を着て、歳下の主人に使えて…半年が過ぎた頃。私に結婚の話がきた。どこで会ったかも知らない王族の1人だと。」
彼は、どんな顔をして聞いているだろうか。
顔を埋めているが、横にハッキリと、気配を感じ安心する。
聞いているのかいないのかは、分からない。しかし、聞いている、必ず聞いている、そう思った。
一緒に居て、一緒に自分の過去に向き合う。
お互いに大切な者になるきっかけが欲しかったのかも知れない。
ゾイにとっても、エミリアにとっても、縁のあるこの場所で。
「結婚なんて…冗談じゃない!自分の人生を選ぶ事も出来ず、好きでもない男に、求められるまま生きて行くならば…例え、早死にしても、望んだ男性と生きたい!」
本来ならば、美しくしなやかな手指だったのだろう。
それほど大きくはない手に、沢山のタコを作っている。
痛々しいその傷、一つ一つに、彼女の想いが刻まれているようだ。
この手を、取っていいのだろうか。
長くはないであろう人生を、彼女と歩いて、良いのだろうか。
しかし、ここで拒絶すれば、彼女は普通の女性として、生きていけるかも知れない…
「兵団に入りたい、いずれは、特殊兵団に。と宣言してからは、親子の縁も切れた。友人も去った。…でも、不思議と生きていると感じたんだ。…やっと、手が届いた。」
貴方に…と言いかけて、エミリアは言葉を飲み込んだ。
手を伸ばせば届く距離にいるその人は、俯いたまま拳を握っている。
侍女であった頃、辛い事がある度に、兵団の訓練所を覗いた。
そこには、必ずゾイが居た。
いつも俯いているが、剣を握り締めるときは、歯を食いしばり前を向く。
相手の急所を突く時は、ほんの瞬間、苦しそうに目を細める。
「貴方は、いつも俯いているな。剣を握っていない時は、拳を握っている。大丈夫、貴方は、強い。守るものがないと、引け目に思うならば…私を守るために、生きてくれないか?」
誰よりも努力して、誰よりも強くなって尚、誰よりも戦いを嫌う。
そんな優しい貴方を見ている事が、一番好きな時間だった。
目の前に、不可侵の手が差し出される。
その先には、キラキラとブロンドが光る。
「フッ…。」
月明かりに光るそれが美しく、ゾイは目を細めた。
もう、ずっとずっと昔から、俺は1人じゃなかったのか。
優しく、そして力いっぱいに、その手を握り締めた。