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ザワザワ…
俄に、詰所の奥にある裏庭が騒がしくなる。
「オイ、どうした?」
「ホラ、新しく来た美貌の女隊員、ゾイに決闘を申し込んだと!」
「マジかよぉ〜?下剋上だなぁ。ゾイに勝てば、事実上、帝国ナンバー3には入るってことだな。」
観客は口々に好き勝手言っている。
1番解せないのはゾイ自身だった。
何なんだ?何だ?あの女…
俺が何をした!?
女に関わるんじゃなかった!天使なんて言うんじゃなかった!チクショー!
寡黙で、無表情。
必要な時に必要なだけ発言し、目立たず、それでいて誰からも一目置かれる存在。
部隊ではそう共通認識で来たハズのゾイが、何故か今、部隊一注目の人となっている。
ゾイの顔は、青ざめていた。
負ける気はしない。
しかし、負けてやるべきか。
勝っても負けても、地獄だ。
隊員たちの嬉しそうな顔が目に浮かぶ。
くそッ!
「おい、時間だぞ。…大丈夫かゾイ。」
「…。助けてと言えば、助けてくれるか?」
縋り付く思いで、同期の隊員を見るも、彼はハハハッと笑っただけた。
「楽しんでるんだよ、みんな。お前も、楽しんでこいっ」
纏まらない思考をぶら下げたまま、ゾイは中庭への扉に放り出された。
「…待っていた。」
何とか諦めを付け、顔を上げると、木刀を2本持ち佇んでいたエミリアが緊張した面持ちでゾイに歩み寄った。
季節は春。
中庭の芝生は青く生え揃い、心地よい風が吹き抜ける。
バサッ
突然、目の前に手紙を投げられた。
「…今回は私の自己満足で…急な申し込、悪かった。私が勝った場合と、負けた場合の措置…というか決意を書いておいた。勝負の後見てくれ。」
サワサワサワ…
風が木の葉を揺らす。
真顔でこちらを見つめているエミリアを見返しながら、ゾイは考えた。
「そういうのは、勝負の前にお互いで決めておくものではないのか?納得した上での報酬を賭けた決闘が、通常ではないか?」
…
……
明らかに、これはエミリアの一方的な申し出であって、決闘の後決意を述べられても…
勝っても負けても、笑い者というとんでもない報酬を獲るのは俺な訳で。
「よし、始めよう。」
そう言うと、エミリアは片手を挙げた。
ちょっと待てぇー!
今のはー!聞こえただろぉぉぉぉ!
と、ゾイが言う間もなく、どこからかひょっこり出てきた審判が明らかにゾイに向けてウインクをした後…言い放った。
「始めっ!」
「…で、どっちが勝ったんだ?」
その日の下宿の食堂では、勝負の話しで持ちきりだった。
「クソッ!どこに行っても同じ話題だ。ゲラン、今日は外に出る。明日は非番だしな。」
ゲランと呼ばれた男は、会話に夢中になっているせいか、顔を上げないままハーイと片手を振り返してきた。
バタンッ!
ワザと大きな音で扉を閉めると、一瞬静まった食堂からワッと大きな笑い声が上がった。
「どいつもこいつも、人をネタにしやがる!」
数歩歩くと、正面に人影を捉え、ゾイは不機嫌な顔を一層歪ませた。
暗がりの中、曲がり角に隠れたり覗いたりと、もじもじ動く影。
見ているうちに、何故か、怒りがスゥーっと引く自分に気づく。
「怒ってはいない。」
「…えっ?」
人影に向かって、ゾイは諦めたように話し掛けた。
続けようとした、その時、食堂から人が出て来る気配を感じ、ゾイは、手を取ると走り出した。
「…はぁはぁはぁ…待って。」
「せっかくだから、座らない?月も、キレイだし。」
二人で走り、着いた場所は、あの忌まわしき中庭だった。
確かに、今夜は月が綺麗だ。
促され、中央にある噴水の前に腰を下ろした。
「本当に、失礼しました!曲がりなりにも、先輩の貴方に行った一連の件を、謝罪します。…しかしながら、今回の勝ちは、勝ちなので!要求を呑んで頂きたく、お願い申し上げます!!」
突然、エミリアが立ち上がりゾイの正面で深々と礼をした。
「だ、だから!怒ってはいない!…ただ。」
こういったやり取りが苦手なゾイは、頭を掻きむしり、または頭を抱えながら、ようやく言葉を絞りだす。
「あの、手紙の要求は、呑めん!報酬にお互い納得した上で戦うならば良いが、お前は、完全に後出しだ!」
顔を真っ赤にして、ゾイは抵抗する。
ゆらり…と、エミリアが半身を起こすと、完全に目が座って怒りの形相だ。
「女一人、幸せに出来ないのか?天下の特殊兵団、天下のゾイ様が!?」
「ちょっと待て!待て、待ってくれ。」
ふぅー、っと肺を押し潰し、澄んだ夜の空気を吸う。
少し、気持ちが落ち着くのを認識する。
「色恋に興味がない訳でも、家族を持ちたくない訳でもなあい!!」
「では、何故!」
「時期ではない。…今の団長が退いたら、次は、俺が団長になる…可能性が、…高い。いや、自惚れでは、ないが。恐らく、俺だろう。」
説明すれば、するほど、伝わらないのではないか。
言い訳に聞こえるのは、なぜだろうか…
「団長になれば、いま以上に危険な任務が増える。自ら団員の盾になるんだ。こんな時に、結婚は…考えた事もなかった」
ゾイに、家族がいた事はなかった。
まさに、怖い。
家族をもつ事が、怖かった。
家族が何か知っているが、触れた事がない。
何よりも、自分自身、何者なのか、誰も知らなかった。