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「まずは、自己紹介からね。急に手を引いて、行こう!なんて、バカじゃないの?食料も、旅支度もなしに出発したって野垂死によ。大体、あなたどこから来たの!?」
すぐに出発しようとするジェイを説得し、母屋のダイニングに連れてくるまで1時間。
意味不明な言葉を連発し、妙に自信たっぷり話したかと思えば、旅支度の基本すら知らないアンバランスな人物に、ルルーは僅かな苛立ちすら感じていた。
「僕はずっと、旅と戦いの中に身を置いてきたんだ。回復アイテムさえ間違わずに揃えておけば、食料は原地調達できる。準備は、良い品を必要最低限でいいんだよ。信じて。」
確かに…
ルルーは目の前にいる謎多き青年をもう一度ゆっくりと眺めてみる。
マントを脱ぎ、露出した腕は、良く引き締まり筋肉で充実している。
Tシャツから出ている前腕だけでも無数の傷が見て取れた。
新しいものから、古いものまで。
その腕は、まるで…
「…わかった!100歩譲って、貴方が戦い慣れた戦士だという事は認めるわ。」
ルルーは、昨日焼いたパウンドケーキをジェイに差し出しながら、彼の言う回復アイテムというモノに思いを巡らせる。
「どう考えても、回復アイテムやら、その…魔力…やらは、理解できないの。」
「ルルー、本当に分からないのか?全治の雫は、魔力を全回復、体力は8割程度回復してくれる奇跡のアイテムだ。奇跡の泉でしか採れず売値も買値も破格。泉の場所は分からないが、時々中央市場に持ち込まれるんだ。」
ジェイは、数口でパウンドケーキを完食し、ルルーが入れたお茶を飲みながら、静かに説明を続けた。
時折、黒く美しい瞳をルルーに向けてくる。
ジェイの雰囲気や、話の内容から、恐らく彼が、この世界の人間ではないであろう事は理解した。彼の言葉に偽りがない事も。
ただ、理解はしても受け入れるかは…別問題だ。
「誰か持ち込んでいるのかわからない。謎のアイテムだよ。資金が豊富な手練れの冒険者すら、持っていない場合もある。…それを、君は惜しむ事なく、見ず知らずの僕に飲ませてくれた。冒険者にすら見えない君が。」
いえ、ただの井戸水です…。と答えてもいいが、興奮状態の彼には響かないであろう。
「わかった。じゃ、明日、その奇跡の水?の場所に案内するから、とにかく今日は家にいましょう。夜に出発なんて、聞いた事ないわ。」
ルルーの言葉に、嬉しそうに反応をみせる。
「本当!?沢山手に入れば有難いよ!無駄な死を減らす事が出来るかもしれない!…それに、…いや、何でもない。」
何か言いたげに俯くジェイ。
一瞬、気にはなったけど。
ルルーは未だ情報整理が追いつかない。
これ以上、深入りはしたくない。
突然、異世界からやってきた魔法を使う美青年が、ウチの井戸水を奇跡の水と言って喜んでいる…?
あー、冗談じゃない。
ルルーの思考は完全に停止した。
「…寝るよー。はい、コレ。」
ルルーは、新しく準備した枕と上掛けをジェイに渡す。
「寝室は、あちら。お風呂トイレは、突き当たりの右。」
「へぇ」
何も考えないように説明するルルーの周りを、へぇ、ふぅん、とウロウロとしていたが、言葉が途切れた瞬間…
ジェイは、ルルーを壁に押し付ける。
大きいけれど、スラリと伸びた人差し指を、そっと立てて、
ふわり…っとルルーの唇に触れた。
「ふたりっきりだよ?一緒に、寝ないの?」
…………
…………………
……………………
時が止まったかのような…
息をするのも忘れてしまうような、美しい身のこなしだった。
ルルーよりも少し背が高い。
歳の頃は、2.3上だろうか。
引き締まった身体、長い脚。
美しい顔は、サラサラの黒髪に縁取られて。
ああ、この男性は、どこぞの王子様なのかしら…
うっかり、そう、見惚れてしまったのは、うっかりだ。
「っっこっの!!恥知らずーー!大馬鹿ものがぁぁぁぁぁぁ!」
我に返ったルルーの叫びと共に、ジェイの頬に、真っ赤な手形が残された事は、言うまでもないだろう…。