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「今回は、長くなる。…途中で家畜を売らなくてもいいように、金は多目に用意した。いつもの所だ」
朝食を摂ると、慌ただしく出発の準備を始めた。
どんな周期かは分からないが、ゾイは時々、謎の衣装で出かけていく事がある。
上下、黒い騎士服に、光の加減で、紫にも見えるマント。ボタンや留め具一つとっても、高級品と分かる。
どこから調達してきたの?だれから貰うの?
ルルーは、いつも聞こうとして、聞けないでいた。
ルルーにも見えるように着ているんだから、きっと聞いてもいいだろう。
しかし、目の前にすると、口から出てこない。
家の中の物、衣食住、…フィンから買うパン一つだって、ゾイの収入に依存している。
時々は、卵や牛乳を売る事もある。家畜さえも。
しかし、そんなのはごく稀だった。
5歳の時に母親を亡くし、入れ替わるように目の前に現れた父親。
分かった事は、ルルーが母親似であること。
ゾイは寡黙で真面目。
そんな事しか自分は知らない。
父親の友人も、両親も、職業も。
必要以上に探らないと決めた。
最期に母親から託された言葉と共に、親の真実を知ることを、封印した…10歳の事。
それから5年。
時々、1人怯えて過ごす夜もあるが、概ね幸せに生きてきた。
孤独は辛いが、回数を重ねると、過ごしかたは上手くなった。
「あ、とう様。帰りに、蜂蜜を買って来てね。あと、もしも都に行くならば、新しい本と、布を買って来て…。」
自分用に食後茶を淹れながら、努めていつも通りに、ゾイに声を掛ける。
「……?」
一瞬、ゾイの周囲の空気がピンと張った気がして、ルルーは顔を上げた。
「…何か?」
感情の表現は乏しいけれど、嘘を吐くのは下手な人だ。
泣かないのか?喚かないのか?…聞かないのか?
ゾイの顔には明らかにそう書いてある。
困り果てたようなその顔に、ルルーは少し、胸の中が溶ける気がした。
ニッコリと笑うルルーを見て、参ったように、首の後ろをぎゅっと掴むと、僅かに動揺を含む声音で、ゾイは返答した。
「い、いや。…了解した。」
ヒヒーンッ
声高く鳴き、馬は走りだす。
遠ざかる足音を聞きながら、この感じ、何度目だろうかと思いを巡らせる。
そして…
今度は、どれだけ掛かるだろう。
「あー、寂しいなぁー!」
椅子の背もたれに、コツンと後頭部を当てて。
1人になって初めて言葉にする本心は、開け放たれた窓に消えていった。
「うーん…。ねえ、ムウ?…いない、よね?」
太陽が天辺まで登り、傾き始めた頃。
牛舎の奥でルルーは首を傾げていた。
ルルーの目線の先に、確かに人型に押し潰された牧草が広がっている。
「今朝、井戸の前に転がっていたマント星人をここまで運んできたのよ。凄く重かったんだから!大変だったけど、とう様に見つかったら、大変でしょ?下手したら裏の川に流されている所よ。」
それにしても…アレは、夢だったの?
「いえ、アレはやっぱり現実だわ。今朝のとう様は変わりなかったし、特に何も聞かれなかった。…だとしたら、あのマント星人は…」
「…だとしたら、そのマント星人が、自分で起き上がり危険を察知して身を隠した、とは思わないのか?」
…………!
「ギャァ!」
後ろから声を掛けられ、振り返ったルルーは叫び声と共に、今朝マント星人を転がしたように、牧草の上に尻もちをついた。
「………あ、あ、あ、貴方は?」
「お前を、待っていた。」
そう言って、マント星人はフードを外し、ルルーに手を差し伸べた。
ハラリ…と絹糸のような、繊細な黒髪が溢れ出す。
切れ長の同じく黒い瞳は、一見冷たそうで、よく見詰めるとどこか温かい。
ルルーの中の時計が、止まってしまったかのように、この青年から目を離せなかった。
懐かしいような、嬉しいような、切ないような…苦しいような。
「尻が、汚れるぞ。」
止まった時は、瞬間。
彼の一言で動き出す。
「あ、あ、ありがとう。」
差し出された手を取ると、ルルーは立ち上がり、パンパンッとスカートを叩く。
「私の名前はルルー。…もうすっかり治ったとは思えないけど…不思議な事もあるのね?」
そう言って、彼の全身をみる。
目立った出血はなさそうだ。
ただ、彼の身に付けた服も、装飾品も、武器も…初めて見るものばかりだ。
「ああ、ヒールを使ったからな。ルルー。俺はジェイ。お前があの時に、全治の雫を飲ませてくれたから、魔力まで全回復できたんだ。でなければ、身に受けていたポイズンのダメージで、少しずつ削られ命は終えていただろう。良いタイミングでのサポートだった!勇者を支える女魔導師と言った所だ。いや、ルルーは魔法が使えないようだから…。ん?しかし、全身見た所、武道家とも騎士とも言えないか…。。…まさか!?あの伝説の…お、お、…」
牛舎の中で頭でも打ったのか?
ジェイ、と名乗るこの青年は、意味不明な事をペラペラと話し、自分に対して気持ちの悪い目線を送ってくる。
「…何よ?お?」
「踊り子かぁー!?」
「…ちがーう!!!」
分からない…わからないが、否定しなければならない気がした。
こういう時のルルーの勘は、大体当たる。
「さて、気になる事が多いが、とにかく出発しなければ。まだ、転移陣は有効…だな。」
立ち上がった、ジェイと名乗るこの男は、うっすらと光る手の甲を見てぶつぶつと何か言っている。
「さぁ、ルルー。帰ろう。俺はもうお前に決めた。」
考え込むルルーをヨソに、ジェイはルルーの手を引いて立ち上がった。
その笑顔には、全く迷いがないように見えた。