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空気が良く澄んだ朝だった。
青く高い空に鳥たちが羽ばたく音が聞こえ、またどこかでは、馬が走り出す音が響く。
ルルーは透き通り良く冷えた井戸水を、両手で掬って顔を洗った。
腰に巻いた白い清潔なエプロンで顔を拭うと、桶に残った水に顔を映す。
小さな形の良い輪郭に、長い睫毛を湛えたアイスグリーンの大きな瞳。
小さいが形の整った鼻の下には、ややぽってりとした薄紅色の唇。
女神のように美しい顔は、所々に幼さを残す。
いつもと変わらない澄んだ瞳には、今日に限っては、どこか動揺と、恐怖の色が僅かに浮かんでいる。
「大丈夫、大丈夫。いつもと同じ朝。空気はキレイ、水は冷たい!今日は良く晴れるわ。洗濯をしなくっちゃ!」
不安を打ち消すようにパンッと両手を打ち、深呼吸をすると、ルルーはチラッと横目で井戸の後ろを見る。
母屋から延びた石畳の階段の下、洗面所に続き納屋、牛舎、鶏小屋と、ちょうど井戸を取り囲むよう並ぶ。
ルルーは、母屋から階段で降りてきて、井戸から水を汲んだところでそれの存在に気付いたようだった。
冷たい水で顔を洗っても、それは消えることなくそこに転がっていた。
「と、と、鶏小屋で卵を拾って、ムウからお乳を少し貰おう。パン屋さんが、パンを売りに来る前に!」
そこ、を見ないように、不自然に桶から水を流して定位置に戻すと、ポケットからラベンダー色のリボンを取りだし、美しいブロンドをやや高めに結えた。
ゴソッ…
「グフッ…」
!!!
明らかに、そこの、それが動く。
しかも、声を発したように思う。
「鶏のエサは、そう、納屋よ!そうそう、井戸の裏に納屋があるのよ!井戸、の、裏手に…!」
動揺のあまり独り言が大袈裟になる。
ルルーの瞳は、一回り大きくなり、明らかな恐怖を帯びる。
「…ふぅふぅふぅ…グッ…!」
そう、明らかに、井戸の裏に転がっていたそれは、井戸にもたれかかるように、少し起き上がっている。
「お、お、おお、起きて…る?」
3歩ほど後退り、ルルーはそれを、凝視した。
背丈はルルーを軽く越えそうだ。
最初はうつ伏せだったのか。
全身が茶色に見えたが、仰向けの今は、それがマントだったと分かる。
顔の半分は隠れているが、中身はどうやらヒトのようだ。
兵士…だったのだろうか。
初めてみる装飾の剣を腰に下げ両手には籠手を嵌めたままだ。
フードから溢れ出ている長めの黒髪。
閉ざされた目には黒く長い睫毛が被さっている。
しっかりと通った鼻筋、薄めの唇は意思とは裏腹に軽く開き、どこか苦しそうに、綺麗に揃った歯を覗かせている。
顔立ちは、美しいと分類されるであろう。
いや、初めて見る人種ではあるが、整った顔である事は、ルルーにも分かった。
ギュッと手を握りしめて、ルルーはそれに近づいた。
「…あのぉ」
返事はない。
先程まで動いていたはずのそれは、井戸にもたれかかったまま動かない。
ただ、開いた唇からは、苦しそうに荒い呼吸が漏れる。
怖い…
初めてみる黒髪も、少し褐色かかった濃い肌色も。
見た事のない作りのブーツも、身にまとったマントも。
そして…肌の見える範囲に残る無数の傷跡。
今の彼を苦しめる、目視できない怪我も。
戦のない、平和なこの村に暮らす少女は、この青年に纏わりつく、戦いの匂いを敏感に察知した。
その不穏な空気は青年の周囲を異質なモノに変えている。
初めて感じる、恐怖だった。
青年に息があるのを確認し、ルルーは柄杓に水を汲んだ。
苦しむ彼が、少しでも楽にになりますように。
小さな祈りを込めて。
僅かに開いた口に少しずつ、水を流し込んで行く。
最初こそ溢れ落ちていたが、青年の嚥下を認め、ルルーは彼のペースで水を流していく。
「良かった…」
これだけ水が飲めれば上等だ。
この人を助ける義理は無いのだけど。
柄杓を置き、もう一度、顔を覗き込む。
ガタン!ガタンガタン!
ハッとしつ顔を上げると、、
母屋の玄関に通じる道の先に、パン屋の馬車が小さくみえる。
「あ、いけないっ!」
おしゃべりなパン屋にこの青年が見つかれば、都から兵士が来るかもしれない。
今はまだ、意識すら戻ってない。
言い訳出来ないまま、捕らえられるのはあまりにも気の毒だ。
「家に、連れて行くのは、何をするか分からないし…ここに置いておくのも気分がわるいわ。あとは…」
ルルーの視線の先には、ムウの暮らす牛舎。
去年は2頭いたが、金策に困り、1頭は売ってしまっていた。
あそこなら、ちょうど広さもある、私が世話しているだけだから誰も入らない。
「うん、ここしかない!」
青年の脇を抱え、引きずって動かそうにもあまりに重い。
「重いっ!…けど、いける!…家事…手伝いの、腕力…ナメるな…よぉぉぉぉ!」
やっとのことで青年を牛舎に運び込むとバタンと牧草の上に投げ横にさせる。
近くにあった麻袋を掛け上半身を隠す。
続いて、下半身に牧草を掛ける。
「これで大丈夫。上手に隠せたわ。少しの間診ていてね。頼んだわよムウ。」
頼まれたムウは、返事の代わりなのか、尻尾をパタン、と動かした。




