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硲153番地  作者: iliilii
第一章 風が光るとき
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 それが見えるのは長内 巧にとって当たり前のことだった。

 成長して知った、オーラというスピリチュアルな光とは少し違う、まるで星屑を纏ったような、光る砂粒をまぶしたような、そんな細かな明滅が生命の周りを漂っていた。生命によって光り方も纏い方も漂い方も明滅の間隔も違う。風とは違う何かに花が散るようにはらはらと飛ばされていくこともある。

 美しいと感じる光もあれば、温かいと感じる光もある。中には、気味の悪い光もあれば、恐ろしい光もあった。不安定な光もあれば、煌々とした光もある。

 大抵の人間は不安定な光を纏い、あまり近付きたいと思えない光り方をしていた。時に触手を伸ばすように他人に絡みついている不気味な光もある。

 誰もが同じ光を見ているのだと思っていた。どれほどそれを訴えても、誰一人として巧を理解してくれることはなかった。


 巧は、母が浮気した末にできた子だとまことしやかに囁かれていた。胎児の段階でDNA鑑定をするほどに、その疑いは濃かった。ところが、判定は巧が真実父の子であることを証明した。証明されたからこそ、巧は家族の中で孤立した。父も、母でさえも、なぜ巧が生まれたのか理解できないでいたのだ。

 それでも巧は兄の幼い頃と瓜二つだったし、鼻筋や爪の形は父に、耳の形は母に、少し吊り気味の目は姉にそっくりだった。

 父は巧に見向きもしなかった。出産後に精神を大幅に若返らせた母は童謡を口ずさみながら人形遊びのように巧を育てた。年の離れた兄姉は巧に一度たりとも触れなかった。巧を義務的に育てたのは家政婦たちだった。


 小学校入学を機に、家から少し離れたその施設に預けられたのは、たまたまだった。たまたま定員に空きがあり、たまたまそこの施設長がお人好しであり、たまたま両親の態度から巧の状況を正確に推測できるくらいには彼の職業能力が高かった。

 家族から引き離された巧は、心底清々していた。施設でも惰性で暴れ回ってはいたが、いつしかそれに意味を見出せなくなった巧を、施設長はしっかり察知していた。

「巧は一体何がしたいんだ?」

「たくみって呼ぶな!」

「じゃあ、コウだな。その字はコウとも読むんだよ」

 それが施設長と巧における最初の会話らしい会話だ。施設長は正しく巧を理解していた。施設長の光はいつも安定して温かだった。

 コウ、その音を巧は気に入った。呼び方ひとつで生まれ変わった気がした。他人から見れば些細なことでも、巧にとっては細胞が全て入れ替わるほどの大きな切っ掛けだった。

 これ以降、巧は自らをコウと名乗った。


 ある日、学校から帰ってきたら不思議な光を纏った子供がいた。今まで見たこともない光だった。今まで見たこともない容貌の子供でもあった。

「あれ、日本人?」

「日本人だよ」

 施設長に小声で訊いたら、同じような小声がきっぱりと返ってきた。

 子供なのに安定した光を持ち、それを規則正しい周回で纏い、誰よりも光り輝く佐島 秀に巧の目は惹き付けられた。

 その光に触れてみたい。生まれて初めて巧はそう思った。


 秀はとにかく感情の安定した子供だった。子供らしくない、といえばそうだったのだろう。どことなく周りから浮いて見えるのは、何もその外見からだけではない。

 カラーリングとは明らかに違うアッシュブラウンの髪は光に透けると綺麗だった。ライトブラウンの中にグリーンを落とし込んだような瞳は何度見ても不思議だった。肌は抜けるように白く、秀自身は自分の肌の色をあまり好ましく思っていないようだったが、髪や瞳の色に合っていると巧は思っていた。

「なんでコウみたいに日に焼けないんだろう」

「白いからじゃないか?」

「最悪だよ。日焼けすると痛いだけだ」

 火傷したかのように真っ赤になった秀の肌を見た施設職員が慌てて病院に連れて行ったこともある。地黒の巧と同じように日に当たることはできないと、色白の秀が理解したのはこの時だ。そんなときでも秀の光は安定していた。


 巧が知る限り、施設にいる間に秀の光は二度安定を欠いた。

 一度目は秀が中学一年か二年の頃に、バス遠足か何かで横浜に行ったときだ。

 明滅が忙しなく、光の量が増え、弾むように秀の周りを囲っていた。秀自身も高揚を隠さず、やけに興奮しながら帰ってきたのを覚えている。

 巧も秀も学校行事には極力参加しないようにしていた。金が掛かる以上に煩わしかったからだ。いじめられる方がマシなくらい、無自覚に蔑んでくる奴がクラスに一人や二人いる。そいつらは自分が慈悲深いと思い込んでいる。善行だと信じて疑わない。そういう人間が一番厄介だった。

 秀もそういった人間に捕まり、自習時間を取り上げられ、無駄な時間を過ごすことになったらしい。挙げ句、後日感謝の作文を提出させられることになったと聞いて、巧は怒りが湧いた。当たり障りのない文言を施設職員が考え、それを秀が文字にしただけの作文が、秀の許可なく地方紙に載せられた。巧の怒りは一層激しさを増した。これを偽善といわずなんというのだ。

 久しぶりに荒ぶる巧を落ち着かせたのが当の秀なのだから、巧は心底やるせなかった。

「なんでお前が怒んないんだよ!」

「いいんだよ、おかげですごくいいことがあったから」

 そこで初めて、巧は秀から思いを寄せる女の子の存在を知らされたのだ。

「お前、好きな子いたのか」

「コウはいないの?」

 ただただ驚くばかりの巧に、秀はしれっと聞き返してきた。

 これまで秀からそういった雰囲気を感じたことは一度もなかった。むしろ外見だけで判断する女共を秀が鬱陶しげな目で見ていることに気付いているのは巧に限らない。自分の外見に全く頓着しない秀は、女とは縁がないものだとばかり思っていた。自身が頓着しないことをいくら誉めそやされたとして本人にとっては鬱陶しいだけだろう。

 秀にはあらゆる欲が欠如していた。

 仲がいいのは巧ばかりで、ほかとは一様に距離を置いていることも周囲は知っていた。人間嫌いなのか、と施設の大人たちが心配しているのも巧は知っている。

 秀は誰に対しても興味がないのだ。唯一、巧に関してだけは多少の興味を持っているようだが、それもほかと比べれば極々薄い興味だ。巧ですら、時折秀がこの世のものではないような気がしていたくらいだ、大人たちは更に心配していただろう。足が地につかないという浮ついた感じではなく、秀の存在は動もすれば浮き世離れして見えるのだった。


 そして、二度目は強烈だった。

 秀が高校に入学してすぐの頃だったか、泣きながら警察官に連れられて帰ってきたことがある。施設中が驚き息を呑み沈黙した。後にも先にも秀の涙を見たのはこの一度きりだ。訳を訊いても要領を得ない。心配そうに笑う施設長が秀の頭をひと撫でし、そのまま部屋に連れて行き、寝かしつけた。

「これまでため込んでいた感情が爆発したんだろうな」

「そんな単純なものか?」

「そういうことにしてやれ。秀の生い立ちは少し特殊なんだよ」

「特殊ってなんだよ」

 秀の姓が施設長と同じことは知っている。この施設には二歳児から十八歳までの子供が暮らしている。それ以前の要保護児童は乳児院に預けられる。親のいない子供の場合、名付けを行うのは大概その乳児院にいる間だ。つまり秀は、この施設に来る十歳まで名前が無かったことになる。

「本人に訊け。コウにならいつか秀も話すだろう」

 どうにも腑に落ちない思いを抱えたまま、巧は自分の部屋に戻った。

 施設は基本四人部屋だ。同じ年頃の子が二人一組となり、年の離れた子と同室にされる。巧は秀と小学二年の男の子二人で六畳ほどの一室を使っていた。年少の子供はうるさいものの、体力に任せて遊ばせておけば、大抵夕食後舟をこぎ始め、風呂に入った後は爆睡する。午後八時以降は静かになるため、勉強も捗る。幼い子供たちにしてみれば、人の気配が傍にあるだけで安心して眠れるようだった。

 同室の子供二人が二段ベッドの下段で泣き疲れて眠る秀の顔をのぞき込んでいた。

「心配するな」

「シュウくん大丈夫?」

「大丈夫だよ。お前たちも時々わけもなく泣きたくなることあるだろう?」

 二人は幼いながらに本気で心配していた。普段必要以上に話すこともなくただ一緒にいるだけなのに、いつの間にか仲間意識が芽生えている。そのことに巧自身かなり驚いていた。

 二人の頭を代わる代わる撫で、秀を一人にしてやろうと部屋を後にする。食事をとり、風呂に入り、今日はもう寝てしまおうと三人揃って部屋に戻れば、秀が目を覚ましていた。子供たち二人が部屋を飛び出していく。

「腹減ってないか?」

「大丈夫」

 慌てたように戻って来た子供たちの手には、おむすびの皿と麦茶のグラスがあった。

「シュウくん、食べて」

「シュウくん、飲んで」

 普段やんちゃな二人が、今にも泣き出しそうな顔で秀にそれぞれ差し出した。

 その夜巧は、秀が慰謝料を受け取っていること、その慰謝料の出所は秀が思いを寄せる女の子であることを聞いた。慰謝料を受け取りたくないことも、およそ秀から出たとは思えない押し殺すような声で聞かされた。

 秀の光があまりに不安定で、巧はそれ以上のことを訊こうとは思えなかった。


 それから一年ほど、秀の光は不安定な状態で彼に纏わり付いていた。

 巧はその頃には知っていた。あまりに不安定な光の先には死がある。仄暗い光がべっとりと躰に張り付くほど滞っている者をよく見かけるのは病院だった。ただ、一概に決めつけられないのは、安定した光の持ち主が突然死することもあるからだ。

 施設の近所に住む老人がそうだった。突然、突風に飛ばされるように光が掻き消えた。と次の瞬間、老人がその場に倒れ込んだ。慌てて駆け寄った巧は、大声で周囲に救急車を要請し、救急車が到着するまで施設で訓練された心肺蘇生法を繰り返した。残念ながら老人が助からないだろうことは、心臓マッサージを繰り返す巧自身が一番わかっていた。老人からは完全に光が取り払われていた。

 それまで巧は漠然とではあるものの、光はそのものが持つ生命力なのではないかと思っていた。その認識が揺らいだ。命に関わる何かではあるのだろうが、そのものが持っているわけではなく、持たされているに過ぎないという気がした。人体が生命力である光を飼い慣らしているかのように思えたのだ。上手く飼い慣らせば長く生きる。飼い慣らせなければ呆気なく死ぬ。時に突風に吹き飛ばされるかのように何かに奪われることもある。

 救命できたわけでもないのに、救命処置の的確さを褒められながら、巧はそんなことを考えていた。


 秀の光が長く不安定なことに、それまで以上に巧は不安を覚えた。

 巧の心配を余所に、秀は一見安定して見えた。光さえ見えなければ、巧も騙されただろう。あの日のことなどなかったかのように、秀はそれまでと変わらない生活を続けていた。巧だけが知っている。安定しかけたり、いきなり乱れたり、とにかく秀の光はそれまでの穏やかさからはかけ離れていた。

 それがある日いきなり安定を取り戻した。それまで以上に光り輝き、神々しいまでの力強い光を得た秀は、巧にだけ打ち明けた。

「会えたんだ」

 秀が唯一持つ欲は、全てその彼女にだけ向けられていた。






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