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硲153番地  作者: iliilii
第一章 風が光るとき
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二十三回目

 五月の最後の土曜日、秀は巧を見送るため日が暮れようとしている東京駅にいた。

 駅ナカにいれば気付かない夕暮れも、新幹線ホームにいれば頭上に架かる庇と庇の間から帯状に切り取られた空が見える。

「まだ五月だってのに、暑いなあ」

「だから時間まで下にいようって言ったんだよ。なんのための指定席だよ」

 不満を漏らす秀に巧は笑ってみせる。

「新幹線がホームに入ってくる瞬間が見たいんだよ」

 巧は子供の頃と同じ顔で笑っていた。秀はそれを横目に手のひらで顔を扇ぎながら訊いた。

「なあ、二年目で転勤って普通なのか?」

「俺様が優秀な証よ」

 巧のわざとらしい言い方に秀は不機嫌そうに顔をしかめる。

「断れなかったのかよ」

「いいんだよ、誰かが行かなきゃいけなんだから。一応出世コースだしな」

 巧はホームに備え付けられた柵から身を乗り出し目を眇めるように先を注視している。子供じゃないんだからやめろよ、と秀が注意すると、巧は名残惜しそうに身を乗り出すのはやめた。子供か、と秀は笑う。

「出世に興味ないくせに」

 巧は会社員として働くのは四十歳までと決めている。それ以降は施設長の跡を継ぐ。あの施設は完全に施設長の個人運営であり、どこの団体とも繋がりはない。それゆえ公的支援があっても資金繰りは厳しく、後継者に名乗りを上げる者は巧以外皆無だ。

「いいんだって、その分給料も上がる」

 そのひと言に秀は顔を一層しかめた。

「だから、あれは返さなくてもいいんだって」

 それに巧が振り向いた。作ったような怒り顔をみせている。

「馬鹿言え。あれはお前に返しているんじゃない、彼女に返してるんだ」

 敵わないな、と秀は思う。なぜこんなにも相手の機微に敏感な男が問題児だったのか。敏感だったからこそ、より反発を覚えたのか。秀には目の前にいる巧が全てであり、幼少期の彼に何があったかを知らない。

 なるほど、確かに巧の言う通り、これはいい意味での転勤なのだろう。彼の表情を見ているうちに秀は自然とそう思えてきた。

 巧から転勤の知らせを受けたとき、秀はつい手近にいた先輩に「入社二年目で転勤ってアリですか?」と訊き、「それ左遷じゃない? うちの場合、転勤は三年目からだよ」という回答の冒頭部分だけを真に受けてしまった。入社一年目の秀にとって左遷というフレーズはあまりに強く、「うちの場合」以降の台詞を聞き流していたことに今更ながら気付いた。秀と巧の勤務先では業界すら違う。

「お前、俺が左遷されたとでも思ってたのか?」

「いや、淋しいだけだよ」

 秀が素直に答えると、巧は虚を衝かれたような表情を見せたあと、わはは、と声を上げて笑った。

「なんだよ、素直だな」

「悪いかよ」

 不貞腐れたように顔を背けた秀の肩を巧は容赦なくばしばし叩く。

「たった五年だよ。そこを俺様の実力で三年に短縮してやる。いい子で待ってろよ」

「そういうのは彼女に言ってやれよ」

 呆れ顔で肩を避けた秀は、巧の顔を見て、またか、と溜息を吐いた。

「遠距離は嫌なんだとよ」

 なんとも言えない顔で巧はそう言うと、ホームの先に目を向けた。

 道理で見送りに来ていないはずだ。つい先日会ったときは、彼女の方が積極的にこれでもかと巧に絡みついていたというのに、呆気ないものだ。巧の恋愛は長続きせず、関係が深まる前に破綻する。彼自身もどこかそれに納得しているようで、間をおかず次の彼女ができ、別れた後も気落ちした様子はない。


 独特な抑揚のアナウンスが新幹線の到着を告げる。

 カモノハシみたいな顔の新幹線がホームに入る。

 そのとき、風が強い光を放った。


「コウ、出発を遅らせられるか?」

「明日中に向こうに着けばいい。で、何をすればいい?」

 この反応の早さ。秀は感謝の念を強く胸に抱いた。

「周りに気付かれないよう、彼女に接触してほしい」

 この光り方は予定外の偶然によるものだ。以前同じように強く光った日、秀は普段いるはずのない場所に偶然いた。

「リョーカイ。で、どこにいる?」

 彼女もきっと秀がここにいることはわかっているはずだ。間違いなく自然と擦れ違う。秀はその場を動かず、注意深く周囲に視線を巡らす。

 彼女より先に彼女の養父が秀の目に入った。慌てて俯き、胸ポケットから眼鏡を取り出し装着する。同時に巧の影に入るよう躰の位置を入れ替えながらターゲットの指示を出す。

 おそらく秀は、どの程度の割合かはわからないが確実に欧州系の血が入っている。ともするとアジア系ではないのかもしれない。周りから「すぐる」と呼ばれるより、巧が呼び始めた「シュウ」とカタカナで呼ばれる方がしっくりくる外見をしている。今時珍しくもない特徴であり、秀自身は特に意識することはないが、周りからはそれなりに意識された。現に巧が最初に声をかけたのも、その外見を揶揄するつもりだったらしい。

 視力のいい秀が伊達眼鏡を持ち歩くのはそのせいだ。

「前方から来る杖をついた黒眼鏡の男の横で介助している子」

「あのすげーきれーな子?」

 巧が感じ入った声を出す。

 養父の影から姿を現した、六年前より一層大人びた桜の姿がそこにはあった。ストレートの黒髪を胸まで伸ばし、淡いグリーンの七分袖ワンピースを軽やかに着こなす。くりっとした目を伏せ、怪我でもしたのか(クラッチ)をつく養父を気にかけている。彼女は養父を気にかけながらも辺りに目を配っていた。


 ほんの一瞬、秀と桜の視線が絡んだ。

 どくん、と秀の胸が跳ねる。全身が一気に高揚する。それは桜も同じなのか、その頬がぱっと色付いた。

 二人を刹那の静寂が繋いだ。


 秀と桜を素早く見比べた巧が目を見開いている。

「余計なことするなよ」

「するか。でもまあ、お前たちが並ぶと目立つだろうな」

 そう言い置いて、巧は少し間をおいて彼女たちを後を尾行する。巧の声に何か含みがあるような気がして、秀は更に間をおいて巧を追いかけた。人混みに埋もれる彼女たちを尾行するより、頭ひとつ飛び出した巧の後を追う方が余程簡単だった。


「とりあえず俺の名刺渡してきた。お前の番号、知られない方がいいんだろ?」

 この男はどうしてこうも機転が利くのか。何一つ説明していないにもかかわらず見極める。誰から慰謝料をもらっているか、秀はそれしか巧に伝えたことはない。

「あの似てないおっさん、あれ親父か?」

 秀は「養父」とだけ答えた。

「たぶん彼女、携帯は持ってないと思うんだ」

「持たせてもらえないとか?」

 経済的な理由ではないことは、彼女の身なりからも窺える。

「今はどうかわからないけどね」

「案外隠れて持ってるんじゃないか?」

「そうかもしれない」

 今日付で巧は社員寮を出ていたため、一晩飲み明かすことになった。

 東京駅周辺を適当にぶらつきながら、巧から彼女の様子を聞く。タイミングよく養父がトイレに行った隙に秀の名を出し、名刺を渡してきたらしい。

「やけに肝の据わった子だな。いきなり話しかけても驚いた様子がなかった。今日お前がここにいること……知らなかったんだよな」

 確認するような問い掛けに、秀は頷きで応える。

「直前になって知ったはずだ」

 訝しむ巧にどう説明したものか悩む。秀にとっては当たり前の感覚だが、それは秀と桜特有のものであり、おそらく他人には理解されない感覚でもある。秀自身もこの感覚がどこから来ているのか理解していない。桜から発せられるなんだかの信号、という程度だ。


 外堀通りを歩いていると、通りがかった店の前で再び風が微かに光った。カジュアルよりも少し上品なイタリアンレストランだ。

「ああ、ここで待てば彼女が来ると思う」

「ここ? こんな小洒落た店に男二人で入るのかよ」

 小さく悪態を吐きながらも巧は素直に店のドアを開けた。店はそれなりに混み合い、三組の客が入り口そばで待っている。店内の掛け時計は午後七時を少し過ぎたところだ。

「待ってるうちに来てくれるといいな。見ろよ、カップルしかいねえ」

 彼女が来ることを疑う様子もなく、巧が疎ましげな声を出す。

「訊かないんだな」

「訊いてもいいのか?」

「いいよ。上手く答えられるかわからないけど」

「んー、まあいいや。なんとなくわかるような気もするし、二人一緒にいられるようになったら訊くよ」

 秀は巧の寛大さに尊敬の念を抱く。彼のように相手のそのままを受け入れることができる男はどれほどいるだろう。少なくとも秀は巧以外を知らない。施設長は巧とは逆で、なんでも知りたがり把握したがる人だった。それが施設長という立場に由来するものなのか、彼本来の性質なのか。訊かれることにさして抵抗を覚えなかった秀は施設長に懐いたが、巧はどこか斜に構えて受け流してばかりいた。それなのにあの施設の後継者に名乗りを上げるのだから、巧の考えは読めない。彼なりに恩義を感じていることくらいしか秀には思い付かない。


 席に案内されても、注文を終えても、料理が運ばれ始めても、皿が空になっても、食後の飲み物が運ばれてきても、結局彼女は姿を見せなかった。

 料理の合間に何度か巧が各所へ予定変更の通知をしているのを目にした秀は、申し訳なさから何度も謝った。それに対し巧は「なんでお前が謝るんだよ」と呆れ、「何かあったのかな」と気遣わしげに声を潜めた。

「おそらく抜け出せないんだと思う」

 秀の説明しようのない感覚から彼女がこの周辺にいることはわかっている。

 秀は不意に思い出した。風が強く光るときは、偶然であることともうひとつ、ただ擦れ違うだけだったことを。

「なあ、そもそも、なんでそんなに反対されてるわけ?」

 コーヒーカップの向こうにある心配と興味が綯い交ぜになった巧の顔に、秀は苦いものが胸に広がっていくのを感じた。

「加害者の娘と被害者だからだろう。警察に保護されて以降一度も会わせてもらえなかった」

「でもお前は自分を被害者だとは思ってない。だろ?」

 断定する巧に秀は真顔で頷いた。

「思ってないね。むしろ感謝してるくらいだ」

「養父はそれを知らないとか?」

「知ってるよ。知ってるから余計に会わせたくないんじゃないか?」

「なんでだよ」

「さあ」

 世間体というものなのか、それとも秀自身に問題があるのか、もしくは金か。秀には判別がつかなかった。

 秀がどれほど拒否を示しても、慰謝料は毎月勝手に振り込まれた。それについては施設長に諭され納得もした。彼女が成人するまでは、とも考えた。どちらにしても前回彼女に会ったときに再会はしばらく後になると言われていたこともあり、秀は待つことにしていた。それ以外に手段はなかった。

 彼女と引き離された直後、秀が何度会わせてくれと言っても取り合ってもらえず、彼女の養父宛に何度手紙を送っても受け取り拒否されそのまま送り返されてきた。秀の行動の意味を知る施設長からは、相手を刺激するなとクギを刺され、そのしばらく後、彼女と一瞬の再会を果たした。

 あの日、秀は校外授業の一環で横浜にいた。秀は参加する予定がなかったにもかかわらず、当日腹痛で欠席した親が配慮(、、)したらしく、秀が代わりに参加することになったのだ。余計なお世話を、と思ったのは秀だけではなかったようで、彼の担任教師も「まあこれも孤児の義務だと思って施されてやってくれ」という、およそ教師とは思えないことを言い、逆に秀は参加する気になった。そこで桜との邂逅が叶ったのだ。


 さすがに席待ちの列が店外へと続き、食べ終わってもなお席に居座ることもできず、秀たちは店を出た。申し訳なさから秀が支払いを持とうとすれば、巧はほぼ半分を支払った。

「細かいのは出してくれ」

 そう言いながら巧は紙幣を秀に押し付けた。会計カウンターの横には席待ちの客が何組かいた。ここで揉めるのもどうかと、ひとまず受け取った紙幣に残りを足し、秀は会計を済ませた。

「付き合わせて悪かったな」

「いや。平然と見せかけて内心焦ってるお前を見てるのは楽しいよ」

 その通りだった。何かを読み間違えている——そんな焦りが秀にはあった。

 しばらく二人は出てきたばかりの店に並ぶ客を装い列の最後尾付近で立ち話をしていたが、結局彼女が現れることはなかった。

 それ以降、風が光ることも、夢が繋がることもなく、巧の元に桜から連絡が入ることもなく、秀はゆっくりと追い詰められていった。






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