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その9

カシャカシャカシャカシャと軽快に音を奏でる泡立て器、ふわふわのメレンゲへと姿を変えて行くボウルの中の卵白。そしてアップリケのついたエプロンをつけてその動作を行っている仏頂面のボク。手元と表情の差異が気になって仕方のないボクを気まずそうにちらちら見ている春夏秋冬の四人。それを知っていて敢えて無視しているというのに……。


「なぁに拗ねてるの、お兄ちゃん」


にまにまによによとすこぶるご機嫌で楽しい表情の朱里がカウンターテーブル越しにスマホを構えて笑う。ピコリーンではない。撮ったばかりのそれを今すぐ消去しなさい囁くな。





アンコール曲まで歌い終え、誰一人倒れることなく真夏のライブを終えたボク達。

ライブを終えて疲れと暑さにぜぇはぁ言いながらもほこほこと温かい胸の熱に疲労すらも心地よいと、人気投票結果の時に覚えた疑問について聞くのは後でもいいかとそっと横に置いて長い一日を終えた。


翌日は久しぶりの休日ということもあって仕事時間に追われることのない起床時間はバラバラだった。いつも通り早朝に目を覚まして走り込みに出た俊春。規則正しい時間に起きてくる夏彦。起こされない限り眠り続ける秋夜。夜更かしでもしたのか少し遅い時間に眠そうに起きて来た美冬。ボクの起床時間は俊春と夏彦の間で、いつもと変わらない時間だったりする。


ブランチの時間になる前に寝顔は天使、寝起きは悪鬼の秋夜を起こして朝食を振る舞う。朝食のラインナップは大抵和食だ。というのも、朝食べるのなら米とパンのどちらが好みかと共同生活初日に問うた時「米!」と四人全員で力強い返事をくれたからである。流石食欲旺盛なお年頃、パンでは腹持ちが悪いですかそうですか。


それ以来食事場所こそ洋風だが、これぞ日本の朝食メニューといった食卓を囲む。

同じグループに所属しているので単独の仕事は少なく、ほぼ毎日こうして顔を突き合わせて食事を取るのだが、食後のお茶を飲んでいる時にそれは起きた。


「はろーえぶりわん。今朝のホットなニュースはしょんぼりとうりくんにしてくれちゃった人たちの事務所内裁判の判決結果だよ。聞きたいか~い?」


「「聞きたい!」」


壊すとまではいかないが、荒い勢いで開かれたドアに対する注意が出て来るよりも早く、揃ってドアへ体ごと視線を向けた四人の食いつきように驚いてしまう。

一人瞬いていれば、にんまりと悪役特有の悪い笑みを浮かべていた朱里がその笑みをにこやかなものに変えた。


「当分は事務所内雑用の刑に処されたよ。ただし、現在売り出し中のアイドルをしょんぼりさせちゃうなんて非常識やらかした問題児共だもの、周囲からの厳しい監視の目が光るわよん。これで改心して頑張れれば大したものだけど、どーだかねーってお・は・な・しさ。やー、皆で暗躍した甲斐があったってものね。お疲れ様でした~」


ぱちぱちぱちと手を打つ朱里にそれぞれの感情を乗せて息を吐く春夏秋冬。

気になる報告を受けて一息といったところ悪いのだが、五人全員を視界に収めたボクは湯呑みを置いた音でこちらを振り返り固まった彼らに聞きたいことが出来た。

ボクが与り知らぬところでキミ達は一体何をしていたのかな?


横に置いていた疑問の詳細、その内容は頭を抱えるにふさわしいものであった。

今日まで共に過ごしてきている妹の朱里がボクの変化に最初に気付くのはわかる。

逆の立場ならボクも誰より早く気付く自信があるから。


一体何が原因でどうして悩んで塞ぎ込んでいるのかを考え探り、相手の直前の行動をなぞって周囲から原因となるだろう情報を得てくるのもわかる。本人に確認を取るのは最後で、それはそろそろ口を割らせなければ持たないだろうなと思った時。

これもボクと朱里の共通した行動なのでよくわかる。だから朱里に聞かれた時、思っていることを素直に口にすることが出来た。それ以上は自分の中に留めておけないとわかっていたから。


でも、朱里以外がそこに深く入り込んでいるとなっては話が別だ。予想外だ。

グループを組むと決まってから先、春夏秋冬の四人とは共同生活になったから接点が多い分、他の人より些細な変化に気付きやすいとは思う。ボクだって今日は機嫌が悪いんだなとか、何か沈むことがあったんだなと見てわかるから逆にそう思われることもあるだろう。


でも、でもだ。あの俊春の直球行動が、目についた時や空いている時間を狙いそれとなく気遣って大丈夫、元気ないなどの言葉で言外にどうしたのか、何かあったなら話を聞くよと示してくれていたのをやり過ごしていたボクに痺れを切らせたが故のものだとは思ってなかった。それも辛島さんまで含めた五人を代表しての突撃でしたとか。それでもダメで最終的に朱里に相談し、もう少しギリギリまで様子を見ようとしていた朱里が動くことになったとなれば、話は別だと言う他ないだろう。


そして自分が調べた情報を伏せてボクがしょんぼりしていた原因がこれでしたと朱里から伝え聞いた四人の自発行動にもう何を言っていいのやらわからない。

夏彦が自身の構ってくんアカウントからの電子情報網でボクに関する噂を収集すれば、美冬は公式サイトと事務所に届くファンレターから中立以下の話を選別し、双方の情報とを合わせ信憑性と今回の関連性とを吟味して取捨選択。俊春が事務所のスタッフや友人などの伝手から話を探れば、秋夜はファンや報道系の人からも情報を得てくるという分担作業。しかも集めた情報を全員であーでもないこーでもないと篩にかけて情報の純度を高める徹底作業つき。


アイドル稼業とトレーニングとで皆それぞれ忙しかったのに貴重な自由時間を一体なにに捻出しているんだと思う。同時に、何処から出てきたその団結力と辛島さんが聞けばボクの知らない過去と現在を比べて喜びそうな状況に溜息も吐けない。

かと思ったのに、辛島さんは辛島さんで「うちの大事なリーダーになんてことを!」と憤慨し、情報共有で一枚どころかしっかり噛んでましたと聞いて項垂れた。


止めてくれてもいいと思うと頭を押さえながら思い出す。どうして社長がしょんぼりとうりくんのことを知っていたのかと思えば、だ。朱里が特別何かしたなんてことがなくても今回のことは社長の耳に届いていたのだろう。ボク以外のメンバー四人とそのマネージャーが情報を求めて事務所の内外で奔走していれば、嫌でも目につくし話も耳に入るというものだ。何させてるんだボク。どうして気付かないボク。


一人で何の解決も見込めない深い穴の中にいる間、周囲ではそんなボクを心配してどうにか口を割らせようと気を揉んでくれていた。ここまではいい。それらから逃げて避けてとしていた事実を思えば申し訳なく思うが、……その気持ちが嬉しい。


しかし、いよいよ自分の出番だなと現れた朱里にボクが溜め込んでいたものを吐き出してスッキリしたその後が問題だ。ボクが沈んだ原因を知ってからが本番だとパキポキ骨を鳴らして物騒なお話の準備を進めていたっていうのは何ですかね。

そして物騒話のクライマックス、断罪現場はラストナンバー演奏中のステージ裏とくるのだからもう口どころか脳内に言葉すら浮かばない。絶句。


ああ、でも合点がいった。一位票と二位票の内訳発表をすると聞いて逃げ腰になったボクに大丈夫だと言ってくれた皆の言葉の力強さとその根拠に。

細かな票数までは流石に知らないだろうけど、開票者が口惜しいと言ってくれる程の無効票があると知っていたからこそ、ああもきっぱりと言い切れたのだ。

ボクに一位票がない訳はないのだから、表示されたゼロに気を取られる必要はない、表示されないものこそを見て、堂々と胸を張って前を向けと。


そして、出来上がったボクだけ仲間外れの空気。事務所の中だけの小さな騒動とはいえ、主要人物どころか核になっている張本人が動向を何一つ知ることなく、悪意の噂を垂れ流した奴は事務所内裁判で有罪になり、現在雑用の刑に処されております、と結果だけを知らされたのだから拗ねたくもなる。


その拗ねた結果が苛立ちを発散する為に趣味のお菓子作りを始めることなのだからなんとも平和なことである。意外にお菓子作りは力が必要なのでストレス発散には向いているのだ。こねる為にテーブルへ叩き付けられぶっ叩かれる生地とか、ハンドミキサーを使わず無心で混ぜられるクリームとか。まあ、程々になのだが。


「そんなイイ顔してるとツンツン橙里くんって囁いちゃうぞー」


そして現在無心でメレンゲを泡立てようとしているのを邪魔してくる朱里。

だからピコリーンではない。今撮ったばかりの写真を消去しなさい。休日の台所で男が仏頂面でメレンゲ泡立てている姿の何処に需要があるんだ。こら、囁かない。


「需要?あるに決まってるじゃない。今回のお兄ちゃんのブース、大盛況でしてよ」


頽れる人続出だって耳にしたぞ。


「橙里、頽れるの意味があなたの思っているものと現実では百八十度違います」


じとりと朱里を恨めしい目で見つめながらもメレンゲを作る手は止めないでいれば、ボクの反応を窺うように秋夜が小さく挙手して発言している。

どうして挙手、ボクは先生なんて呼ばれる職に就いた覚えはないぞやめなさい。


別に一人だけ事態を知らされず、また知ることも出来なかったことに疎外感を味わってちょっと拗ねているだけで怒っている訳ではない。だからそんな恐る恐る発言をしなくてもいいのだが、気にかかるのはボクの思っているものと現実が違うと言った内容なのでそちらを優先してもいいでしょうか。


「親しい相手じゃなきゃ絶対に見られない日常風景の一コマを切り取ったショートムービー。玄関へのお出迎えから始まってリビングでおもてなし、手作りのお菓子を振る舞い止めの一言。それがお客様相手の来客仕様、俺たち相手のいつもの橙里、お姉さんな朱里ちゃん相手の弟とうりくんの三パターンがランダムで流れるんだよ。いつもの思いやりの休憩スペースにちょっぴりの自己主張ブースを予想してたファンの子には供給過剰だって話。橙里ファンの掲示板、すごいことになってるよ」


ソファの上でクッションを抱いて膝を抱えている夏彦がテーブルの上で裏返しになっている自身のスマホを指差して秋夜の言葉の説明をしてくれるが、小首を傾ぐ。

何が供給過剰なのだろうか。そしてボクのファンの掲示板とは何のことだろうか。

理解が出来ないボクへ今度は美冬が補足してくれるようだ。


「橙里はアナログ派で夏彦みたいな日常での情報露出が少ない。最近は公式で何気ない話を載せることはあるけれど、それでも俺たちに比べると橙里が普段どんな生活をしているなんて情報は少ない」


穏やかな口調で告げる美冬の言う通り、一応持っているスマホは連絡を取ることくらいにしか使われていない。用がない時は定位置から動かすことすらないほぼ置物状態。調べ物に使うことは稀、スッスーロさんの個人アカウントなど当然なく、必要だと思ったこともない。仮にやったとすれば、毎日の食卓の献立だけが更新されるアイドルとは一体何だろうかと疑問に思われるものになるだろうことは想像に難くない。自己発信をしないのだからボクの情報が少ないのは当然のことだ。


「それが、急に自宅へお招き疑似体験部屋なんて日常の内も内側、プライベート光景を映し出されちゃ橙里ファンは半狂乱に泣き崩れるだろ」


ふむと美冬の言葉に納得して頷いていれば俊春からも補足が入った。が、半狂乱に泣き崩れるとはどういう状況なんだろうか。大丈夫なのかその人たちと怪訝に思えば、ひょいっと朱里が自身のスマホの画面をボクへと向けてくる。カシャカシャとメレンゲを作る動作はそのままに、流れていく文字を目で追う。


……「あ」と「ん」に濁点がついた文字がたくさん見受けられたが、文章になっていない文字数だけはやたら多いコメントの数々は何なのだろうか。

よくわからない光景に首を傾げるボクを見て、差し出したスマホを手元に引き寄せた朱里が楽しい顔で笑いながら告げる。


「休日の台所で、男が仏頂面でメレンゲ泡立てている姿の需要でーす」


ボクは囁くなと言わなかったかな、朱里?


「囁いた後で言われても意味はないよね?そんなことよりコレがお兄ちゃんが侮っている橙里くんの情報の需要ですよん。今日のご飯、なんて食卓しか映してないものでも“ 本当にコレを作ってるの? ”、“ 橙里くんすごいぃ! ”とか反響がすぐ様上がってくるんだよ。実際に作ってる過程の写真載せられて反応しないとかないない」


悪びれることなど当然なく、むしろボクの落ち度だと言ってのける慣れた理不尽に溜息は出ないが、疑問が深まって吐息は零れる。

趣味全開と言われて料理にたどり着いてしまったのはアイドルとして正解ではないと思う。けれど、そこに日常風景というものを添付すれば多少の興味は引けるかなと思って夏彦が言ったようなショートムービーを個人ブースで流して貰うようにしたのだが……。実際に反応があると聞くとファンが橙里に求めているものがよくわからなくなってくる。


「人気者ねーお兄ちゃん。そーゆーわけでスマイル一つくださいな」


どーゆーわけでスマイル一つなんだ。

泡立ったメレンゲを分けていた卵黄と手早く混ぜ合わせ、専用の焼き型に生地を流し入れていく。そんな工程をにまにま笑顔で眺めている朱里。


「あらあら、お兄ちゃんってば清き一票による推し投票で栄えある一位の座を射止めたのを夢だとでもお思いですの?鳥なの?三歩歩いちゃったの?」


包みも隠しもしない馬鹿呼ばわりに兄は怒ってもいいのかな妹よ。


「お菓子くれたら黙るかもー」


あ~ん、と口を開いている雛鳥に呆れの溜息を吐く。

ライブを終えたボク達をステージ裏で迎えた朱里はスマホを構えてにこりと笑ってこう言った。「お疲れ様~お兄ちゃん」と。もう大丈夫だとボク自身の言動とそれを見ていた朱里によって示されたから、ボクは兄に戻り、朱里は理不尽なことを言っても許される妹へと戻った。


のだが、いつものことと言ってしまえばそれまでだが、姉と妹でのこの落差。

早く速くと訴えるようにピヨピヨ鳴いてはいない代わりにによによしている朱里。

このまま放置しようものなら第二第三の何かをやらかすのは今までの経験から身に染みてわかっている。


仕方なく予熱の済んだオーブンへと生地入りの焼き型を入れ、空いた手で冷やし途中のものを取る。そうして開いたままのお口が面倒なことを言い出さないうちにクッキーで蓋をすれば、パクリと齧り付いて閉じられる口。まだほんのりと温かい焼き菓子の甘さに表情をにこにこへと変えた理不尽に息を吐いていれば、刺さる視線が四対。それが意味することに苦笑し、クッキーを片手に手を招いた。






「それで、サイトをパンクさせちゃったと言うんだね、君たちは」


おやつが美味しい午後三時、休日だったはずなのに社長室に並んだ五人と一人。

頭を押さえている辛島さんが呆れながら確認してきたことにそれぞれで頷けば、押さえていたはずの手は抱えるに変化した。いや、本当にすみません。


公式サイトで時折載せるたわいない話ではまだまだ露出が少ない。お菓子を作っているだけのボクからすれば面白味も何もないだろうと思える調理工程に需要がある。これだけでは何の情報を発信すればファンサービスに繋がるのかがよくわからず、実験もかねていろいろと写真を撮り、動画を撮影し、公式サイトにアップしてみた。


内容としては大したことはしていない。作ったクッキーやケーキを互いに食べさせてみたり、朱里が持って来た妙に薄い冊子の本と同じポーズを取ってみたり、だ。

別に仲が悪い訳ではないのだが、休日になるとそれぞれ個人で何かをしているのでこんな風に遊ぶといったことをした事がなかった。だから楽しくなって……まあ、ちょっとばかり調子に乗ってしまったところがあることは、否めない。

その結果、サイトの回線をパンクさせて社長室へお呼び出しと相成り今現在。


何がどうしてそうなったと呼び出しからすぐに事務所へやって来たボク達に困惑して取り乱していた辛島さんだったのだが、朱里が記録していた写真や動画を見せながら説明したところ先のご様子へ。社長は……机に顔を伏せて小刻みに震えていたりする。


「橙里くんがいてどうしてそんなことになったの!」


抱えていた頭から勢いよく手を振り声を張り上げてと全身で何故だと表現頂いたところ非常に申し訳ないのですが辛島さん。ここで大変残念なお知らせです。


「今回はその橙里が一番ノリノリだったんだぜ」


「な~?」と笑ってボクの肩を抱く夏彦に驚愕する辛島さん。


「最初は恐る恐るって感じだったんだけどな」


「興が乗ったようだな」


にかりと笑う俊春から微笑む美冬へと視線は流れて行き、目元を細めている秋夜へと移っていく。


「しばらく沈んでいた期間がありましたし、無事ライブも終えたので少しくらいの羽目なら外しても構わないでしょう」


「構うし構ってよ!回線パンクは少しの羽目外しじゃないからね!」


無駄に輝く笑顔で開き直り発言をぶつけられた辛島さんに「頼りになるのは君だけだよ」とでも聞こえてきそうな縋る目を向けられてしまったのだけど、すみませんと言う他なかったりする。苦く笑い、夏彦に肩を抱かれて可動域の狭い頭を小さく下げよう。ごめんなさい。


「うわぁあんっ、嘘だと言ってよ朱里ちゃん!問題児たちをやさしく諭してスムーズに導く保父さん的お兄さんな優等生の橙里くんがそんなことする訳ないって否定してぇっ!!」


何やらいろいろ含んで棘のある発言が出てきている辛島さんへ朱里は笑顔を向ける。それはそれは、イイ笑顔を。


「人々を魅了してやまない才色兼備な小悪魔朱里ちゃんの双子なのよ?普段は良い子の橙里くんだって時にはきゅーとな角と尻尾を生やしてぷりてぃーな羽で羽ばたいちゃうことはあるわよ」


胸に手を当て背を反らしドヤ顔で言い切る言葉のボディーブローが止めの一撃に。

ついに膝から崩れ落ちてしまった辛島さんのアルファベット三文字で表せてしまう姿に悪いことをしたなあという気持ちが膨らむ。あー、えーっと、良い子じゃなくてすみません。


救いになることを六人もいるのに誰一人として言ってあげられなくて申し訳ないと思いながら口にした言葉に、ぶはっと社長が噴き出して机に伏せていた顔を持ち上げた。そして今度はお腹を押さえている。


「あっはっはっはっ!小悪魔橙里ちゃんっ」


笑うところはそこなんですか社長。


「ぅっふ、くふっふふふっ。ぃ、いいわね、今度のコンセプトは天使と悪魔とかどうかしら。ベタかもしれないけどイメージのギャップを狙ってみれば面白くなりそうだわ。時期は……ハロウィン、んークリスマスでもいいわね」


「社長ぉーーーーっ?!」


どうやら助けは誰からも入らない様子である。キリキリと胃が痛みそうな現実に叫ぶ真面目なマネージャー辛島さんへ心の中で合掌。見捨てるようで悪いとは思うのだが、社長の発言の方がずっと気になります。本当にすみません。


「はーい、ハロウィンは皆からは想像できない突飛な仮装で、クリスマスに天使と悪魔の二パターンがいいと思いまーす」


元気のいい子供を思い出させる様子で手を上げて自分好みの要望を出すんじゃない朱里。


「お、それ楽しそうだな。何の仮装して欲しいですか?ってアンケ取ってみるか?」


……とても乗り気なところ言いにくいのだが俊春、それはやめた方がいいと思う。


「橙里、きっと可愛らしい仮装がしたいんですよ。止めなくても大丈夫です」


「けも耳に肉球手袋だな」


「パンダの?それともレッサーパンダ?」


くつくつ、くすり、にやにやとからかいを浮かべる秋冬夏の言葉に毛を逆立てるにゃんこの姿が見えた気がする。


「どーゆー意味だゴラァッ!」


「「可愛いシュンシュン」」


「シュンシュン言うなぁああぁああぁーーーーーーーーーーっ!!」


笑う夏秋冬に噛みつく春。社長は楽しそうに目を輝かせながら万年筆を走らせ、辛島さんは悲愴な表情を浮かべて腹部を押さえる。一気に騒がしくなった室内でどうしたものかと苦笑っていると、夏彦に解放されて伸びていた体がトンと軽い衝撃に揺れる。左半身に生まれる熱、少しだけ低い位置にあるその目は悪戯に笑んで。


「賑やかでいいわね」


混乱と表現されるであろう場に賑やかなんて言葉を適用するのは朱里くらいだと思う。でも、同じ光景を見て聞いているのに口元を緩ませているボクが言えることではないかな。だから窘めるでもなく、否定するでもなく、短い肯定を返す。


「橙里、楽しい?」


悪戯な笑みの中に理性的な色を忍ばせて問いかけてくる朱里。ボクに何か言わせたいことがあるのかと真面目なところが少しばかり考えるけれど、紡がれるのはシンプルで素直なもの。少し前に沈み込んでいたことを忘れるくらい、今が楽しい。

アイドルなんて全然知らない世界の話で、ボクに出来るのかなって不安だったけど……。


「俺はカッコいいんだっつーの!」


俊春がいて、


「おや、それは君よりも私の方が相応しい言葉だと思いますよ」


秋夜がいて、


「えーっ、それは俺も譲れないって」


夏彦がいて、


「それは俺も譲れないな」


美冬がいて、


「可愛いとか格好いいとか今は関係ないよね?!」


辛島さんや


「あら、それは大事よ?求めるキャラに合わせたイメージがあるんだから」


社長や事務所の皆が支えて助けてくれて、なんとかなってるかなって。

それに――。


「ん?」


見上げる大きな目に映る自分の姿。細まる目も上がった口角も笑みを示す表情だ。

自分でどうにも出来なくなって立ち止まっても、背中を押してくれる半身がいるから、前に進める。ありがとう、お姉ちゃん。


突然のお礼の言葉にぱちくりと目を瞬かせたけど、すぐに綺麗な笑顔を作る朱里。

ただ、ボクよりもずっと高く口角も持ち上げて、片方の眉を持ち上げた表情はどう見ても悪戯な笑顔。


「あら、じゃあわたしもありがとうね」


何か突拍子もない言葉が飛び出てくるかと思えば、ポンッと背を叩き同じようにお礼の言葉を口にする。今度はボクが瞬いて朱里を見れば、悪戯な笑みは徐々に深くやさしいものに変わっていく。


「橙里の背中を押す時にわたしも一緒に前へ進めるんだもの。どちらか一人だけじゃなく、互いに互いを前進させるのよ。何だか素敵じゃない?」


立ち止まったボクの背中を前へと押し出す為には、朱里も前へ足を踏み出す必要がある。だから、一人じゃなくて二人で前に進める、か。

……うん、そうだね。どちらか一方だけじゃないのは、いいな。


くすりと微笑みを返し、ふと朱里に聞かれた言葉を思い出した。

大変有り難いことに一人一票の推し投票で一位という順位を頂いた。それはとても光栄で、嬉しいことだ。でも、ボクは一位という順位が欲しかったわけじゃない。

こう言うと怒られてしまうかもしれないけれど、順位を競い合うことにはあまり興味が無かったりする。


人が順番を付けたがるのは、きっと頑張って頑張って頑張ってきた時にふと不安になるからじゃないかな。このままでいいのか、今までの努力は無駄じゃないのか。

そんな自分の在り方に疑問を抱いた時に、自分は間違えてないって思えるような目に見えてわかる安心が欲しくなるんだと思う。だからきっと人はわかり易いように点数や票で数を比べ、優劣を競い、順位をつける。


一番の順位で得られるのは肯定。今まで歩んできた道程は、頑張ってきたことは決して無駄じゃないと他人からも認められることで得られる安堵。それが一番。


二番の順位で得られるのは奮起。決して否定されている訳ではないのだけど、一番じゃないと比べてがっかりしてしまう順位としてはいいはずなのにどうしても残念な気持ちが湧き上がってしまう不思議な数字。

けれどその悔しさ故に次への熱意が燃え上がる不屈の表れ。それが二番。


では三番は?ボクにとっても身近だったその順位は、確認。一番と二番に比べて何が足りないのだろうかとこれまでを振り返り、追いつく為には何が必要なのだろうかとこれからを考え改める気持ちの仕切り直し。それが三番。


ボクが欲しかったのは、誰かの一番。一位という競い合ってつく順位じゃなくて、その人にとって大切だと思われる居場所を与えられていることが、羨ましかった。

朱里が与えてくれる家族の橙里への愛情でも特別でもない、アイドルの橙里を認めて、肯定してくれる誰かの一番が欲しかった。


たぶん、不安だったんだ。自分にとって未知の世界で、何が正しいことなのかもわからない場所。これでいいのか、このままでいいのかって思いが何処かにあった。

それが、二位票しかなくて誰の一番にもなれない、つまり拙いながらも進んで来たアイドルの橙里が否定されたみたいに感じて、悲しかったんだ。だから沈んだ。

それはもう目も当てられないくらいに。ライブの時の一位票ゼロ表示も結構ズキッとした。


でも、朱里が言ったように二番も大切だって言って貰えているんだって、アイドルの橙里を否定しているものではないんだってわかるから、今は平気かな。

……誰かの一番になれていたと知ったから思えているだけなのかもしれないけど。そう思うと単純だなって思うけど、悩みなんて得てしてそんなものなのかもしれない。解決してしまえば不思議に思って笑ってしまうようなものなんだろう。


これからボク達が進んで行く道の先にはたくさんの困難があって、その度にボクは今回のように情けなくも悩んで立ち止まるのだろう。でも、その度に思い出す。

言葉にすることが恐ろしくて口を閉ざし、独りきりの暗闇に捕らわれ、見えない何かを怖がり目を閉じ、怯えて耳を塞ぎ俯いてしまったとしても、きっと思い出せる。


「っだぁああぁーーーーっ!橙里っ、こいつらどうにかしろ!」


恐れることはない。暖かな春風が激しくも繊細にくすぐり口を綻ばせてくれる。


「なぁなぁ~、橙里は俺がカッコいいって言ってくれるよなー?」


怖がらなくていい。晴れやかな夏の日差しが足元まで明るく照らしてくれる。


「橙里も参戦しますか?誰が一番格好いいの言葉に相応しいか」


怯えることはない。涼やかな秋風が叱咤しながら華やぐ音を耳へ届けてくれる。


「勝負だからな。遠慮は無しだぞ、橙里」


俯かなくていい。(さや)かな冬の煌く星が静かに顔を上げるのを促してくれる。


前を向き、手を伸ばす。たったそれだけで十分。諦めない限り、その先に道は広がっている。動き出す為に必要なのは、何かを求める自身の欲求。

アレが欲しい、こう在りたい。そんな一見すると我が儘な願いこそが、理想に近づくために必要なものなのだろう。


騒がしい室内の決して不快ではない賑やかな音を聞きながら、不思議と静かに感じる朱里の声を聞く。


「ねえ、お兄ちゃん」


悪戯へと笑みを戻した朱里につられ、上がる口角。


「欲しいものは、何?」

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