その7
ざわざわと、音が集まればそう聞こえてくる不思議な空気のさざめきが耳に届く。
腕を、端末を、携帯を、逸る気持ちを抑えきれずにちらちらと見るものもいれば、カウントダウンを始める気の早いものもいて、ただただステージだけを見つめるものもいる。
トクリ、トクリ、と普段よりも少しばかり早い鼓動に触れて、ゆっくりと息を吐き出し深く吸い込む。
見上げる階段の向こう側、明るい日差し、天然のスポットライトに照らされるその場所へと、ボク達は駆け上がる。
オープニングはアップテンポのダンス曲。ライブの開始を待ちわびたファンの心のクラッカーを一斉に打ち鳴らせるような明るく楽しい曲調から。CD音源と同じアレンジを加えぬ耳に慣れた音、PV映像や音楽番組で見慣れたダンスが展開されて響けば、目の前で歌って踊るボク達が偽者でも液晶画面の向こう側でもなく、現実のものと認識される。
さあ、楽しんで行ってくれ。心行くまで、ボク達と共に歌って踊って騒ごうじゃないか。同じ時間を共有して、夏の暑さを忘れるくらいにはしゃいで浮かれて、そして、笑顔で明日を始められるように元気をここで充電して行ってくれ。
心温まるバラード、切なくなるラブソング、鬱憤を吹き飛ばすロック。
お気に入りの楽曲は披露されたかな?ラインナップになかったならばそれは残念、また次の機会に期待して。
でも、今日の曲も悪くなかっただろう?新しく好きな曲としてチェックしておいてよ。何度も何度もリピートして、音源がなくても頭の中で曲がフルスコアで流れ始めたなら、お気に入りの項目に追加しておいて。
そうすれば、次のライブはもっと楽しいものになるからさ。
大音量で流れる曲に身を委ね、声を張り、舞い踊る。ステージの上を駆け回り、近くの観客に手を振って、遠くにいる相手にはカメラ越しにキスを投げる。
楽しんでくれている空気を声援と曲に合わせて体を動かす様子で示されて、こちらの気持ちも盛り上がる。熱量を上げて行く会場に、クールダウンとミントが香るミストが降り注げば、きゃあきゃあとはしゃぐ声があちこちから聞こえてくる。
激しい運動量に切れる息を曲の合間に整えて、流れ落ちて行く汗を拭う。
倒れてしまわないように水分を補給し、次の曲に合わせて気持ちを切り替える。
一曲また一曲と一つの曲が終わる度、疲労を蓄積する身体を楽しさで高揚した気持ちが支えて走らせる。まだ歌える、まだ踊れる。楽しくて嬉しくて堪らない気持ちをすれ違いざまのハイタッチで仲間と共有する。
残すはラストナンバーのみ。とっておきの一曲を残して迎えるのはリハーサルでも詳細は語られなかった秘密の時間。何でも社長直々のお楽しみタイムらしい。
ボク達に対してのサプライズでもあるとのことで、何があるのかまったく知らされていない未知の時間だったりする。
何があるのかわからないのはちょっと不安でもあるのだけれど、最後の曲は曲調がゆっくりしているので出来れば息を整えて挑みたい。そういう意味では休憩時間に出来るかもしれない時間は有り難い。次回からは自分たちでそういう合間の時間を作れないか相談しておこう。
「紳士淑女、少年少女の皆様、盛り上がってるかしら~?」
ボク達のステージ衣装とはまた違う意味の目立つ格好をしている社長の登場に歓声が上がり、会場全体に広がっていく。
「っはぁー……さっすがしゃちょー、堂々としてるぅ……」
一旦ステージ袖に下がったボク達と入れ替わりに一人でステージに立つ社長。
その姿をステージ上確認モニターで見ていると夏彦が笑いながら呟いた。
冷やしたタオルで汗を拭い、首筋を冷やしと与えられた小休止をしっかりと活用して息を整えているその様子には、前回の話も出来ない様子は窺えない。
努力の成果を自身以外にも実感しながら朗々と語る社長の声に耳を傾ける。
「楽しい時間ももうすぐ終わり。もっともっとと望んで寂しがってくれるそんな皆様に素敵なサプライズよ。皆様、新曲はお買い求め頂けたかしら~?」
元気のいい幼稚園児と先生のような問いかけと返事のやりとりが始まって、ボク達は何が始まるのかとモニターに釘付け。肯定意見が返ってきたところで大きく口角を持ち上げた社長は告げた。
「アンケート用紙に大事な想いを込めたかしら~?」
肯定が返り、ざわざわと会場が期待の音でざわめき始める。
「それじゃあ、人気投票の結果発表といきましょうか!」
爆発するような歓声を聞き、ボク達はそれぞれ視線を合わせて思い出した。
今回、結果発表の薄い冊子が配られていないことを。
「……はー、そういやぁライブと新曲の宣伝であちこちのテレビ局バタバタ移動してて忘れてたな」
「空いた時間はほとんどトレーニングに回してましたからね」
「余裕があった俊春と秋夜が思い出さないんだからへろへろだった俺たちじゃムリムリ」
「毎日よく眠れた」
そのお陰で誰一人として今日この瞬間まで思い出さなかったのだから頑張っていたよねボク達は。
音楽番組はともかく、宣伝活動だと少なければ一人での仕事もあり、有り難いことにそれぞれ本当に忙しかった。開票作業はボク達が知らされない場所でひっそりと行われるから、とすっかり忘れていたことを言い訳に発表についての説明を始めている社長に注目する。何せボク達もいま初めて知らされたのだから段取りがぶっつけ本番なのだ。失敗するのは格好悪いじゃないか。
順位は五位から順に上へ、で発表されるようだ。薄い冊子でやっていたように一部ファンからのメッセージも読み上げるので会場にいる人のものが読まれても照れないようになんて注意事項が説明されている。別に照れても支障はないと思うのだが、込み合っている会場で走り出すと危険なのでやめましょうねということだろうか。
浮かんだ疑問に小首を傾げていれば、スタッフさんがこの後の動きについて説明を始めてくれた。順位発表後に名前を呼ばれたらステージに戻り、一言コメントを取ってそのままステージに残り次の人を待つ。全員ステージに戻って、社長が曲名コールをすると五カウント後に演奏を始めるので配置について歌い始める。
流れを確認しステージに出た後の立ち位置を軽く確認し直していると、「さあ、いくわよー!」と会場を勢いづける社長の声が聞こえ、ドラムロールの音がドキドキ感を煽ってくれる。ステージ袖で待っているボク達も同じドキドキを味わっていると観客は知らないだろう。ピコリーン、…………たぶん。
「惜しくも五位、最初の一人は」
重低音から高音へ、ドラムロールの終わりを告げるシンバルの音が鳴り響き、呼ばれる名前。
「チャームポイントはわんこのようなふわふわ尻尾の髪の毛、今どきのちょっとチャラい見た目に反して頑張る時は頑張る子、夏彦くーん!」
「なんつー紹介してんですかしゃちょぉおおぉおおーーーーーーっ!!」
夏彦が風になった。ここまでの疲労を置き去りにする良いダッシュでステージに登場した夏彦の顔は、熱中症とは関係ない理由で真っ赤だ。
「あら、いい叫び声。ちなみに今のはファンの子からのメッセージの抜粋よ」
パチンと綺麗にウインクをされておっしゃられましても夏彦の戸惑いは消えませんよ社長。理解するまでに二拍の間が空いて、会場に響き渡るのはマイクを通したは行の一文字目。夏彦渾身の大絶叫であった。
「はいはい、驚きは良いから投票してくださったファンの子たちへ一言よ」
絶叫もなんのその、夏彦へとコメントを促す社長の笑顔が実に楽しそうで待っているボク達は真夏だというのに寒気を感じて震えた。――次は我が身だ。
「っ、俺の髪は犬の尻尾じゃなーーーーいっ!!」
「はーい、じゃあお次は四位と参りましょー」
さらりと流された。これが続くのか?これが自分にも降りかかるのか?どうして今回に限ってこんな公開処刑のような結果発表になったのかを教えてください社長。
間違いなく流転の四季、全員一致の疑問です。報・連・相はどこですか。
無慈悲にドラムロールが鳴り始め、ステージでどうしていいのか困る夏彦が可哀想だが、容赦なく次の犠牲者を呼び出そうとする音にステージ袖は戦々恐々、それどころではない。聞こえて欲しくないシンバルの音が高らかに己を主張した。
「あぁマッチョ、どうしてそんなにいい肉体、高身長でよいマッチョ、その上眼鏡の似合う文学青年とか反則ですよ、美冬くーん!」
あ、夏彦よりはいいかもしれない。そう思ったのはボクだけではなかったようで、軽い足取りでステージへと上がっていく美冬。……夏彦、気持ちはわかるがライブ中だ。その俺と扱いが違うって顔はやめなさい。スマイル大事よ。
「予想違わず静かに登場ね。一言どーぞ」
「最近はトレーニングしてます」
それは必要に迫られてだろう美冬。マッチョマッチョと言われたからなのか、その返しは。ステージの夏彦もステージ袖の処刑待ち三人もかくりと肩を落とした発言なのに、会場からは黄色い声が上がっている。きっと美冬にプロテイン入りのプレゼントを送っている子たちなのだろう。
「マッチョは一日にしてならずってことかしら。次は三位よ、準備はいーいー?」
よろしくないと言ったところでドラムロールは鳴り響く。ポンポンっと両肩が叩かれて、下を向いていた視線を持ち上げれば、左右に立つ春秋コンビが笑顔で手を振ってくれた。……わかってます。次はボクですよね。不動の三位、逝ってきます。
「どうして三位、納得いかないけれど動じない姿がカッコいい、綺麗可愛い格好いい、どれも素敵だけど最近の一推しはしょんぼりとうりくん!」
走った。よりにもよってそれなのかと叫びたい気持ちで一杯の状態でステージに出て行けば、苦笑している美冬はともかく、「同士よ」とか言って歓迎してくれそうな夏彦が自分の状況を物語ってくれている気がしてならない。
「のんびりさんが慌ててるのは珍しいわよね。はい、一言」
楽しそうで何よりですね社長。
……もうしょんぼりしてませんので別のものでお願いします。
「そーぉー?偶にはしょんぼりもいいのよ」
からかうような茶化すような。そんな響きの中に違うものがいた気がして社長を見たけれど、見えたのは後頭部で後ろ姿。四度目のドラムロールが鳴り始める。
「さーあ、行くわよ第二位は」
高く響いた音の後、聞こえるファンからのメッセージ。
「マッチョになんてならなくてもいいんだよ、小熊猫なあなたがサイコー、合法ですよねシュンシュンー!」
ライブ中、ステージ上なのをわかっていても数秒先の未来を見てボク達三人は生暖かい目を向ける。小柄な体が勢いよく駆けてきて、音がしそうなくらいの急ブレーキを踏むと、社長と観客がいる方向へ向けて大きく口を開いた。
「シュンシュン言うなぁああぁああああーーーーーーっ!!」
爆が付く笑いが起こるアイドルのライブ会場とは一体……。だが、すまない俊春。
キミのファンが楽しんで、それによって周囲の皆も楽しめるのであれば、これはこれでありかなと思ってしまう。なにより、本気で怒ってはいないものね、俊春。
「笑顔を呼び込み誠に結構。さぁ、残すは一人、個性的な五人組の中で見事栄えある一位の座に輝いた子を呼ぶわよー、声を揃えてせーぇの!」
興奮している俊春の肩を宥める意味でぽむぽむ叩いて所定の位置へと促す。
ライブ中だと割り切るのは早く、それだけで体は反応してくれる。……体は。
奇跡の合法ショタなんてファンの間で言われている可愛らしい顔は、風船みたいに膨らんでいるので……ファンサービス、になってるなコレは。
俊春の反応が楽しくてファンはわざとシュンシュンと呼ぶからね。
さて、声を揃えてということは、残る一人を会場の皆で呼ぶつもりなのだろうけれどファンから頂いた有り難いメッセージとはいえ、先に呼ばれたボク達はなかなかどうしてな言葉を頂戴しているのに、キミだけ狡くはないだろうか。と、思ったのは呼びかけの合図が鳴っている間だけのこと。
「「綺麗に笑って罵ってぇーーっ秋夜さまぁーーーー!!」」
声に視覚効果はないはずなのに、見事に黄色と思わせてくれる興奮した高い声を聞いて理解した。成程、秋夜教はブレがないのか。掛け声は相談するまでもない定型文、タイミングを計る合図さえあればピタリと揃って当たり前。そういうこと。
改めて知るファンの結束力、いや統一感?素直に凄いと感心していいのか悩ましい心境を反映した何とも言い難い顔で秋夜がステージに上がって来るのを目で追う。
浮かべる笑顔はこれぞアイドル、歓声に応えて手を振る勝者の登場シーン。
通常ならば甘い声音で感謝の言葉を述べてくれるキラキラした光景が展開されるのだろうが、
「お断りです。別の何かで代用してください」
現実はこれである。想像を違えていないのは笑顔で手を振ったところのみ。
そもそもの呼びかけに難があるのだから返す言葉に難がない訳はなく、当然の帰結。ご要望通りにファンに向かって罵るなんてアイドルどころか人としてどうかと思われる行動に否と答えるのは正しいはずなのに、何か間違えている気になってくるのは断られているにも拘らず黄色い悲鳴が上がるからなんでしょうか。ボクにはちょっと理解できない濃い世界です。
「流石に罵るのはまずいからこれで満足して頂戴ねーオトメの皆様」
「はぁ~い」とお利口な返事をする秋夜きょ…………っん、秋夜ファンの皆様。
それを聞いて頷いた社長がマイクを手に再び声を張る。
「それじゃあ気になる得票数の発表ね。大画面をご覧あれー」
くるりとしなやかな腕の振り上げでステージの後方に設置された特大モニターを示す社長。同時にステージ上のボク達を映していた画面に発表されたばかりの順位とその得票数が表示される。
表示された数字の桁がそれぞれ物凄いことになっているのを有り難いことだと思うと同時に、ボクの目は一点で釘付けになる。
得票数は三段表示されている。一位票数、二位票数、合計票数の三段表示。
空気がうねるようにライブ会場がざわついた理由はきっと……ボクが見ている数字の所為だろう。目が離せないその異質な数字に、あの声が聞こえ――――
「橙里くんファンだいちゅーもぉーーーーくっ!!」
なかった。社長の声が見事にかき消した。後方のモニターへと向けていた視線を社長がいるステージ前方へと戻せば一瞬目が合い、ウインクを頂いた。
どういう意味なんだろうか。
社長の声でざわつきは音を小さくしたものの無くなった訳ではない。無数の視線が見えない針となって全身へ突き立てられている。そんな気がして、きゅうぅっと心臓が嫌な軋み音を立てる。逃げ出してしまいたい気持ちがどこかにあるのか、じりっと下がりかけた足を四つの衝撃が止めた。
「胸張ってろばぁーか」
痛みを感じるくらいの力で腰を叩いた俊春。
「偉そうなくらいで丁度いいんですよ」
軽い力で左肩に触れた秋夜。
「そーそー、堂々としてていいんだって」
右腕を肘で小突いた夏彦。
「しょんぼりする必要はない」
柔らかく背中を撫でた美冬。
「「橙里はリーダーだろ」」
マイクを通さない声は広い会場の中、ボク達五人にしか聞こえない決して大きいとは言えないもの。なのに、重なったそれは鼓膜を震わせ、何より大きく響いた。
どうして皆、誇らしそうに笑っているのだろうか。表示された数字をボクと、会場にいる観客と同じように見ているのに、何故そんなにも自信たっぷりなのだろう。
与えられたやさしい熱に戸惑い、疑問の答えを掴めず瞬くけれど、浮いたはずの踵は地を掴む。胸が温かくなる言葉に気弱になった心を支えられ、ボクの両足はしっかりとステージの上に立つ。
――「人づての話に真はないのよ」
朱里の言葉が蘇る。そう、これは公の場で示され、語られる真実。
――「そういうこともあるんだって学ぶ機会だったとプラスにしなさいな」
それがどんな結果であろうと、今のボクが歩いてきた嘘のない本当。
――「橙里は同じ失敗を繰り返さない賢い子だもの」
同じ轍は、踏まない。
ゆっくりと伏せた目を開き、強く前を見た。
「どうして橙里くんの一位票がゼロなのか納得いかないファンの子、挙手ーー!」