その2
アップテンポの曲が響き渡り、明るい声が縦横無尽に広がる。色とりどりの光が振られ、頬を上気させて輝く目に映る煌びやかな衣装をまとった五人の男たち。
広い舞台の上で鮮やかにステップを踏み、軽やかに駆けて行くその頭上でパンッという破裂音と共に銀の紙吹雪がひらり舞う。
軽快なリズムを刻んでいた音が終演を告げれば、割れんばかりの歓声が場を満たし、その様子を見た男たちは笑顔で舞台から消えて行った。
地鳴りのような拍手の音が遠くに聞こえるのを捉えながら、ボクはふと考えた。
どうしてアイドルなんてやっているのだろうかと。
「ねえもう聞いてよ信じらんない!」
キンと耳に突き刺さる声を上げたのは、時折起こす理不尽な振る舞いを渋く窘めながらも結局は許容してしまう妹と呼ばれる特典ありの存在。
ハイテンションなのはいつものことだが、本日の興奮は目を輝かせ頬を赤くしているところから察するに、ご機嫌な様子である。
不機嫌な時は宥めるのに時間がかかるのでこちらの方が有り難い。
「すごいのすごいのっ聞いて聞いて!」
どすりと鈍い音、まではしないがいきなり背中に激突してくるのは如何なものなのだろうか。泡立てていた生クリームがボウルから零れるところだった。
危ないので作業を一度中断し、きゃあきゃあ言って揺れているツインテールと向き合う為に抱きつかれた腕の中、体を反転させる。
と、それを待っていたのかアップリケの施されたエプロンから顔を上げた身内びいきを差し引いても愛らしい顔がキラキラした目で見上げてくる。
「あぁんもぅっ流石超絶美少女なあたしのお兄ちゃん!」
ご機嫌麗しいのはよくわかったが我が妹の朱里、肝心の何がどうしての部分がまったくわからないので早急に説明をしてはくれないだろうか。
恐らくそのご機嫌具合が手にしているよく見るサイズの封筒によるものなのだとは推測できるが、それが何を意味しているのかまでは推し量れない。
謎なのはそれによってまず自分を褒め称えた上でどうして兄を褒めるに繋がるのかだ。
「物理的にも気分的にも妹はとても鼻が高くて誇らしいわ!」
それは結構なことだ。
だから何があってそんなに己を賛美し興奮しているのかを教えて欲しい。
「オーディションに通ったの!書類審査パスしたの!次は面接だから飛び切り飾り立ててあげるわね!」
朱里、よくわからない。
何かの書類審査に通ったから次は面接で気合を入れて己を良く見せようと飾り立てるのはわかったが、今の言い方だと飾り立てられるのは兄にならないか?
兄を飾り立ててどうするんだ?保護者として連れて行くのか?別に構わないが。
「これに受かればお兄ちゃんはアイドルね!」
朱里、ちょっとそこに座りなさい。
ご機嫌に笑顔を振りまいていないで手にした封筒を渡して詳しく説明しなさい。
そう、何を考えチャレンジしようと思ったのか、アイドルのオーディション書類に兄の写真を貼り、兄のプロフィールを書き、事務所に書類を送付してしまった妹。
本人の知らぬ場所で結果の出た合否通知が自宅に届き、わくわくしながら妹が開封した結果は面接審査に来てくださいという書類審査の合格通知だった。
自発行動ではないのだが、通ってしまったからには面接に出ないのも失礼だろうとご機嫌の朱里に飾り立てられて会場入り。
志望動機を聞かれたら「妹が勝手に応募したのでありません」と断りを入れてフェードアウトしようかと思っていたのに、
「十二番、橙里くんね。きみ、合格だから別室で待ってて頂戴」
面接が始まる前に煌びやかなおねえ口調のお兄さんに声をかけられて大誤算である。どうしていいものか、そして貴方は誰ですかと戸惑っていればスーツを着た別の人に「こちらです」と促されて流された。
そうして小一時間ほど待っていればスーツの人と共に現れたその人。
「お待たせ~。今度『流転の四季』っていうグループを作るんだけど、橙里くんはそこに入って個性豊かな子をまとめるお兄さん役になって貰うからよろしくね」
単刀直入で理解が追い付かないのに待ったをかけさせてもくれない様子にどうしていいのかと途方に暮れた。そもそも貴方はどういう人なのかを教えて欲しかった。
と思っていればスーツの人が「社長」と呼んだので立場だけはわかった。
現状況を何の解決にも導けない結果だったが。
その後あれよあれよと進められていく話を聞き洩らさないように頭へと留めていたのだが、最後に「わかったかしら?」と問われてようやく口を開く機会を得られ、最初に告げるべきだったことを口にした。
けれど、社長と呼ばれたおねえ口調のお兄さんはくすりと笑っただけだった。
「そういう子も偶にいるわよ。いいじゃない、物は試しよ。どうしても嫌だってわけじゃないのならやってみなさいな。案外、新しい世界が開けちゃうかもしれないわよ?」
開いてはいけない世界ではないですよねと不安になっていれば、ぱちりと上手にウインクをして社長は続けた。
「無理な時は無理でも構わなくてよ。でも、向いてると思うわよ、この仕事」
何の根拠があって、とは聞かなかった。何故かは知らないが妹の朱里も同じことを言っていたからだ。
ちなみに何故かを問えば「あたしのお兄ちゃんだから!」とわかるようなわからない回答をくれた。
アイドルのことなど欠片も知らないものが一体どう向いているのかと思いはするが、特段やりたいこともなかったから言われるがままに物は試しと気楽に構えて始めてみることにしたこの仕事。
「メンバーに紹介するよ」とスーツの人、辛島さんに四人を紹介された時になんとなくだが理解した。
「そんなに筋トレしてもその細腕には贅肉以外の肉は付かないと思いますよ」
「筋トレしてんのに贅肉が付くかよ!!喧嘩売ってんのかてめぇっ!!」
「「…………」」
おっきいのとちっさいのが騒いでいるのに、眼鏡をかけた体格よい子は涼しい顔で読書、髪を結わえた子はにこにこしながらスマホに熱中で我関せず。
まとまりとは一体何を差している言葉だっただろうか。
「本当、よろしくお願いするよ、リーダー」
顔色悪く腹部を押さえてボクの肩を叩く辛島さんが切実そうで哀愁を誘っていた。
成程、まとめ役のお兄さんね。勝手にアイドルのオーディションに書類送付してしまう妹を持ちながら、何でもない様子で会場に現れて面接に臨み、フェードアウトを目論んでいた兄になら個性豊かな子という問題児も御せるのではないかということなのだろう。
「お疲れ様ー。ライブ、盛り上がってたね」
息も絶え絶えではないが、それなりの疲労感と流れる汗にタオルとスポーツ飲料をそれぞれ手にしているボクらの元へとマネージャーの辛島さんがやってくる。
「流石ライブ告知後のチケット販売が初日で完売した期待の新人グループ。アンコールも終わったのにまだ拍手が聞こえてる。マネージャーとして誇らしいよ」
うんうんとにこやかに語る辛島さんだが、水分補給で忙しいメンバーは誰も返事をしない。単独ライブは体力勝負と先輩方に話は伺っていたが、いま納得している。
恐らく五人全員が思っていることだろう。
トレーニング量を増やさなければ今後はきつい、と。
憧れの筋肉取得のため自主的に筋トレを行っており、恐らくこの中で一番体力があるはずの俊春が汗だくなのだから一番体力のない夏彦が壁にもたれかかって動かないのは必然のことだ。
ほら、ストロー挿してやるからちゃんと水分補給しろ夏彦。
「……ぁ、きゅ」
普段なら笑顔を浮かべて言うだろうお礼の言葉、それが出来ないお疲れ具合に何を言っていいのやら。上がってしまった体温を少しでも早く冷ましてやろうと冷え冷えシートを首裏へと貼ってやれば、これにも短い礼が返ってくる。
喋らなくていいからスポーツ飲料を飲め夏彦。っと、美冬もダウンしそうだ。
お前にも貼ってやるからしっかりしろ。
「……ぁ……はぁ…………き……もち、ぃ」
そうか、それはよかった。空になったペットボトルを寄越して次を飲め美冬。
流れてくる汗を拭いながらへばっている夏冬コンビを介抱していると、ピトリと冷たいものが頬に押し当てられて吃驚する。何かと思えば冷たいペットボトルだった。
「人の面倒見ている場合ですか。そこに座っておとなしくこれでも飲みなさい橙里」
馬鹿ですかと書いていそうな顔でペットボトルを押し付けて来た秋夜に近くにあったパイプ椅子へと座らされた。確かに疲れてはいるがあの二人ほどではない。
そう思いながらペットボトルの蓋を開けようとして途方に暮れる。開かない。
「はぁ……、貸しな」
何故開かないのかと首を傾げる前に、とんっと横の長机に腰かけた俊春が手を差し出し……ではなく、開けられないペットボトルをボクの手から奪った。
パキンッと封を切る音がし、ご丁寧に蓋を取られた状態で差し出されたので礼を言って受け取る。ああ、身にしみ渡る。
「ほら、これも貼ってあげます。筋トレマニアの俊春ですらこの様なんですから僕以下の貴方に余力があるわけないでしょう。おとなしくしていなさい」
ぺたりと首裏にひんやりとしたものがくっついて高くなり過ぎた体温を緩和してくれるのがわかり、息を吐き出した。美冬、これは気持ちいいな。同意する。
カタンと椅子を引き、隣に腰を下ろした秋夜も流石にぐったりとした様子だ。
「引っかかる言い方だが同意見。ふらふら歩き回るなよな、倒れるぞ」
自分用のペットボトルを開けると中身を半分まで一気に飲んだ俊春が、汗を拭いながら視線で大丈夫かを問いかけてくる。
そうか、ふらふらしていたのか。道理で視界が揺れていたはずだ。
「やはり自覚なしでしたか……。無理はやめてください、橙里が倒れるといろいろ面倒なんですからね」
溜息を吐く秋夜も口は呆れた様子だが、俊春と同じく心配そうにボクを見ている。
俊春のようにわかりやすく示してはいないが、やるなら徹底の秋夜も自主トレを欠かさない。指定された最低限をこなすだけのボクと夏冬コンビとは基礎体力値が違うようだ。
「あぁ……橙里くんが入る前とは段違いの団結力。感涙に咽び泣きそうだよっ!」
ハンカチを持って潤む目を拭う辛島さんを死んだ魚のような目で見る春秋コンビ。
これを見ると仲が良さそうに見えるとボクも思うのだが、言った途端に騒がしくなるので口にはしない。
「なに気持ち悪ぃこと言ってんだよマネージャー」
「名前に一本線が足りないだけでなく、頭の螺子も一本足りてないんですかマネージャー」
「春秋コンビが辛辣っ。窘めてよ橙里くん!」
「休ませろや」
「休ませなさい」
「正論過ぎて返す言葉もないね、ごめん」
ボクが来る前というのは知らないけれど、時々発生するミニコントを見る限りでは元から仲は悪くなさそうなのだが、これを言うと勢いよく否定されてからこんこんと説き伏せられるのでやはりお口はチャックである。
「で?ライブが終わって良かったよ~だけじゃないんだろ。要件は?」
「俊春くんってそういうところドライだよね。心から祝ってるのに」
「はいはいどーもありがとさん。で?」
「……私もまだ詳細は聞いてないけれど次のライブが決まったよ。近い内に社長から話があると思うからどんな方向性にするか案を考えておいてね。じゃあ車の用意してくるから準備しておいて」
大事なことを何でもないことのようにさらりと言ってあっさり立ち去る辛島さん。
整い始めてはいるけれど、それでも乱れている呼吸音が無音の室内に木霊する。
「なんであの人仕事の話はあんなにローテンションで話して消えるんだ?」
「知りませんよ。気分の高揚する場所が人とは違う方向を向いているんでしょう。それにしても……次ですか。喜ばしいことですが、この惨状を思えば諸手を挙げてとは言えませんね」
まだ疲れの残る息を吐きながら秋夜が見るのは、ようやく息が整ってきたボクと壁でへばっている夏冬コンビ。水分補給は出来ているが目が虚ろだ。
その様子を同じく見ている俊春は汗を拭いながら溜息を吐く。
「真冬のライブで熱中症もどきだからなぁ……。こりゃトレーニング量増やさないと次のライブじゃ舞台上で倒れる奴出るぞ」
「僕がいるグループでそんな無様は許しませんよ。俊春、君は筋トレ関連でジムのトレーナーに伝手があるでしょう。僕たちに紹介しなさい」
「命令されてるみたいで腹立つが、いいぜ。俺とお前、あと橙里は自主トレでどうにかなっても夏冬は厳しいだろ。特に夏彦、監視する奴いないとサボりそうだ」
「すぐにへばるの間違いでしょう」
否定はしないが容赦がない春秋コンビの言葉に反論できる体力がない夏彦は恨めしそうにこちらを睨んでいる。そうか睨むだけの意識はあるのか、よかった。
そう思っていると見ているのに気付いたのかストローを咥えて水分補給を再開し始める夏彦。おかわりの準備が必要かな。
それにしても、すぐに次の対策を練り始めるあたりこの二人は真面目だと思う。
目が合えば試合開始のゴングが鳴り響くかのように騒ぎ始めるが、互いに交わした会話の内容をよく覚えているものである。
「はぁ?我関せず顔で聞き流してるふりしてるお前が覚えてることにこっちはびっくりだよ。つーか感心してねぇで着替えようぜ。トレーニングの話は帰ってからでいいだろ」
確かに。グループで広々とした一軒家暮らしをしているのだから相談はいくらでもリビングで出来る。
「仲良くなるには生活環境から!」と言って男五人を一世帯に放り込んだ社長の一見暴挙とも思えるやり方にいまは感謝する。
「…………ふぅ……夏じゃ、ないと……いぃ」
やっと会話に参加できるところまで回復した美冬の言葉に衣装の上着を脱ぎ始めた俊春が渋い顔をした。見れば秋夜も似たり寄ったりの表情を浮かべて美冬を見ている。何なのだろうか。
「美冬、そりゃフラグっつーんだよ」
「ええ。君たち、真面目に頑張ってください」
フラグとはなんだろうかと美冬と不思議そうな顔をしていれば、夏彦は死にそうな顔になっていた。わかるのであれば教えて欲しいところだが、いまは説明に体力を使うのではなく着替えに残り少ない体力を捻出して欲しい。
思わぬ形で始まって、まとめ役のお兄さんをしてと言われて今現在。
意外と何とかなっているので社長や朱里の言うようにボクにアイドルという仕事は向いているのかもしれないと思い始めていたりする。
なにより、こうしてグループの皆と話しているのは楽しい。