【番外編】黒川 真人の往古
「ヤクザの組長に身売り的な事をしたが、どうやら立場は妹らしい」の番外編。
俺は、日本最大のヤクザグループ「黒川組」の組長、黒川 総悟の孫息子として、この世に生を受けた。
両親はーー特に俺の父親、黒川 黎人は、争いごとが嫌いだった。
だから俺の父親は組を継がなかったし、俺に「真人」なんていう、ヤクザの家の息子に不釣り合いな名前をつけた。
俺の祖父、黒川 総悟は、残酷な人だった。
「ほら、しっかりと見ろ真人、これが将来、お前の歩む道だ」
そう言って、幼い頃から殺人や拷問の現場を見せられた。
正直最初は吐き気がしたが、慣れてくるとそうでもない。一年もすれば、目の前で人が殺されても、何とも思わなくなっていた。
これが遺伝子というものなのだろう。
そんな俺を、祖父は心底気に入っていた。
「黎人と違って、お前は肝が座っている! 時期組長は真人だ!」
そう言って、祖父は俺に、ヤクザの英才教育を行った。
嫌ではなかった。
これが、黒川家に生まれてきた者の道なのだから。
両親からは捨てられた。
人一倍優しい連中だったが、もう祖父から俺を取り戻す事は出来ないと思ったらしい。
誰もが俺を時期組長と崇め奉り、媚びを売った。
ヤクザになるのは構わない。だが俺は、その行為が嫌いだった。
他人に尻尾を振ったり、服従する事が嫌いな俺は、それと同時に、同じような行為をされる事も嫌っていたのだろう。
やがて祖父の隣を歩いていくうちに、「人の本性が分かる」能力が身についた。
それで気がついた。
どんな人間にも、必ず醜さがあるという事に。
美しい人間はいない。
俺はそう思っていた。
*
「今日から真人の直属の部下兼側近の、後藤 謙次だ。まぁ、仲良くしてやれ」
俺が十三歳の時の夏。
祖父はそう言って、一人の少年を連れてきた。
色黒で、目付きが悪い。
おまけに身体中傷だらけの、同じ年くらいの男だ。こいつが...俺の部下?
「お祖父様、一体何処から拾ってこられたんですか?」
「いやいや。近頃うちのシマで暴れまわってるガキがいるって聞いてな。随分な腕っ節なもんだから、スカウトしてきた」
「いや、スカウトって...」
まぁ、腕は立つようだ。
「親は?」
「...いない」
後藤は俺の質問に、ぶっきらぼうに答えた。
どうやら親戚も何もいない孤児らしく、この間孤児院から脱走したんだとか。
家も金もないので、折角だから俺の部下にしてしまおうと考えたんだとか。アホらしい。
一応本性くらいで見ておくか、と目を合わせたその時、俺は驚愕した。
”この男は驚くほど単純且つ、純粋だ”
自分の好きなようにする。
誰にも媚びる事がない。
ぶっきらぼうでも、優しさがある。
孤児の不良の癖に、中々純粋な奴だった。
喧嘩っ早い単純な男の癖に、その心の中には醜さなんてなかった。
「俺は、黒川 真人。これから宜しく頼む」
俺が人に片手を差し出したのは、これが初めてだった。
*
「ねぇ組長ぉー、俺、これからどうすれば良いんですかね? 組長のお守り?」
「お守り? 俺にそんなものが必要なように見えるか?」
「いーえ。全然」
後藤は、元々不良という事もあいまって、誰よりも度胸があった。
俺に対して時々タメ口も使うし、言いたい事はハッキリと言う。おまけに本音を隠さない、度の過ぎた正直者だ。
本来ならば、上司として怒るべきなのかもしれない。
他の連中のように、痛めつけたり、恐怖に慄かせたりするべきなのかもしれない。
だが、俺は嬉しかった。
初めて、友人のような者が出来たような気がしたから。
気兼ねない、媚びない、遠慮のないーー友人。
「後藤、お前は、俺の事をどう思ってる?」
俺はある日、唐突にそんな事を聞いた。
すると後藤は、少しも迷う事なく、こう答えた。
「無愛想な残酷少年って所ですかね」
「そんなに無愛想か?」
「えぇ。だって、組長が笑ってる所、俺、見た事ありませんもん」
確かに、俺は滅多に笑わない。
滅多に、というより...一番最後に、いつ笑ったかさえも分からない。
特に面白い事も、楽しい事もない。そんな中で笑えと言う方がどうかしている。だが、それが周囲には「冷たい人間」と捉えられるようで。
「まぁ、笑みに関しては善処しよう」
「それが良いですよ、組長」
後藤は、よく笑う。
何がそんなにおかしいのか、いつもニコニコ笑っている。
そういえばーーこの頃は後藤のお陰で見ないがーー俺に取り入ろうとしてきた連中も、ずっと笑っていた。下卑た、嫌な笑み。
それと比べて、後藤はどうだろう。
心から楽しんでいるような、純粋な笑みだ。
「お前は良いな。楽観的で」
「人生は笑わなきゃ損ですよ。笑う門には福来たる、ってね」
「お前が笑っておけ。そうしたら自動的に、俺の所に福が回ってくるから」
「へいへい。じゃあ、俺の幸福は、組長の幸福って訳ですね。あれ、なんか響きが素敵...あ、すんません組長。俺、男はちょっと...」
誰もそんな事言ってない。
と、言いたかったが、後藤が一人で大笑いしているので止めた。
可哀想に。頭のネジが数本外れているんだろうな。
「そういえば、何故俺の事を組長を呼ぶんだ?」
「え、だって、組長は組長じゃないですか」
「今の組長は、お祖父様だ」
「でも、後数年すりゃ、組長が組長ですよ。あれ、なんかややこしいな...」
可哀想に。こいつバカだ。
*
「組長、組長就任、おめでとうございます」
「あぁ」
俺が二十歳の冬。
祖父が死んだ。病気だ。
元々癌で体が弱っており、そのままポックリ逝ってしまった。
人の死を何度も見てきた俺にとっては、身内の死は、悲しむに足らなかった。
だが、俺は知っている。
祖父の葬式の際、後藤が声を上げて泣いていた事を。
いくら残酷な人であっても、彼は、後藤にとっての恩人だった。
かつて荒れていた自分を拾い、道を示してくれた恩人。
後藤は人目を憚り、一人、号泣していた。
俺は声をかけるなんて到底出来なかった。人の死を悲しむ感情なんてない俺が、後藤に声をかけられるわけがない。
「組長、泣かなかったですね」
「まぁな」
祖父の事は好きではなかったが、嫌いでもなかった。
俺の事を此処まで育て上げてくれたのは彼だ。そう考えると、後藤と同じく、祖父に恩を感じている。だが、何故か何の感情も湧いてこないんだ。
「無機質で悪かったな。生憎、俺は感情がないんでね」
「ハハッ、何を冗談を。組長はお優しいじゃあないですか」
「何処が?」
ーー貴方は、泣く俺に声をかけなかったでしょう?
「それは、優しいと言うのか?」
「えぇ。俺は、声をかけてもらわない方が嬉しいですからね」
違う。俺は優しくなんてない。
ただ、俺の心ない言葉で、より後藤を悲しませると思っただけだ。
俺は、優しくなんてない。
優しくあってはならない。
俺は今から、「黒川組」の組長なのだから。
*
「借金、五億ねぇ...」
それから、数年の時が経った。
俺も晴れて組長の仕事に就き、それも十分に慣れてきた。
だが、ただ淡々と、ヤクザとしてヤクやチャカの取引をしたり、シマ争いをしたりーー俺はそんな日々に、飽き飽きしていた。
おまけに、碌に仕事に集中出来ない。
四六時中、イラついてイラついて仕方がないのだ。
いくら酒を飲んでも、いくら煙草を吸っても、いくら女を抱いても、いらただしさは収まらなかった。
そんな中、部下の一人が”赤城 翔太”の背負う借金への対処を聞いてきた。
「面倒だな」
「えぇ」
「利子が膨らみ過ぎた、か。宝くじが当たっても、到底返せる金額じゃないな。あいつには一人娘がいたろう。売れ」
赤城 翔太の話は、元々耳に入れていた。
五億も組から借金を背負い、自己破産をする事も、組から逃げる事も出来ない男。子供がいる事も聞いていた。興味はなかったがな。
まぁ、子供を売ればーー特に女ならばーー幾らかの足しにはなるだろう。
「写真を見せろ。面倒なのだったら困る」
俺は、その写真の娘に惹かれた。
いや、正確には”惚れた”と言った方が正しいだろうか。恋慕というものを知らない俺は、この感情が何なのか、分からない。
そして、俺は赤城の娘にとてつもない異常性を感じた。
「...面白い娘だな」
こんなに心惹かれる奴は初めてだ。
俺は、そう思った。
*
サリンは可愛い。
サリンは天使だ。
サリンは本当に可愛い。
そして天使だ。
もう一度言う。
サリンは可愛い。
こんなにも人を見て気持ちが高ぶったのは初めてだ。
こんなにも独占したいと思ったのは初めてだ。
こんなにも人の色んな顔が見たいと思ったのは、初めてだ。
サリンは俺にたくさんのものをくれた。
奪ってきたばかりの俺に、たくさんのものをーー
サリンと生活していくうちに、一番初めに感じた異常性の正体が、薄々分かってきた。
「あの子は、人のために自分の命を捨てられる」
そう、他人愛の強い子なのだ。
自分を犠牲にしてまで、他の誰かを助けようとする。例えそれが、自分の命を奪う事であっても、誰かが助かるのならあの子はそうする。
その、歪んだ優しさが、俺の感じた異常性だった。
嗚呼、俺とは正反対だ。
サリンと出会って少しは人間らしくなったと思っていたが...自己犠牲愛なんて、俺には出来ない。いや、サリンのためならばきっと出来る。
「まぁ、歪んだ者同士、仲良くやっていけますよ。現に今だってそうじゃないですか」
後藤はそう言う。
あぁ、まぁーー確かにその通りだな。
だが、その自己犠牲の精神も、俺以外に向けられるのは我慢ならない。
俺以外のために、サリンが命を犠牲にする必要なんてないんだから。
俺以外のために、サリンが悲しむ必要なんてないんだから。
「ほら、組長も歪んでる」
知ってるさ。
でもまぁ、歪んでいても良い。
やっと、自分の生き方を見つけられたのだから。




