六話 掴んだ手がかり
「被告が被害者を殺害した方法は、刺殺ではなく撲殺だった。方法は説明する必要ないよな?」
アリシア検事はそう問いかける。
もちろん理解している。
つまり、さっきアリシア検事が提示した落下を利用したトリック。
それを撲殺するという殺害方法に置き換えて使用したという事だ。
「確かに、撲殺だったのかもしれません」
「そうだろう?」
私の言葉に、アリシア検事は笑みを深める。
「そんな……私はやってねぇ!」
メーフェが悲鳴にも似た声を上げる。
「リッチマンを殴っても刺してもいねぇよ! なのになんで……姉ちゃんまでそれを認めるような事を言うんだよ!」
「黙れ。ほざくだけなら誰だってできんだよ、ガキが」
アリシア検事は今までよりも一段低い声で返した。
鋭い視線に射抜かれ、メーフェが言葉を失う。
「お前が子供だろうが大人だろうが……。女だろうが男だろうが関係ない。抗う術のない弱い人間は、力ある強者に食い殺されるしかないんだ。だから見放される。お前が弱いから悪いんだよ! そして悪いやつは、罰を受ける……!」
怒鳴りつけられ、メーフェは涙目になりながらもどうにかアリシア検事を睨み付ける。
それに対してまっすぐ据えられるアリシア検事の視線。
やがてその圧に心が折れたのか、メーフェの視線はこちらへ流れてくる。
今にも泣き出してしまいそうな、縋る目だ。
大丈夫。
メーフェを見放すつもりなんて、かけらもない。
彼女の視線に、笑みを返す。
すると、彼女の表情が驚きとなり、やがて解れた。
私の笑みは、彼女を安心させるためだけのものじゃない。
今の私に気負いはない。
自然と出た笑みでもある。
少なくとも現状、私は心に余裕を持っていた。
「話を戻しましょうか、アリシア検事」
「いいぜ」
私の声に、アリシア検事は訝しげな表情を向けながらも答える。
「被害者は撲殺だったかもしれない。それは私も同意します」
「含みのある言い方だな。同意できない部分もあるみたいだ」
言われて、私は頷いた。
答えを返す。
「ええ。殴った後に刺す場合もあるという話でしたね」
「恨んでいる相手なら、それくらいするかもしれないだろ?」
「そんなに恨んでいる相手なのに、一度刺しただけで済ましたのですね」
私が言うと、アリシア検事は眉根を寄せた。
「それだけの時間的余裕がなかったのかもな」
「時間がなかった? 刺しても出血しなくなる状態まで、じっと待っていたのに?」
「道徳的に、それ以上の死体損壊が咎められたという事も考えられる」
「そういう分別があったわけですか。行動は感情的なのに、どうにも理性的な対応ですね」
私がアリシア検事の反論に反論を返していくと、次第にその表情は険しくなっていった。
やがて沈黙する。
仕掛けるなら、今だ……!
「そう、とても不自然なんですよ。撲殺後に死体を刺すという行為は」
さながらそれは……。
「……まるで後から付け足されたかのように」
何気なく呟いたその言葉に、アリシア検事は表情を一層険しくした。
いや、これはどことなく焦りが混じっている?
「だったらどうする?」
「ん?」
「事は貴族殺しだ。不自然な部分は確かにあるだろう。だが、このガキ以外に容疑者はいない。このまま無罪になれば、犯人を挙げる事はできなくなる。それはこの国の司法局にとって、まずい事態になるんじゃないか?」
貴族の威信に関わる、か。
正直、私にとってはどうでもいい事なんだけど。
「大丈夫です。そんな事にはなりません」
「何だと?」
「つまり、彼女以外の容疑者を提示できれば良いという事でしょう」
そう、別の容疑者。
真犯人だ。
その人物を提示する事ができれば、状況は好転するはずだ。
「できるのか? そんな事が」
「もちろん」
私は笑みを作り、強気に返す。
私が一番疑問に思っていたのは綺麗過ぎる現場の状況だった。
遺体に刺し傷があったなら、間違いなくリッチマン氏は刺されたのだろう。
スケッチの青いジャケットからは、布地の切れ目が確認できる。
が、赤い色は少しも描かれていない。
出血があったとしても、スケッチに描かれるほどのものではなかったのだ。
被害者の衣服や現場に出血の痕跡が見られないのは、ルーが説明してくれた心臓の停止と血液が体の下に溜まっていく現象の結果……。
……も考えられるのだが。
これは現場があの路地ではないから、という可能性もあるのではないだろうか……。
そこまで考え、ふと思いついた可能性がある。
「しかし証明する前に、一つ訊ねておきたい事があります」
資料には書かれていなかった事だ。
それを知るために質問する。
「リッチマン家の馬車が目撃されたという話でしたが、実際の所は本当にリッチマン家の馬車はその夜にあの場所へ向かったのでしょうか?」
「家の使用人から確認は取っている。被害者はあの夜、一人で馬車に乗って出かけたと」
「一人で?」
アリシア検事は頷いて続ける。
「そうだ。御者もなく一人でな」
「その馬車は現場になかったのですか?」
私が問いかけると、アリシア検事は驚愕した様子で目を見開いた。
苦しげな表情を作り、低い声で答える。
「……ああ。なかった」
「では、その馬車はどこに?」
「リッチマン家の敷地にある」
そうか。
なら、やっぱり私の考えは間違いじゃなかった。
自然と笑みに唇が歪む。
「それはおかしいですね」
「言われなくてもわかってる!」
強い口調でアリシア検事は答えた。
彼女も、この異常さに気付いたのだろう。
「被害者は一人で馬車に乗って出かけた。だが、被害者は出先で殺害された。なら、誰が馬車を自宅まで帰したのか……。そう言いたいのだろう?」
アリシア検事の言葉に、私は頷いて返した。
口を開く。
「それが誰なのか、私は具体的に名指しする事はできません。捜査資料には、リッチマン氏の家族構成や使用人の証言などが載っていなかったからです」
ついでとばかりに、捜査資料の不備を私は指摘する。
「ですが少なくとも、リッチマン家の馬車を自由に扱える人物である事は間違いありません。その人物は当夜、リッチマン氏と行動を共にしていた。そして、殺害されたリッチマン氏をあの路地へ遺棄した後、馬車で帰宅した」
そこまで言うと、アリシア検事は鋭い視線で私を睨む。
問いを発した。
「馬車に乗っていたリッチマンはすでに死んでいた、と?」
ん?
そうか……。
深く考えていなかったけど、馬車に乗っていたリッチマン氏がすでに亡くなっていたという考えは悪くない。
むしろ、それ以外に考えられない。
私はさも「当然想定していましたよ」という表情で深く頷いた。
「はい。リッチマン氏はその時すでに亡くなっていたのです。だからこそ、現場にも出血がなかった」
不自然に血痕のない殺害現場。
撲殺だったとしても、その時に出血があってもおかしくなかったのだ。
それすらないという事は、リッチマン氏の殺害現場があの路地とは別だと考えるのが自然だ。
そしてその現場は、恐らくリッチマン氏の邸宅。
殺害されたリッチマン氏は、馬車で運ばれてあの現場に遺棄された。
しかしこれはまだ憶測。
正直に言えば、それを裏付ける証拠はない。
だけど……。
「その一連の行動を起こした人物こそがリッチマン氏殺害の犯人であると、私は主張します」
人差し指をアリシア検事へ突きつけながら私は告げた。
犯人がメーフェしかいないという状況は、変えなければならない。
関係ないと判断したからこそ、リッチマン家の事は捜査資料に載っていなかったのだろう。
しかし、事件に関係があるとすればそうはいかない。
このまま、姿の見えない真犯人を引きずり出してやる。
「そしてそれができる人物は、リッチマン家に住む人物だけです。あとはその中から犯行に及んだ人物を特定しなければならないわけですが……。事情聴取した使用人とは個人でしょうか?」
「あの家の人間全員から、話は聞いている。そして、被害者が一人で出かけたと証言した使用人は複数いた」
「ならば考えられるのは、その証言をした使用人複数の犯行であるか、もしくは使用人に口止めができる立場の人間、そのどちらかという事になりますね」
「ふん。面白い話だ。その論証があくまでも仮定でしかないという事を除けば、な」
勢いでどうにかしたかったが、誤魔化されてくれなかったか。
どうしよう……。
「……お前は、どうしてそこまであのガキに肩入れする?」
唐突な質問に、私は面を食らう。
「聞けば、お前も貴族だろう。平民の、それも浮浪児なんて気にかけるようなもんじゃないはずだ」
友達だから、という事は言わない方がいいだろう。
私と彼女に繋がりがあれば、公平ではないと思われるかもしれない。
適当にそれらしい事を言おう。
「法廷において、優先されるのは真実であるべきです。この場で最も力を持つのは権力ではなく、法律であるべきなのです。……何よりも真実が隠され、罪のない人間が罰を受ける事が私には許せません」
最後の方は、少しだけ私情が入ってしまった。
けど、いい感じの事は言えたはずだ。
「ふん」
私の言葉に、アリシア検事は軽く鼻を鳴らした。
それから例のシンキングポーズを取り、彼女は難しい顔で黙り込んだ。
乳袋が押し上げられて浮き上がる。
……この検事、スケベすぎる。
なんて事を思っていると、彼女は小さく溜息を吐く。
「甘い事だな……」
小さく何事かを呟き、私へ鋭い視線を向けた。
「だが、間違いではない。力が全てだ。抗う力がないのなら、自分も他人も助けられはしない」
「?」
アリシア検事は、人差し指を私に突きつけた。
「お前の論証には一理ある。だが、一理だけだ。現場の証拠は、そのガキが犯人だと示している。それが覆ったわけじゃない」
「現場に残っているべき馬車が現場から消え、被害者の自宅に戻っていたという事実は無視できるものではありません」
アリシア検事に反論した。
そんな時だった。
「聞き捨てなりませんわ!」
傍聴席から、そんな声が上がった。
声の方を見ると、一人の女性が立ち上がっていた。
豪華なドレスに身を包んだ、銀髪の女性だった。
手には扇子を持ち、閉じたそれの先を私へと向けていた。
しかし何よりも気になるのは……。
すごい……髪型だ……。
なんだろう。
ペガサス流星マックス盛りだっけ?
とにかく、すごいいでたちの女性がそこにいた。
ここまでかなりスムーズに書けたのですが、解決の流れを決めずに見切り発車したのでこの後から書くのにすごく時間がかかりました。




