五話 質量と落下
このシリーズ、サブタイトルを決めるのがキツい……。
「証明してみせましょう」
私が言い放つと、アリシア検事は台に身を預けるように頬杖をついた。
ニヤニヤと笑いながら、私の言葉を待っている。
彼女には、私の論証に対して何の危機感もないようだった。
その余裕の態度に、私は少し気圧されながらも口を開く。
堂々としていなければならない。
それは相手へ弱みを見せないためであり――。
視線を一度メーフェへ向ける。
とても不安そうな様子だ。
――彼女の不安を少しでも和らげるためでもある。
意を決し、私は論証を試みる。
「被告が被害者を殺す。それは不可能な事であったと私は断言します」
「へぇ、どうして?」
「二人には、圧倒的な身長差があったからです」
メーフェは私よりも身長が低い。
そして、リッチマン氏はアスティよりも身長が高いのだ。
立っているアスティの肩に触れる事は、私にとって厳しい事だ。
届きはするが、背伸びしなくてはならない。
掴もうとすればぶら下がる事となろう。
なら、それ以上の身長差があるメーフェとリッチマン氏では、さらにその差は広がる。
「二人の身長差を考えると、被告が被害者の胸に触れる事すら難しいでしょう。その上で、ナイフを突き立てるだけの力が出せるとは考えられません」
「届かないなら、ナイフを投げたかもしれないだろう?」
先ほどと変わらない余裕の態度で、アリシア検事は問い返す。
「ナイフは肩甲骨を貫いて心臓に達していました。子供の投げたナイフがそれを成しえるだけの威力を持っていたとも考えられませんよ。普通に刺そうとしても、力不足であるかもしれないのに」
「なるほどねぇ」
何だ……?
どうして平然としていられる?
「要はナイフが届き、なおかつ肩甲骨を貫けるだけの力を被告が捻出できれば犯行は可能なわけだ」
「え、ええ。その通りです。でもそれは不可――」
アリシア検事は、唐突に台を叩いた。
私は、口に仕掛けた言葉を途切れさせる。
「なら、今度はこちらが証明してやろうか」
向けられた視線に、少し怯む。
「二枚のスケッチを見ろ」
言われて、私は『検証前』と『検証後』のスケッチを並べて見た。
「見ての通り、被害者はうつ伏せで倒れていた。何でうつ伏せなんだと思う?」
「それは……背中から刺されたからでしょう?」
「そうだな。だが、もう一つ理由があると私は思うねぇ。二枚目のスケッチ。白線内に銅貨が落ちている事に気付いていたか?」
「もちろんです」
忘れようが無い。
「この銅貨は地面に接着されてて、取ろうとしても取れなくなってるんだ」
それも知っている。
体験済みである。
「被告はこれを利用し、銅貨を拾おうとした相手の隙を衝いて盗みを働いていたらしい」
「……それが今回の事件にどう関係してくると?」
「被告は、今回それを殺人に利用したのさ」
そう言われて、スケッチを眺め……。
「あっ」
私は彼女の言わんとしている事に気付いた。
「銅貨を拾おうとすると、人は前項姿勢になる。つまり、背中の位置が下がる事になるんだ」
確かにそうだ。
体を前に傾けた姿勢なら、多分いくらリッチマン氏が大柄でもメーフェの手が届くだろう。
「だとしても! 彼女が背中から肩甲骨を貫いて心臓を刺すだけの力を持っているとは思えません」
「そうだ」
私が反論するとアスティもそれに賛同し、論証の補強をしてくれる。
「メーフェの持つナイフは軍用のナイフだ。だが、長く手入れがされていないようだった。切れ味も悪かっただろう。それにリッチマン氏の体は見るからに鍛え上げられていた。肩甲骨以前に分厚い筋肉がある。あの細腕でそれを貫けるとは思えない」
私とは注目するべき点が違う。
正直、この論証は助かる。
「知ってるか? この世は力に満ちているんだぜ」
不意に、アリシア検事はそんな事を言った。
「重力もその一つだ」
「何が言いたいのですか?」
私は問い返す。
「子供とはいえ、その体重は二十キロ前後あるだろう。それが落下した場合、着地点にかかる力はどれだけのものだろうな?」
落下……?
着地……?
あっ……!
私はアリシア検事の言わんとする事を察した。
「古の戦場で活躍した武器、戦槌は重くても三キロ程度だ。それが振り下ろされれば兜を歪ませ、頭蓋を叩き割るだけの威力を発揮した。なら、二十キロの物体が同じように動体エネルギーを伴って振るわれれば、どれだけの威力が出るかな?」
「……どうでしょうね」
そう答えるが、内心は焦りに満ちていた。
「頭蓋骨は体の中で二番目に硬い骨らしい。少なくとも肩甲骨はそれよりも脆いだろう。二十キロもあれば簡単に砕けると思わないか?」
「回りくどいな。何が言いたいんだ?」
アスティが問い返す。
「解りやすく説明してやっているんだ。自力で気付けるようにな。ま、そっちのお嬢様はもう気付いているみたいだがな」
「!」
必死に表情を取り繕っているつもりだったが、焦っている事がバレていたようだ。
「どういう事だ、アリシャ?」
アスティに問われ、私はスケッチに視線を落とした。
そこには、路地を構成する民家の塀が見える。
「銅貨を見つけて体を傾けた被害者に、被告は高所より落下しつつ刃を突き立てた。アリシア検事は、そう言っているんです」
現場には上れそうな塀がある。
犯人はそこから、被害者の背中に飛び掛った。
メーフェが体重をかけてナイフを突き立てれば、多分心臓を刺し貫く事ができるだろう。
これがアリシア検事の推理か。
それならば、確かに不可能ではない。
そしてアリシア検事の言葉を思い出す。
「この事件の状況を考えれば、先に殴ったという事は考えにくい」
確かに、落下の力を利用しなければメーフェは心臓を刺し貫く事はできないだろう。
先に打撃を加えたとは考えにくい。
「銅貨の接着された場所の前にある民家は、すでに廃屋だ。スケッチの位置からは見えないが、塀の内側には足場があった。普段はそこから路地を伺い、盗みを働いていたらしいな」
そうだったんだ。
まずいなぁ……。
メーフェに犯行が可能である事を証明されてしまった。
でも、言われっぱなしでなるものか。
「ですが、リッチマン氏が銅貨を拾おうとしなければ前提条件は崩れるのではないですか?」
「かもな」
アリシア検事はあっさりと認める。
「リッチマン氏は有数の資産家です。たかが一枚の銅貨を拾うような真似をするでしょうか?」
「拾うと思うぜ。金持ちってのは、金が好きで好きでたまらないから金持ちになるんだ。金を十分に持っていようが、さらに増やそうって気概がなけりゃ金持ちにはなれねぇのさ」
「そんなものですか。でも、あくまでもそれはあなたの見解でしかありません。実際に、リッチマン氏が銅貨を拾おうとした証明にはなりません」
「そうかい? でも、私はあれにひっかかったぜ」
え?
「私もひっかかりそうな気がしますね」
裁判長もそんな事を言う。
くっ、実際ひっかかった私も強く言えない……っ!
「酒も飲んでいたみたいだしな。ま、そんな事はどうでもいいさ。重要なのは、実際に事が起きているって事だ。私はその起きた事がどうして起きたのか、その可能性を提示しただけだからな。結構な説得力があると思うが、どうだ?」
確かに、事件は実際に起きている。
事実がどうだったかはともかく、状況証拠に納得を持たせるだけの論証を彼女は果たした。
この議論の展開からして、私の指摘は彼女にとって想定内なのだろう。
それどころか、メーフェの犯行を強く補強する事になってしまった。
どうしよう……。
実際はどうであれ、彼女の論証を聞いた人間にとってそれは真実となるだろう。
だけど、私は信じない。
メーフェは人を殺してなどいない。
だから、この論証は事実ではないのだ。
どこかに、必ずおかしな部分がある。
でも、それがわからない。
アリシア検事の論証を覆せるだけの証拠も提示できない。
絶体絶命……か。
いや、諦めないぞ!
よく考えろ。
どうして今、メーフェが容疑者になっているのか。
それは、彼女以外に容疑者としての候補がいないからだ。
何故候補とされたのか。
それは彼女のナイフが現場に落ちていたからだ。
彼女以外に容疑者がなく、そして彼女には犯行が可能だったからだ。
逆に言えば、それ以外に彼女を犯人足らしめる要因はない。
この二つが決め手となっているならば、それを逆手に取れないだろうか?
彼女以外の容疑者、そして彼女には犯行が不可能であった事をどうにか証明できないだろうか?
私は事件の資料をじっくりと改め直した。
スケッチを眺め、実際に訪れた現場を思い返し、ある一つの事に気付く。
なるほど……。
うまくいくかもしれない。
「説得力、ですか」
アリシア検事の言葉に対し、私は言葉を返す。
「何か文句でも?」
「そんな言葉を持ち出すという事は、結局それは憶測の域を出ないという事ですね」
「そうだな。だが、状況から見て犯人は被告以外にありえない」
「そうですか。わかりました。では、私がこれから提示する証拠についても、憶測を聞かせてもらいましょう」
私は検証後のスケッチを提示した。
白線と銅貨、そしてナイフが描かれた路地のスケッチだ。
それ以外に、特筆して見るべき所のないものだ。
それは私が実際に見た光景でもある。
「このスケッチ。おかしいと思いませんか?」
「何がおかしい?」
アリシア検事は、手元にある自分の資料を眺めながら聞き返す。
「あなたの推理では、リッチマン氏はその場で刺殺されたという事でしたね。でも、それだと奇妙な事になるんですよ。本来ならば残るはずの痕跡が、ここにはないんです」
「痕跡だと?」
「血痕ですよ」
そう。
現場には、一切の血痕が見られない。
ナイフの刀身にすら、その痕跡がないのだ。
それはとても不自然な事だ。
「心臓は血の集まる場所です。もしそんな場所を刺されたのだとすれば、出血は免れない。まして、ナイフは刺さったままでなく抜かれているんです。激しい出血があって当然です。ですがその痕跡が無い」
私の指摘に、アリシア検事は初めて笑みを消した。
「まして現場どころかナイフにすら血痕が見られない。これほどおかしな事はありませんよ」
「……確かにそうだな。続けろ」
先を促してくる。
「これは、このナイフが犯行に使われたものではないという証拠ではないでしょうか?」
「だが、実際に被害者は背中を刺され、ナイフが現場にあった。血が着いていないのは刺した後にふき取ったという事もありえる」
「ナイフを抜き、なおかつ丁寧にふき取って現場に置き忘れるとは思えません。それに言ったはずです。現場には血痕がなかったと」
「だが、実際に被告は刺されていて、凶器は体から抜かれている」
その事実が無視できないのは確かだ。
だが、刺されているのに血痕がない事も無視できない事実に違いない。
何故このような事になっているのか。
考えられる可能性は……。
「出血がないのは死んだ後に刺したから、ではないでしょうか。それも、血が固まってしまうほどの長時間放置されてから……」
「ほう。面白い見解だ」
アリシア検事は馬鹿にしたように言う。
それを不思議に思っていると、ルーが口を開く。
「アリシャさん。残念ながら、死後に血が固まる事は稀です。今の季節ではまず固まらないでしょう」
「え? そうなの?」
人が死ねば、その血は固まるものだと思っていた。
「はい」
「そういう事だ。放置した所で状況が変わる事は――」
「ですが、血が吹き出すのは血液が流動しているから起きる現象です」
アリシア検事の言葉を遮って、ルーが言葉を放つ。
「心臓が止まっていれば、出血は抑えられます。
それに死後の血液は重力によって体の下方へ溜まっていくものです。
うつ伏せの状態なら血液は腹部に溜まっていきます。
そんな状態で背中側から刺せばさらに出血は減るでしょう。
時間が経てば経つほど、出血し難くなる事には違いありません」
ルーの論証を聞き、アリシア検事は黙り込んだ。
表情からも笑みが消えている。
助かった。
ルーのフォローがなければ、反論できなかった。
アリシア検事は胸を抱き上げるような形で腕を組む。
なんて質量と圧迫感だ……!
チラリとアスティを見る。
が、彼は俯きがちになって目を閉じていた。
何か考え込んでいるようだ。
彼も現状を打開するために、思案してくれているのかもしれない。
アスティが目を奪われてしまう!
などと思ってしまった自分が恥ずかしい。
むしろこんな時にそんな事を気にかけてしまった事がやましい。
……私はこんな時に何を考えているんだろう?
今は少し、余裕があるからかな。
私は気を取り直してアリシア検事に目を向けた。
「ナイフが凶器ではないかもしれないという話だったな。別の凶器があるというのなら、そのナイフ以外の凶器はどこにある?」
丁度、彼女が口を開く。
さっきのあれは、彼女なりのシンキングポーズだったのかもしれない。
「そんな事はわかりません。ですが、ナイフが凶器である可能性が薄れた以上、どこかにあるはずです」
そして、あのナイフが凶器でないなら、メーフェの犯行ではないと証明できる……はず。
「まぁ、それはどうでも良い事か……」
アリシア検事が組んでいた腕を解き、両手を台に置いた。
「だが、それで被告の犯行が覆るわけではないぞ」
「! ……何故ですか?」
「刃物の傷が、致命傷ではなかったという事だ。お前は言ったな。頭の傷が、致命傷であった可能性はないのか? と」
「!」
「その可能性が今、出てきたというわけだ」
にやっ、とアリシア検事は唇を歪める。
「被告は被害者を刺し殺したのではなく、撲殺したんだ」
戦槌の重さについて。
血液の凝固について。
調べてみましたが、いまいちわかりませんでした。
「それは間違っている」という意見がありましたら教えてくれると助かります。
あと、アリシア検事の推理については、ある小説にあったトリックを参考にしています。




