四話 対峙
裁判場の廊下。
「必ず無罪を証明する、か。ずいぶんと自信があるんだな」
「え? あるわけないでしょう。どんな事件かもまだわからないのに」
隣を歩くアスティに言われ、私はそう答えた。
「なのに、あんな自信満々に?」
「あの子を安心させるためなら、あれくらいの嘘は吐きますよ」
「そうだった……。お前は嘘吐きなんだったな」
アスティは苦笑した。
「そうですよ。まぁ、これを嘘にするつもりはありませんが。あの言葉を真実にするため、あとは全力を尽くすだけです」
私達は、法廷へと足を踏み入れる。
弁護席では、すでにルーが待っていた。
今回も、私が弁護するために監督役を買って出てくれたのだ。
「よろしくお願いします」
「はい。微力ながら、協力させていただきます」
弁護席に入ると、もはや見慣れつつある光景が視界に入る。
対面の検事席にいる人物へ目を向けた。
銀髪の女性だった。
優しそうな顔つきだが、作る表情は険しい。
体つきはほっそりとしており、なのに出る所は出ている。
なんか、ムチムチしてる。
なんとなくアスティを見る。
私と目が合った。
「どうした?」
「あの人、胸が大きいですよ」
「だから?」
不可解そうな表情で返された。
「弁護に三人か……」
検事席の女性が、声をかけてくる。
「ステゴロの喧嘩じゃねぇんだ。頭数を集めても、意味はないぜ?」
一人は監督役なんだけどな。
でも、言われたなら言い返しておこうか。
始まる前から言い負かされるようでは、相手を勢いづかせてしまうかもしれない。
「そうとも言い切れませんよ。三人居れば知恵も三倍です」
「その中に0が紛れ込んでいたら、倍数しても0にしかならないんだぜ?」
「だったら足し算すればいいでしょう!」
と、人差し指を突きつけながら答える。
「始まる前から、白熱しないでください」
ルーに窘められた。
そんな様子を見て、相手の検事は「ふっ」と小さく笑った。
「あれが、例の?」
私はルーに訊ねる。
「はい。アリシア・ディストーテッド検事です」
「アリシア?」
アスティが聞き返した。
そうしたくなるのも解る。
私の名前と似ている。
発音が違うだけで、つづりは同じかもしれない。
そうしている内に、メーフェが法廷へ連行されてきた。
判事達も出廷し、それぞれが規定の席へ着く。
裁判が始まる。
「それぞれ、準備はできていますか?」
裁判長が弁護側、検察側に向けて問いかけた。
「できている」
アリシア検事は淀みなく答える。
私はできていない。
事件の資料は手元にあるが、まだ読めていない。
しかし、それを正直に言うわけにいかない。
事件について理解していないという点は、付け入られる隙になるかもしれないからだ。
「はい」
なので、私も表情を取り繕って答えた。
そして、視線だけ動かして手元の資料を盗み見る。
「よろしい。では、始めましょう。冒頭弁論を」
裁判長の言葉に、私は思わず視線を資料から上げた。
あーそういえばあったなぁ、そういうの。
例によって今回も何も考えてきていないぞ……!
少し焦っていると、アリシア検事が口を開く。
「被害者はこの国でも有数の資産家であり、なおかつ慈善家でもあった。
自らの富を惜しみなく、貧しい者へ分け与えていた。
その行いによって救われ、彼が居なければ今命を繋げる事のできなかった者もいるだろう。
そして、そんな彼の命を奪ったのは、彼が庇護してきた貧しい者。
恩を仇で返すかのような被告の行いには報いが必要だ。
卑劣にもその事実が歪められようとも、必ずやその罪を立証して真実をご覧に入れよう」
今回もあわよくば真似しようと思ったが、難しそうだな。
私は事件の事もよく知らない……。
何を言おう……。
被告と知己であるという事も言わない方がいいだろうしなぁ……。
事件に触れず、それとなくいい感じの事を言おう。
「……法廷で重視されるものは人柄ではなく、ましてあやふやな心象でもありません。
証拠だけが絶対の力を持つ。
先入観を排し、あるがままの事実に目を向ける者だけが真実を手にするのです。
それをここに証明しましょう」
告げると、私とアリシア検事の視線が交差した。
けれどすぐにその視線を手元に戻した。
早く事件を把握せねば……。
えーと、被害者はゴルディオン・リッチマン。
被告はメーフェ・アリッフィー。
現場は下町の路地。
私とメーフェが初めて出会った場所だ。
詳細な時刻は不明だが、深夜である事は間違いない。
それを裏付けるように、真夜中にリッチマン家の家紋をつけた馬車が付近を走行していた。
家紋付きの馬車が目撃されているならば、それに乗っていたのはリッチマン氏本人に間違いないだろう。
じゃあ、彼は自分から現場へ赴いたという事だろうか?
凶器は軍用ナイフ。
軍用ナイフかぁ……。
その一字には嫌な予感を覚える。
心当たりが有り過ぎた。
まぁいい。
深く考えずにさっさと情報を頭に詰め込まないと……。
被害者は、ナイフによって背中を刺されて死亡。
ナイフは肩甲骨を貫通し、心臓に達していた。
それが致命傷になったと思われる。
なら即死だな。
検視中、かすかなアルコール臭を感じた検視官が口腔を確認。
チーズの食べカスが歯に付着していた。
腹部を解剖。
胃の中には、消化されていないチーズと赤い液体が残っていた。
強いアルコール臭から、赤い液体は血液ではなくワインではないかと推測される。
チーズとワインか……。
晩酌でもしていたんだろうか?
こんな時間に出歩いていた理由は、飲み屋に行くためだった?
貴族が、わざわざ下町まで?
次に、現場を描いたスケッチを見る。
その光景は、昨日現場で見たものと少し違っていた。
白線があった場所にリッチマン氏と思われる人物がうつ伏せに倒れており、その傍らには刃渡りの長いナイフが落ちていた。
スケッチは二枚あり、もう一枚の方には私が現場で見たのと同じ光景が描かれている。
白線が引かれ、接着されたコインが白線の胸の辺りに見える。
そしてナイフが消えていた。
多分、二枚目のスケッチは『検証後』のものなのだろう。
ナイフが消えているのは、すでに遺留品として回収された後だからだと思われる。
「事件の概要について話しておこうか。被害者はゴルディオン・リッチマン。彼は背後からナイフで心臓を一突きされ、亡くなっていた」
そこまで読んだ所で、アリシア検事が声を発した。
「ナイフの持ち主が、容疑者のメーフェ・アリッフィーである事は聞き込みにより判明している。それらの点から見て、彼女が犯人である事は間違いない」
「待てよ! ナイフはいつの間にかなくなってたんだ!」
アリシア検事の言葉に、メーフェが反論する。
「いつの間にか、ね。それがいつなのか、思い出してから口を出すんだな」
「えっ! いつって……」
メーフェが黙り込む。
それを見て取ると、アリシア検事は事件概要の説明を再開した。
「リッチマンの後頭部には打撲跡があったが、これは倒れた際に地面で打ったものだと思われる」
そうなのか……。
資料の一番下にあった検視報告書を読むと、確かにそのようだ。
外傷はナイフの傷と、その打撲痕だけのようだ。
スケッチではわからなかった。
髪の毛のすごい人なので、詳しく調べないとわからない事だろう。
でも、それっておかしいんじゃない?
正直に言えば、この奇妙な点を突き詰めてもメーフェの犯行を覆せるわけではない。
でも、彼女の犯行を一発で否定する確かな証拠は今の所まったくない。
だからこそ少しでもおかしな部分は見つけた端から指摘して、突破口を探した方がいいだろう。
私は口を開く。
「地面に倒れた際に、地面へぶつけた。という話でしたか」
「そう見ているが?」
「それはおかしいですね」
「何がおかしい? 言ってみろ」
アリシア検事は圧のある低い声で促す。
私は頷き、『検証前』のスケッチを取り出して示した。
リッチマン氏の遺体がまだ現場に残されている方のスケッチである。
「見ての通り、被害者はうつ伏せに倒れています。この状態で倒れたという事は、ぶつけるのは後頭部ではなくおでこの方になるはずです。後頭部に打撲痕が残るのは不自然です」
そう。
後頭部に傷が残るとすれば、仰向けに倒れているのが自然だ。
うつ伏せで倒れているのは不自然だ。
私が指摘すると、アリシア検事はまったく動揺した様子も見せずに小さく笑った。
「なら、殴ったんじゃないか? 刺した後に」
「え?」
「相手に恨みを持っていたのなら、そういう事もあるかもしれないだろう」
恨み……。
とまでは行かないが、メーフェはリッチマン氏に敵意を持っていたな……。
そういえば……。
「殺した後に殴ったですって?」
「なんて事をするんだ。信じられない……」
聴衆からそんな声が聞こえてくる。
……どうやら私の指摘はメーフェの心象を悪くする結果を招いてしまったようだ。
迂闊だったか……。
いや、待った。
まだどうにかこちらの有利になる論証ができないか?
私はあがくように思いついた事を口にする。
「被告は、ナイフを無くしたと言っています。他の人間が彼女へ罪を擦り付けるため、彼女から盗んで被害者を刺したと考えられませんか?」
「ないとは言えないが、不自然すぎる。その不自然さを解消したいなら、証拠を出すんだな。証拠が全てだと言ったのはお前だぜ?」
人差し指を私に向けつつ、アリシア検事は反論する。
「えーと、じゃあ、その打撲痕が致命傷になったという事は考えられないのですか?」
ナイフよりも先に打撲があった可能性を示唆する。
「その質問に意味があるか?」
「え? あ、あると思います。極めて重要であると!」
特にそんな事はないと思うけれど、強く申し出ておく。
「どっちが先でも、状況証拠から見て犯人が変わるわけじゃねぇぞ」
……そうだね。
「大丈夫なのか?」
と、アスティが心配そうに訊ねてくる。
「大丈夫ですよ」
そう答え、最後に小さく「多分」と付け加える。
「まぁ正直に言えば、殴り殺した相手をわざわざ刺す理由はないし、刺し殺した相手を殴る事もまずありえないと私は思うねぇ。でも――」
アリシア検事は言いながら、不敵な笑みを私へ向ける。
「この事件の状況を考えれば、先に殴ったという事は考えにくい」
何か含みのある言い方だ。
状況?
何故考えにくいんだ?
私は何か見落としているんだろうか?
「どういう事ですか?」
「自分で考えてみるんだな」
挑発するように笑い、アリシア検事は答えた。
「ともかく、被害者の倒れる現場に、被告が常々所持していたナイフが落ちていた。被害者の遺体に致命傷と思しき刺し傷があったとなれば、もう何の証明も必要ないと思うぜ。私はな」
「それはありえません。論ずるべき点は残っています」
このまま終わらせられては困るので、私は反論する。
特に根拠があるわけではないけれど……。
「じゃあ、その論ずるべき点とやらを拝聴しようか」
え?
うーん……。
内心動揺しつつ、それが表情に出ないよう努める。
「……はい。わかりました」
えーと。
えーと。
えーと……。
混乱している場合じゃない。
よく考えないと……。
容疑者メーフェ。
被害者リッチマン氏。
落ちていたナイフ。
背後からの刺殺。
心臓を貫かれて死亡……。
あれ?
これって、おかしくない?
ああ、おかしい。
メーフェにこの犯行は不可能だ。
この矛盾は、彼女の無罪を証明する突破口になるだろう。
そう思い、私は口を開いた。
「証明してみせましょう」




