九話 罪のありか
盛大に泣き出したルイジの事もあって、議論は一時中断される事となった。
ルイジは一旦、別室へと連れて行かれた。
「まさか、解決に至るとはな」
その最中、兄貴のそんな言葉を耳にした。
「できないと思っていたか?」
「思っていた」
兄貴があまりにも素直に答えたので、少しだけムッとする。
……実の所、自分でもできないと思っていた。
だが……。
「アリシャのためだ。できなくともやり遂げてみせるさ。それが不満か?」
「いや、これこそが最上だろう。正直、侮っていた。すまなかったな」
そして三十分ほどしてルイジが戻って来た時、正直誰が連れてこられたのかわからなかった。
涙によって崩れた化粧は落とされ、『アリシャ様なりきりカツラ』を外した彼女は……。
長い栗色の髪の素朴な少女だった。
そうとしか形容できない。
あまりにも特徴に乏しく、温厚そうな顔立ちをしていた。
どちらかというと、アリシャよりジェイルに似ている。
身長はアリシャ寄りだが。
正直に言って、今の彼女にも見覚えがなかった。
アリシャの取り巻きならば、間違いなく目にしているはずなのだが……。
議論の場へ戻ってきたルイジは不安そうにしていたが、さきほどよりも落ち着きを取り戻していた。
「……全て、アスティ様のおっしゃる通りです」
恐らく、それが彼女本来の喋り方なのだろう。
か細い声で、ルイジは改めて罪を認めた。
事件について、語り始める。
「私は踊り場で気付かぬ内に、植木鉢を蹴飛ばしていました。植木鉢は運悪く、階段を転がり落ちて……」
そこまで言って、ルイジは口ごもる。
「被害者に当たったんだな?」
訊ねると、ルイジは頷いた。
「ジェイルさんは動かなくなって、頭が真っ白になって……。急いで駆け寄ったんです。そしたら、意識があって……。私の事を「アリシャ様」と呼んだんです。そしてすぐに、気を失って」
「だから、アリシャに罪を被せようとした、か……」
肝心な所で、彼女は言葉を使わなかった。
口にしたくないのだろう。
ただ頷き、肯定だけを示す。
「アリシャに憧れていたと聞いた。なのに、どうして彼女を陥れようとした?」
「確かに、私はアリシャ様に憧れています。今は少し、変わられましたが……。それでも気持ちは変わりません。それは私がアリシャ様の中に、真に高貴な令嬢の姿を見たからです」
「真に高貴な令嬢?」
あの頃のアリシャに?
そんな姿を見ただと?
「アリシャ様は決して、精神の風下へ立つ事がないのです。どこまでも尊大で、誰が相手であろうと相手の上を行こうとなさる方です」
わがままだっただけだと思うが。
「どのように無体な行いをしても心を痛めず、気にも留めない。それは彼女自身が、自分の貴さを理解しているからなのです。その姿こそが、貴族として生まれた生粋の令嬢なのだと思いました。そして彼女以上に、そうあろうとする令嬢は他にいなかった。私にとって彼女こそが、真の意味で貴族令嬢と呼べる人間なんです」
勘違いだと思うがな。
……これは、何の話だったっけ?
「そう、私には決して真似のできない事をやってのける方。私のような、元庶民の令嬢とは違うのです」
「元庶民? カブッティール男爵家は、何代も続く家のはずだが……」
訊ねると、ルイジは頷いた。
「はい。父は、れっきとした男爵家の者です。ですが、私の母と私は……。父が家督を継いで、家へ迎え入れてもらえるまで庶民として暮らしていたんです」
少し違うが、ジェイルと似た境遇だったというわけだ。
「だから、憧れていたんです。生まれながらの貴族令嬢である、アリシャ様に……。けれど、やはり私には憧れよりも家族が大事でした」
そこまで言って、彼女は一呼吸置いた。
そして、再び語り始める。
「私は両親に、多くの愛情を注いでもらいました。母は女手一つで私を育て、父は貴族との縁談を断り続けて母と私を家族として迎え入れる道を選んでくれた」
苦渋に満ちた表情を作り、ルイジはその言葉を搾り出した。
「正直、私は貴族令嬢という立場に相応しくない人間です。
その立場としての振る舞いも十全でなく、気品も貴さも私にはない。
私に貴族令嬢という生き方は荷が重い……。
けれどそれでも……周囲からの軋轢に耐えながらも私を立派な令嬢として育てようとしてくれる両親を想えば、私はそれに応えたかった……。
だというのに、そんな私が……家名に泥を塗ろうとしている。
その事実に耐えられなかった」
そして彼女は選んだのだ。
憧れを捨てて、家族を守る道を……。
気弱な彼女が、あのような性格を演じ、最後の最後まで食い下がったのも全ては家族のためだったのだ。
その方法が正しいとは言えないが、家族を思い遣っていたからこその犯行という事だろう。
それは痛いほどに伝わってきた。
「両殿下」
彼女は俺と兄貴に声をかけ、深く頭を下げた。
「私はどのような罰でも受ける所存です。ただ……この事件は私個人が起こした事。どうか、家には責が及ばぬよう慈悲を賜りたいと思います」
「ふむ……」
兄貴は肯定とも否定ともつかぬ唸りを漏らした。
「事件は解決した。容疑者の拘束を解け」
そして、兵士に命じる。
アリシャから、拘束の一切が外される。
「ふぅ、やっと自由ですね」
溜息交じりの言葉が、アリシャの口から出た。
「此度の事件について。貴様から言いたい事はあるか?」
兄貴が問うと、アリシャは少しだけ考える素振りを見せた。
「ふっふっふ……」
そして唐突に笑い、俺を見た。
「王子、よく私を助け出してくださいましたね。まず、それはありがとうございます。でも、少し考えが足りませんね」
「何?」
思わぬ事を言われ、俺は眉根を寄せた。
「私はジェイルさんを害してはいません。ですが、一連の事件の全てが私によって蜘蛛の糸の如く張り巡らされた思惑の内だったとしたらどうですか?」
「どういう事だ?」
「つまり、私が蜘蛛だったのですよ」
「?」
本格的によくわからない事を言われ、俺は首を傾げた。
「それはいいとして。……どうやら私は、王子に嘘を吐いてしまったようです」
「嘘?」
「はい。事件には関わっていないと言いましたが。どうやら、関わってしまっていました。事件の発端となってしまった植木鉢。あれは私が置き忘れてしまったものですからね」
「それは、不可抗力というものだ。それを言ってしまえば、俺だって……」
「そう思ってくださるのでしたら、一緒に責任を取りませんか?」
アリシャは俺へ手を差し出した。
まるでダンスへ誘うように、笑みを浮かべて……。
柔らかな笑みだった。
その笑顔に、俺は一瞬だけ見惚れた。
そして、彼女の意図を察する。
不謹慎ではあるが、彼女と「一緒」というのは何やら嬉しい気がする。
「俺は構わない。だがお前はいいのか、それで?」
「婚約破棄をしないでいてくれるなら。……私も死にたくありませんので」
アリシャは苦笑して言った。
俺は頷き、兄貴に向き直った。
「兄貴」
「何だ?」
「今回の件、俺とアリシャにも非がある。何せ、発端は俺達だからな」
俺は兄貴にそう告げた。
しかし、兄貴は素直にそれを受け取らなかった。
「かもしれん。確かにこれはいくつかの過失が生んだ悲劇である。しかし、意図的な偽装工作は明らかな罪だ」
それはその通りだ。
ルイジが行った偽装工作は、過失と言い難い。
故意の犯行だ。
「それにも情状酌量の余地はあると思います」
アリシャが口を挟む。
そして続けた。
「彼女の話を聞けば、それも納得していただけると思いますが」
「罪は罪だ。罰は必要となる」
「どうしても罰が必要だとお思いでしたらそれもいいでしょう。しかし、これはあくまでも学園自治における議論でしかないはずです。その処分に関しても、法的なものでなくあなたの一存で決めようと思えば決められるはずです。要は、他生徒が納得できて、示しをつけられるものが適当なはずです。違いますか?」
まくし立てられるように言われ、兄貴は黙り込んだ。
そして、兄貴が何かを口にする前に、アリシャはさらに続けた。
「なら、情状酌量の部分に重きを置き、発端となった私とアスティ王子にも責を負わせる事で、ルイジ様の罪を減じる裁可を下されるのがよろしいかと思います。私とアスティ王子の罪を軽く見てくださるならばその罪を一度まとめ、平等に三分すれば軽すぎず重過ぎぬ丁度良い物になりませんか?」
アリシャがそう提案すると、兄貴は苦笑した。
「自由になった途端にこれか。相変わらず、よく回る口だな」
「私もこんなにぽんぽんと言葉が出てきて驚いていますよ。ずっと喋れなかった反動でしょうか」
兄貴は溜息を吐いた。
「いいだろう。しかし、三者によるジェイルへの謝罪と彼女がその謝罪を受け入れる事が最低限の条件だ。それを了承するのなら、私個人としてはその提案を呑んでも良い。一度、生徒会の人間と相談するから、どのような沙汰になるかはわからんがな」
「ありがとうございます」
アリシャが深く頭を下げると、兄貴は周囲の観衆を見回した。
「事件における疑問は全て解決した。議論は以上を以って終了とする。事件に関わった三者に対しては、追って沙汰を下す。解散」
その言葉に締められ、議論は終わった。




