二話 悪役令嬢との交流
誤字を修正致しました。
ご指摘、ありがとうございます。
その日は、アスティの馬車で家まで送ってもらう事になった。
婚約者としての勤めというやつなのか、アスティは定期的に私を家まで送ってくれる。
それは、記憶を取り戻す以前からの事だ。
記憶を取り戻す前は、この日をいつも楽しみにしていたっけ。
その日には普段よりもおめかしして、前日には楽しみで眠れなかった。
今はそうでもないけど。
馬車の中、向かい合って座る私とアスティ。
けれど、私はアスティの方を見ずに窓の外を眺めていた。
アスティも、私の方を見ない。
「煩わしければ、別にもう送ってくださらなくてもいいんですよ」
外を見たまま、私は言う。
窓に映った像で、彼が私に向いたのがわかった。
「そうもいかない」
「一応、婚約者ですからね。でも、別にそれだって解消したいなら素直に応じますよ」
「……お前は変わったな」
「猫を被る必要ももうありませんからね」
「そうか……」
答えて黙るアスティ。
彼は少しして、再度口を開く。
「お前は、今の方が断然に良いな。何故、今まではあんなふうだったんだ? お前が、ずっと今のようなら俺は……」
そこまで言って、アスティは黙り込んだ。
「情けない言い訳だ……」
小さく、何事かを呟く。
そのまま、視線を窓の外へ戻した。
「そういえば、トレーネ家の令嬢と仲が良いらしいな」
彼が話を振ってくる。
「一緒にいるだけです」
「……レニス・トレーネ、か。あまり良い噂は聞かないが」
私はアスティを睨みつけた。
「噂は噂です。レニスはそんな事しません」
噂というのは、あの事だろう。
なら、あれは真実じゃない。
ゲームをプレイした私ならそれはよくわかっている。
「何故、そう言い切れる? どうして信じられる?」
「人を信じるにあたって、その人間の本質に勝るものはありません」
ちょっと格好をつけてみる。
本当の所、言い切れるのは前世の知識で真相を知っているからだ。
「……友人を悪く言って、すまないな」
「友人じゃありませんけれどね」
勝手にそう言ってしまっては、レニスに悪い。
その日。
放課後の事。
私は、階段を上るレニスの姿を見た。
生徒達はみんな、帰る用意をしている。
そんな中、階下ではなく階上に向かうレニスを不思議に思った。
その手には、ジョウロを持っている。
少し気になって、あとを追う。
すると、彼女は屋上へ出て行った。
私も屋上へ出る。
彼女の姿を探すと、屋上の奥にその姿を見つける事ができた。
そこにはいくつもの鉢植えが並べられており、鉢植えには色とりどりの花が植えられていた。
レニスは、ジョウロの水を花にやっている。
「綺麗ですね」
私が声をかけると、レニスがびっくりしてジョウロを取り落とした。
急に振り返る。
「ああ、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのに」
「……うん」
最近の彼女は、短いながらも返事を返してくれるようになっていた。
少しずつ、慣れてきたのだろう。
「もしかして、毎日お世話してるの?」
「……うん」
「へぇ、すごいですね」
花はどれも綺麗に咲いている。
丹念にお世話しているのだろう。
レニスは首を横に振った。
たいした事無いとでも言いたいのだろうか?
「誰にでもできる事じゃないですよ」
言うと、レニスは俯いた。
あら?
解釈を間違えただろうか?
「あ……」
「あ?」
「……ありがとう」
レニスは搾り出すように言った。
ああ、褒められた事への返礼ね。
「実際、すごいと思いますよ」
レニスは、首を横に振った。
違うの?
彼女は顔を上げる。
口を開き、声を張った。
「医務室、連れて行ってくれた事……」
そう答える彼女の声は、次第に尻すぼみになっていく。
そして、また俯いた。
「えーと、どうも」
これはあの日、医務室に連れて行った時の事だろうか。
もしかしたら、彼女が私に近づいてきたのはこれを言うためだったのかもしれない。
そのまま言えなかったから、私のそばにいたのかもしれない。
なら目的を果たした今、これでお別れなのかもしれないな。
少し寂しい。
彼女はそれ以降、何も言わない。
ただただ俯くばかりだ。
「あの、水……」
言うと彼女は顔を上げる。
私は、落ちたジョウロを指差す。
「こぼしてしまいましたから、一緒に汲みに行きませんか?」
これでお別れかもしれない。
それでももう少しだけ一緒にいたくて、そんな提案をした。
「うん」
彼女はその提案を受け入れてくれた。
それから一緒にお花の世話をしてから帰った。
その翌日、私が懸念した事態は起こらなかった。
彼女は次の日も私の所に来てくれて、それからも毎日行動を共にする事となった。
ある日の事。
私はレニスと一緒に裏庭を散歩していた。
すると、偶然テネルと出会った。
彼はある女性と一緒にいた。
「……!」
その女性の姿を見て、レニスの口元に力が入った。
それに気付き、私は相手の女性の顔を見た。
ああ、そういう事か。
「レニス……」
テネルがレニスに向いて呟いた。
「テネル様。私は、これで……」
「うん」
女性は言うと、私達の方へ歩いてくる。
手を握られた。
握ったのはレニスだ。
去り際、女性はちらりとレニスを一瞥してから通り過ぎた。
握られた手が、強められる。
女性が完全に通り過ぎても、手は握られたままだった。
「さっきの方は?」
「セイル……。知り合いです」
ふぅん。
実際、どこの誰かは知っていたけれどね。
なるほど。
納得の美人だ。
これならさぞ、おモテになる事だろう。
レニスが、私から手を離す。
そして、逃げるようにその場から去って行った。
どこか、居たたまれない様子だった。
「レニス」
私が名を呼んでも答えず、そのままどこかへ行ってしまった。
「仕方ない子だね。本当に、仕方のない子だ。僕がついていないと、本当に……」
テネルは苦笑する。
「テネルさん。さっきの女性は、あの?」
「……そうだよ。これを贈ってくれた人だ」
テネルは、そう言って胸元から指輪を出した。
チェーンに通され、首からかけられていたものだ。
普段は、シャツの内側に隠している。
テネルは愛おしそうに指輪を眺めた。
「テネル先輩!」
そんな時、一人の女性がテネルの名を呼んで私達に駆け寄ってきた。
その女性は、ジェイルだ。
テネルに駆け寄った彼女は、私に気付いて笑顔を向ける。
「どうも、アリシャ様」
「ごきげんよう。ジェイル」
挨拶されたので、私も挨拶を返す。
「怪我、治ったみたいですね」
「はい」
最近の彼女は前の事件で怪我を負い、ずっと包帯を頭に巻いていた。
けれど、今はその包帯がなかった。
「それにしても、えらく治るのが早いですね」
「頑丈さが取り柄ですから。また同じ事があっても、安心です」
同じ事が起こる時点で安心ではない。
それにしても……。
こうしてジェイルとテネルが並んでいると、テネルの身長の低さが際立つな。
テネルの顔がジェイルの胸辺りまでしかない。
本当は標準的な身長なのに、まるでジェイルが巨女に見える。
「あ、そうだ。テネル先輩、生徒会長がお呼びですよ」
「うん、わかったよ」
テネルが返事をすると、ジェイルは私に向いた。
「じゃあ、アリシャ様。私達は生徒会室に行かないといけませんので、これで」
「ええ。それじゃあ」
二人は、裏庭から去って行った。
ジェイルとテネルは生徒会に所属しているようだ。
ジェイルの生徒会入りは、テネルを含めた生徒会所属の攻略対象二人と知り合い、なおかつ選択肢で了承した際にのみ起こるイベントだったっけ?
それほどゲームをやりこんだわけじゃないから、よく憶えていないけれど。
それからしばらくして。
校内は、いつにも増して忙しない雰囲気になっていた。
本来ならば授業の時間だというのに、生徒達は教室を出入りしている。
それもそのはず。
今、この学園は文化祭準備期間に入っているからだ。
明後日には、文化祭が控えている。
私は例によって蚊帳の外。
私がいるとやりにくいらしく、手伝いを申し出るとやんわり断られる。
それでも食い下がると、何とか飾り付けの作成を任された。
数枚重ねた紙を縦に折り畳み、それを広げて花を作るあれである。
前世では小学校から高校まで、作る機会はあったが……。
まさか、異世界にまでこれがあるとは思わなかった。
そんなこんなで放課後になった。
準備作業が終わり、帰ろうかと教室を出て外を見る。
すると、窓の外には曇り空が見えた。
どうやら雨が降っているようだった。
あら、どうしよう。
傘を持ってきていない。
馬車まで走れば何とかなるが……。
馬車の駐車場は、学園の隣の敷地だ。
結構な距離がある。
どうしたもんだろうか……。
そう思いながら外を眺めていると、雨が程なくして止んだ。
よかった。
これなら濡れなくて済みそうだ。
私は三階にある教室から一階へ向かうため、階段を下りた。
その時だ。
「だから常々言っているだろう! お前は少し短気すぎるんだ!」
「うるせぇ!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
見ると、アスティと一人の男子生徒が口論をしているようだった。
金髪の男子だ。
イワトビペンギンみたいなツンツンした髪型をしている。
あれ、もしかして……。
「王子だからって、俺にあれこれ指図するんじゃねぇよ!」
怒鳴った時に、彼の横顔が見えた。
やっぱり、カイン・コレルだ。
カインは、攻略対象の一人だ。
簡単に説明すれば、不良属性である。
騎士団の団長を父に持つ、侯爵家子息だ。
アスティ王子は見た目の通り肉体派で、武術に傾倒しているため騎士団とは個人的な繋がりを持っている。
その関係で、カインとは友人関係だったはずだ。
「そうじゃない。俺は王子としてじゃなく、幼馴染として言っているんだ」
「尚更だ! 他所の家の事情に口出してんじゃねぇよ!」
カインが怒鳴り、アスティに殴りかかった。
「危ない!」
私は思わず叫んでいた。
けれど、私の焦りとは裏腹にアスティはそれを難なく受け止めた。
が、それは囮だったらしい。
本命の膝蹴りがアスティの腹部に突き刺さった。
「ぐっ……」
痛みに耐えてのアッパーがカインの顎を打ち上げる。
カインも負けん気が強いらしく、堪えて左フックの応酬。
アスティはそれをスウェーで避けた。
なんて本格的な格闘技のやり取りだろう。
などと思っていたら、避けられて行き場をなくした左フックが壁に備え付けられた火災警報鐘のスイッチを殴り押した。
火災警報鐘は、スイッチを押す事でゼンマイのストッパーが外れて車が回り、車についた複数の鉄球が鐘を叩く仕組みになっている。
この音が聞こえると、別の火災警報鐘のスイッチを近くの生徒が押すよう訓練されており……。
結果、校舎中に「カンカンカン」というけたたましい火災警報鐘の音が鳴り響いた。
そして鐘が鳴り響いた場合、校舎内の人間は速やかにグラウンドへ集合するようにも訓練されていた。
これが事故である事はこの場にいるみんながわかっているだろうが、鳴ったからには行かなければならない。
「王子……」
呆れた声で呼ぶと、アスティ王子はばつの悪そうな顔をした。
「カイン。行くぞ」
「あ? 火事でもないのに何で行かなきゃならねぇんだよ」
「いいから来い!」
アスティはカインの腕を引っつかみ、グラウンドへ向かった。
私もまた、彼についていった。
外へ出ると、雨の影響で地面がぬかるんでおり、靴が泥で汚れてしまった。
急いで移動したから、スカートにも泥が跳ねている。
今日は厄日だわ……。
グラウンドには生徒達が集まっていた。
数が少ないのは、帰った生徒もいるからだろう。
ここにいるのは、放課後にすぐ帰らなかった生徒達だ。
私と同じように雨で立ち往生した生徒もいるかもしれない。
生徒の中に、レニスの姿を見つけた。
その後、アスティが教諭に事情を説明した事で生徒達は解散した。
そのまま、カイル共々叱られた模様。
生徒達がバラけていく中、レニスに声をかける。
「レニスさん」
レニスがこちらに向く。
「帰らないの?」
レニスは、校舎の方に戻ろうとしていた。
それが不思議だったので、聞き返した。
「お花の世話」
「雨が降ったから、水はやらなくていいんじゃない?」
「他にもある」
世話は水やりだけじゃないわけね。
「それに……お兄ちゃん待ってる」
テネルは、生徒会に所属している。
ちなみに、ジェイルも一緒である。
文化祭の準備で、今の生徒会は大忙しだ。
その生徒会の仕事が終わるまで、待つつもりなのだろう。
もしかしたら、彼女が放課後に花の世話を日課にしているのはテネルを待つためなのかもしれない。
「そう」
そんな時、アスティが寄って来た。
レニスが驚いて、緊張しながらも淑女の礼をする。
スカートの両裾を摘んで、頭を少し下げるというものだ。
「トレーネ家の令嬢か……」
アスティが言うと、レニスはびくりとした。
もう一度深く頭を下げると、逃げるように去って行った。
王族に対しては少し無礼かもしれない。
「何だ? あれは?」
「王子の顔が怖いからですよ」
「そんな事は無い」
「そんな事はあります」
王子は眉間に皺を寄せた。
ほら、ますます怖くなる。
「……折角だ。送っていこうか?」
「そうですね。王子のせいで、レニスに逃げられちゃいましたし」
そうして、その日はアスティと一緒に帰宅した。
その翌日の事である。
レニスが、ジェイル・イーニャ殺害未遂の容疑で学園を追放処分される事になった。