四話 上と下
前回はあの部分で切りたかったので短くなってしまいましたが、今回は妙に長くなってしまいました。
前回は前々回と同じ話数でよかったかもしれませんね。
マルテュス・フェアラート。
彼女はアリシャの取り巻きをしていた女子生徒の一人だ。
アリシャ自身が取り巻きをそばに置かなくなったので、今はどうしているのか知らないが……。
取り巻き達の中でも、彼女とアリシャの因縁は強い。
「お前が、目撃者だというのか……?」
その因縁を知っているからこそ若干の焦りを覚えつつ、俺は呟くように問うた。
それは非常にまずい事態だと、そう思ったからだ。
様子を見れば、アリシャもまた彼女の登場に驚きを隠せないようだった。
「はい。偶然ながら、その場に居合わせました」
偶然ながら、を強調しながら、マルテュスはこちらを弄ぶような笑みを向ける。
本当に偶然だろうか、と勘繰ってしまう。
今の彼女がアリシャに対して、どのような感情を抱いているか。
それは計り知れない。
しかし、アリシャを今も恨んでいる可能性は高い。
「お前は、アリシャに恩があるはずだ」
だからこそ、その不安が口を衝いて出た。
「だから、嘘の証言をしろと?」
「そんな事は言っていない」
「でしょうね。そのような方で無い事は存じております。ですが一つ言わせていただきましょうか、殿下。確かに私はあの方に恩がある。しかし、恨みもあるのですよ?」
……そうだな。
もっともだ。
たとえ恩があったとしても、アリシャの彼女へ対する仕打ちは許される物ではない。
過去の事とはいえ、あれは恨まれても仕方のない事だ。
だからこそ、俺は危惧したのだ。
ならば、どうなのだろうか?
彼女の証言は……。
彼女の心情は、どちらに傾いている?
アリシャへの恩を押し殺す形で証言するつもりなのか。
アリシャへの恨みを晴らすために証言するつもりなのか。
どちらなのだろうか?
わからない。
不安は拭えない。
「それより、レセーシュ殿下。相変わらず麗しゅうございますね。このように間近でご尊顔を拝されました事、感激致します」
マルテュスは先ほどとは違う、満面の笑みで兄貴に声をかける。
好意を前面に押し出したような表情だ。
それは彼女の本心からの言葉だろう。
「ありがとう。フェアラート嬢」
兄貴は涼しい顔でその賛辞を受け取った。
「……殿下。先ほど、ルイジさんは一人で廊下を歩いていたと言っていませんでしたか?」
不意に、アリシャが口を挟む。
兄貴はアリシャを睨む。
「口を出さぬよう言ったはずだが」
「む……」
「満足の行く結果を得たければ口を噤んでいろ。でなければ、事件が解決してもあらぬ疑惑をかけられるぞ」
兄貴が言うと、アリシャは黙り込んだ。
しかし……。
確かに彼女の言う事はもっともだ。
一人で歩いていたのならば、他に目撃者はいないという事ではないのだろうか?
俺は、兄貴に向き直った。
「兄貴。カブッティール嬢は一人で廊下を歩いていたと証言していたはずだ。なのに、目撃者が二人いるというのはおかしくないか?」
アリシャの疑問をそのまま兄貴へ投げかける。
兄貴は溜息を吐きつつ、それに応じた。
「おかしくはない。カブッティール嬢は一階の廊下を歩いていた。だがフェアラート嬢は違う」
兄貴が答えると、その言葉を継いでマルテュスが続ける。
「私は、二階の廊下を一人で歩いていました。その時に事件を目撃したのです」
つまりこの事件は、上と下……。
別々の視点から目撃されていたという事か。
別の角度から。
そういえば、兄貴はそう言っていたか。
しかし、これはチャンスでもある。
心配は多分にあるが……。
このあまりにも情報が少なく、不利な現状。
どのような証言が飛び出すにせよ、情報は多い方がいい。
「では、フェアラート嬢。証言をお願いする」
「かしこまりました。殿下」
マルテュスは証言を始めた。
今度は先走らぬよう、じっくりと証言を聞く事にしよう。
「あれは六時頃の事でした。私は二階の廊下を一人で歩いていましたわ。その時に、言い争う声が聞こえました」
この証言は、ルイジのものと一致する。
少し詳しく訊いてみるか。
「どのような内容だったか憶えていないだろうか?」
「おやめください、アリシャ様。と、そう聞こえました」
「アリシャの名が出た? 間違いないのか!?」
思わず怒鳴りつけるように問い掛けてしまう。
しかし、マルテュスは特に動じた様子もなく首肯した。
「これに関して、聞き間違いはありません」
「何故言い切れる?」
「嫌いな物ほど、敏感になるものではありませんか? 名を聞くだけで、ついつい耳に残ってしまうほど」
……あるかもしれんな。
そんなにアリシャが嫌いか。
「それは被害者の声に間違いないだろうか?」
「わかりません。私は、ジェイルさんと交流があったわけではありませんので……」
わからない、か。
「私はその声がする方へ向かい、事件を目撃したのです」
「つまり、突き落とす所を見たという事、か?」
恐る恐る、俺は聞き返した。
もしそれを目撃しているならば、もはや弁明などできない。
しかし、マルテュスは首を左右に振って否定する。
「残念ながら、決定的な場面は見ておりません。その時の私はまだ階段の方へ向かっている最中で、廊下におりましたから。犯人の姿は一切見ておりません」
その言葉にホッとする。
だが、完全に安心できる事でもない。
何故なら、彼女はアリシャの名を聞いているのだ。
彼女の聞いた叫び声が確かならば、犯人はアリシャ以外に考えられない。
まずい状況だ。
そんな俺の焦りも知らず、マルテュスは証言を続ける。
「ただ、ジェイルさんの後姿を見ました。ひるがえった髪の色は栗色でしたわ」
栗色。
ジェイルの髪色と同じだ。
しかし、おかしくないだろうか?
「犯人の姿を見なかったと?」
被害者が突き落とされたのならば、見える後姿は容疑者のものにならないだろうか?
「はい。きっと、引き落とされる形だったのでしょうね」
そうか。
それなら、矛盾は無いか。
突き落としたのなら犯人は被害者の後ろにいる必要があるが、引き落としたならば犯人は被害者の前にいた事になる。
「そしてその直後、どたどたという何かが転がり落ちるような音が踊り場の空間に反響し、私が階段に着くと……。踊り場に座り込むジェイルさんがいました」
「それは、こういう光景だろうか」
俺は、兄貴から渡された事件現場のスケッチを見せた。
「はい。それとまったく同じ光景が眼下にございました」
本当にそうなのか?
疑わしく思ってしまうのは邪推だろうか。
アリシャならここで――
「それはおかしいですねぇ」
とねっとりした口調で言い――
「その証言はこのスケッチのこの部分と矛盾しています」
と切り返す所だ。
が、残念ながら俺にはできない。
実際におかしな所があるのか、まったくおかしな所がないのかすらわからない。
「ルイジ様が踊り場へ昇ってきたのは、その直後の事ですわ」
「カブッティール嬢が?」
そんな証言は聞いていないぞ。
「私もジェイル様の様子を確かめるために踊り場へ降りましたが、同時にルイジさんも昇ってきました」
「そうなのか」
そこでふと、ある疑念が浮かぶ。
「……カブッティール嬢とは以前から知り合いか?」
「はい。私達は、同じくアリシャ様の取り巻きをしていましたから」
何だと?
なら、俺も何度かルイジには会った事があるはずだ。
なのに……見た記憶がないぞ。
こんな個性の塊みたいな令嬢なのに!
俺はアリシャを見た。
アリシャもまた怪訝な表情で首を傾げている。
「まぁ、そうでしょうね。アリシャ様にとって、侍らせる人間など皆便利な小間使いでしかないでしょうから。顔など憶えていないでしょう」
この令嬢を記憶に残さない方がむしろ難しいと思うが。
「……まぁ。今の彼女の姿なら――」
「オーホッホッホ! それは普段のワタクシが、生まれ持った絢爛豪華な存在感を抑えているからですわ! でなければ、アリシャ様の存在感を以ってしても私の存在感に隠れてしまうでしょうから」
マルテュスの言葉を遮り、ルイジが発言する。
おお、復活したか。
だが、さっきと言っている事が違うぞ?
存在感が強すぎて俺の目が眩んだとか言っていなかったか?
「まぁちょっと変わった令嬢ですね」
マルテュスは溜息を吐いてそんな事を言う。
ちょっとどころではないと思うが。
それをちょっとで済ませるのか。
もしかしたら、マルテュスとルイジは仲が良いのかもしれない。
どことなく、マルテュスのルイジに対する態度は柔らかい気がする。
「その後、ジェイル様の意識が無い事を確認し、生徒会室へ人を呼びに行きました」
「何故、生徒会室に?」
「当時、校舎内には人がほとんどいませんでした。部活も殆どが終わっている時間です。でも、ジェイル様がいるという事は、少なくとも生徒会だけは活動している。そう思ったのです」
そうだな……。
俺達が屋上から植木鉢を運んでいる時ですら、学園内には既に人がいなかった。
理由がなければ、生徒の残っていない時間だ。
ジェイルが学園内に残っていた理由があるとすれば、生徒会の活動のためだと考えるのが自然だ。
「私の証言は以上です」
マルテュスがそう締めくくると、台の上にレニスがメモを滑らせる。
先ほどの証言をまとめた物のようだ。
目撃者2(マルテュス)は六時頃、二階の廊下を一人で歩いていた。
その時、言い争う声を聞いた。
声の主は、容疑者の名を口にしたという。
そちらに向かうと、階段から落ちたと思しき人物の後姿が見えた。
その髪色は被害者と同じ、栗色であった。
直後、どたどたという物音がする。
犯人の姿を直接見ていないという事は、引っ張られる形で落とされたのではないかと思われる。
階段を見下ろすと踊り場にはスケッチと同様の体勢で倒れる被害者の姿があり、駆け寄ると同時に階下から目撃者1が昇ってきた。
その後、目撃者2は被害者の安否を確認してから生徒会室へ向かった。
これがマルテュスの、当時取った行動だ。
一人で歩いていた、か。
何故その時間まで学園に残っていたのか。
どうにも、疑わしく思ってしまうな……。
「フェアラート嬢。何故、その時間まで校舎内に残っていた?」
「特に意味はない……と言ったら?」
聞こえようによっては挑発的な言葉を、彼女は臆する事無く告げた。
「ふざけて良い場ではない」
「ふざけてはいません。ただ、あれから早い時間に帰れないんですよ。少なくとも、空が紅く染まるまでは……」
「あれから?」
問いかけに対し、彼女は具体的に答えなかった。
「家に帰るとね……。思ってしまうんですよ。何故あの日、私はこの時間に帰ってこられなかったのか……」
その言葉だけで、俺は察した。
アリシャを見ると、彼女は両腕を胸の前で組んでいた。
その目は若干、伏せられているように見えた。
「ルイジが学校に残っていたのは、そんな私にしばらく付き合ってくれたからです。門限があったので、私より先に帰りましたが。私が帰ろうと思い立ったのは、それから一時間後くらいでしたね」
やはり、二人の仲は良いようだな。
俺はこれ以上、彼女への追求を諦めた。
「兄貴。事件当時、被害者は生徒会の活動中だったという事で間違いないのか?」
確認のため、俺は兄貴に訊ねる。
兄貴は少し間を置き、答える。
「厳密に言えば、違う」
「どういう事だ?」
否定の言葉が出て、思わず訊ね返す。
「お前とぶつかってから……。あれは五時になる少し前だったか。その後のジェイルの行動は、把握できていない」
「何?」
「言葉の通りだ。あの時には一度安否確認のため現場へ赴いたが……。彼女自身が大丈夫だからと言ったので、すぐに生徒会室へ戻った」
そうだったな。
あの時は俺も朦朧としていたが、しばらく意識があった。
だからその様子は知っている。
兄貴は俺を運ぶ担架が着くよりも早く現場に駆けつけ、明らかに何事かあったであろう有様の俺より先にジェイルの安否を確認していた。
しかし、すぐに戻った……?
あれほどしつこく確認していたのに?
「本当に大丈夫なのか?」
「ちょっと痛かったくらいですので、水で冷やしてから戻ります」
「いや、念のために病院へ行った方が……」
「大丈夫ですよ。私は頑丈なんですから」
というやり取りを運ばれていく最中に聞いたな。
それからすぐに気を失ったので、その後どうなったのか詳しくわからない。
「あれから先のジェイルの行動がわからないというのか?」
「ああ。丁度、階段の下には廊下を挟んで水場があった。彼女はそこで患部を冷やしてから戻ると言ったので、私は一人で生徒会室へ戻ったのだ」
そう言われてもすぐには帰ろうとしなかったように思えたが?
「一人きりになった後の彼女の行動はまだ明らかになっていない。しかし、あの場所はジェイルにとって悪い場所だったようだな。お前に頭をぶつけられ、その上、お前が足を踏み外した階段から突き落とされたのだから」
何?
「兄貴! 被害者が突き落とされた階段は、あの階段と同じ場所なのか?」
「そうだ。……言っていなかったか?」
「初耳だ!」
「それはすまなかった。失念していた。とはいえ、それが重要な情報か?」
問われて考える。
重要な情報、だろうか……?
わからない。
レニスにも視線を向けるが、彼女も首を左右に振った。
「いや……」
そう答えざるを得なかった。
しかし……。
ジェイルは俺とぶつかってからずっとあの場所に残っていたのだろうか?
一時間も?
その後、二階へ昇った?
何のために?
この空白の時間が気になる。
はぁ……。
証言を聞けば聞くほど、謎が深まっていくようだ。
そして証言が増えても、一向にアリシャの無実を証明できるような情報が出てこない。
悪くなる一方だ。
「証人ももういない。恐らく、これが今ある情報の全てだ。さて、何か容疑者の無実を証明する証拠はあるか?」
兄貴が言う。
「本当に、何もないのか?」
「ない」
きっぱりと兄貴は答えた。
全て出尽くして、最悪の状況だけが残ったか……。
これは……。
絶体絶命というやつだ。
「うぅ……」
思わず俺は呻いた。
自分でも情けなく思える。
そんな呻き声だ。
今回は、都合よくジェイルが起きてきてくれたりしないのだろうか?
「お前は何でいつもピンチなんだ?」
「好きでなってませんよ!」
愚痴るように言うと、アリシャが若干イラついた様子で言い返す。
「プローヴァ。発言は慎むように」
「事件に関係ない話くらい、許してくださいませ」
兄貴に注意され、アリシャは反論する。
「どんな話を足がかりにして言いくるめられるかわからん。些細な事でも控えてもらおう」
「人を何だと思っているんですか!」
「人を言葉で苛め抜く事に喜びを見出す魔女だ」
「偏見です!」
ふと、そこでアリシャは顎に手をやって何やら思案にふける。
そんな彼女に兄貴は声をかける。
「それは冗談として」
「本当に冗談ですか?」
アリシャは思考を中断して訊ね返した。
「先ほども言ったが、信用を勝ち取りたくば黙っていろ。私の弟はあまり聡明とは言えないが、愚かではないのだから」
兄貴の言いように反論したい所だが、どちらかと言えば俺は愚かかもしれない。
今の所、アリシャを助けるための算段がまったくつかないのだから。
「……そうですね。わかりました。黙っています」
アリシャがあっさりと食い下がった事が少し意外だった。
信じてくれるのか……。
こんな俺を……。
「それにしても、おかしな話ですね。空白の時間、彼女は何をしていたんでしょう」
だが、舌の根も乾かぬ内に喋り出すのはやめろ。
兄貴の目が釣りあがっているぞ。
「ジェイルの事か? 本当にな……」
内心ひやひやしながら俺は答える。
すると、アリシャは不思議そうな顔をした。
「あ、確かにジェイルさんの事も気になりますね。でも私が気になったのは別の人の動向――」
おい。
「待て」
アリシャの言葉を兄貴が遮った。
「それは事件に関する話だな」
「うっ……」
「貴様はどうやら、言葉で言っても聞き入れられぬ性分らしい」
「そんな事は……」
「憲兵! 例のものを」
兄貴の言葉で、兵士数名ががアリシャの元へ向かう。
そして、その口にマスクをつけさせた。
着けられると喋れなくなるタイプの物だ。
「ふんすー!」
言葉にならない音がアリシャの口元から漏れている。
当然ながら不機嫌そうである。
袖を引かれる。
見ると、レニスがこちらにメモを差し出していた。
「空白の時間……」
メモに書かれていた文字を読み上げる。
今、アリシャが言おうとしていた事か。
空白の時間、か。
思えばあの口ぶり……。
ジェイル以外にも空白の時間がある人物がいるという事か……。
そんな人物がいただろうか。
……いるな。
よく考えれば、一人。
「ありがとう。トレーネ嬢」
レニスに礼を言うと、俺はアリシャへ向いた。
「アリシャ」
呼ぶと、彼女はこちらを見る。
「信じてくれ」
そう告げると、彼女は椅子に深く座り直した。




