三話 因縁の目撃者
俺はレニスから受け取ったメモ用紙を読み、証言を把握する。
犯行は六時頃。
目撃者は一人で一階の廊下を歩いており、その際に二階へ繋がる階段の方から言い争う声を聞いた。
そして被害者が階段を転がり落ちてくる場面を目撃。
その後、容疑者が被害者の様子をうかがい、現場から逃げていく所も目撃した。
「カブッティール嬢……。結局あなたは、犯行の一部始終を見ていたと言いつつ、肝心の場面は見ていないのだな」
「はひ……」
完全に萎縮した様子でルイジは答えた。
とはいえ……何とも言えない状況だ。
犯行の様子を目撃されたわけではないが、階段を転がるジェイルと逃げ去るアリシャが目撃されているというのはあまりにもまずい。
これでは、どう足掻いてもアリシャが犯人としか考えられない。
状況証拠としては十分だ。
それでも、何か口出ししておいた方がいいだろうか?
黙って聞いたままでは、さらに不利になっていきそうだ。
何か反論の余地がないか探し、俺は口を開く。
ほんの少しでも、現状を打開するために。
「目撃された人物は本当にアリシャだったのだろうか?」
「証人が嘘を言っていると? 根拠は?」
「そうではない。ただ、似ているだけの別人だった可能性もある」
答えると、兄貴は腕を組んで口を開く。
「確かに、この学園の生徒にもドリラーは何人かいる。だが、その者達のアリバイ確認は既に済ませている」
むぅ、流石は兄貴だ。
抜かりがない。
「なら、アリシャはどうなんだ?」
「ん?」
兄貴は怪訝な顔をする。
「……事件は六時頃だという話だったな?」
「ああ、そうだ」
「もう、生徒の大半が帰っている時間だ。そんな時間まで、アリシャが残っていたとは思えない」
訊ねると、兄貴は溜息を吐いた。
なんだよ?
「あいつは間違いなくその時間、学園にいた。忘れてしまったのか?」
そう言って、兄貴は自分の頭を指した。
ああ……。
失念していた。
「そうか……。彼女は俺の意識が戻るまで、待っていてくれたのか」
昨日の俺は、ジェイルと頭をぶつけて脳震盪を起こした。
五時になる少し前くらいの事だ。
そして気付けば医務室のベッドで寝かされていた。
俺が目覚めた時、アリシャはベッドの傍らで椅子に座って待っていてくれた。
あれは……確か、六時をとうに過ぎて七時近かった。
「医務室の教諭は既に帰っており、ベッドに寝かせる事しかできなかったと聞いている。そしてお前は、ずっと気を失っていた」
「ああ。そして、起きたのは七時頃だ」
「その間、あいつは医務室にいた。つまりお前が医務室に運ばれ、目覚めるまでの間。あいつにはアリバイがない」
ぐっ……。
なんという事だ。
裏を返せば今回の事態、招いたのは俺という事ではないか。
俺が倒れなければ、彼女が疑われる事はなかったのに……。
そうして後悔に打ちひしがれている時だった。
隣から、台を叩く音が響いた。
台を叩いたのは、レニスである。
彼女は兄貴を見据えていた。
……前髪で隠れていたが多分そうだろう。
それにしても、レニスは台を叩いて音を響かせられるのだな。
アリシャが台を叩いてもぺしぺしとしか音が出ないのに。
そういえば、昨日もアリシャが金属の植木鉢を何度か置いて休みながら運んでいたのに対し、彼女は休む事無く植木鉢を運んでいた。
どうやら、体力は彼女の方があるらしい。
そしてレニスは口を開き――
「…………」
「…………」
「…………」
発言への注目が集まる中、何も言わなかった。
「……トレーネ嬢」
兄貴が静かに名を呼ぶ。
「わざわざ注意を引くならば、何か言え」
もっともである。
「…………」
レニスはしばらくじっと動かなかったが、やがてメモ用紙に何かを書いて俺に渡した。
代わりに発言してほしいという事だろう。
その内容を読み、兄貴に向く。
「俺が代わりに言う。そもそも、アリシャには動機がないのではないか、という話だ」
「実際に犯行時の目撃者がいる以上、動機も何もないと思うが……。しかし、今回に関して言えば、それは確実にあったと私は判断している」
「それは?」
「お前だ」
兄貴は俺を指して答えた。
「俺?」
「お前はジェイルとぶつかり、倒れた。それはジェイルに害されたという見方もできる。つまり、その報復行動としてジェイルを突き落としたのかもしれない」
「……それはないだろう」
言い難い事だが、アリシャがそこまで俺の事で怒るとは思えない。
彼女に俺へ対する好意はないのだ。
……その件に関してはほぼ完全に論破されたしな。
しかし、まだ俺は諦めたわけじゃないぞ。
「俺が害されたとして、アリシャが相手を殺そうと思うほどに怒る事はない。俺は、彼女にとってそこまで大事な存在というわけではないからだ」
「本当にそうか? そいつは、お前のために文字通り命を賭けた。大事でない存在のために、あそこまでの事はできないと思うが」
前の事件の話か。
それも否定されて、なおかつ論破されたんだよなぁ……。
「本当にそう思うか?」
「何でちょっと嬉しそうなんだ?」
問い返すと、呆れた様子で兄貴は言う。
なんだかんだで、可能性が見えるとちょっと嬉しい。
まぁ、喜んでいる場合ではないな。
「異議あり。私はそんな事していません」
アリシャが発言する。
実際には、確かに彼女は俺のために命をかけてくれたのだが、その後に熱を出してその事をすっかり忘れてしまったのである。
「いや、確かな事実だ。あと、貴様に発言は許されていない」
ぐむむ、とアリシャは顔を顰めて口を閉じる。
「さて、本題に戻ろう。カブッティール嬢の証言を聞いた限り、容疑者の犯行である可能性は極めて高い。他に容疑者の候補もなく、反論もなければこれだけでも決定付けて良いほどだ」
「いや、そんな事はないはずだ」
「そう思うなら根拠を示せ」
兄貴に鋭く言い返される。
正直に言えば、特に考えず発言した。
兄貴の鋭い視線は、そんな考えを見透かしているように見えた。
何を言おうか必死で考え、どうにか思いついてあまり間をおかないよう答える。
さも、最初から疑念を持っていたかのように……。
「確かに彼女の証言を聞けば、アリシャの犯行である可能性は極めて高い。しかし、あくまでも可能性だ。実際に犯行の現場を目撃されていたわけでもないのだから」
そう、決定付けるにはまだ早い。
あの証言だけでは、まだ不足だ。
「残念ながら、そうはいかない」
「何だと?」
兄貴は兵士に声をかける。
「もう一人の証人をここへ」
「もう一人の証人、だと?」
「目撃者は一人ではなかったのだ。彼女は別の角度から、事件を見ていた」
なんだと……。
今でも十分に不利だというのに、まだあるのか……。
兵士が、もう一人の証人を連れてくる。
その姿を見て、俺は息を呑んだ。
「お前は……」
「ご無沙汰しております。アスティ殿下」
そう言って微笑んだのは、マルテュス・フェアラート。
アリシャとの間に、強い因縁のある人物だった。




